波紋



暖かい日差しの中、花梨とイサト、泉水の三人は簀子でおしゃべりをしていた。
「明王様のお札も残り一枚、イサトくん、頑張ろうね。」
花梨が言うと、イサトは不機嫌な表情を浮かべた。
「どうだろうな。彰紋があんな態度じゃ、オレだってあいつを信用出来ないし。」
「彰紋くんには彰紋くんの事情があるんだよ。」
「そんな事は分かっているさ。」
「彰紋様が口にされたら、影響はとても大きいのです。それをご心配なされているのでしょう。」
「だから分かってるって!」怒鳴った。「だからってあいつが苦しんでいるのを黙って見てろって?そんな事出来るか!」
「ねぇ、これって・・・・・・?」
「はい、そうですね。」
花梨と泉水は顔を見合わせると、互いに頷いた。何だかんだ言ってもイサトは彰紋を心配しているのだ。彰紋の秘密をシリンが利用しようとしているにしても、あまり心配する必要は無いかもしれない。
「そんな事より。」イサトが話題を変える。「玄武の片割れ、泰継はどこにいるんだ?」
「陰陽師としての仕事で遠方に行っているよ。」
「八葉全員が揃っていなくて大丈夫なのかよ?」
「うん。今回は朱雀の二人だから大丈夫。それに南の札を取りに行く25日までには戻るって言っていたから。」
「呑気だなぁ、お前は。」
「信頼しているという事ですよね。」
心配するイサトとは違って、泉水は花梨と同様、落ち着いていた。
「うん。約束は必ず守る人だから。」
「泰継殿がついうっかり、なんてするとは思えないからね。」
庭から声を掛けられ、花梨は驚いて立ち上がった。
「翡翠さん?お久しぶりですね。」
「やぁ、可愛い人。私に会えなくて淋しかったかい?」
「忙しくて淋しがっている暇はありませんでした。」よっと、と掛け声を掛けて高欄の手すり部分に座る。「でも、何日も連絡も無いまま来ないから心配はしていましたよ。」
身体を捻って後ろを向きながら言った。
「そうかい、それは嬉しいねぇ。」
ざくざくと雪を踏み締め、近付いた。
「何をしていたんですか?」
「興味あるのかい?だったら教えてあげようか。」
「あら珍しい。秘密主義の―――わっ!」
突然腰の部分を抱き締められ、悲鳴をあげる。と、そのまま引っ張られ、高欄を乗り越えてしまった。
「翡翠さん、いきなり何するんですか!」
翡翠の腕の中で喚く。
「翡翠!?」
「神子!」
二人が駆け寄るが、翡翠はその前に高欄から離れ歩き出していた。
「神子殿を少しの間お借りするよ。」
「ちょっと翡翠さん?翡翠さんってば!」
「おい、待てよ!」
「翡翠殿!」
階の下には履物は無い。裸足で降りるのを一瞬躊躇って追い掛けるのが遅れた間に、馬に乗って駆けて行ってしまった。
「た、大変だ!!」
慌てて紫姫に報告し、残りの八葉のみんなで探すが、二人を見付ける事は出来なかった――――――。



