「37777」番・課題出題者・ミーシェン様へ。



『―――二人の恋路を阻むもの―――』



「おい、頼忠。花梨から文だ。」
そう言って、勝真が周りを見回しながらこそこそと一通の文を頼忠に手渡した。
「何時もすまない。」
「気にするな。どうせ千歳の文使いは俺なんだからな。ついでだ、つ、い、で。」手を振りながら歩いて行く。「これの返事はいらないってさ。」
「承知した。」
一人になってからそそくさと開く。だがそこに書いてあったのは、ごめんなさいの一言と、泣きながら謝っている花梨の似顔絵だけ。
「花梨殿?」
何度読み返しても意味が分からない。長い時間、首を捻りながら文を見つめていた。



花梨がその文を書く一ヶ月以上前の事。

「花梨。あなたは裁縫の腕前はどうなの?」
ある日、棟梁の奥方、花梨の母親になった女が何枚もの布を前にして尋ねた。
「えっと・・・。」
口ごもる。こちらで言う裁縫とは手縫いの事だろう。手で縫うと言ったら、取れたボタン付けやほつれた裾、体育祭の時に着る体育着にゼッケンを縫い付ける位だ。花梨の世界では着る服は当然の事、今は雑巾だって買う時代なのだから。
「武士の娘の教養と言えば、手習いと裁縫なのですよ。これがまともに出来なければ、あなたの婿取りも話になりません。」
こめかみを押さえながらため息をついた。
「えぇ〜〜〜?」
「そんな声を出しても駄目です。」眉を顰めて叱る。「男達の衣を用意するのは、妻の役目なのです。あなたの夫が武士団の次期棟梁になるのですよ。その者にみっともない衣を着させる訳にはいかないのです。」
「う゛っ。」
そ、そりゃあ大変だ。頼忠がよれよれボロボロな衣を着ている姿なんて見たくない。ないが、花梨の腕前では・・・・・・・・・。
「冬物の準備には少し早いけれど、今から始めればあなたでも仕上げられるでしょう。取り敢えず一枚、縫い上げなさい。」不安げな顔の娘に一言付け加えた。「結婚は兎も角、出来次第によっては頼忠殿との仲を認めてあげるわよ。」
「え?本当?本当に頼忠さんとの事、許してくれるの?」
ぱっと明るい表情に変わる。
「美しく縫えたら、よ。」
「頑張る、うん、頑張るから!」
途端張り切りだした。沢山の布を一枚一枚熱心に見る。
「で、花梨。どうするの?」
「う〜ん、自分のだと途中で手を抜いちゃいそうだから頼忠さんの衣を縫おうかな。仕事の時に着る上着と袴をセット、お揃いで。」そう言って青系の布を手に取った。「でもこの色、ちょっとイマイチかなぁ?」
「それは秋物よ。」あっさり言った。「今回は生地から織り方、色、模様まで全てあなたが決めるのよ。」
「え?」
絶句。縫うだけじゃないの?
「市に行けば布は売っているわ。でも基本は全て女の仕事です。」青冷めている花梨をさすがに可哀想だと思ったのか、優しく説明する。「糸を紡いで織ったり染色したりするのは専門の者がいるから、あなたは指示するだけよ。」
「指示・・・・・・。」
指示するって事は、知らなきゃいけない訳で。織り方とか色とかその他色々と。
「大丈夫よ。季節毎に決まり事があるけど、一度には覚えられないでしょう?その折事に教えるから、心配する事はありませんよ。」花梨が手にした布とは別の布を広げた。「これが冬物の布よ。それとどこが違うか分かる?」


