花梨を泣かしたのは



「少し風が出てきましたね。」
昼間は暖かいが秋風は体温を奪う。地の八葉の二人と怨霊退治して回っていた花梨は右手で左腕を擦った。
「寒いのですか?では、お風邪を召してしまう前に屋敷に戻りましょうか。」
彰紋が言うと、勝真も頷いた。
「そうだな。もうすぐ日が暮れる。他を回っている時間は無いな。戻るか。」



「幸鷹殿。」
頼忠が四条の屋敷の警護に向かう途中、幸鷹に出会った。
「今宵も警護ですか?」
並んで歩く。
「はい。幸鷹殿は神子殿にご挨拶に参られるのですか?」
「えぇ。朝方は忙しく伺う事が出来なかったものですから。」
挨拶、とは口実だ。数日前から花梨は帝を呪っている怨霊を祓う為に勝真達と行動を共にしている。しかし彼らは花梨を龍神の神子とは信じていない。きちんと神子を守っているのか、確かめる為に四条の屋敷に訪れているのだ。



「花梨さん、背中に何かくっ付いていますよ」
彰紋が花梨の背中で、袖が揺れる度に黒っぽい何かが見え隠れしているのに気付いた。
「葉っぱかな?」
先ほどの怨霊退治の時によろめいた拍子に木にぶつかり、振動で降って来た大量の葉っぱを頭から被ったのを思い出した。払い落とそうと手を背中に回して叩く。だが、ソレは中々強情のようで落ちない。
「あぁ、俺が取ってやるよ。」勝真が背中のソレをもぎ取った。「へぇ、珍しい。まだいたんだな。」
「本当ですね。」
彰紋も興味深そうにソレを見つめている。
「何?」
「ほら。」
勝真の手を覗き込んだ花梨に、勝真はよく見せようと花梨に差し出した。



