アンナ 3 |
「じゃ、俺はそろそろ次の仕事があるんで。例の件は、またもうちょっと何か判ったらな」 そう言って、テーブルの上にコーヒー代を置いて立ち上がろうとする滝沢に、パフェの残りを長いスプーンで掬いながら、ちらりと視線だけ動かして久保田が言う。 「…て、いうか。滝沢さん」 「…あ?」 「俺らが言うことじゃないけど、さ。あんまり、この件には首つっこまない方がいいんでない?」 その言葉に、帽子をかぶりつつ、滝沢は軽く肩を竦めて見せた。 「―そーだねえ。けど、こういう仕事してるとさ。やっぱ、どうにも興味のあることには、こう、首つっこまずにはいられなくなるもんでねー。ま、そういうわけでさ。…んじゃ、くぼっち、トッキー、またな!」 「あ゛! つうか滝さんっ、そのトッキーとかくぼっちっての、いい加減ヤメロって!」 思わず喚く時任に、片方の眉を器用に持ち上げ、滝沢が笑う。 「んじゃあ、やめる代わりに、俺の事さ。タッキーって呼んでくれるかなぁ。トッキー」 「はあ?! なぁんでそうなるんだよッ!」 からかわれてると知りつつも、それでもまんまとノせられてしまう時任に、久保田がそれを見ながら曖昧な笑みを浮かべる。 アンナはそれを盗み見、なんとはなく、背中が少しぞくりと寒くなったような気がした。 あの曖昧な笑みが、なんだか怖い。 あれって。 もしかして。 …嫉妬? え、ちょっと待ってよ。 あの誠人が? まさかね? 考えて、即座に自分で否定する。 物事に、そして人間には特に執着のないあの久保田誠人が、嫉妬? どう考えても、無理があるような。 アンナが考えてる間に、滝沢は席を立ち、後ろ向きに手をひらひらさせながら自動ドアに消えていく。 それ見送り、途端にむすっとした顔で、時任が中腰になっていた身体を椅子に戻した。 「ったく、記者ってのはみんなあんななのか? 勝手にいろいろ捏造しやがってよぉ。なんで俺と久保ちゃんが、デキてるとか、なんとかってよ! んーな話になるんだっつーの!」 「まぁまぁ。そんな怒らなくてもいいじゃない」 「だってよぉ」 「ていうか、お前」 「あ?」 「ちょっと思い切り否定しすぎよ?」 「何が?」 「俺たちのコト」 「な、なんだよソレ…! しょーがねえじゃん、別に本当のことだもんよー」 「傷つくなぁ」 「…はあ?」 「そうかー。俺たちって、そーだったんだ。そーゆー、冷ややか〜なカンケイだったんだ」 「ぁあ!? 何も、んなこと言ってねえじゃん!」 「だってさー。お前、冷たいし」 「なぁんでそうなるんだよ、久保ちゃんっ!」 あら。 何、それ。 もしかして、痴話喧嘩? 今度こそいい加減、そろそろ店に行かないと…と、焦りはじめていたところへ聞こえてきた二人の会話に、バッグから財布を出しかけて、アンナがまたそれを引っ込める。 どうも、いけはい。 この二人のやりとりには、やたらと好奇心が刺激される。 何かこう、滅多に見られない貴重なものでも見ているような。 きれいな眉をひくりと片方だけ持ち上げて、アンナはすいっと首を伸ばして再び様子を伺ってみた。 久保田は、パフェのグラスの底を、長いスプーンで拗ねた風につっ突いていた。 なんだか…。 明らかに楽しそうだ。 もっとも、時任にはそうは見えないのかもしれないけれど。 身体ごと久保田の方に向いて、必死の形相で何事がわめいている。 (ちょっと聞き取れなかった) やれやれ。 完全に誠人のペースね…。 お気の毒。 溜息とともに、アンナが思う。 実際、久保田が声を荒げたり、大声を出したりしたのは聞いたことがないし、そんな話も知らない。 いつもあんな風に飄々としていて、たとえば誰かに絡まれたりしても、まともに相手にすらしないのだけれど。 それでもいつのまにか、気が付けば、相手は久保田のペースに巻き込まれている。 そして、あの表情のまま淡々と放たれた一言に、ぐうの根も出なくなってしまうのだ。 まさしく知能犯。 アイツをやりこめられるなんてヤツがいたら、それは相当のタヌキね、きっと。 ふと視線を下げて、どこか虚しげに、アンナが胸の中でそう呟いたとほぼ同時に、時任の喚く声が聞こえてきた。 それこそ、店中に響くような。 「ってかさ、久保ちゃん!」 