■ ゆびきりと迷子 ■ |
(2) ――銀次がいなくなった。 それも。 いつも通りの、 ただの迷子じゃないかもしれねえ。 考えた途端。悪い予感で背中が寒くなった。 が、とりあえず命の危険はねえんだ。 それは、今んとこ間違いねえ。 だから、ちったぁ落ち着け! 美堂蛮…! んな、盲滅法走ってたってどうにもなるもんじゃねえ。 しかも、オンナ連れだからって、どうもこうも、んなホテル街ふらついててどうするよ。 だいたいにして、あのガキがだ。 仮にオンナに誘われたにしたって、オレを待ってる間にちょっとホテルにでもしけ込もうかって、そういう思考を持ち合わせてるヤツなんかじゃねえってことは、百も承知してんだろうが! ―けど。じゃあ。 だったら、どうよ! どこに行ったってんだ…!! それに。 だいたいアイツは、なんであんだけ言ったのに携帯の電源切ってやがんだ!? 意味ねえだろうが! それとも、電話が鳴っちゃ拙い場所にでも行ったってのか? ――ああ、苛つく! 「銀次! 銀次!!」 蛮はいつしか、心で叫ぶだけでは飽き足りず、無意識に声にその名を出して、夜の街を駆け巡っていた。 そもそもの事の始まりは。 この街でこなさなきゃならない、奪還の仕事の依頼からだった。 しかも、あまり喜ばしくないことに、暴力団絡みときている。 どうにも組関係の方々とは、何かにつけて過去に相性がよくなかった二人なので、当初は依頼の承諾も顔を見合わせ渋ったが、ヘヴンに目の前で札束をちらつかされ――。 敢えなく、首を縦に振る羽目になった。 なんと言っても、ここ数週間。 仕事らしき仕事にありついてなかったおかげで、またしても極貧生活におくっていたのだ。 ヘヴンじゃないが、"仕事を選べる状況ではない"。 ――しかし、依頼を引き受けたまではよかったが。 ヘヴンの作戦には、少々問題があった。 まずターゲットとなる奪還品が、今どこに、そして誰の手にあるのかという情報を得ることからスタートするため、銀次と離れて、互いに単独行動を要されること。 まぁそれだけなら、たまにそういうこともあるのだが、今回の"単独"には別の意味が含まれていた。 早い話が、蛮の"色仕掛け" 気が乗らねぇ乗らねぇと、さんざんごねた蛮を説得したのは、誰あろう他ならぬ銀次だった。 しかも、"お仕事だもん、割りきっちゃおうよ"と有り得ないような発言まで飛び出して。 蛮がそれに度肝を抜かれている間に、話はトントンと進んでしまっていた。 そんなわけで。 組幹部の男の愛人のいる店に出向き(この時は銀次も一緒だった)、まんまと蛮は気に入られ、プライベートでも会いたいと擦り寄ってきたオンナの誘いに、あっさりと乗ったのだ。 簡単に言ってしまえば、それだけの事。 もっともお茶の一杯で済む話でもなかったから、蛮としても多少のサービスは、まあいたしかたないと考えていた。 肝心なところは(かなり失礼な話ではあるが)まあ邪眼で誤魔化すとしても、しかし、まさか出会って1分でハイおしまいというのは、いくら何でも不自然だろう。 時間の流れに無理がない程度には、オプションもつけざるを得ない。 蛮にそう思わせたのは、実は銀次のあまりにもドライな態度が要因だったのだが、しかし銀次がこだわらない所で、自分だけがこだわるのもまた妙な話のように思えたから。 こちらもドライに徹することにした。 ――が、だ。 いざという時になっての、あの"ゆびきり" 微妙なニュアンスに、さすがに顔には出さずとも、蛮は少なからず狼狽した。 今更何を、とも思ったが。 まあ、結局。 実際はしなかったけれども。 "指きり"も、 ついでにいうなら、その"オプション"という奴も。 つーかよ。 指切りしたようなもんだ。 あんな目して、あんな風に言われちゃあよ。 と、蛮が思う。 あれのおかげで、結局オプションは放棄だ。 銀次の顔がチラついて、正直とてもそんなどころではなかったから。 しかも、一回こっきりでバイバイというには、知りたい情報をすべて得る時間が足りないと、まあ後2,3度は付き合う予定でいたのだが。それすら、もうどうでもいいという気になってしまった。 そんな扱いに関わらず、運良くというか、蛮をいたって気に言った彼女は、ピロートークで思いのほか口軽く内部の事を喋ってくれ、「ねえ、また会える?」と向こうから粉をかけてきてくれたのだ。 まさしく幸運としかいいようがない。 精神的には疲労したが、身体はちっとも疲労することなく、蛮はホテルを後にして、まっすぐに銀次との待ち合わせ場所に向かった。 少々遅刻はしたが、銀次の待てる時間の範囲のはずだったから、特に不安には思わなかった。 ――なのに、だ。 「畜生、あの大バカ野郎――!!」 まったく人の気も知らねぇで!! だが。 銀次とて、こういう仕事を生業にしているわけで。 