■ ゆびきりと迷子 ■ |
(1) 「…ったく、どこ行きやがったんだ! あのバカは!!」 あまりに盛大な独り言と舌打ちに、街を行き交う人たちが思わず驚いて振り返っていく。 が、そんなことはまったく気にもとめず、蛮はその人込みの中に一際目立つ金色を探して、街中を駆け回っていた。 もうすぐ日が沈む。 幼児じゃあるまいし、だからどうだということでもないのだが、気持ちは妙に焦っていく。 何かあったらわかるはずだ。 たとえばもし、拉致られでもしたら。 ヤツが呼べば、いや、たとえ呼ばなかったにしても。 オレは気がつく筈だ。 つかねぇ筈がねえ。 今までだって、そうだった。 何か危険が銀次に迫れば、どこにいようと敏感に察知することが出来た。 だから――。 こういうのは、余計に不安を掻き立てられるのだ。 何らかのことが銀次の身に起こり、その身がもし危険に晒されたのであれば、自分は察する。 察しないわけがない。 "あれ"はもう、自分の一部と同じなのだから。 だが。 ただ単に、行方がわからなくなった。 こういうのは、一番タチが悪い。 しかも、自分とて初めての街で、相棒が行きそうな場所など検討もつかない、そんな状況下で。 "ねえ、指切りして。蛮ちゃん" ――ったく。 くそったれ! まさか指切りしなかったからって、そんぐれえでいなくなりゃしねえだろうが。 だからって。 なんでまた意味深によ。 なんで、んなこと言いやがったんだ。あのアホは! 今になって。 気になるだろうがよ!! 焦りと憤りにまかせて、工事中の看板をダン!と肘で殴りつけた。 驚いた作業中の男が「何しやがるんだ、このヤロー!」と勢い込んで飛んでくるが、蛮の鋭い一瞥に思わずギョッとしたように固まった。 「…あぁ、悪ぃ」 恐ろしく陥没した看板をちらりと見、蛮は荒々しく肩で息をつくと、立ち尽くしている男に片手を上げて適当に侘び、その場を離れた。 もしやと思い、待ち合わせ場所だった駅裏の噴水に戻ってみるが、そこにも相変わらず姿はなかった。 同じように待ち合わせらしいカップルの片割れやら、ナンパ目的の若い男やら、オンナやら。 人間だけは溢れているのに、探し求める姿はない。 それらを睨み付け、とりあえずと噴水のその縁に腰掛けると、コートの内ポケットからマルボロを取り出し、ジッポを開く。 そして煙草に火をつけるなり、忌々しげに煙を吐き出した。 まったく、煙草の味もわかりゃしねえ。 煙草を持たずに空いた方の手の指先が、自分の膝を苛立つようにトン、トン、と忙しなく叩く。 くそ、ちったぁ落ち着け。 まだアイツが、本気でいなくなったってワケじゃねえ。 どっか、そこいらへんの警察にでも保護されてやがるかもしれねえし。 まさかどっかのスーパーの迷子センターとか。 いや、いくら何でも、迷子っていうにゃデカ過ぎるだろ。 思いつつ、その間も休まずに視線を人込みに彷徨わせていると、ふいに目の前に胸の谷間が割り込んできた。 「――あ?」 視界を遮られた事に不機嫌に目線を上げると、冬場とは思えないほど露出の多い出で立ちの二人連れの少女が、蛮に声をかけてきた。 「ねぇ、アタシたちと一緒に遊ばな〜い?」 うんざりした顔で、蛮が面倒臭げにそれに答える。 「ガキと遊ぶ趣味はねえよ」 「やぁだ。アタシたち二十歳だよ、これでもー。よく見えないって言われるけどさあ」 「あっそ。んなこたぁ別に興味ねえから、どうでもいいんだけどよ」 「んじゃ、行こうよー! いいお店、知ってるからv」 「あ゛ぁ?! こら引っ張んな! 誰も行くたぁ言ってねえだろうが!」 「えー、何よぉ、いいじゃーんv」 「よかねえ! うっとおしいってんだよ! 失せろ」 掴まれた腕を乱暴に振り払って、短くなった煙草の吸い殻を捨てると、蛮がそれを靴底に踏みつけ立ち上がる。 そして、不機嫌に大股でそこを立ち去りかけ―。 ふと思い当たり、もしやと眉を顰めさせた。歩を止める。 