『―――梅の香りに包まれた貴女―――』



「これって・・・梅の木、ですよね?」
花梨は突然、一本の大きな木の傍に寄った。
「えっ?あぁ、そのようですね。それがどうか致しましたか?」
ありふれた、どこにでもある木に関心を持つ少女に、一緒にいた頼忠は首を傾げた。
「随分大きな木ですね。花が咲いているところを見たかったな。綺麗だろうなぁ。」
残念そうに呟く。
「梅の花がお好きなのですか?」
「一番好きな花です。」微かに笑みが浮かぶ。
「これほどじゃないけど、私の家の庭にも大きな梅の木があって、春には凄く綺麗な花が咲くんです。花の甘い香りが家中に香るの。」幹に手を触れる。
「・・・・・・・・・・・・・・・。」頭を幹に付けると、眼を閉じた。
「・・・・・・・・・・・・・・・。」
頼忠は、自分の世界の事を思い出して感傷に浸っている少女を、ただじっと見守っていた――――――。



その夜。
頼忠は警護をする為に四条の屋敷を訪れた。
『これがほんの少しでも神子殿のお心の悩みを軽くする事が出来れば良いのだが。』
以前手に入れたのだが、使わない為に部屋の隅に置きっぱなしにしていた品。
『だが、どうやって手渡せば良いのだろうか?』手に持っている小さな包みに目を向ける。
未だかつて、妙齢の女人はおろか、女童にさえ贈り物をした事の無い頼忠は頭を悩ませ続けるが、名案は浮かばない。最後の手段としては・・・・・・・・・。
『私からだと解らないように、簀子にでも置いておくか。』
考えながら神子の室に近付いた頼忠は、高欄にもたれている少女を見付けた。

『このような刻限に無用心にも程がある。それより、このままだと体調を崩してしまう。』
室にお戻りになるよう、一声かけようと近付いた時、少女が眠っている事に気付いた。しかも、怖い夢を見ているのか、顔を顰めている。
『苦しんでおられるなら起こした方が良いか・・・?』
肩に手を置き揺さぶる。
「神子殿。ここで休まれてはお風邪を召してしまわれます。室にお戻りください。」
何度か声を掛けるが、起きる気配は無い。
『ならば、御寝所までお運びしよう。』
普段なら女人を抱き上げたり、運ぶ為とは言え、姫君の寝所にまで入り込む事など考えられないが、簀子で居眠りしていたり、怖い夢にうなされている様子はまだまだ子供で。
『可愛らしいと言えば可愛らしいが、年齢のわりには幼いな。』
階から上り少女を抱き上げると、少女は腕を頼忠の首に回し、しがみ付いてきた。頼忠は眠ったままの少女に苦笑してしまう。
だが。
「・・・・・・お父さん・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
毎日毎日、辛い日々を過ごしているだろうと頭では解っていたつもりだったのだが。昼間の少女は、愚痴一つ零さず笑顔を絶やすことがないから、本当の意味では理解出来ずにいたようだ。
『毎夜、独りで泣いていた・・・・・・・・・?』

褥に運び、少女を横たえようとしたが、少女は無意識に腕に力を入れていて外れない。
「嫌・・・・・・独りは嫌・・・・・・・・・・・・。」
寝言とは言え、耳元で甘えるように呟かれては、さすがの頼忠も冷たく突き放す事など出来ない。
『だからと言って、このまま抱き締めている訳にも・・・・・・・・・・・・。』
ふと、己が持って来た小さな包みに目が行く。
『これなら安眠出来るかもしれないな。』
少女を抱え直すとあちこちに移動して、ごそごそと準備する。『梅の香りがお好きなら、梅香の香も気に入ると思うのだが・・・・・・。』そして、燈台の火を移す。
すると。
ふわり。
甘い香りが漂い始めた
再び褥の傍に腰を下ろし、少女を膝の上に乗せて抱き締める。そして、優しく頭や背中を撫でていた。

しばらくそうしていると、少女の腕が力をなくしてダラリと落ちた。
見ると、穏やかな表情をしていて思わず安堵のため息をもらしてしまう。
『これなら御一人で眠れるだろう。』
少女を膝の上から褥にずらし横たえようとした時、首の後ろの襟元から黒っぽい影が見えた。
『・・・・・・・・・?』
思わず襟元に手を掛け、ずらす。すると、そこにあったのは痛々しいほどの黒々とした痣。
『・・・・・・・・・っ!』
頼忠が記憶を探ると、二〜三日前の怨霊退治の時に受けた怪我だと思い当たった。
『痛いとも怪我したとも、一言もおっしゃられてはいなかったが。これはさぞかし痛みが酷かっただろうに・・・・・・・・・。』
衝動的に無意識のまま、その痣に唇を押し当てた――――――。

「うん・・・・ん・・・・・・。」
少女が身動ぎした時に零れたため息に、我に返る。
『あっ!私は何という事を!』
寝ている女童の御身に口付けるなど、己がした事とは思えない。
『―――女童?』
幼い言動をするが、腕の中の少女はもう結婚していてもおかしくはない年齢で。痩せ過ぎてはいるが女の子らしい身体つきをして―――――――――。

ドクン。

梅香の甘い香りが心をざわめかせる。

「龍神の神子」と言う、神聖なる少女。
己の主であり、光のような存在。
暖かな笑顔と優しい言葉、そして、居場所を与えてくれる女(ひと)

――――――女(ひと)

ドクン。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」

少女の頬に手を添えると、親指を少女の可愛らしい唇の上を滑らせる。このまま抱き締めていたいが、理性を保っている自信が無く・・・・・・褥に横たえると夜具を掛ける。
そして、無理矢理眼を反らせると、静かに室を出た―――。


頼忠は庭に降りると、少女が寝ているであろう場所の方を見つめる。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
このままだと―――この想いが膨らんでいくだろうとの予感がある。止まらなくなるであろうとも。
そして―――――――――。

「参ったな・・・・・・・・・。」



梅の木を見る度に―――浅ましい願いを抱いてしまう。
少女から梅香が薫って来る度に―――穢れた欲望が次々と湧き起こってくる。
どんなにこの心を制御しようとも・・・・・・・・・いつか、この衝動を抑えきれない瞬間が来るだろう・・・・・・・・・。

まだ駄目だ。今は駄目だ。
役目から解放されるまで、この想いは隠さなければ。
暴れようとする、この衝動を抑えなければ。
全てが終わらない限り。あの少女が「神子」である間は。


何も考えずに生きてきたのに。
全ての感情を捨て去ったと思っていたのに。
なのに。
――――――貴女からはもう、眼が離せない――――――。






注意・・・『―――梅の香りに包まれて―――』での、花梨が寝ている間の話。

暴走した頼忠を、銀竜草は止める事が出来ませんでした。過激な行動はしなくても、ヒジョーに危険な想いを抱いております。何で「狼」になりたがるのでしょう、この男は?
それより。
何で花梨ちゃん、起きないの?頼忠の腕の中は気持ち良かった、とか?(←オイっ!)

『梅の香りに包まれて』で、頼忠が願い事を言えなかったのは、言った後、理性を保つ事が出来なくなると自覚している為です。
つまり、ED後の頼忠は・・・・・・っ!花梨ちゃん、ご愁傷様です。

なぜこの部分を外したのか、理解出来たでしょうか?
これを読んでいると、あちらで頼忠が何を考えていたかが解り、作品の雰囲気が変わってしまいます。

2004/08/20 03:34:42 BY銀竜草