「1001」番・課題出題者・綾(くろい)様へ。



『―――乙女の野望と朴念仁の動揺―――』



夜。
頼忠が警護の為、神子の住む対に近付いた。
いつもなら、そろそろ神子が休む刻限だから静かな筈だが、今夜は珍しく女達の賑やかな話し声が響いている。
『・・・・・・・・・?騒がしいな。』眉を顰める。

「あらぁ!やっぱり素敵な和歌の御文を貰うと、嬉しいものですわ。」
「和歌だと、代作してもらう殿方もおりますわ。私は、直接気の効いた言葉を掛けて貰った方が、心が動いてしまいますわ。」
「私は楽器が上手な方が良いですわ。貴女の為に弾きます、なんて言われたら・・・っ!」
きゃあ〜!との笑い声が再び響き渡る。

『そろそろお休みにならねば、神子殿が寝不足になってしまわれる。』
騒いでいる女房達に注意を促そうと、階から登り御簾に近付く。そして、声を掛けようとした瞬間。

「それで、神子様はどのような殿方がお好みですか?」

頼忠は、女房のその一言に、つい動きを止めてしまった。

「うん、私?」花梨の声が聞こえる。
「私は基本的に頭の良い人が好きだよ。勉強に限らず色んな事を知っていて、私の事、小馬鹿にしないで丁寧に教えてくれる人。」
「あら?お勉強はお好きじゃなかったのでは御座いませんか?」
「勉強って言うと堅苦しいから嫌いなんだけど、知らない事を知るのは楽しいよ。やっぱり一緒にいて楽しいと思える人が好き。」
「では、幸鷹殿と泰継殿のどちらが神子様の意中の方ですか?」
若い女房が興味深げに尋ねる。

「意中の方って・・・・・・。」
花梨の笑いを含んだ声が聞こえて、頼忠は無意識に聞き耳を立ててしまう。

「物知りな殿方と言うと、そのお二人ではないのですか?」
「そうだね。やっぱり一番の物知りさんは幸鷹さんかな?勉強的な事以外にも、あちこちの歴史とか言われとかよく知っているよね。質問すると嬉しそうに丁寧に教えてくれるから助かるよ。勉強熱心で、普段から何にでもあんなに真面目に考えていたら疲れるだろうなとも思うけど、私も頑張らなきゃって思わせる人だよね。」
「幸鷹殿の仕事熱心な御様子は、かなり有名ですのよ。」一人の女房が相槌を打つ。
「泰継さんは、先入観のない冷静な物の見方をする人だから、自分の頭で考えなきゃいけない時に意見を聞きたくなっちゃう。それにね。」一呼吸置く。「陰陽師って凄いよね?普通の人には出来ない事を、簡単そうにやっちゃうんだもん。次は何をするんだろうって、興味津々、楽しみなの。」
「まぁ。泰継殿は、安部家でも一番の能力の持ち主との評判ですわ。」
「やっぱりこの二人が特別賢い方では御座いませんか?」
「そうなんだけど、ほら、泉水さんだと音楽とか和歌に関する事は良く知っているんだよね。説明を聞いてもよく分からないけど。」苦笑する。
「泉水さんの笛って、綺麗だよね?静かな曲だと眠くなっちゃうんだけど、泉水さんの笛は別。いくら聴いても聞き飽きるってこと無いんだよね。不思議〜!」
「それでは泉水殿ですか?」ただ笑うだけで答えない花梨に、他の女房が口を挟んだ。「それでは、他の八葉の方はどうでしょう?」
「イサト君は、町の人たちの事はやっぱり詳しいよね。誰と誰が仲が良いとか、今喧嘩をしているとか。でね、子供達に慕われているから遊びの誘いがよく来ていて、私も一緒に遊んじゃうの。楽しいよ?」
その子供っぽい言葉に笑いが起こる。
「彰紋くんは読書家で色んな本を読んでいるから、そういう事は物知りだよ。あらすじの説明が上手だから聞いているだけでも楽しいけど、実際に読んでみたいって思っちゃう。本当は私、読書ってあまり好きじゃ無かったんだけどね。」
「勝真殿はどうですか?」
「勝真さんは、京の町を歩き回っている、との言葉通り、詳しいよね。一匹狼的な感じだけど、何だかんだ言っても面倒見が良いから、話しやすいし、つい頼りにしちゃう。」
「あとは・・・翡翠殿かしら?」
「翡翠さんって、知らない事ってあるのかな?自分で考えなさいって簡単には教えてくれないけど、何でも知っているよね。この京には初めて来た、とか言っているけど、貴族の人の事とかまで詳しくてびっくりしちゃうよ。」
そうですわねと、女房達は頷く。
「大人の気配りが出来る人で、何かに心奪われて周りが見えなくなっている時、さり気なく注意を促してくれるのって凄いなぁって思うの。人をからかうのが好きなのは困るけどね。」ため息交じりのその言葉に、再び笑いが起こる。
「最後は頼忠殿ですわね。」