その剣幕に、思わずビクリと視線を上げる。 きっとその反応は、他の客も同じだったろう。 もっとも当の本人たちは、まったく気にさえしてないだろうけど。 「俺が言いてぇのは、そういうことじゃなくてよ! デキてるとかデキてねーとかいう、んな軽いレベルのもんと俺らを、一括りにされたかねえってことなんだぞ!」 まぁ、なんていうか。 思い切りストレートな子ね。 相変わらず。 半ば呆れつつ、アンナが思う。 でも、そういうところが、彼の気持ちイイとこなんだけど。 そういうのって、誠人には通用しないっていうか…。 どちらかっていうと、苦手な方じゃなかったっけ? ――って。 …え? 嘘…。 今の、見間違い? ほんの、ほんの微かだったけれど。 あの、いつもの誠人の表情が崩れたような。 本心を決して表情に出さない男が。 まるで、心底驚いたかのように。 …錯覚かしら。 「んなこと…。久保ちゃんならワカんだろ!」 「うーん。そぉねえ」 「…なんだよ」 「たまには、はっきり言ってくれないと」 「ぁあ?」 「不安なっちゃうー、かも」 げ。 本当に、どうしたっていうの。 久保田誠人…。 あまりな可愛い子ぶりな口調に、アンナがぞわぞわしつつ、ひきつり笑いを浮かべる。 時任が眉間に皺を刻んで、いやーな顔でそれに答えた。 「き、気持ち悪ぃぞ、久保ちゃん…」 それでも、テーブルに右の手で頬杖をつき、眼鏡の奥で細い目を微笑ませ、時任に"返事"を待つ久保田に、時任がぶすっとしたまま、だが、なぜか逆らえず。 口を尖らせつつ、仕方なしにぼそりと答えた。 「だーかーら」 「うん」 「俺はー」 「うん」 「俺は…」 「…うん」 「……………………」 うん? 何なに? 今、何って言ったの?? 肝心なところがよく聞き取れなかったじゃない。もうっ。 それでも久保田は時任の答えに満足したらしく。 傾けていた首を戻して、にっこりと笑んだ。 ちなみに時任の方は、首まで真っ赤だ。 「ふーん、なるほど」 「なるほどじゃねえって! わあってんのかよ!」 「うーん。よく聞こえなかったから、もう一回…」 「はぁ、なんだとお!?」 「あー、嘘。よーく聞こえました」 「……ったくよぉー」 ったく、んなとこで何言わせやがんだ!とかなんとかぼやきつつ、時任がぷいっとそっぽを向く。 「わかったのかよ!」 「ほーい」 「…ぜってぇ、わかってねえ。つか、俺様で遊んでやがる…」 「あ。ご明察v」 「あ〜のなあ〜! 久保ちゃんッ!」 「はいはい」 「だーかーらなぁ、って。 …あれ?」 まだ何か喚き立てようとしたところで、ふいに聞こえた携帯の着信音に、時任がそのまま動きを止めて耳をすます。 久保田のものでも、もちろん自分のものでもない、聞き慣れない着信音。 いや、聞き慣れてはいないが、数度どこかで聞いたことがあったような。 時任が思ったとほぼ同時に、久保田が、向かいの席の足下を指さした。 "あ?"と時任が、それにつられるようにして、テーブルの下から指差された場所を覗き込む。 そして、向かいの席の下で、未だ鳴り続けているそれを拾い上げた。 「あれ? この携帯。滝さんのじゃねえ?」 「そーみたいだね」 「つか、しつけぇな。まだ鳴ってるぜ」 「お前、出てみたら?」 「え? なんで、俺だよ。てか、ヒトの携帯…」 「早く出ないと、切れちゃうよ?」 半ば脅しか強制のように言われ、時任が、なぜだか久保田がそう言うと、どうも切れてしまってはいけない大事な電話のような気がして、結局慌てて二つ折りのそれを開いて耳に押し当てた。 「も、もしもし…! ――あ? なんだ、滝さんじゃん」 時任のその返事に、"やっぱりね…"と、久保田が微かに瞳を細める。 …誠人? それが時任から外れ、やや剣呑に、そして中指の先で上げる眼鏡の奥で、かなり不穏な光を放っているのをアンナは見逃さなかった。 つづく。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ そんな大きなオチはないんですが、もう少しまったり続きます(笑) いや、久保ちゃん、別に滝さん撃ったりしないから(あたりまえです) 久保時のやりとり書くの久し振りなので、たのしかったでーすv <2 |