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38.わたしは秒針なんて好きじゃない
(「WILD ADAPTER」=久保田×時任)





雨音で目が覚めた。

寝室の中は、天気の悪さを象徴するかのように薄暗い。
窓ガラスを流れる雨のシルエットが、部屋の白い壁にぼんやりと映し出されている。

時任は、しばしそれを見つめた後。
ゆっくりとベッドを降りた。

普段は、寝起きがいいとはお世辞にもいえる方ではないのに、めずらしく頭は冴え冴えとしている。
理由は、はっきりしていた。

そばに久保田の姿がない。
雨の日は、時折そんなことがある。

もっともこんな天候の日は、傍らにいてさえ、遠くに感じることもあるけれど。
どこか過去の時間の中に、誰かの面影を捜しているような。








「久保ちゃん…?」





リビングの扉を開くと、視界が霞んで見えた。
その中に、ソファに凭れて煙草を吹かせながら、ぼんやりと窓の外を見ている久保田の背中が目に入る。




カチ、カチ…。



ん? なんの音だ?



そう思い耳をすませ、それがすぐさま、久保田の傍らに置かれた時計の秒針が時を刻む音だと気づいた。
電池が切れかけてるせいか、咳き込むように鳴るアラームがなぜか気に入りで、電池も変えずにそのままにしてある目覚まし時計。
それも、そろそろ限界なのか、秒針の動きも、どこかいびつで一定ではない。





不規則に刻まれる時間。


やけに、その音が耳についた。






電池の切れかかった時計の秒針。
止まりかけの時間。
終わろうとしている、
…たとえば、誰かの胸の心臓のリズム。






「――!」




時任は、視界が霞んで見えるのが室内に煙草の煙が充満しているせいだと気づいて、猛然とリビングを横切ると、ベランダに続くガラス戸を勢いよく開いた。



「あーっ!煙てぇ! よっくこんなとこで息してられんなぁ、久保ちゃん!」


大げさなくらいに大声を立てて、ソファの久保田を振り返る。
やや驚いたような雰囲気を醸し出しつつも、いつも通りののんびりとした口調がそれに答えた。


「あれ? 起きた? 時任」
「起きた?じゃねえよ」
「相変わらず。寝起きは機嫌が悪いねぇ、時任は」
「あーのなあ! 起き抜けでリビングが、んーなに霞かかるほど真っ白だってみろ! 機嫌いいとか悪ィとか、そういう問題じゃねえだろ。まず換気だってぇの! ああ、だから空気清浄買えって言ってんだよー」
「そうだねー。やっぱ、買うかな」
「前もそんなこと言ってたぞ。買うなら、さっさと買おうぜ」
「そうだね、わかった。じゃあ、明日出かけよっか」
「…おう」


答えて、やっと室内の煙が外に流れ出たことに幾分ほっとして、時任が窓をいい加減に閉め、久保田のいるソファの横へとどっかと腰を下ろした。


「…で? 久保ちゃん」
「んー?」
「何してたんだよ」
「何が?」
「ぼけっと、窓の外見てさ」
「別に。雨降ってるなぁと思って。ほら、昨日も雨だったっしょ? 洗濯物溜まって困るなあとか」
「…それだけかよ」
「それだけだけど?」
「――ふーん」


あっさり言われて、ちょっと拍子抜けしつつ、ああそうだと久保田の傍らに置かれた時計を手にとる。


「なんか、これ。マジ限界っぽいな。3秒間に2つとか、妙な動き方してねぇ?」
「ああ…。電池切れかけてたからねぇ、こいつ。確かにそろそろ駄目かな? 今にも止まりそうでさ。…なんか、そういうのって。今止まるか今止まるかって、気になってね。俺が看取ってやろうかなーとか」
「は? そんでこんなとこ置いてんの?」
「んー。まあ、そんなとこかな」
「暗え…。てか、相手は時計だぞ?! 機械なんだから、看取るも何も…」
「そう? でもなんかさ。心臓が命刻むのとどっかカブるっしょ? 時計の秒針ってさ。心臓が止まる寸前も、こんな風にいびつな動きなのかなあってね。ほら、身体の中だから見えないし」


「…久保ちゃん」


言って、またどこか遠い目になる久保田に、時任が思う。











久保ちゃんは、そんな風に、誰かを看取ったことがあるのか…?

たとえば、こんな雨の日に。

たとえば、その腕の中で――。


…誰かを。












「――ってかよお!」





「ん?」
「外の天気も、ジメジメジメジメうっとおしいってのになあ! 家ん中まで、ん――な湿っぽくすんなってんだよっ!」

「…時任?」




やおら立ち上がり、時計をひん掴む時任に、久保田が呆然とそれを見上げる。
その後の行動たるや、久保田にさえまったく予想外のことで。







バキ!
ガパッ!