『・・・・・・・・・・・・・・・。』頼忠は無意識のうちに手を握り締め、拳を作ってしまう。
だが。

「・・・・・・・・・・・・・・・。」
「・・・・・・神子様?」今まですらすらと答えていたのに、急に黙り込んでしまった少女に再度尋ねる。「神子様は、頼忠殿をどうご覧になられていますの?」
「・・・・・・・・・頼・・・忠、さん?」

そのどもるような口調から、少女が困っているのが解ってしまう。
が〜〜〜ん!
『・・・・・・・・・・・・私の印象は、言えないような事なのか?』
頼忠は、頭に石が落ちてきたような衝撃が走るのを感じた。

「そう、頼忠殿ですわ。」
「えっとぉ・・・頼忠さん、は・・・・・・・・・。」しどろもどろである。
と、その時。
「神子様、御寝所の支度が整いましたわ。」
一人の女房のその言葉に、花梨は瞬時に反応した。
「もう夜も遅いから寝なきゃっ!」

が〜〜〜ん!!
『私は神子殿に、人に言えないような、そんな悪い印象を与えていたのか?』
更に大きな石が頭の上に落ちてきたような衝撃を受ける。

「寝不足になっちゃうから、もう寝ますっ!」
「あら、もうすっかり夜も更けてしまっていたのですね。申し訳ありません。」
ざわざわと女房達が動き出す物音に、頼忠はその場を立ち去り庭に戻った。


『私は神子殿をお守りする為に存在している。物事をお教えする為でも、楽しませる為でもない。だから、神子殿にどう思われていようと構わない。』
頼忠は自分に言い聞かせるように、心の中で何度も呟く。
だが、頭では解っているのだが、不愉快な感情が何処からとも無く湧き上がってくる。
頼忠は、自分でも気付かないうちに考え込んでいた。

私が神子殿にお教え出来るような事は・・・・・・剣の事位だが、神子殿が興味を持つような事ではない。
他愛も無い会話で楽しませる事は・・・・・・私は口下手で、そういう事は苦手だ。
大人の気配りなど・・・・・・私は無骨者で人の感情には疎い。
一緒に遊ぶ事など・・・・・・出来る筈も無い。

結局、何一つとして少女を楽しませるような事は出来そうに無く―――何かを壊したいような怒りの感情が渦巻く――――――。


頼忠が一人、暗雲を背負って暴れたい衝動を必死で押さえている時、肝心の少女は褥の上に座り、大雑把にたたんだ袿を抱き締めていた。
『うわぁ・・・焦ったぁ!』心臓が早鐘を打っている。『頼忠さんって、ほとんどお話してくれないんだよね。でも、嫌な顔一つしないで私のくだらない話を聞いてくれる。それが嬉しいんだよね。嬉しいんだけど・・・・・・。』花梨の脳裏に、頼忠の生真面目な顔が思い浮かぶ。
『いつかあの仏頂面を崩してやるんだから!頼忠さんの笑顔、絶対に見てやる。笑わなくてもあれだけ格好良いんだから、笑顔はもっと素敵な筈。私の野望よっ!!』花梨は真剣である。
そして、もう一つの望み。
『頼忠さんなら、乙女のちっぽけな夢を叶える事は出来るんだけど・・・さすがに頼めないよね。言えば絶対にやってくれるだろうけど・・・内心、子供だと呆れちゃうだろうな。やっぱり・・・・・・・・・言えない。』
花梨は御簾の外のほうに眼を向けると、見えない頼忠を思い浮かべながら深いため息を付いた――――――。



次の日の朝。
花梨が支度を整えて八葉の控えの間に行くと、いたのは頼忠、唯一人だった。
「皆様、今日は忙しいようで供に付けるのは頼忠殿御一人ですわ。」
紫姫が一人一人の伝言を伝える。
「頼忠さん、今日は二人だけですけど良いですか?」
「承知致しました。」
「紫姫、じゃあ行って来るね!」
明るく紫姫に挨拶をすると、花梨は頼忠を促し元気良く屋敷を出発した。