「おい。そろそろ休憩にしないか?」
花梨が長々と続く説明に混乱し始めた頃、御簾を捲って一人の男が入って来た。
「お父様、いらっしゃい!」武士団の棟梁にして花梨の父となった男の登場に、花梨は歓声をあげた。ぱっと立ち上がって室の隅に置いてあった円座を取って来ると、今まで自分が座っていた場所の隣に置く。「はい、どうぞ。」
「自分の娘とは言え、年頃の娘の室に気軽に入って来るなんて―――。」
にこにこと嬉しそうに花梨の隣に腰を下ろす夫を見て、妻は顔を顰めた。
「良いじゃないですか。別に見られて困る事なんか何も無いですし。ね?」にっこり父を見上げたが。「お父様?それって・・・。」
「な?花梨もこう言っているんだし、気にするな。」にっこり娘に笑顔を返す。「みやげだ。洗ってあるから食べなさい。」
籠からはみ出すほどの山盛りの葡萄を手渡した。
「わ〜〜〜い。お母様、食べよ食べよ♪」
「全く貴女って娘は・・・・・・。」
勉強よりも食い気か。美しい布そっちのけで食べ始めた娘に呆れ、ため息をついた。
「冷たくって美味しい〜。」
花梨の世界の葡萄に比べれば、甘さも汁気も全く比較にならない。それでもたまにしか口に出来ない果物はご馳走だ。一粒一粒味わう。
「邪魔ばかりするんだから。」
夫を睨む。
「勉強も大事だが、まだ本調子じゃないんだから、そんなに根を詰めてやる事も無い。休憩も大事だ。」
「根なんか詰めていませんよ。勉強を始めようと思うと、貴方が現れるんだから。」
「倒れてからでは遅いんだよ。安倍の陰陽師にも言われただろう?無理はさせるなと。」
「だからと言って、恥をかくのも困るのも花梨ですよ。これでは何時まで経っても結婚など―――。」
「しっ!」いきなり妻の腕を掴む。声を潜める。「だからだよ。」
「何ですって?」
「おい、静かにせんか。」
「はいはいは〜〜〜い。」いきなり花梨が割って入った。「仲良く半分こ♪」
一房の葡萄を真ん中で切り、父と母の手に半分ずつ乗せた。
「お父様もお母様も、今はこの葡萄を味わいましょうよ。ね?」
にっこり微笑みかける。
「・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・。」
顔を見合わせる。そして頷いた。
「そうね。」
「うむ。」
「ね、美味しいでしょう?」
「えぇ。こんなに甘い葡萄は初めてだわ。」
やっと笑顔が浮かんだ。
「そうだな。」
「家族みんなで食べるのって、楽しいし美味しいよね。」
再び美味しそうに食べ始める。
「みんなで・・・・・・・・・。」
「家族、か・・・・・・・・・。」
喜怒哀楽のはっきり分かる素直すぎる娘を見ていると、夫妻まで生きる事が楽しくなってくる。もう少し、もう少しの間だけ、私達の娘だけでいて貰おう。想い合う恋人同士には気の毒だが、こんな可愛い花梨では頼忠だって独り占めしようとするだろうから。
「慌てなくても良いわね。」
「な?」
笑顔で見つめ合った。
「ふふっ。」
夫妻の心の内など全く気付かない花梨、仲直りした両親にほっと胸を撫で下ろしたのだった。


「さてと。邪魔者は去ったから、続きをやりましょう。」
棟梁が立ち去った後、母君のその一言で勉強が再開した。
「はぁ〜〜〜い・・・・・・・・・。」
がっくりと肩が落ちる。このままでは気持ちは持たない。早くも挫折の危険を自覚した花梨は、強引に恋人の優しい笑顔を思い出した。
「そうよ、たかが裁縫じゃない。」ぱっと顔を上げる。「こんなのに頼忠さんとの仲を邪魔されるなんて、許せないわ。これは私に課せられた愛の試練よ。これを乗り越えれば頼忠さんに逢えるのよ。分からない、出来ないなんて言っていられないわ。頑張るのよ、花梨。頑張るぞ、おー!」
呆れた視線など構わず、握り拳を作って一人気合を入れる。そして花梨は一枚の布を手に取った。
「お母様、この色は何て言うの?」



裁縫の勉強を始めてから20日後。

「花梨殿。その御手のお怪我はいかがなされましたか?」
深夜の神泉苑、ほんのわずかな時間でも花梨との久しぶりの逢瀬に心躍(おど)らせやって来た頼忠は、恋人の手が傷だらけで驚いた。
「あぁ。今ね、お裁縫の勉強をやっているの。まともに針を持った事が無かったから、布よりも手を突き刺す方が多くて。」
私って不器用だから、と苦笑い。
「遅くまで室の明かりが灯っていたのは、それが理由ですか?」
穴だらけの左手を取り、ゆっくりと擦る。
「うん。」こっくりと頷く。「お母様がね、衣をまともに縫えない内は頼忠さんとの仲は認めない、て言うの。だから、文句の付けようがない衣に仕上げようと頑張っているんだ。」
「花梨殿・・・・・・。」
怨霊退治に奔走していた時と同じく、決意に満ちた瞳が美しい。これは頼忠を想っての事で、幸せすぎて胸が苦しい。
「そうだ。一つ訊きたいんだけど。」自由な方の手で頼忠の衣を引っ張ったり、ひっくり返したりしながら柄やら縫い目やらを見る。「頼忠さんは華美な衣って好き?」
「華美、ですか?」
「飾り紐とか房を付けたり、派手な模様とか。」
「いえ、動きを妨げる恐れのある飾りなどは好みません。それがどうかしましたか?」
「ううん、何でもない。ただ訊いてみただけ。」
首を横に振ってそう言うが、安堵したように微かな笑みが浮かんだ。
『そのお縫いになられている衣はもしかして・・・・・・・・・。』
握っていた手を口元に持っていき、傷の一つに口付けた。
「よ、頼忠さ―――わっ!」
「一日も早く二人の仲を認めて頂きたいとの想いは頼忠も同じですが、ご無理はなさらないで下さい。」
「そ、それは大丈夫だけど。それより、ねぇ?」
頼忠の腕の中で真っ赤な顔で問い掛けるように見上げた。
「申し訳ありません。少々動揺しておりますゆえ、落ち着くまでしばしのご辛抱を。」
身動き一つ出来なくなるほど深く抱き締め、眼を閉じた。
「こっちが動揺しちゃうんだけど・・・・・・。」
ため息をつくが、嫌がりもせずに身体を預ける。
「・・・・・・・・・。」
「・・・・・・・・・。」
涼しい風が吹き始めても、花梨は寒さを感じなかった。



