『ながらへば・・・・・・〜花梨〜』



『眠れない・・・・・・、眠る気になれない・・・・・・・・・・・・。』
もう眠らなくてはならない時間だったが、花梨は眠る気になれず、未だに着替えをしていなかった。ブラウスにスカート、そして、袿を一枚引っ掛けた姿で簀子に出ると、ぺたりと座り込み空を眺める。
『きれいな月・・・・・・。』
自分が望んだ訳ではないのに・・・・・・。意思とは関係なく否応もなしに連れて来られたのに・・・・・・。この土地はおろか、この世界さえ知らないのに・・・・・・・・・。
なぜ、私はここにいるのだろう?
なぜ、私が選ばれたのだろう?
なぜ、私がやらなくてはならないのだろう?
疑問ばかり浮かぶ。

それに。

傍にいてくれる八葉と呼ばれる人達は優しくしてくれる。親切にしてくれる。色々と気遣ってもくれる。だけど――――――私に疑いの目を向けている――――――。
私だって、自分が『龍神の神子』だって、信じている訳ではないけど・・・・・・『高倉花梨』という一人の人間として、信じてもらえないのが悲しい。辛い・・・・・・。
苦しさが胸を締め付ける。
『逃げ出したい』という思いがふいに大きくなり、花梨は衝動的に庭に降りると屋敷をそうっと抜け出した。


足の向くまま何も考えずに歩いていた花梨だったが、自分がどこに向かっているのか今更ながらに気付く。
『船岡山には確か・・・・・・・・・。ちょっと遠いし、夜道は暗くて怖いけど・・・行こう!』
目的が決まれば、のんびりと歩く事はせずに、ずんずん進む。
山道を登り、目印となる大きな木の脇にある獣道を進む。
「あったぁ〜!!」
花梨の目の前にあるのは、湯気の立つ水の池。
『これって温泉だよね?誰もいないし・・・えへへ、入っちゃおうっと♪』
荷物置場となりそうな大きな石を見つけると、花梨は服を脱ぎその上に置く。そして。
「うわぁ、気持ちいい〜〜〜〜〜!」
ばしゃり、と飛び込んでその気持ち良さに歓声をあげた。
久しぶりに味わう入浴の喜びに頬も自然と緩む。手足をゆっくりと伸ばし、強張った筋肉をもみほぐす。
『あちこち傷だらけだよ〜。あっ!こんなところにも痣が出来ている。痕、残らなければ良いけど、これだけ多いと、残っちゃうのも有りそうだなぁ・・・。』
食事も少ししか喉を通らないため、元々痩せているのが、ますます貧弱な身体つきになってしまっていてため息をつく。
『大人の魅力ある身体になれる日は来るのかなぁ・・・・・・?』
お湯の温かさが身体に染みて来ると同時に、凍て付いていた心まで解けてゆく。
『・・・・・・・・・・・・。』
空を見上げると、月は先程よりも高く昇っていて。
冴え冴えとした、怖いぐらいの美しい輝きが心の奥底に隠していた感情を暴き出す。
溢れ出した涙と嗚咽を堪える事は出来ず。
「・・・・・・っく・・・・・・・・・・・・ひっく・・・・・・怖いよ・・・お母さん・・・・・・会いたいよ・・・・・・お父さん・・・・・・帰りたいよ・・・・・・・・・・・・ひっく・・・・・・・・・。」

誰もいないから我慢せずに思いっきり泣く。
そして、思いを全て吐き出した後は、気分もすっきりする。
「ながらへば またこの頃や しのばれむ 憂しと見し世ぞ 今は恋しき」

「さて、帰るか!」
と、思いっきり元気良く湯から出た花梨は、はたと気付いた。
「わっ!タオルが無いっっ!」
どうしよう・・・?と呟くがどうする事も出来ず。ふと、袿に眼をやる。
「濡れたままよりはまだ良いよね・・・。讃岐さん、御免なさいっ!」
と見えない花梨付きの女房に謝り、袿で身体を拭く。そして、服を身につける。
花梨は、ぱんっと両頬を手で叩くと、「よしっ!もう大丈夫、まだまだ頑張れる!」と頷き、湿っぽい袿を頭から被ると来た道を元気よく戻り始めた――――――。






注意・・・船岡山に温泉が湧き出しているかどうか・・・・・・知りません(きっぱり)。
     「ながらへば・・・」百人一首。84.藤原清輔朝臣。
     ―「生き長らえたら、今日この頃の事も懐かしいと思い出すのだろうか。
       つらいと思っていた昔の日々も、今では恋しく思われるのだから。」

あかねに比べると、友達もいなければ神子とも信じてもらえない花梨が、なぜこんなにも前向きで明るく元気でいられるのか・・・不思議だったの。

2004/3/11 01:41:36 BY銀竜草