「二人だけなら、怨霊を封印する事よりも五行の力を高める事に専念しましょうか?」
「承知致しました。」

「今日は暖かいですね。」
「さようで御座いますね。」

「五行の力を上げるの、今日はいつもより順調ですね。」
「さすが神子殿です。」

『・・・・・・ダメだ。他愛も無い会話はおろか、まともな返事一つ出来ないとはっ!』
時間が経つにつれ、頼忠の心は沈んでくる。
『私に説明できる事など無い。』せめて、他愛も無い会話でもしようと思うのだが。『何を話せば楽しいと思って下さるのか・・・?』少女を盗み見る。
すると。
『機嫌が宜しいようだが・・・?』
花梨は何か聞き慣れない旋律を口ずさんでいる。表情も明るくて、上機嫌なのは一目瞭然。
好きな人の傍にいられて嬉しい、楽しい、と思っているのだが、朴念仁頼忠がそんな乙女心に気付く筈が無い。
『私の存在など、眼中に無い、とか・・・・・・?』
が〜〜〜〜〜ん!
頼忠は、頭の上に今度は岩が落ちてきたような大きな衝撃を感じ、倒れ込みそうになった・・・・・・。


「あれ?あそこ、賑やかですね。何かあるのかな?」
頼忠の気持ちも知らず、花梨は呑気にある一角の人ごみに興味を示した。
「あぁ、市が開かれているようですね。覗いて見ますか?」
正直、頼忠は市には興味が無く、それ以上に、そんな呑気に見て回るほどの気持ちの余裕も今は無いのだが、従者としての勤めを果たすべく尋ねる。
「うわぁい。じゃあ、ちょっとだけ♪」

花梨は、はぐれないように頼忠の袖を掴むとあちこちを覗いて回る。

「これ、手触りが良いなぁ。」
「これはかなり上等な布ですね。」

「綺麗な細工ですね。」
「地方の特産品です。」

「これ可愛い!」
「京ではほとんど見られない、珍しい品です。」

『これが幸鷹殿だったら、品物の名前から由来など説明出来るのだろうが・・・・・・。』
自分の知識の無さがこれほど悔しいと思った事は無い。
頼忠の落ち込んでいく気持ちとは裏腹に、花梨は満面の笑みを浮かべていた。
聞き慣れない品物の名前や地名、由来など、すぐに忘れてしまうような知識なんかよりもずっと重要な事。
『えへへへ。これってデートみたい!他の人が見たら、兄妹とか大人が子供のお守りをしている光景にしか見えないだろうけど、私的にはデートよ、デート。頼忠さんと初デート〜〜〜♪』


しばらく歩き回っていたが、頼忠が突然立ち止まった。見ると、空を見上げている。
「天気が崩れます。早めに戻られた方が宜しいでしょう。」
「もう少し見て回りたいです。」
頼忠と二人きりでの外出など、滅多に出来る事ではない。しかも、ウィンドーショッピングのようなデート気分を味わえる事など、もう二度と無い様な気がした花梨は駄々をこねる。
だが。
「すぐにお戻りにならなければ、雨に濡れてしまいます。」
さぁ、と促すが、花梨はその手を振りほどいた。
と、その時。

どんっ!

「きゃっ!」花梨は、他の人にぶつかりよろめいた。
「神子殿っ!」頼忠は顔色を変えた。「大丈夫ですか?お怪我は?」
「ぶつかっただけです、大丈夫ですよ。」と花梨は笑うが。
「申し訳ありません。私の不注意です。」深刻な表情で頼忠は謝罪する。
「この人ごみだもん、ぶつかる事位しょうがないよ?」
「いえ、神子殿の御身をお守りしなければならぬと言うのに・・・・・・。」
「よそ見している私が悪いんだから、頼忠さんが謝る事ではないよ?」
「いえ、注意を怠るなど、従者として失格です。」
『たかがぶつかってよろけた位で、ここまで落ち込まれても困るんだけど。』
花梨は頼忠の気を立ち直らせようと、必死に考える。
「ほら、どんなに優秀な護衛がいたって、守られている人がフラフラよそ見しながら歩き回っているんだから、責任は本人にあるでしょう?」だが、頼忠の眉間の皺は取れない。
「赤ちゃんじゃあるまいし、抱え上げられているわけではないんだから。」

『抱え上げる?それだ!』頼忠は閃いた。

「神子殿、失礼致します。」
頼忠は、すっと花梨の傍に身を屈めると、左腕を少女の膝裏に回して抱え上げた。

「えっ?」花梨は、今の自分の状況が理解出来ない。『何で私、頼忠さんにお子様抱っこ、されているの・・・・・・・・・?』瞬きさえ出来ずに、ただ眼を見開くだけ。
『これなら神子殿の御身は安全だ。もっと早く思い付けていたら、危険に晒す事も無かっただろうに。』頼忠の心を、安堵と後悔が占める。
そして、そのまま歩き始めた。