勘が働く相手には、警戒心は強い。 もし仮に罠を張られていたのだとしても、それを知っていて、ほいほい着いていったりはしない。 ましてや、知らない人間に声かけられても絶対ついてくな!と、幼児に言ってきかすようにしつこく教えてもある。 だったら何だ! いったい、何が起こったってぇんだ! くそ…! 「銀次! 銀次ィィ――!!」 胸の不安を吐き出すためにも、蛮は叫ばずにはいられなかった。 夜の街を、その姿を探し求めて駆りながら、蛮は名を呼び続けた。 「んあ…。疲れたー」 いかにも疲労の極致と言った顔をして、銀次が開いた自動ドアに肩をぶつけそうになりながらも、とりあえずは建物の外に出る。 3段ばかりの階段にすら、疲労の余り足がもたつく。 そこを降り、白い外壁に背中から凭れると、項垂れて"はあ…"と大きく溜息をついた。 そのまま、ずるずると脱力したようにその場にへたり込む。 そして、もう一度"あーあ"と溜息をつこうとして、銀次はふと自分の膝の上に力無く置いた手を見、ぎょっとしたように瞳を見開いた。 「うわー、なんかスゴイな、コレ…」 銀次の両手首には、そこを強く掴まれた指の形がくっきりと残っている。 なんとも凄まじい力。 思わず感心したように手を持ち上げ、両手首を見比べて、銀次が今さっき付き損ねた溜息を、今度は身体全体を使って、大きく”はあっ”と吐き出した。 あちゃー。 これ、蛮ちゃんが見たら、なんて言うかなー。 それにしても、 女のヒトも、いざとなると結構力強いんだ。 …知らなかった。 心中でこぼし、天を仰ぐ。 いつのまには、空はもう真っ暗だ まいったな…。 何時だろう、今。 いくら冬の日暮れが早いといって、蛮と約束した"3時間後"ではないことだけは確かだ。 たぶん、まだ日は変わっていないだろうけど。 あぁ、携帯見れば時間もわかるかな、と考えて。 無駄だということをすぐ思い出した。 壊されちゃったんだっけ…。 まあ仕方ないけど。 っていうか、オレもさっきまで壊れちゃってることも気がついてなかったし。 思い、はああ…とまた溜息をついた。三度目。 3つめのそれは、かなり気重。 蛮ちゃん、怒ってるだろうな…。 電話、くれてたかな…。 いや、もしかすっと、まだ"お仕事"中、かも――。 待ち合わせ時間とかには、だいたい遅れることはない蛮ちゃんだけど。 ("テメエ待たせておくと、すぐフラフラと動き回っていなくなりやがるから、オチオチ遅刻もできやしねえ"って、前に言ってたことあるし) 仕事絡みでどうしても、ってことは過去に何度かあったから。 前の時は、確か電話もメールもなく3時間余り待たされて。 結構、落ち込んじゃってたっけ。 もう、ここには来てくれないんじゃないかとか、置いてきぼりにされたんじゃないかとか。 そんなことばっか、ぐるぐる考えて。 もちろん蛮ちゃんのことは、信じてる。 来てくれるって、来ないはずはないって、信じてる。 蛮ちゃんは、絶対にオレを裏切らない。 その確かな信頼は、もうオレの身体に染みついている。 けど。 …それでも怖い――時がある。 子供の頃のトラウマが、オレに"待つ"ことを怖くさせる。 想いを阻む。 このまま、もし、迎えがなかったら。 誰もオレを迎えにこなかったら。 オレはまた、"置き去り"にされた、ただの"迷子"だ――。 そう考える度、こわくて怖くてたまらなかった。 でも、その分。 傷だらけでボロボロになった蛮ちゃんが迎えに来てくれた時は、本当に嬉しかった。 来てくれた――って、もうそれだけで。 胸がいっぱいになるくらい。 涙がとまらなくなるくらい。 ……嬉しかった。本当に。 待ってたら、蛮ちゃんは絶対来てくれるんだって。 絶対オレを置いていったりしないんだって。 もっと前にワカってたことだけれど。 もっと強くワカったから。 だから、嬉しかったんだ――。 "ゆびきり"は、その"待つ勇気"へのお守りとおまじないみたいなもの。 一人で"仕事"に赴く蛮ちゃんを、絶対来てくれるって、怖くならずに待てるための。 たとえ、それが何時間に及んでも。 きっと待てる。 でも――。 "仕事なんだから、仕方ないでしょ! 我慢しなくちゃなんないの! 邪魔なんて出来ないんだから、絶対しちゃいけないんだから…!!" 頭の中に、"彼女"の悲鳴のような言葉が響く。 …オレも、そう思ってた。 "仕事"なんだし、割り切らなくちゃ。 邪魔なんて、絶対しちゃいけないんだから。 ましてやオレは男だし、蛮ちゃんの他の"何"っていう前に、仕事の上のパートナーでなくちゃなんない。 "最高の相棒"でいたいから。 変な私情みたいので、蛮ちゃんがすべきことを挟むのは嫌だ。 オレがいなかったら普通に取る筈の手段を、オレがいることで変更されるのは嫌だ。 ――オレが、蛮ちゃんのブレーキになるのは嫌だ。 