ゆびきりと迷子 
                      (2)







――銀次がいなくなった。




それも。
いつも通りの、
ただの迷子じゃないかもしれねえ。



考えた途端。悪い予感で背中が寒くなった。
が、とりあえず命の危険はねえんだ。
それは、今んとこ間違いねえ。
だから、ちったぁ落ち着け! 美堂蛮…!


んな、盲滅法走ってたってどうにもなるもんじゃねえ。
しかも、オンナ連れだからって、どうもこうも、んなホテル街ふらついててどうするよ。


だいたいにして、あのガキがだ。
仮にオンナに誘われたにしたって、オレを待ってる間にちょっとホテルにでもしけ込もうかって、そういう思考を持ち合わせてるヤツなんかじゃねえってことは、百も承知してんだろうが!





―けど。じゃあ。
だったら、どうよ!
どこに行ったってんだ…!!




それに。
だいたいアイツは、なんであんだけ言ったのに携帯の電源切ってやがんだ!?
意味ねえだろうが!
それとも、電話が鳴っちゃ拙い場所にでも行ったってのか? 


――ああ、苛つく!






「銀次! 銀次!!」




蛮はいつしか、心で叫ぶだけでは飽き足りず、無意識に声にその名を出して、夜の街を駆け巡っていた。

















そもそもの事の始まりは。
この街でこなさなきゃならない、奪還の仕事の依頼からだった。
しかも、あまり喜ばしくないことに、暴力団絡みときている。
どうにも組関係の方々とは、何かにつけて過去に相性がよくなかった二人なので、当初は依頼の承諾も顔を見合わせ渋ったが、ヘヴンに目の前で札束をちらつかされ――。
敢えなく、首を縦に振る羽目になった。
なんと言っても、ここ数週間。
仕事らしき仕事にありついてなかったおかげで、またしても極貧生活におくっていたのだ。
ヘヴンじゃないが、"仕事を選べる状況ではない"。


――しかし、依頼を引き受けたまではよかったが。
ヘヴンの作戦には、少々問題があった。
まずターゲットとなる奪還品が、今どこに、そして誰の手にあるのかという情報を得ることからスタートするため、銀次と離れて、互いに単独行動を要されること。
まぁそれだけなら、たまにそういうこともあるのだが、今回の"単独"には別の意味が含まれていた。


早い話が、蛮の"色仕掛け"


気が乗らねぇ乗らねぇと、さんざんごねた蛮を説得したのは、誰あろう他ならぬ銀次だった。
しかも、"お仕事だもん、割りきっちゃおうよ"と有り得ないような発言まで飛び出して。
蛮がそれに度肝を抜かれている間に、話はトントンと進んでしまっていた。





そんなわけで。

組幹部の男の愛人のいる店に出向き(この時は銀次も一緒だった)、まんまと蛮は気に入られ、プライベートでも会いたいと擦り寄ってきたオンナの誘いに、あっさりと乗ったのだ。

簡単に言ってしまえば、それだけの事。

もっともお茶の一杯で済む話でもなかったから、蛮としても多少のサービスは、まあいたしかたないと考えていた。
肝心なところは(かなり失礼な話ではあるが)まあ邪眼で誤魔化すとしても、しかし、まさか出会って1分でハイおしまいというのは、いくら何でも不自然だろう。
時間の流れに無理がない程度には、オプションもつけざるを得ない。

蛮にそう思わせたのは、実は銀次のあまりにもドライな態度が要因だったのだが、しかし銀次がこだわらない所で、自分だけがこだわるのもまた妙な話のように思えたから。
こちらもドライに徹することにした。






――が、だ。


いざという時になっての、あの"ゆびきり"


微妙なニュアンスに、さすがに顔には出さずとも、蛮は少なからず狼狽した。
今更何を、とも思ったが。






まあ、結局。
実際はしなかったけれども。
"指きり"も、
ついでにいうなら、その"オプション"という奴も。





つーかよ。
指切りしたようなもんだ。
あんな目して、あんな風に言われちゃあよ。

と、蛮が思う。



あれのおかげで、結局オプションは放棄だ。
銀次の顔がチラついて、正直とてもそんなどころではなかったから。

しかも、一回こっきりでバイバイというには、知りたい情報をすべて得る時間が足りないと、まあ後2,3度は付き合う予定でいたのだが。それすら、もうどうでもいいという気になってしまった。


そんな扱いに関わらず、運良くというか、蛮をいたって気に言った彼女は、ピロートークで思いのほか口軽く内部の事を喋ってくれ、「ねえ、また会える?」と向こうから粉をかけてきてくれたのだ。
まさしく幸運としかいいようがない。



精神的には疲労したが、身体はちっとも疲労することなく、蛮はホテルを後にして、まっすぐに銀次との待ち合わせ場所に向かった。
少々遅刻はしたが、銀次の待てる時間の範囲のはずだったから、特に不安には思わなかった。




――なのに、だ。






「畜生、あの大バカ野郎――!!」



まったく人の気も知らねぇで!!





