変化



「今日は大雪だね。これじゃ町中を歩いている人はいないでしょうね。」
綿入りの袿を羽織った花梨は格子の隙間から外を覗き、眉を顰めた。
「そうですね。怨霊退治も話を聞くのも無理でしょう。」
幸鷹が頷いた。
という訳で、一日お休みとなった。



「そう言えば泰継さん、陰陽の術で人の外見を変えられるって言っていましたよね。」
熱いお湯の入った椀を両手で持ちながら、花梨が尋ねた。
「可能だ。だが、それは一時的なものだ。時と共に本来の姿に戻る。」
「一時的って、一日で良いんだけど。」
「ん?何だ、花梨。お前、外見を変えたいのか?」
頼忠と話していた勝真が振り向いて訊く。
「変えたい、じゃ無くて興味がある、かな。」
「どのようなお姿になりたいのですか?」
「10年後の自分。」何でまたそんなものを、という疑問を持つ男達に苦笑しながら説明する。「ほら、シリンが言っていたでしょう、つまらない小娘って。大人になれば少しは女っぽくなるかなって。」
「あのような言葉など、お気になさる事など無いでしょうに。」
「面白そうじゃん。やってみろよ。」
泉水は慰めるように優しく言ったが、イサトがふざけ半分にそそのかす。花梨は期待を込めて泰継を見つめた。
「構わん。弱い術だったら負担も少ないだろう。」
「わ〜〜〜い。」


さすがにみんなの前で術を掛けられるのは恥ずかしい。室の隅に几帳やら屏風を立て掛け、人目から隠れる。
「・・・・・・・・・。」
泰継の術を唱える声が聞こえる。と。
「神子。終わった。」
「そうなの?術を掛けられても自分じゃ何も分かんないんだね。」
ガサゴソと物音がする。と。
「きゃはははは!」
いきなり花梨の笑い声が響いた。
「神子殿。どうなさいましたか?」
頼忠が驚き、几帳の側に寄った。
「私、10年後も同じ顔している〜〜〜!」
「そうなのですか?」
彰紋も近寄った。
「出ておいで、姫君。」
その言葉に促され、花梨が屏風の陰から出て行く。
「もう、髪が伸びただけ。がっかり〜。」
「「「「「「「っ!」」」」」」」
息を呑んだ。花梨は特別美人でも可愛い訳でもない、どこにでもいるようなごく平凡な女の子。
「美人になれるとは思っていなかったけど、全く変わらないっていうのも哀しいよね。」
苦笑い。
「「「「「「「・・・・・・・・・。」」」」」」」
確かに同じ顔だ。どこがどう変わったのか、説明出来ない。だが。
『こいつ、「女」だったんだな。』
余分な肉が付いていない痩せすぎな体形は変わらない。だが、童のような身体つきではなく、全体的に丸みを帯びている。長い髪を掻き上げる手付きや、首を傾げた喉元、男達を見る眼つきは色っぽくて。そして棒切れのようだった足は艶かしく、男の視線を釘付けにする。
「まぁ、10年前の写真を見ても同じ顔しているんだから、大きく変わる筈も無いか。」
肩を竦めた。
「「「「「「「・・・・・・・・・。」」」」」」」
シリンのようなあからさまでは無い分、心は心地良くときめく。みんなでわいのわいの騒ぐより、二人きりで見つめ合っていたい。そして―――。
「ねぇ。」眼を眇める。「何でみんなして黙っているの?そんなに呆れた?」
「いや、そうじゃないが。」
勝真が白昼夢から覚めたように何度か瞬きを繰り返した。
「いえ、可愛らしいと思いますよ。」
ぼそぼそと幸鷹が答えた、
「良いもん。そんな思ってもいないお世辞なんか―――。」
ぷいっとそっぽを向いてふてくされた言葉を言うが、途中で止まった。何だか胸が苦しい。遊び半分で掛けて貰った術、これには何か副作用的な事でもあるのだろうか?
「あの、どうかしましたか?」
「花梨さん?」
「これは機嫌を損ねてしまったかな?」
「ちょっとごめん!」
心配して掛けてくれた言葉など気付かず、花梨は突然塗籠に駆け込んだ。
「花梨?」
「神子殿?」
びっくりして塗籠の扉付近に集まる。
「おい、泰継!」イサトが怒鳴った。「悪影響は無いんだろう?どういう事だよ!」
「問題ない。」
一人のんびり。
「花梨?大丈夫か?」
「神子。ご気分が悪いのですか?」
扉を開けるかどうか悩んでいると。