ブチッ!






「あ、秒針」




いきなり手袋した右手で時計を殴り、ガパッと前の透明のプラスチックを開くと、止まりかけていた秒針をぶちっ!と引っこ抜いたのだ。











「んなもんなくったって、時間はわかんの!」



「それに、時計は時計だし! 人じゃねえし!!」



「電池換えりゃ、また元気に動き出すんだよ!!!」








額に青筋立てて恐ろしい剣幕でそう捲し立てる時任に、久保田がしばしそれを見上げ、それから時任の手に握られている秒針を見ると、はあと呆れたように溜息をついた。


「なんだよっ」
「電池換えても、お前が折った秒針は、元には戻らないけどねー」
「っるせえ! んーだよ、文句あんのかー。だいたいなあ! んな一秒だとかナントカって、フツーに生活してる分なんかにゃ関係ねえし! 俺様は、んな細けえ時間にまで囚われて生活すんのヤなんだよっ!」
「…はいはい。だよねぇ。お前なら、時計の針は一本だけでも充分だよねぇ」
「――あ? どーゆー意味だよ? ソレ」
「時間の使い方が、超大雑把ってこと」
「…そっかー?」
「そうなの」




論点が微妙にズレていることなんか気にもとめない時任に、久保田が心の中で小さく笑む。
それでも、いやそれだからこそ。
自分は、こうして時任に救われる。
その真っ直ぐな思考と、潔さに。


自分が落ちていこうとする闇に、必ずその潔い手が差し伸ばされることを、今はもう心のどこかで知って、待ってさえいるのかもしれない。






「けどな、久保ちゃん。これだけは言っとく―」






それでも核心はついてくる。
勘はいいのだ。
それは時に、久保田の心奥を揺るがすほどに。

唐突に、胸の奥に、実に気持ちよいストレートが決まる。













「俺は、本当に死ぬ直前まで、シブトク生きることだけ考えるかんな!! 心臓が、本当に完全に止まって動かなくなるまで、しつこく"久保ちゃんと生きる"ことだけ、考える!!」















「……そぉねえ」












「――はい?」









「いや。なーんか、お前らしいなぁと思って」
「え、そう?」
「んー。いいねえ。本当、時任らしい」
「そっか。って、あのなあ!」
「ん?」
「ってか、久保ちゃん! 俺、今、スゲー大告白したんだぞ!?」
「ああ、そうねえ」
「そうねえって! なんかよ、感動とか、そういうのは? ねえの? ねえのかよ!」
「あるよ、もちろん。すごい感動したってばー」
「してねぇじゃん。全然、心こもってねぇし!」
「時任、あのね」

「だってな、久保ちゃ…!」





いきなり立ち上がってきた久保田の腕に、唐突に引き寄せられ、時任がぎょっと瞳を見開いた。
そのまま腕の中に包み込まれ、ぎゅっと胸に抱きしめられる。







「く、久保ちゃん…?」

「じっとしてて、時任」





「――ん」







耳元で、やさしい声でそんな風に言われて。
すっぽりと、長身の久保田の身体に包まれるようにして抱き締められていると、なんだかどうにも切ない気がして、時任もまた、久保田のその背に腕を回しぎゅっと強くしがみついた。






薄く開いたままの窓から、吹き込む時折の風がカーテンを揺らしている。
細い雨がリビングの床を微かに濡らすが、そんなことには気づきもせず、二人は、ただお互いの存在を確かめ合うように、きつく抱き合っていた。








「久保ちゃん…」
「ん?」

「俺、どっこも行かねぇから。…ずっとさ、ここに。久保ちゃんの傍にいてやっから…」
「――うん」

「…感謝、しろよな」
「してるよ、充分」


「……ん」










その互いの胸で、規則正しい心臓の音が、ひどく確かな時を刻む。
まるで、二人の時間が、このまま永遠に続いていくかのように。


止まることのない時計のように。



















「時任」

「ん?」



「新しい電池、買いに行こっか」

「…ん、そうだな――」















END




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小宮くんを意識して書いてみたんですが。
結局これって、時任の、久保ちゃんの過去への嫉妬なんじゃないかって気が…(汗)

でも時任の台詞は、乱暴だけど、書いててすっごく気持ちいいです。
やっぱり本当の気持ちやコトを曲げずに全部伝えるから、そこがいいんだなあ。
久保ちゃんもきっと、時任のそんなまっすぐな言葉に救われてるんだろうなって。そう思うのです。俺様、万歳(笑)