雪の夜に。



まだ視線を久保田から外したまま、時任が言う。

「ま、けどさ。この世にふたりきりっつーのも、なんかこう―。良くねぇ?」

「ん?」
「そういうのも、悪くねーかなってさ」
「…ふぅん。案外ロマンチストなんだ、時任は」
「ロマンチスト? なんだ、そりゃ」
「けど、そうっしょ? "この世に二人きり"なんて、さ」
「べーつに―」
「"別に"、なーに?」
「だーかーら、つまりさ。この世に、それこそ星の数ほど人間がいたってさ。久保ちゃんいねえなら、他に誰がいたって意味ねえし。けど他に誰もいなくても、久保ちゃんと二人だったら、こうしてあったけえし」
「うん」
「つまり、そんだけの意味」
「…シンプルだね」
「いいじゃん、シンプルな方が! 小難しく考えたって、一緒だろ?」
「んー。ま、そうかもね」

久保田が頷き、笑みを浮かべてそれに答える。
そうしながらも、自らのコートの中に尚深く抱き込むように、時任の肩を抱き寄せた。
その凍えた指先に、微かに力が込められる。






「時任ー」

「ん?」





ふいに呼ばれて、時任が顔を上げた途端。

空から舞い降りてきた小さな雪の結晶が、ふわりとその唇の上に落ちた。
それを追うように、久保田が時任の肩を抱いたまま、僅かに上体を屈め、唇を寄せる。
掠めるような、羽毛のような軽さで、久保田の唇が時任のそれにふれた。









「……え」








「…唇、冷たそうだったから」



囁くように耳元で言われ、時任の顔がバッ!と一瞬で耳たぶまで赤く染まった。
「…ばっ! ばかっ! だ、誰か見てたらどーすんだよ!」
「誰も見てないってば」
「そんなの、わっかんねーじゃん! 雪で視界が悪ぃだけで、誰かその辺歩いてっかもしれねーじゃん!」
「見られてたって、別にいいじゃないー」
「よくねえよ!! ったくよー、久保ちゃんは! 油断も隙もねえんだからよォ!」
「あー本当に、世界に俺たちだけなら、人目を忍ぶこともないのにねー」
「ぬわぁ〜に嘆かわしそうに抜かしてんだぁ! 嘆かわしいのは、コッチの方だぞー!」
「はいはい」
怒りながらも、それでも大人しく久保田の腕に中にいる時任に、久保田がどこか安堵したような笑みを漏らし、時任の髪やその肩の上にまで降り積もる雪を手で払ってやりながら、ついでのように少し濡れた黒髪を長い指でそっと梳く。
「ったく、あ―冷てぇ!」
「ほら、もうすぐウチだから」
「だいたいさ、なんでこんな近くにコンビニあんのに、あんな離れたトコまで行かなきゃなんねーんだよ!」
「そーねぇ」
「…あ、そっか! なあ、久保ちゃん。もしこの世界で二人きりになったらさ。他に誰もいねぇんだから、"チーズ味"誰かに買われて、売り切れになってたりすることもねえんだよなー!」
「おや、ま。いきなり現実的ね」
「あ、それにさ。店員とかもいねぇんだったら、金払わなくてもいいってことじゃん! ラッキーv」
「どんどんロマンチックから遠ざかってくけど…。でも、それって泥棒って言わない?」
「持ち主いねぇんだから、別に盗んだことになんねーじゃねえの」
「そりゃまー。…けど、じゃあお店の商品はいったい誰が、どこから仕入れてくれるんだろうねぇ? あつあつおでんとかさ、誰が作るのかなー」
「そんなの、久保ちゃんが作りゃいーじゃん」
「俺が作ったのはヤダって、お前言ってたじゃない」
「久保ちゃんが作るおでんがヤなんじゃなくてよ、久保ちゃんが作ったおでんを3日連続食わされんのが嫌だっつってんの! お前、作り置きしすぎなんだよ」
「だって、メンドーだもん」
「だからって、カレーの二の舞はもうたくさんだぞ! ――っつうか、何の話だよコレ」
「この世に二人きりになると、毎日カレーかおでんって話?」
「……ちげ―だろ?」








そして。
やっと自分たちの住むマンションの下まで辿りつくと、二人同時にその建物を仰ぎ見た。

深夜というにも関わらず、いくつかの窓にはまだ明かりが灯っている。
それを確認したと同時に、背後の道路を2,3台の車が連続して通った。
近くのセブンからは、買い物袋を下げて出てくる人影が2つ。



雪は、いつのまにか、もうほとんど止んでいた。
この分だと、明日の昼までには、降り積もった雪も溶けてしまうだろう。




"この世にふたりだけ"
そんな心地よい願望(ユメ)も、どうやら今夜はこの辺でエンドマーク。




残念だなぁと思いつつも、今この腕の中にあるいとしい体温は、どこまでも確かな現実で。
つまんねーと思いつつも、肩を抱いてくれる腕も甘えるように凭れさせてくれる胸も、どうしようなく幸福な事実で。



ならば、叶えられるはずもないユメよりも、今、この現実の方がずっと大事――。



そういう風に、いつのまにか自然に考えられるようになった自分を少々不思議に思いつつも、それもまた悪くないと互いの胸の内で思う。









「とにかくお前、帰ったら風呂直行ね。頬とか、ほら、こんなに冷えちゃってるよ。ゆっくりあったまっておいで」
「ん。ってか、久保ちゃんも湯冷めしちまったろ? もっかい入りなおせば?」
「そーだねぇ。じゃ、一緒に入るか?」
「はああ!?」
「いーじゃない、別に。男同士なんだし? その方が一緒にあったまって効率いいっしょ?」
「ば、バカ言ってんじゃねえよっ! 俺はヤダかんな! ぜってーやだ!!」
「ケチだなぁ」
「そういう問題じゃねえだろ!」
「あ、じゃあー。入浴後のあったまった身体で、温め合いっことか、どう?」
「――は?」






「ベッドで」






「ば、ば、バカヤロ――!」

真っ赤になって、頭から湯気でも吹き出しそうなイキオイでそう怒鳴ると、さっさと我先にマンションに入っていく時任に、久保田が和らいだ瞳を向ける。




そうして、肩越しにふと振り返った街は、相変わらず白一色に覆われてはいたが。
もう虚無のような白さを感じることはなく。
強迫感を煽るような潔白さも、もうそこに感じる事はなかった。

ただ、雪の積もった街並みが、いつも通りそこにあるだけだ。






そして。
それも明日の朝には、きっと。
普段の彩りを、すっかり取り戻していることだろう――。





「久保ちゃーん、寒ぃ! 早く来いよ〜〜!」
「…はいはい」




マンションのエントランスで久保田を呼ぶ声が、深夜の街に木霊した。







END







1へ < > novel
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

暗いような、そうでもないような、変なお話でしたが…(笑) スミマセンー。
"この世にふたりだけ"って、そういうの、この二人なら似合うなぁと思って書いてみたんですが。
後半ちょっと我ながら、こっぱずかしくなってしまいました…。くぼちゃん…v(笑)
実はコレ、本当は、コート忘れてコンビニ行った時任を、久保ちゃんが迎えに行くっていう、
ただそれだけの話のはずだったんですけれど(汗)
どうしてこんな長さに(滝汗)

原作読んで、どうにも雪には特別な想いができてしまったような気がします。
またよかったら、感想など聞かせていただけると嬉しいですv
 風太