そして。

「最後の一針、と。」
針を布に突き刺し通すと、糸を引っ張る。最後の縫い目の上に針を押し付けるように乗せると、糸を針に二周ほど巻き付け、慎重に抜いた。
「これで終わり、かな?」
鋏で糸を切ると、ゆっくりと置いた。バサバサッと大きく振り、糸くずを振るい落とす。
「う〜〜〜ん、大丈夫みたい。」
縫い目の一つ一つを確認。裏表、左右を間違えて縫い付けてしまった所は無いようだ。繋ぎ目の所でも、柄が綺麗に合っている。縫い忘れ、ほつれも無い。歪んでいる箇所が無い訳でもないが、ぱっと見た感じでは目立たず、他の人には気付かれないだろう。これなら恥ずかしい思いをさせずに済みそうだ。
「やったぁ、完成♪」
ぎゅっと衣を抱き締めた。
何度も縫い直していたからかなりの日数が過ぎてしまった。もう10月、冬だ。初めてとは言え、あまりの不器用さに母はため息しか出ず、自分は何度投げ出そうと思った事か。
「諦めないで良かったぁ。」
にへらにへら、不気味な笑みが浮かんでしまう。
これならお母様だって認めてくれるだろう。昼間、明るい陽の光で逢える。深夜、みんなが寝静まった後にこそこそと逢いに行く必要が無くなる。
「タ〜ラリ〜ララ〜〜〜♪」
袴を几帳に掛けると、上着部分を胸に合わせてみる。と、何となく気分が高揚し、歌い踊った。


「花梨?」棟梁の奥方が御簾を捲った。「どうかしたの?ご機嫌のようだけど。」
「お母様!」バタバタと走り寄った。「見て見て見て〜。縫い終わったの、完成したの。」
「まぁ、見せて御覧なさい。」
「完成って何がだ?」
奥方の背後から棟梁が顔を出した。そして、花梨が持っている衣に気付いた。
「お父様。これは―――。」
さすが棟梁、瞬時にその衣の意味を悟った。そして武士だけあって、素晴らしい反射神経をしていた。
「花梨っ!」
奥方の前に飛び出すと、最後まで言わせまいとしていきなり娘を抱き締めた。
「ぅわっ!」
「ありがとう!お前は何でこんなに可愛いのだ?」
「何が―――ぐぇ!」
「貴方?」
「裁縫の勉強を始めたと聞いてはいたが、まさか私の衣を縫っているとは思ってもいなかったよ。」
花梨の顔を己の胸にぐいぐいと押し付け、しゃべらせない。
「っく―――!」
「寝る間を惜しんで頑張っておったのを、父は知っておるぞ。」
「ねぇ―――。」
パンパンと父の背中を叩く。
「みんなこの父の為だったのだな。嬉しい、父は嬉しく思うぞ!」
抱き締めた時と同じく、いきなり放した。
「ごほっ!けほっ!」
息が出来なかったせいでむせる。そして咳をしている間に花梨の手から衣を奪い取った。
「初めてにしてはなかなか上手ではないか。うん、素晴らしい仕上がり具合だ。」
「あ、ちょっ―――コホコホ。んっ!」
「おぉ、上着だけでなく、ちゃんと袴もあるのだな。」
娘の伸ばした手を華麗に避け、几帳に掛かっていた袴も手に取った。
「そ、それは―――げほっ。」
胸をとんとんと叩く。
「早速明日にでも着させて貰おう。」
ありがとうありがとうと言いながら、逃げるように室から走り去って行く。
「あ〜〜〜、ちょっとぉ!」
バタバタと追い掛けるが、御簾の外へ出てしまったからもう手遅れだ。
「お母様〜!?」
振り返って助けを求める。が。
「―――はっ!」呆然と成り行きを眺めていたが、やっと我に返った。そして首を横に振る。「花梨、諦めなさい。」
「え〜〜〜?」
「あんなに喜んでいるのに、今更違うとは言えないでしょう?」
「う゛っ。だ、だけど!」
「あれは練習だったと思って、もう一枚縫い上げなさい。ね?」
「そ、そんなぁ。誕生日プレゼントにしようと思っていたのに・・・・・・。」
がっくりと膝が折れ、座り込んだ。
「ほら、年末年始は新しい衣が必要になるのだから。ね、頼忠殿にも誰かが縫って差し上げないと。」
「でも・・・お裁縫、お裁縫は苦手なのに・・・・・・・・・。」
「大丈夫。今度はもっと上手に縫えるわよ。」
「頼忠さんに逢えると思ったのに・・・・・・。」
ぽろりと涙が溢れ落ちた。
「少しぐらい遅くなったって、待ってくれるから大丈夫よ。」
安心させるように力強く言うが。
「ふぇ〜〜〜ん。」
「はぁ〜。全く困った人だわ、貴方は・・・・・・。」
娘の泣き声を聞きながら、ため息をついた。