だが。
銀次とて、こういう仕事を生業にしているわけで。
勘が働く相手には、警戒心は強い。
もし仮に罠を張られていたのだとしても、それを知っていて、ほいほい着いていったりはしない。
ましてや、知らない人間に声かけられても絶対ついてくな!と、幼児に言ってきかすようにしつこく教えてもある。






だったら何だ!
いったい、何が起こったってぇんだ!

くそ…!







「銀次!  銀次ィィ――!!」






胸の不安を吐き出すためにも、蛮は叫ばずにはいられなかった。
夜の街を、その姿を探し求めて駆りながら、蛮は名を呼び続けた。


























「んあ…。疲れたー」


いかにも疲労の極致と言った顔をして、銀次が開いた自動ドアに肩をぶつけそうになりながらも、とりあえずは建物の外に出る。
3段ばかりの階段にすら、疲労の余り足がもたつく。
そこを降り、白い外壁に背中から凭れると、項垂れて"はあ…"と大きく溜息をついた。
そのまま、ずるずると脱力したようにその場にへたり込む。
そして、もう一度"あーあ"と溜息をつこうとして、銀次はふと自分の膝の上に力無く置いた手を見、ぎょっとしたように瞳を見開いた。

「うわー、なんかスゴイな、コレ…」

銀次の両手首には、そこを強く掴まれた指の形がくっきりと残っている。
なんとも凄まじい力。
思わず感心したように手を持ち上げ、両手首を見比べて、銀次が今さっき付き損ねた溜息を、今度は身体全体を使って、大きく”はあっ”と吐き出した。




あちゃー。
これ、蛮ちゃんが見たら、なんて言うかなー。


それにしても、
女のヒトも、いざとなると結構力強いんだ。
…知らなかった。



心中でこぼし、天を仰ぐ。
いつのまには、空はもう真っ暗だ





まいったな…。
何時だろう、今。


いくら冬の日暮れが早いといって、蛮と約束した"3時間後"ではないことだけは確かだ。
たぶん、まだ日は変わっていないだろうけど。
あぁ、携帯見れば時間もわかるかな、と考えて。
無駄だということをすぐ思い出した。


壊されちゃったんだっけ…。
まあ仕方ないけど。
っていうか、オレもさっきまで壊れちゃってることも気がついてなかったし。




思い、はああ…とまた溜息をついた。三度目。
3つめのそれは、かなり気重。



蛮ちゃん、怒ってるだろうな…。
電話、くれてたかな…。


いや、もしかすっと、まだ"お仕事"中、かも――。


待ち合わせ時間とかには、だいたい遅れることはない蛮ちゃんだけど。
("テメエ待たせておくと、すぐフラフラと動き回っていなくなりやがるから、オチオチ遅刻もできやしねえ"って、前に言ってたことあるし)
仕事絡みでどうしても、ってことは過去に何度かあったから。

前の時は、確か電話もメールもなく3時間余り待たされて。
結構、落ち込んじゃってたっけ。
もう、ここには来てくれないんじゃないかとか、置いてきぼりにされたんじゃないかとか。
そんなことばっか、ぐるぐる考えて。

もちろん蛮ちゃんのことは、信じてる。
来てくれるって、来ないはずはないって、信じてる。
蛮ちゃんは、絶対にオレを裏切らない。
その確かな信頼は、もうオレの身体に染みついている。


けど。
…それでも怖い――時がある。

子供の頃のトラウマが、オレに"待つ"ことを怖くさせる。
想いを阻む。
このまま、もし、迎えがなかったら。
誰もオレを迎えにこなかったら。

オレはまた、"置き去り"にされた、ただの"迷子"だ――。

そう考える度、こわくて怖くてたまらなかった。






でも、その分。
傷だらけでボロボロになった蛮ちゃんが迎えに来てくれた時は、本当に嬉しかった。
来てくれた――って、もうそれだけで。
胸がいっぱいになるくらい。
涙がとまらなくなるくらい。

……嬉しかった。本当に。




待ってたら、蛮ちゃんは絶対来てくれるんだって。
絶対オレを置いていったりしないんだって。
もっと前にワカってたことだけれど。
もっと強くワカったから。

だから、嬉しかったんだ――。



"ゆびきり"は、その"待つ勇気"へのお守りとおまじないみたいなもの。
一人で"仕事"に赴く蛮ちゃんを、絶対来てくれるって、怖くならずに待てるための。
たとえ、それが何時間に及んでも。
きっと待てる。


でも――。













"仕事なんだから、仕方ないでしょ! 我慢しなくちゃなんないの! 邪魔なんて出来ないんだから、絶対しちゃいけないんだから…!!"












