◆状況



ヨーロッパ各地に大小の諸侯が乱立し、特にドイツは大空位時代以降完全に 権力が分立。皇帝ジギスムントの権力も完全には及んでおらず、貢納と引き換えに諸侯の自治権を認めていた(*1)。

ブランデンブルクは北部ドイツの辺境に位置する小国。1415年にホーエンツォレルン家が伯位を獲得し、フリードリヒ1世が即位したばかりである。大国のポーランド、ベーメンとハンザ同盟に囲まれ、北からはカルマル同盟の盟主デンマークが迫ってきている。

まずはThe Greatest AIの仕様を確認したうえで、今後の戦略を練る。

イングランド:若干の植民加速イベントあり。後半はイベントの助けもあり強国となる。
フランス:特に変更無し
スペイン:大幅に植民加速イベントあり。オリジナルのように中南米を取りこぼすことが無くなった。
ポルトガル:大幅に植民加速イベントあり。15世紀からアフリカ各地に植民地を建設し、マスカット、ホルムズ、マラッカをイベントで獲得する。
オーストリア:ヨーロッパでは唯一のAI弱体化国。ドイツ・イタリア諸侯を従属させてもイベントですぐに破棄されてしまうので、オリジナルのように外交併合で強大化することが無くなった。
ポーランド:16世紀までは技術開発が促進。その後はオリジナルと同じ。
デンマーク:スウェーデンと交戦状態になるたびに兵力が強化。
スウェーデン:北米のニャスヴェアランド(ニュースウェーデン)植民地をイベントで獲得。後に再びイベントで喪失する。
オスマントルコ:16世紀まではイベントで断続的に技術・兵力が強化され、ほぼ全盛期のトルコ領を再現。17世紀以降は技術も遅れ気味。
ロシア:ロシアの諸ハン国がイベントで崩壊するので、相対的に強化。史実同様にシベリアまで進出する。


◆戦略

 

開始時では隣国ポーランド・リトアニア同盟との関係が思わしくなく、とりあえずは大国同士の戦争に巻き込まれないためにザクセンと属国のマグデブルクを誘い、小同盟を結成してポーランドに備えることにする。

内政方針はこのように地方分権的。これを中央集権・自由貿易の方向へ少しずつ変えていくことにする。

戦争の予定も無く(そもそも他国への大義名分がないので)、軍隊を一部解散させて減らし、維持費も最低にして蓄財に励むことにする。

現在のインフラレベルは0。これでは収税官を置けず、年始の人頭税が30%しか入らない(*2)。そのため技術投資はレベルが上がるまでインフラ100%に設定することにした。


◆ハンザ同盟崩壊

ゲーム開始後半年ほど経った頃に、リトアニアがチュートン騎士団に宣戦布告。
チュートン騎士団はハンザの同盟国であったため、北ドイツ諸都市もポーランド・リトアニアに宣戦。兵力をポーランドに送る。
この隙を狙い、デンマークがハンザの一員ホルシュタインに宣戦。デンマーク軍はほとんど兵力の残っていない北ドイツ諸都市を次々と蹂躙し、1420年にホルシュタイン、1421年にメクレンブルク、1425年にはポンメルン(*3)、1426年にブレーメンが次々に併合された。これでデンマークと国境を接することになったため、デンマークに王室間の婚姻を提案、了承される。これによりデンマークの脅威は抑えられた。


◆ビザンツ滅亡

早くも1436年にはオスマンがビザンツを滅ぼす。これもThe Greatest AIの効果か。トラキアに交易センターが開設されたが、乏しい財源から儲けの薄い貿易に投資する気も起こらないので静観しておく。この頃にはインフラ技術が2に上昇して美術学校を建設できるようになったので、首都ブランデンブルクに建設するための費用800ダカットを貯めるべくひたすら蓄財。人頭税年間24ダカットに対し軍隊の維持費が年間5ダカットなので、差し引き年間19ダカットの収入。計算では800ダカットを貯めるのに43年かかるので、非常に気の長い話である。
1452年、ポーランドに「ニエッツァバの特権 - 「地方集会」」イベントが発生し、クールラントの交易センターがダンツィヒに移動した。