カタリ。

花梨が出て来た。
「花梨さん!」
「神子殿。」
取り囲む。
「あの、何か変わった事でもあったのですか?」
「泰継殿は大丈夫とおっしゃっておいでですが、本当なのでしょうか?」
「苦しいとか気分が悪いとか、まさか痛いところがあるってんじゃないだろうな?」
一斉に話し掛ける。
「大丈夫、本当に大丈夫なの。」
だが、どうも様子がおかしい。確かに苦しそうには見えないが、ニヤけていると言うか、恥じらっていると言うか。
「あの、本当ですか?」
頼忠が眉を顰めて再度尋ねた。瞳は嬉しそうに輝いているし、頬もほんのり紅く染まっている。悪い状態では無さそうだが、それでも心配だ。
「うん、何でもないよ。」
ちらりと頼忠を見返すが、すぐに逸らした。
「これはこれは。」翡翠がクスリと笑った。「姫君の秘密、かな?」
「え?」
ぎょっとして翡翠を見る。
「ん?翡翠、お前は何だか分かったのか?」
勝真が思わせぶりな言い方に眉を顰めた。
「10年後が楽しみだねぇ。」。
「きゃあ〜!ダメダメダメぇ〜、言っちゃダメ!」
慌てて駆け寄り、パンパンと翡翠の胸を叩く。
「君は本当に可愛い姫君だ。」
腕を取り、腰に腕を回して引き寄せた。
「きゃあ!」
「神子殿に無礼を働くのは止せ。」
頼忠が花梨を奪い返すと睨み付けた。
「ほう?恋人である自分以外の男が触れるのは許さない、かい。」
眼を細めて花梨を抱きしめている腕を眺める。頼忠はその視線を受け、眉間に皺を寄せた。
「私は神子殿の従者、神子殿をお守りするのが役目だ。翡翠、神子殿は厭うていらっしゃる。」
「お守りする役目、ねぇ。」瞳が嘲りの色で煌いた。「ならば、姫君の許可を得れば触れても良いのだね。」
頼忠の腕の中からは逃げない花梨に、艶やかな流し目を贈った。
「翡翠。何を―――。」
「姫君、可愛らしいその頬に唇で触れる事を許してくれないかい?」
「えっ!?」
「翡翠っ!」
驚きで眼を見開いた花梨を隠すように身体を一歩前にずらした。
「翡翠殿!?」
「「翡翠!!」」
「「翡翠殿。」」
「・・・翡翠。」
ワンテンポ遅れて怒鳴り声と非難の声が響き渡った。
「あははははっ!」
豪快に笑う。
「翡翠殿。神子殿をからかうのはお止めなさい。」
「本心なんだがねぇ。」怒りで震えている幸鷹をチラリと見たが、すぐに視線を花梨に戻した。「幼い姫君にはちょっと刺激が強すぎたかな?」
「子供じゃないもん。」
真っ赤になりながらそっぽを向いた。
「おや?許可は頂けなかったが、厭うてもいないようだね。」
「・・・・・・・・・。」
「ふふふ。」頼忠の眼に殺意が籠っているのに満足すると後ろを向いて歩き出した。「今度、無粋な従者がいない時にでもお頼みしてみよう。」
優雅な手つきで御簾を持ち上げ、出て行く。
「・・・・・・・・・。」
「はぁ・・・・・・。」
「ふぅ・・・・・・。」
足音さえ聞こえなくなると急に疲れを感じ、それぞれ大きなため息を吐いて座り込んだ。