頭の中に、"彼女"の悲鳴のような言葉が響く。







…オレも、そう思ってた。

"仕事"なんだし、割り切らなくちゃ。
邪魔なんて、絶対しちゃいけないんだから。



ましてやオレは男だし、蛮ちゃんの他の"何"っていう前に、仕事の上のパートナーでなくちゃなんない。
"最高の相棒"でいたいから。

変な私情みたいので、蛮ちゃんがすべきことを挟むのは嫌だ。
オレがいなかったら普通に取る筈の手段を、オレがいることで変更されるのは嫌だ。


――オレが、蛮ちゃんのブレーキになるのは嫌だ。


そう思っていた。








――でも。
オレは間違ってたのかもしんない…。










冥い思考に落ちて行きそうになる自分を留まらせるかのように、銀次はもう一度空を仰いだ。
そして、考える。



それにしても。ココどこだろう。
ああ、そうだ。
とにかく、駅裏の噴水んとこに行ったらいいんだっけ。

って言っても、駅ってどこ? 
どっちから来たっけ。

あ、そうか。
誰かに「駅はどっちですか?」って聞きゃいいんだ。
オレ、あったまいーい。



――あ。でも。

駅って…。何駅だっけ? 
名前、ワカんない…。


あーあ。もう…。
やっぱオレって、ばか。







気持ちは焦っているのに、疲労のため、どうにもこうにも眠気が襲ってきて、頭も身体も動かない。
両の腕で膝を抱える。
立てた膝の上に、項垂れて額を置く。

そのまま思考が薄れて、睡魔に犯されそうになる。





けれど。
もしかしたら、蛮が探してくれているかもしれないと、それを想うとこんな風に、いつまでもへたりこんでいるワケにはいかなくて。

銀次は壁に背を預けたまま、壁伝いにずり上がるようにして立ち上がった。
足下がまだふらついている。
膝にうまく力が入らない。
今までに経験したことのないような、全身の疲労のしかたに自分で戸惑う。


けれど、仕方ない。
なんと言っても、あんなコト。
初めての経験だったから――。










「おや、どうしたの? 気分でも悪いのかな?」


突然かけられた若い男の声に、銀次がぼんやりと視線を上げる。
と、同時に崩れ落ちそうになった身体を、別の腕に支えられた。
「あれ? 酔っぱらってんの? 平気?」
「ねー、オレたちさ。この先の駐車場に車おいてんだけど。一緒にくる? 家まで送ってってあげるよ」
「家、どこ? ほら、肩貸すからオレに凭れて」
大学生くらいの青年に両側から支えられ、銀次がけげんそうな顔になる。
「――あ。別に気分悪いとかじゃないんで。一人で帰れますから」
「まあ、そう遠慮しなくても。…ね?」

明らかに下心のありそうな声に、背後からも数人の気配がし、その下心を裏付けるような会話が銀次の耳に届く。


「なんだ男じゃねえか」
「あー、シンジのヤツ。また悪いクセが出やがって」
「っていっても、見ろよ。なかなか可愛いぜ?」
「お、いいじゃんv 今夜はオンナもいまいちだったし。たまにゃ、ああいうのと遊ぶのもいーかな。オマエら、興味なければとっとと行けば?」
「おぉい、別に悪いたぁ言ってねえって。どらどら、本当だ。へー、カワイイじゃんv」

背後の声に左側の男が振り返り、目配せでもして合図を送ったのだろう。
ニヤリと音つきで男が下司な笑みを浮かべた雰囲気があり、銀次が嫌悪感に顔を歪める。



参ったなあ。
知らないヒトにはついていっちゃいけないって、蛮ちゃんにいつも言われてるし。
それより何より。
こんな状態で電撃出しちゃって、オレ、コントロールできっかな。
まさか、殺しちゃったりはしないと思うケド。
あんま、自信ないや。どうしよう。



銀次のそんな内心の躊躇など知る由もなく、右の男が、銀次が答えないのをOKのサインと取って、その腰を自分の方へと引き寄せる。


「あ、ちょっと…! やめてくんない?」
「いーじゃん。固いコト言わないでさぁ」
「んじゃ、車行こっか。あ、それともさ。もうちょっと遊びたい? オレらとカラオケとか行く?」
「オレらの大学の先輩がやってる店があってさ。ソコだったら、部屋貸し切り状態で何時間いてもOKなんだ。ね、一緒に行こう」








「へえ、そりゃサービス満点だな。――で? その貸し切りの部屋で、てめぇらはソイツと、いったい何する気だ?」








「なんだ、お前…!」
「邪魔しようってのかよ!」


立ち塞がるかのように、突如目の前に現れた影に、銀次の両側の男たちが明らかに敵意を剥き出しにしてそれを睨む。
同時に、包囲でもするように、背後の男たちがその廻りを取り囲んだ。


なるほど。
そこそこ喧嘩慣れはしているらしいが、所詮チンピラの類にも相当しない。
仲間が何人もいることで、大きな気になっているだけだろう。


蔑むような目で全員を見回すと、その男は凄まじい形相で、銀次の腰を抱く男を睨みつけた。
地を這うような低音が、激しい怒気を孕んで言う。





「手ぇ、どけろ」






「な、なんだよ、テメー! やろうってのか!?」

「聞こえねぇか? そいつから離れろ」

「んだとォ、この…!」










「その汚ねぇ手を、とっととそいつからどけやがれってんだよ――!!」










その、辺りを震撼させるような怒鳴り声の数秒後には、
複数の男の悲鳴が同時に上がり、
おびただしい量の血飛沫が、夜のアスファルトの上に飛び散っていた――。















つづく。




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いいところで焦らしプレイ?(笑)
すみませーん。







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