頼忠達が四条の屋敷の門を潜ろうとした時。

「きゃあーーーーーーっ!」

そう遠くない所から悲鳴が聞こえた。それは花梨の声に間違いない。
「神子殿!?」
「神子殿っ!」
二人同時に駆け出した


角を曲がると、丁度頼忠の胸に飛び込む状態で花梨がぶつかって来た。
「神子殿!?」
「―――頼忠さん?うわぁ〜〜〜ん!」
ぶつかった相手が頼忠だと分かると、瞳から涙が溢れ出した。がっしりと抱き付き泣き喚く。
「何があったのですか?」
「どうなさったのです?」
「わあぁぁぁ〜〜〜ん!」
しかしいくら尋ねても返事は返ってこない。辺りを見回した。
「勝真。」
「彰紋様?」
「・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・。」
すると呆然と立ち尽くしている二人と眼が合った。
「神子殿に何をした?」
低い声で脅すように尋ねる。相手が貴族だろうと神子殿に無礼を働いたのなら、不埒な真似をしたのなら、容赦はしない。
「いや・・・何もしていない、が・・・・・・・・・。」
「そんな筈は無いでしょう!こうして神子殿が泣いていらっしゃるのですから。」
幸鷹が視線を花梨から移して二人に詰め寄った。
「あ、あの・・・・・・。」
「何です!?」
彰紋が口を開いたが、幸鷹が東宮への礼儀も何もかも忘れて睨む。その迫力に押されて黙り込んだ。
「神子殿、何があったのです?」
幸鷹の後ろで頼忠が花梨に優しい口調で尋ね続けていた。
「うぇ〜〜〜ん!」
「神子殿、大丈夫です。頼忠がお側におりますから。」
「ひっく・・・ぅっく・・・・・・・・・。」
その声のお陰で少しずつ落ち着き始める。泣き声が少しずつ弱まる。
「神子殿。」
「う・・・ん・・・・・・グスン。」
「何があったのですか?」
「あのね・・・あの・・・。」
「はい。」
「勝真さんが、勝真さんが・・・・・・。う・・・・・・っ!」
しかしそこまで言うと先ほどの恐怖感を思い出し、唇が震えて言葉にならなくなってしまった。
「っ!神子殿に何をしたのです!?」
幸鷹が勝真を睨み付けた。
「あのな・・・・・・・・・。これだよ、これ・・・・・・。」
困り果て、掴んだままのソレを幸鷹の顔に突き出した。
「これ?―――あぁ、カブトムシですね。まだ残っているのもいたのですね。」珍しそうに指で突っ突くように触れる。だが、すぐに視線を戻した。「そんなカブトムシの事なんてどうでも良いのです。私達はあなたに、神子殿に何をしたのかと訊いているのです。」
「だからなぁ、コレなんだよ、原因は。」
「花梨さんの衣に付いていたのです。勝真殿が取ってくれたんですけど。」
ため息を付く勝真の横から彰紋が言うと、再び勝真が言い繋いだ。
「あいつ、これを見た途端、悲鳴を上げて逃げ出したんだ。」
「―――は?」
口が間抜けた感じに開いた。
「神子殿、そうなのですか?」
頼忠が見下ろし、花梨に尋ねた。
「うっく・・・ひっく・・・だって・・・・・・だって私、黒い虫、大嫌い・・・なんだもん。」
それだけ言うと頼忠の胸に額を押し付けるように抱き付いた。
「・・・・・・・・・。」
呆然。予想外の理由に、声も出ない。怨霊相手に一歩も引かずに戦う花梨が、こんな小さな虫一匹に悲鳴を上げて逃げ出すほど怖がるとは。
「神子殿は虫の類いが苦手、だったのですか。カブトムシが・・・怨霊よりも・・・・・・怖いのですか・・・・・・・・・。」
幸鷹が呆然として呟いた。
「・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・。」
「カブトムシって・・・夏に出て来るるアイツと・・・アイツと姿が似ているんだもん。それに虫って・・・急に飛ぶんだもん・・・・・・・・・。」
涙眼で震えながら呟く。
「・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・。」
「カブトムシは悪さなど致しませんから怖がらなくても大丈夫ですよ。」
頼忠の妹はよちよち歩きの幼児だった時でさえ、こんな虫一匹で騒ぎ立てた事は無い。あまりの幼さに半分呆れ、半分可愛らしいと思いつつ、頼忠が優しく宥める。
「う・・・ん・・・・・・・・・。」
手の甲で涙を拭いながら顔を上げた。
「冬になりましたら虫はいなくなりますから。」
「うん・・・・・・。」
頼忠が袖で花梨の濡れた頬を拭うと、コクンと頷いた。
『虫からもお守りせねばなりませんね。』
『・・・こいつ、ガキだ・・・・・・。』
『本当に花梨さんで大丈夫でしょうか・・・・・・?』
「勝真殿。」幸鷹が囁いた。「カブトムシ、そろそろ放しても宜しいのではありませんか?」
「んあ?あぁ、そうだな。」
今頃気付いたようにカブトムシを驚きの眼で見る。と、頷いた。そして手を振るようにして逃がす。
ブ〜〜〜ン。
しかし何の嫌がらせか、カブトムシは頼忠達に向かって飛ぶ。
「「「「あ。」」」」
ブ〜〜〜ン。
そして花梨の顔を掠めるように通り過ぎた。
「っ。」
カクン。
「み、神子殿?神子殿!!」
頼忠が崩れ落ちる花梨を慌てて抱き止めた。
「神子殿!」
「おい、大丈夫か!」
「花梨さん?花梨さん!」
「・・・・・・・・・。」
「「「「――――――へ?マジ?」」」
他の者達も慌てて駆け寄る。だが、花梨は気を失っていた。
「・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・。」
しばらく呆然と少女を見下ろし立ち尽くす。が、冷たい風が吹いた瞬間我に返った。
「―――はっ!神子殿、屋敷にお連れ致します!」
頼忠が花梨を抱え上げて走り出した。
「薬師の手配を致します!」
「いえ、薬師よりも泰継殿の方が宜しいでしょう。泰継殿にご連絡致します!」
幸鷹を引き止め、彰紋が走り出そうとする。
「いや、俺が行く!」
しかし勝真が二人を止め、代わりに自分が安部家にいる筈の泰継を呼びに駆け出して行った。



ブ〜〜〜ン。
カブトムシはそんな騒ぎなど関係無いとばかりに、夕陽を浴びる木々の葉の中に消えていった。
ブ〜〜〜ン・・・・・・。






注意・・・第2章初め頃。10月中旬。

カブトムシって9月末にはほとんどいなくなるそうですね。

黒い虫が苦手なのは銀竜草。カブトムシだろうがクワガタだろうが、憎きアイツと姿が似ているだけで許せん。殺意を抱く。

2007/04/10 04:19:53 BY銀竜草