「ちょっと待って!頼忠さん、降ろしてください!」正気に戻った花梨は慌てて言う。
だが。
「駄目です。このまま屋敷までお連れ致します。」
「歩けますから、降ろしてください。」
「暴れると危険です。しっかりと掴まっていてください。」
「何で自分の足で歩いちゃダメなの?」
「この方が安全です。」頼忠が花梨を見上げた。
乙女のちっぽけな夢、お姫様抱っことは違うが、好きな人に抱きかかえられているのは、正直嬉しい。嬉しいのだが、目のすぐ前に好きな人の顔があり、ほとんど耳元にドキドキさせる声が聞こえて恥ずかしい。心臓に悪い。
だが、自分は逃げ出したいほど動揺しているのに、頼忠はあくまでも冷静だ。
『・・・・・・何かすっごく腹立つわ。』
涼しげな瞳には、紅い顔をした自分の姿が映っている―――。
『どうにかしてこの朴念仁の仏頂面を崩してやりたい。』花梨の野望に火が付いた。

とっさに腕を頼忠の頭に回すと、身を屈める。そして。
ちゅっ。
額に口付けた。

「なっ?!み、神子殿っ?な、何を、したのですかっっ!!」
真っ赤になり慌てた頼忠が、右手で額を触ると叫んだ。
「えへへ。頼忠さんがイジワルだから仕返し♪」紅い顔を更に紅くした花梨は、嬉しそうに言う。「頼忠さんの慌てた姿、初めて見た!」
「えっ?」目を見張る。
「逆転サヨナラホームラン、私の勝ちだね♪」
「・・・・・・・・・・・・・・・。」
花梨は手足をパタパタと動かしながら大はしゃぎである。
『もしかして、この私にでも神子殿を楽しませる事は、出来るのか?』
何だ。そうか。今までイラ付いていたのが馬鹿みたいに思える。
頼忠は、楽しそうに笑っている少女を見つめていたが、少しずつ今の状況がどういうものかを意識し始めた。

自分の左腕に、少女の尻から太腿を乗せている事。
二の腕から肩にかけて、そして左胸に少女の身体が触れている事。
己の顔のすぐ傍に・・・・・・少女のふくらみがある事。
――――――少女と密着している事――――――
少女の匂いや身体の柔らかさが、子供ではなく、一人の大人の女性だと気付かせる。
そして、今までの自分の心の動揺が、嫉妬や焦りと言うものだとも・・・・・・・・・。


「ねっ?もう降ろして?」恥ずかしげに頬を紅くして笑みを浮かべている顔が、今まで見た事が無かった表情で・・・とても愛らしい。
幼い女の子が、父や兄に悪戯を仕掛けるのと同じ気持ちなのだろうが。
『神子殿がこんな悪戯を仕掛けるのは、己にだけ。こんな表情を見せるのは、私にだけ。』
愚かな男の都合の良い思い込みだとも解ってはいるが。
せめて屋敷に戻るまではこの夢を見ていよう――――――。
「私はイジワルなので、ダメです。このまま屋敷までお連れ致します。」
「・・・・・・・・・っ!」
普段の厳しい表情とは違った、あまりにも優しい瞳の頼忠の笑顔に、花梨は一瞬見惚れて反論するのを忘れてしまう。予想以上の素敵な笑み・・・・・・・・・。
そんな花梨の心の内など知らず、頼忠は反論が無い事を良い事に歩き始める。

だが、歩き始められれば正気に戻る。

「恥ずかしいから降ろしてくださいよ〜!」
「今度こそ、よそ見しないで歩きますから!!」
「頼忠さんのいじめっ子!」
「信じられな〜い!」
花梨は散々わめきながら暴れるが・・・・・・頼忠はこれ幸いとばかりに、大切な神子殿を落とさないように、と言う大義名分の元、愛しい少女を抱き寄せるのであった――――――。






注意・・・第3章の頃のつもり。
     花梨→頼忠・頼忠→花梨とお互いに思っているが、頼忠×花梨。

綾(くろい)様、御免なさい御免なさい御免なさい!
リクエスト内容に沿うように努力はしたんです。したのですけど、
意味も無く、やたらと無駄に長くなってしまいましたっ!
これでも短くしたんです。
そうじゃなかったら、これの2〜3倍の長さになってしまいましたもの・・・・・・。

創作の過程

2004/06/05 02:05:11 BY銀竜草