「・・・・・・・・・。」
パチン。
カタカタカタカタカタ。
「・・・・・・・・・。」
パチン。
カタ。
みんなが帰った後の、習慣のオセロ勝負。
「・・・・・・・・・。」
パチン。
カタカタカタカタカタカタカタ。
「・・・・・・・・・。」
パチン。
頼忠が駒を置き、挟まれた駒を引っくり返そうと手を伸ばした。だが。
「その駒、本当にそこで良いの?」
「・・・・・・・・・。は?」
手が止まったまま駒を見続け、それからハッとしたように顔を上げた。
「ねぇ、どうかしたの?集中していないじゃない。滅茶苦茶だよ、今日の頼忠さんは。」
「・・・・・・・・・。」瞬きを繰り返した後、盤を睨みつけた。「いえ、大丈夫です。ご心配お掛けしてしまいまして申し訳ありません。」
「大丈夫って顔じゃないよ。気分悪いの?熱でもあるんじゃない?」
腰を上げて膝立ちし、手を頼忠の額に伸ばした。
「っ!」
ガシッ。
だが、とっさに手首を掴んだ。
「頼忠さん?」
「・・・・・・・・・。」
己の行動に自分で驚き、掴んだその手首を茫然と見つめる。
白い肌。細い指。華奢な手首。魅惑的な女の―――手。
「頼忠さん、本当に大丈夫?」
「・・・・・・・・・。」
手首から身体の上へと視線が上がっていく。肘の辺りから胸、胸元、首筋、そして動いている唇からは白い歯が見え隠れしている。
力を入れなくとも、ただこの手を引けば・・・・・・・・・。
「頼忠さん?頼忠さん。・・・・・・・・・。頼忠さんっ!!」
何度呼び掛けても返事は無く、怒鳴るような大声を出した。
「はっ!」
我に返った。
「だから一体どうしたって言うの。何を考えているのよ?」
「考えた事・・・・・・?」
己は今、何を考えたのだ?このお方は龍神の神子、浅ましい想いを抱く事など許されない相手だと言うのに。
「ほら、正直に白状しなさい。気分が悪いんだったら薬湯を頼んで来るから。」
「気分が悪・・・。」ぼんやりと花梨の言葉を繰り返していたが、思い出した。「あの、神子殿の方こそ大丈夫でしょうか?」
「私?」
何で私が、との疑問で首を傾げる。
「先ほど、術をお掛けになられた時に、御様子がおかしかったですが。」
「う゛・・・・・・。」
顔も首も手までも見る見る真っ赤に染まっていく。
「何か、お身体に異変でもあったのでしょうか?」
「い、異変とかそういう事じゃなくて・・・。」
しどろもどろ。
「神子殿?」
「だ、だから頼忠さんが心配するような事では無くて・・・。」
「この頼忠にも言えぬ事なのですか?」
「っ!」
しつこく追及する頼忠にかっとなった。掴まれた手を思いっきり引くと同時にもう片方の手を振り回す。
ボカっ。
「あつっ。」
姿勢が崩れた瞬間、頭を叩かれ、手を放した。
「すけべ!こんな事、男性に言える訳無いでしょうが!?」
怒鳴るとぱっと立ち上がり、塗籠に駆け込んだ。
「は?」
頭に手をやりながら茫然と塗籠の扉を見つめた。
「神子殿?」
だが。

―――すけべ!こんな事、男性に言える訳無いでしょうが!?―――

しばらくするとようやく花梨の最後の言葉が頭に入った。
「私を・・・・・・一人の男として見て下さっているのか・・・・・・・・・?」
塗籠の扉はぴったりと閉まっている。
「・・・・・・・・・。」
頬が緩んでいく。だが、次の瞬間、顔色が曇った。
「―――いや、駄目だ。」
立ち上がると逃げるように室を出、庭に降りた。



「・・・・・・・・・。」
屋敷に背を向けて立つと、手を強く握り締めて胸に当てた。
貴女は龍神の神子。そして私は貴女の――――――従者。






注意・・・第4章。

ま、頼忠のお約束。

2007/06/29 03:25:13 BY銀竜草