「やぁ。姫君をお連れしたよ。」
翌朝、翡翠がにこやかに挨拶しながら四条の屋敷を訪れた。花梨を腕で抱き上げたまま。
「神子殿!」
「花梨!」
「翡翠殿!」
「翡翠!」
「花梨さん!」
「神子!」
八葉が駆け寄る。
「神子殿!?」
疲れた顔で、眼の下には隈が出来ていた。
「翡翠、お前、神子殿に何をした!」
頼忠が詰め寄る。だが、翡翠は艶やかな笑みを浮かべた。
「ん?ただ抱き合って夜を過ごしただけだよ。」
「「「「「「なっ!?」」」」」」
「翡翠さ・・・。下ろし、て・・・・・・。」
もぞもぞと腕の中で身動ぎし、か細い声で言った。
「おや?自分で歩けるのかい?」
「あ・・・駄目。」足を下ろしたが、よろめいて翡翠の腕にしがみついた。「力・・・入らない・・・。」
「神子殿。頼忠が室にお連れ致します。」
翡翠から奪い取るように花梨を抱き上げた。
「すまなかったね。あまりにも君が可愛いから、つい無理をさせてしまったよ。」
花梨の頬に指の甲を這わせる。
ばしっ!
だが、勝真がその手を払った。
「花梨に触るな。」
「ね、むい・・・。お休み・・・な、さい・・・・・・。」
頼忠に寄り掛かってそのまま目を閉じ、眠りに落ちた。
「ふっ。可愛いねぇ。」
室に運んで行く頼忠を見送る。
「翡翠殿、どういう事です!?」
「お前、自分のした事が分かっているのか!?」
幸鷹とイサトが詰め寄る。
「あの幼い姫君に、大人の恋を教えて差し上げようと思っただけさ。可憐な白い蕾が、花を咲かせる瞬間を見たくてね。」
「花梨はまだ子供だ。」
「結婚していてもおかしくは無い年齢だよ。」
「年齢の割に幼いのは分かるだろうが!」
「そうかい?」
責める口調にも全く気にしていない。薄笑いを浮かべる。
「あの方は龍神の神子だ。」女房に任せ、戻って来た頼忠が睨んだ。「龍神に選ばれた、神聖なるお方だ。我々が触れて良い方では無い。」
「違うね。花梨は人の子だよ。温かい血の通った、ごく普通の女人だ。」あぁ違ったね、と自分で自分の言葉を否定する。「あんな可愛らしい姫君はどこにもいないな。あそこまで素直で純真な心を持った姫君は。」
「・・・・・・・・・。」
「手に入れたいと、本気で願うよ。」
「翡翠!お前は自分が何を言っているのか、分かっているのか!?」
「おや?何故頼忠が怒るのだ?」腕を組むと真正面から見返した。「姫君は一度も嫌だとはおっしゃらなかったよ。それどころか、ずっと私にしがみ付いていたよ。震えながらもね。」
「な―――。」
「お静かに願います。」紫姫が頭を下げた。「神子様は大変お疲れの御様子、ゆっくり休んで頂きたいのです。」
「くっ!」
頼忠は悔しそうに唇を噛み締め、手をきつく握り締めた。
「翡翠殿。」彰紋が眼を逸らしながら頼んだ。「しばらくの間、この屋敷に顔を出さないでくれませんか?」
「お願いします。」
「では、姫君からの文をお待ちしているよ。」
髪をなびかせ、優雅に立ち去った。
「すまん。あいつを守れなかった。オレもその場にいたのに、ただぼんやりしてた。」
「申し訳ありません。翡翠殿がこのような行動をなさる方だと分かっていたのなら―――。」
あの場にいた二人が口々に謝罪するが、幸鷹は首を振った。
「いえ、翡翠殿が本気で行動したのなら、止められる者などおりません。」
「そうだな。」花梨の寝ている室の方を見ながら勝真も悔しそうに言った。「百戦錬磨の翡翠相手じゃ、花梨は逃げられないだろうな。疑う事を知らない花梨じゃ。」
「・・・・・・・・・。」
頼忠、一人その場を離れる。そして庭で雪が降る空を見上げていた。



「うっ。」
花梨は痛みで眼が覚めた。ほんの少し寝返りを打とうとしただけで身体中を電流が流れるような衝撃が走り、顔を顰める。
「いったぁ〜〜〜い!」
そして昨夜の事を思い出し、苦笑いを浮かべた。
「こんなんなるのが分かっていたら、行かなかったのに。」
でも、頼忠さんとなら我慢出来るかも。うん、何時か、ね。
「暗い・・・。」
室の中も御簾の外も真っ暗。寝ている間に夜になってしまったようだ。
「寝過ぎで眼が冴えているし、頼忠さんの顔が見たいな。」
ゆっくり起き上がると袿を数枚重ねて着込む。そして室を出た。
「よ〜りた〜ださん!」
何時もの生真面目な顔。それでも逢えただけで嬉しい。一瞬、痛みを忘れた。
だが。
「神子殿!」
硬い声。そしてそのまま黙ってしまった。何時もの説教は無いまま。
「朝、まともに挨拶出来なかったから―――。」
「神子殿。お願いで御座います。もう少し―――。」
同時に話し出し、同時に黙り込んだ。
「何?」
頼忠に続きを言うように促すが。
「いえ、何でも御座いません。」胸に手を当て、下を向いてしまう。「申し訳ありませんでした。いえ。」首を振った。「これはおめでとう御座いますと申し上げるべきでしたね。」
「頼忠さん?何を言って―――あ。」
尋ねようとしたが、その言葉を聞く者はもう既にそこにいなかった。何が何だか分からないまま、呆然と闇を見つめていた。






注意・・・第4章後半。南の明王様の課題中。

翡翠が爆弾を投下。
あ〜りゃりゃ。頼忠、拗ねてしまわれたわ。

2007/07/01 02:25:11 BY銀竜草