英語版では交易センターが閉鎖するようになった

1467年の危機的状況


◆第1次ベーメン・ポーランド戦役

1465年、同盟国マグデブルクがデンマークに宣戦布告。デンマークはスウェーデンとの戦争を終えたばかりで完全に疲弊していたので、こちらも同盟に従い参戦することにした。だが大国デンマークの前に戦況ははかばかしくなく、翌年それを見たベーメンが突如ブランデンブルクに宣戦布告。しかもベーメンはポーランド・リトアニア・スウェーデンと同盟していたため完全に包囲されたことになる。こちらの同盟国で戦力になるのは小国のザクセンとマグデブルクのみであり、チュートンは距離的にも全く期待できない。
兵力も圧倒的な差があり、戦ったら間違いなく負ける。虎の子の騎兵を失うわけには行かないので、全軍をマグデブルクに退避させることにする。
次第に敵軍がキュストリンに集結。こちらは冬の訪れを待ち、敵軍が雪で消耗したところを反撃に出るという消極的な作戦を取ることにする。
12月、冬の訪れと共に包囲軍は次々と消耗。そこにザクセン軍が襲い掛かり、キュストリンの包囲は陥落寸前で解かれた。その後も一進一退の攻防を続けるなど善戦を重ねたが、国力の差はいかんにもし難く、ついには同盟国ザクセンが陥落。相手方から183ダカットを要求してきたため渋々屈辱的な和平を結んだ。


◆第2次ベーメン・ポーランド戦役

1470年、ゲーム開始から50年経ったこともあり、属国のマグデブルクを外交併合。このことにより周辺国との関係はやや悪化したが、数年で回復したのであまり気にならない。
ところが1475年、前回の平和条約が失効した途端にベーメンが同盟国ザクセンに宣戦布告。同盟国のザクセンが潰されては困るので、再びベーメンとの戦争に参加する。こちらは前回と比べてマグデブルクが消えた一方、ベーメン側には新たにハンガリーが参加したので、兵力差は以前よりも酷い状況になっている。まともに相手をしては勝てないので、再び軍を退避させ、敵を雪で消耗させる戦術をとる。とはいえ国力差には勝てず、2年ほど戦った後で賠償金242ダカットで講和。州が奪われなかったことは不幸中の幸いであったが、この2度の戦役で国庫は完全に尽き、美術学校の建設計画は完全に頓挫してしまった。


◆平和の時代

2度の戦役で同盟国の重要性を痛感させられたため、孤立していたミュンスター、ハノーファーを新たに同盟に加入させる。また、ベーメン、ポーランド、デンマークと婚姻を結び、関係の修復に尽力する。この頃イベリア半島ではスペイン王国が成立し、イサベル女王の治世下に。ブルゴーニュは直系が絶え、オーストリアのハプスブルク家が相続していた。1496年、婚姻を結ぶハノーファーを属国化することに成功。また、何度かのランダムイベントで臨時収入が入ったこともあり、1499年には念願の美術学校をブランデンブルクに建設。なにやらスペインが大西洋の向こうに新大陸を発見したらしいが、今の我々には何の関係も無いことであった。



(*1)日本語版では皇帝は帝国領内を通行許可無しでも自由に動けるだけだが、英語版ではそれに加えて帝国内の諸侯から貢納とマンパワーの供給を得ることができる。
(*2)英語版では人頭税の納入額の計算方法が違う。基本値は0%で、中核州では+25%、収税官を置くと+75%、それに加えて内政方針の中央集権度1につき+2.5%。ブランデンブルクは中央集権度が2なので、25+2.5*2で30%の収入しか入らない。
(*3)ポンメルンは最初2州を領有していたが、ポーランドに1州を割譲して講和。残り1州になったところをデンマークに併合された。


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