そして、どうせダメもとだと、少女たちを振り返り言った。 「…つーかお前らよー。ずっと、ここで男ナンパしてんのか?」 「ちょっとぉ! ずっとって何さ、シッツレイねえ!」 「失礼も何も事実だろが」 「なーによ。アンタだって、さっきからこのあたりちょろちょろしててさ。どーせ、待ち合わせたカノジョにでもすっぽかされたんでしょぉ?」 「…カノジョじゃなくて、男なんだけどよ」 「げ! アンタ、結構カッコイイのに。まさかホモなのっ!」 「はあ?! …あーのなー。そうじゃなくてよ。連れが迷子になってんだ」 「は? 迷子? いったい幾つなの、そのツレ」 確かにそう聞きたくもなるわなと妙に納得しつつ、溜息混じりに蛮が言う。 「…18。金髪で、オレぐれぇの背丈で…。ああ、ギンガムチェックのダッフルコート着てて、顔はこう童顔つーか…」 そこまで説明したところで、二人が同時に嬉々とした表情で顔を見合わせ、声を合わせた。 「ああッ、見た見た!! ほらっ、あのチョー可愛い子!!」 「あーあ、あの子! 声かけたらさ、なんかすっごい恥ずかしそうにしちゃってさあ。かっわゆかったよねえ!」 「―ってまさか、あのコがアンタのカレシ…?!」 「…あ゛?」 「いやぁだあv そうなのーv」 「あんなチョー可愛い子が!? もったいない!!」 その言葉に、なんか頭痛がしてきやがった…と、両手をコートのポケットに突っ込みつつ、蛮ががくりと脱力する。 「――あのなー…」 そんなことはいいから、と言いかけたところで、背の高い方の子が実にあっさりと言ってのけた。 「でも残念でした。あの子だったら、オンナとどっか行っちゃったよ?」 「――はあ!?」 「フラレタんだー。かわいそ」 同情めいた言われ方にも、反応する余裕もなく蛮が怒鳴る。 「な、何つった今!!」 「だーから、オンナとどっか行っちゃった。きっと今頃、お楽しみの真っ最中なんじゃなぁい」 「ま、カレシのことはこの際あきらめてさ。アタシたちがー慰めてあげるからぁ、一緒に飲もv ねっ」 「…どっちだ?」 「えー?v」 「どっち行ったんだ?」 「――えっ?」 「あのバカは、どっちへ行きやがったって聞いてんだよ!! このアホ女どもが――!!」 恐ろしい剣幕でそう怒鳴られ少女たちが思わず指さした方向へ、蛮は猛然と走り出していた。 あとから思えば、どんな背格好とかどんな服装のオンナと一緒だったのか、どんな様子だったとか、聞いておけばよかったことが山程あったのだが、この時は完全に頭に血が上っていたから、まったく思いつく事さえなかった。 ああ、まったく我ながら。 銀次のこととなると、どうしてこうも――。 心中で舌打ちつつ、真っ暗になった空を、走りながらちらりと見上げる。 まさか、誘拐てなことは――ねえよな。 いくら何でも、いくら銀次でも。 しかし、オンナ連れたぁ、どういうワケだ。 いや、根っから女には甘いアイツのこと。 何か同情を誘うようなネタをちらつかせられたら、ほいほいついていくかもしれねぇ。 困ってる風を装って、バカでお人好しなアイツの気をひいて、そのうえで誘惑して、まさかどうこうしようなんぞ…。 「ああ! ったく!!」 いくら何でも、オンナに襲われるほどバカじゃねえだろう! 何考えてんだ、オレは!! "ねえ、蛮ちゃん。オレ、ちゃんと待ってるからさ。…だから、指切りして?" 別れ際の、銀次の頼りなげな瞳が思い出される。 しかし、だからと言って。 駅の近くの、人通りの多い舗道のど真ん中で。 そんなことを言われて、はいよと小指を差し出す男がいるだろうか。 "なーんで、んな往来のど真ん中で、ヤロウと指切りしなくちゃなんねぇんだ! このオレさまが!" "いいじゃん、別にー。ちゃんといい子で待ってるからさ。約束のしるし" "指切りなんぞしなくっても待てるだろうが! いったい幾つだ、テメェは!" "だって…" 上目使いに見つめられて、肩を落として溜息をつく。 