そう思っていた。 ――でも。 オレは間違ってたのかもしんない…。 冥い思考に落ちて行きそうになる自分を留まらせるかのように、銀次はもう一度空を仰いだ。 そして、考える。 それにしても。ココどこだろう。 ああ、そうだ。 とにかく、駅裏の噴水んとこに行ったらいいんだっけ。 って言っても、駅ってどこ? どっちから来たっけ。 あ、そうか。 誰かに「駅はどっちですか?」って聞きゃいいんだ。 オレ、あったまいーい。 ――あ。でも。 駅って…。何駅だっけ? 名前、ワカんない…。 あーあ。もう…。 やっぱオレって、ばか。 気持ちは焦っているのに、疲労のため、どうにもこうにも眠気が襲ってきて、頭も身体も動かない。 両の腕で膝を抱える。 立てた膝の上に、項垂れて額を置く。 そのまま思考が薄れて、睡魔に犯されそうになる。 けれど。 もしかしたら、蛮が探してくれているかもしれないと、それを想うとこんな風に、いつまでもへたりこんでいるワケにはいかなくて。 銀次は壁に背を預けたまま、壁伝いにずり上がるようにして立ち上がった。 足下がまだふらついている。 膝にうまく力が入らない。 今までに経験したことのないような、全身の疲労のしかたに自分で戸惑う。 けれど、仕方ない。 なんと言っても、あんなコト。 初めての経験だったから――。 「おや、どうしたの? 気分でも悪いのかな?」 突然かけられた若い男の声に、銀次がぼんやりと視線を上げる。 と、同時に崩れ落ちそうになった身体を、別の腕に支えられた。 「あれ? 酔っぱらってんの? 平気?」 「ねー、オレたちさ。この先の駐車場に車おいてんだけど。一緒にくる? 家まで送ってってあげるよ」 「家、どこ? ほら、肩貸すからオレに凭れて」 大学生くらいの青年に両側から支えられ、銀次がけげんそうな顔になる。 「――あ。別に気分悪いとかじゃないんで。一人で帰れますから」 「まあ、そう遠慮しなくても。…ね?」 明らかに下心のありそうな声に、背後からも数人の気配がし、その下心を裏付けるような会話が銀次の耳に届く。 「なんだ男じゃねえか」 「あー、シンジのヤツ。また悪いクセが出やがって」 「っていっても、見ろよ。なかなか可愛いぜ?」 「お、いいじゃんv 今夜はオンナもいまいちだったし。たまにゃ、ああいうのと遊ぶのもいーかな。オマエら、興味なければとっとと行けば?」 「おぉい、別に悪いたぁ言ってねえって。どらどら、本当だ。へー、カワイイじゃんv」 背後の声に左側の男が振り返り、目配せでもして合図を送ったのだろう。 ニヤリと音つきで男が下司な笑みを浮かべた雰囲気があり、銀次が嫌悪感に顔を歪める。 参ったなあ。 知らないヒトにはついていっちゃいけないって、蛮ちゃんにいつも言われてるし。 それより何より。 こんな状態で電撃出しちゃって、オレ、コントロールできっかな。 まさか、殺しちゃったりはしないと思うケド。 あんま、自信ないや。どうしよう。 銀次のそんな内心の躊躇など知る由もなく、右の男が、銀次が答えないのをOKのサインと取って、その腰を自分の方へと引き寄せる。 「あ、ちょっと…! やめてくんない?」 「いーじゃん。固いコト言わないでさぁ」 「んじゃ、車行こっか。あ、それともさ。もうちょっと遊びたい? オレらとカラオケとか行く?」 「オレらの大学の先輩がやってる店があってさ。ソコだったら、部屋貸し切り状態で何時間いてもOKなんだ。ね、一緒に行こう」 「へえ、そりゃサービス満点だな。――で? その貸し切りの部屋で、てめぇらはソイツと、いったい何する気だ?」 「なんだ、お前…!」 「邪魔しようってのかよ!」 立ち塞がるかのように、突如目の前に現れた影に、銀次の両側の男たちが明らかに敵意を剥き出しにしてそれを睨む。 同時に、包囲でもするように、背後の男たちがその廻りを取り囲んだ。 なるほど。 そこそこ喧嘩慣れはしているらしいが、所詮チンピラの類にも相当しない。 仲間が何人もいることで、大きな気になっているだけだろう。 蔑むような目で全員を見回すと、その男は凄まじい形相で、銀次の腰を抱く男を睨みつけた。 地を這うような低音が、激しい怒気を孕んで言う。 「手ぇ、どけろ」 「な、なんだよ、テメー! やろうってのか!?」 「聞こえねぇか? そいつから離れろ」 「んだとォ、この…!」 「その汚ねぇ手を、とっととそいつからどけやがれってんだよ――!!」 その、辺りを震撼させるような怒鳴り声の数秒後には、 複数の男の悲鳴が同時に上がり、 おびただしい量の血飛沫が、夜のアスファルトの上に飛び散っていた――。 つづく。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ いいところで焦らしプレイ?(笑) すみませーん。 TOP < 1 |