「ごめんなさい、とは何の事ですか?」
返事はいらないとの事だが、意味が分からなければどうしようもない。後で問い合わせの文を送ろうか、それとも説明してくれるまで待った方が良いのか。
取り敢えず汚す前に文を仕舞おうと、己の室がある離れへと向かった。

ざわざわ。

「賑やかだな。あれは・・・棟梁?」
入り口付近に大勢の男達が集まっている。その中心に、見慣れた、だが久しぶりに見る姿が。機嫌良さそうに、何事か嬉しそうに若い者達と話をしている。
近寄ると、話し声が聞こえた。
「まだ本調子では無いんだから、無理はするなと言っておいたんだが。」
「それだけ棟梁をお慕いしているという事でしょう。」
「父君の側にいられるのが嬉しいのでしょう。」
「そうですよ。棟梁の喜ぶ顔が見たかったのではありませんか?」
「そうか?」
デレデレと顔が崩れている。威厳など、欠片ほども無く、普段の棟梁と同じ人間とは思えない。
「いじらしいではありませんか。寝る間も惜しんで縫い上げなさるとは。」
「こんなにも丁寧に縫われて、織女にも負けぬほどの仕上がりですね。」
「そうですね。この繊細な色合いが素晴らしいです。」
棟梁の着ている上着の袖を手に取って褒め称えるのを、うんうんと頷きながら聞いている。
「えぇ。この衣を着る者への愛情が伝わってきます。」
『衣・・・・・・?』
「ん?」
視線を感じたのか、棟梁がこちらを向いた。そして、そこにいたのが頼忠だと気付き―――にやり、と笑った。
『棟梁、まさか―――。』
さすがにその意味を理解し、懐に仕舞っている文に衣の上から触れる。
「こんな可愛く甘えられると嬉しいでしょう、棟梁。」
「幸せですね。」
「そうだな。」
にやにや。デレデレ。
「娘御が可愛くって仕方が無いのですね。そのご様子ですと、婿取りは当分なさそうですね。」
一人が苦笑い。
「あの娘はまだ若いのだし、焦る事は無い。それよりも、今は元気になる事の方が重要だ。」
大真面目に言う。
『・・・・・・・・・。』
文の中の絵、花梨の泣き顔が眼に浮かぶ。
「確かに棟梁はまだ元気ですし、急ぐ事はありませんね。」
「そうですね。」
そう言いながら顔を見合わせる。婿に選ばれた者は大変だと思いながら。


カタン。
室に戻った頼忠は、花梨専用の秘密の文箱に文を大事に大事に仕舞う。
「勝真、すまん・・・・・・・・・。」
文使いとなってくれた勝真に感謝しつつ、その役目から解放させてやれる日は遠そうで、心から謝る。
「はぁ・・・・・・・・・。」
相手が相手だけに強引に事を進める訳にも行かず、深いため息が零れ落ちてしまうのだった――――――。






注意・・・『最後の願い』の後日談。
      その年の8月〜の話。

秋・・・7〜9月。
冬・・・10〜12月。
葡萄って夏の果物だっけ・・・?

「ほのぼの〜」の予定が・・・・・・何故!?
棟梁が「親ばか」になってしまったせいです。そう、花梨ちゃんを泣かせたのは「棟梁」ですから、今回は「棟梁」が悪いのです、「棟梁」が・・・・・・・・・。(責任転嫁すればするほど自己嫌悪。)

創作過程

2006/10/10 03:46:52 BY銀竜草