道行く人の邪魔にならないようにと、パン屋の軒下に銀次を引っ張り、横に並んだ。 2度目の溜息は、さらに派手。 わざとらしかったのか、ちょっと隣でしょぼんとされた。 苛立ってるわけでも怒ってるわけでもないというのに、そういう態度はよくねぇか。 めずらしくそう思い、声のトーンと落としてやさしく言った。 "…んな顔すんな。別に、どうってこたぁねえだろ。第一、仕事なんだしよ" "ワカってるけど。でも。なんか―" "つーかよ。その指切りの意味って何よ? まさか、浮気したら針千本ってか?" からかうように言った言葉に過剰反応して、銀次が真っ赤になる。 …おい。マジかって。 "そ、そうじゃないよ! 別にそんなこと思ってるわけじゃないから! ただ、知らない町だし、一人で待つの、ちょっと不安かなあって" 3度目の溜息は、気づかれないようにひっそりと落とした。 "3時間ぐれぇでカタつける。コッチもそう長引かせちゃ、逆に怪しまれるかんな。情報引き出したら、即、連絡入れるから。携帯、電源切っちまうなよ。テメー、すぐに間違って電源とこ押しちまうだろ" "あ、うん。わかってる" だからって、今わざわざ携帯引っぱり出して、電源確かめなくてもいいっての。 その律儀さに、思わず笑みがこぼれる。 が、すぐ、真剣な口調に変えた。 "気、つけろよ。なんかお前の方でヤバかったら、電話してきて構わねえから" "ん。でも、蛮ちゃんこそ、気をつけて。そのオンナの人、組幹部のヒトの愛人さんなんでしょ? なんかヤバそうだし" "おうよ。ま、ヘマはしねえさ" "うん…" こくんと頷いて、少し俯く。 どうもオレは、コイツのこういうしぐさに弱え。 "だーから。そういう顔すんなって。アホ" "だって、さ。なんか心配だし" 何を"心配"だよ? そう聞こうとして、やめた。 もっとダイレクトに訊いてみた。 "これから浮気する亭主見送るみたいで、嫌だってか?" "ええっ! そ、そ、そんなんじゃないよ!!" …ばーか。 ったく、アホ正直に出来てるよなあ。 オメーは。 "…おら、コッチ来い" 言って、店の横の狭い路地に銀次を引っ張り込む。 そして人通りから背を向け、壁に両手をついて銀次を囲うようにして、唇を重ねる。 "――ん…" まろやかでやわらかい甘い舌の感触を存分に味わって、名残惜しそうに唇を離す。 まだ物足りずに、その唇の端にも、軽くキスを落とした。 わかんねぇか? テメー以外としねぇだろうが。 こういうキスは、よ。 赤く染まった目元をそのままに、少々恨めしげに銀次が言う。 "もお、蛮ちゃん。なんでキスはしてくれんのに、指きりは駄目なのさー?" 往来でキスするよか、指きりのが、オレにゃこっぱずかしいんだよ。 そうとは言えず苦笑して、コンと拳で軽くその額をこづく。 "ぜーたく抜かすな。…じゃ行ってくら" "…うん、いってらっしゃい" 今度は素直に、路地を出ていくオレを、銀次が見送る。 "おう、ちゃんといい子で待ってろよ。時間と場所、わかってんな?" "うん、3時間後に駅裏の噴水んとこだよね!" "ああ―。万が一、オレがちっと遅刻したって、その辺勝手にちょろちょろすんじゃねえぞ。ちゃんとじっと待っとけよ! いいな" "うん!" ――ったく。 あのバカ。 "うん!"って、しっかり返事してたじゃねえかよ。 なのに、なんで待てねえ。 ばか銀次!!! 蛮が、走る速度を早める。 焦りのせいか、うまく避けられず、道行く人と身体がぶつかる。 前から来た酔っぱらいとは肩がぶつかり、盛大に怒鳴られた。 苛立ちの勢いのまま、その10倍を怒鳴り返し、ついでに足を蹴り倒して先を急ぐ。 そんなのがどうなろうが、知ったこっちゃない。 ただ、銀次が。 とにかく、銀次が。 畜生、あのバカ! とにかく見つけて、一発思い切り殴ってやらねぇと気がすまねえ!! つーか、そのオンナ。 いったい誰だっての――――!! 続く。 TOP < 2 |