「スウィート・ホーム・スウィート」
1
「・・・ったくよぉ・・」
ベランダの手すりの上に両腕を広げ、背中から凭れかかるようにしながら、蛮は不機嫌に夜空を見上げ、タバコの煙を吐き出した。
まだカーテンさえ掛けられていない窓から覗く室内の様子に、ちらりと視線を送り、またいかにも疎ましげに空を見上げる。
中はまだまだ、この宴会状態が終わりそうにない。
引っ越し祝いだか何だか知らねえがー・・。
なんのかんの言いつつ、てめぇら結局飲んで食って、ただ騒ぎたいだけなんじゃねーかよ。
土台、オレたちゃ引っ越しも何も、荷物なんて、てんとう虫以外にこれっぽちもありゃしねーのによ。
何が”引っ越し”だってんだ。
ああ、ったく。
それにしても、うるせえ。
他の住人から苦情が来たら、どうすんだ。
考えて苦笑する。
なるほど、家持ちにもそれなりに苦労はあるもんだ。
かなり酒の入った面々の、賑々しい笑い声がガラス越しに外まで聞こえ、蛮はさらにやれやれと頭痛のする頭を一振りすると、髪を掻き上げ空を仰いだ。
そのままさらに顎を上げると、吐き出した紫煙の向こうに逆さまに見える夜の景色に、無意識に目を細め視界を狭める。
見慣れきったはずの夜の街は、こういう角度からは見下ろすことは滅多にないため、微妙に違和感があった。
マンションの8階から見える夜景は、まあ絶賛するようなものではもちろんなかったが、それでも、夕べ銀次と初めてここで夜を過ごし、並んでベランダから眺めた時は、まぁ悪くねえんじゃねえかと思ったりもした。
「ほんとにここが、オレたちのおうちになんの?」
と、まだ信じられないような、それでもはにかむような表情をして銀次が問い、”まあ、当座はな”と答えてやると、”そっかあ・・・”と頬を微かに染めて嬉しげに頷いた。
実の所、オートロックだロフト付きだとさんざん二人で話してはいたものの、いざそれが現実味を帯びた話となると、どういうワケか奇妙な抵抗があるもので。
蛮は本当の所、どうも気乗りしないまま、この部屋を借りることにしたのだが。
そんな杞憂も、銀次の笑みで消し飛んでしまった。
ゲンキンなものだ。
そして相変わらず、自分のこの相棒に対する甘さはどうだと辟易とする。
――まあ、いい。
とりあえず、これでこの冬の間の車生活は、何とか回避できるわけだし。
前の冬は、車内のあまりの寒さに眠ることも出来ず、ホームレスの段ボール小屋に泊めてもらって、毛布を貸してもらって寝たなんてこともあった。
それも、一度や二度じゃない。
まあ、そんな生活ともこれでおサラバだ。
結構なことじゃねえか、と蛮が思う。
そもそも、こういう経緯に至った発端は、ちょうど1週間前。
11月も半ばに差し掛かり、そろそろ気温も下がってきて、真面目に冬の対策を考えないとやばいなというところで、恐ろしくいいタイミングで、不動産屋の社長からの奪還依頼の仕事が舞い込んだのだ。
奪われた土地の権利書を組事務所から奪還してほしいと頼まれ、報酬は奪還料の一部を”希望条件に見合った物件を安価で貸し出すこと”というのでどうだと提示された。
そこで蛮が、”ケチケチしてねぇで、どうせならタダで貸しやがれ”と無茶を言ったものだから、結局すったもんだの末、更新までの最初の2年を家賃タダでということで話が纏まったのだ。
奪還そのものは、予想外に手こずったりもしたが(どうして、どこに行ってもあの”アンテッド”がいやがるんだ!と蛮をさんざん毒づかせた)、無事依頼の品はゲット出来、奪還料は肉だ寿司だギャンブルだで、相変わらずあっという間に残り半分以下になってしまったが。
約束通り、二人はこうして、晴れて車生活を脱して、ついに”家持ち”となったのだった。
まあなー。
確かに希望条件はクリアしている。二人で住むには充分な広さの2LDK。
間取りもいいし、部屋は広い。日当たりもいい。セキュリティもばっちり。
交通の便もいいし、なんといってもホンキートンクまで、徒歩で20分程度というのも有り難い。
仕事の依頼人は、大概があの店に出向いてきやがるからな。
ただよー。
ロケーション的に・・・・どうよ。
これだけ条件のいい部屋が、よく空いてたもんだと思ったが。
・・なるほどなー。
と、蛮が煙草をふかしたまま、夜景を睨む。
その視界の隅に、黒く重い影を落としている巨大な塊にじろりと一瞥をくれた。
・・・そりゃあ、誰も借りねえって。
ったくよぉ――。
手すりの上に仰け反っていた身体を起こし、くるりとそれと対峙するように向きを変えると、蛮は煙草を口にくわえたまま両腕を組んだ。
そしてまるで挑むように、目前の”うっとおしい影”を顎をくいと上げて睨み上げた。
それを見下ろす黒い影は、まるでその挑戦的な態度を受けて、嘲笑っているかのようだ。
――そう、僅かにそこまで距離はあるとはいえ、このマンションは無限城の城下町の境界線ぎりぎりという位置に建てられている。
ゆえに、視界の右端にはどうしたって無限城が入ってくるのだ。
まあ裏新宿で、あれだけ巨大な建築物が見えない場所というのは無いに等しいのだから、いたしかたはないのだが。
それにしても、デカすぎるし、近すぎる。
何が気にいらねえって、絶えずあの城の中からコッチを覗き見てる野郎が出てくるんじゃねえかって、そこいらがどうもよー。
思いつつも、季節が冬に一気に傾いている現状を思えば、今更どうこうと文句も言ってはいられないが。
それに、過去にそこの住人であった銀次が、あっさりとそれを良しとしたということもある。
『・・いいのかよ、マジで』
『え? どうして?』
『―オメー・・。以前は、出来るだけ見ねえようにしてたろ? アレをよ』
『・・あ、気づいてたんだ。・・うん、確かにそうだけど。ILの仕事で行ってからは、そうでもないよ。それに、この前も行ったし』
『ああ』
『またさ。もしもあの中で何か起こったりした時に、近くにいたら早くに異変にも気付けるかもしんないし、すぐに駆けつけることも出来っから!』
『・・ったくよー。お人好しもここまでくりゃあ、国宝級だな。オレとしちゃあ、金輪際関わり合いたかねぇがな。――それに』
『うん?』
『テメーを、これ以上関わらせたくもねえ』
『蛮ちゃん・・』
『ま、いいけどよ。テメーがいいなら、オレは別に構やしねぇぜ? んじゃまー。晴れて”家持ち”になっか?』
『うん!! オレたちのお家が出来んだね!』
『おうよ、ま、ロフトは付いちゃねーけどな?』
『いいよ、そんなの! オレ、本当は、蛮ちゃんと一緒だったらどこだってよかったんだから!』
『・・・・銀次』
まだ何1つ家具もない、がらんとした部屋のベランダで、銀次が愛くるしい笑顔でそう蛮に告白したのが2日前。
契約を済ませ、とりあえずベッドと、銀次に強請られて、3人掛けのソファとラブラドールレトリバーの形をしたライトを買わされたところで所持金が心細くなってきたので、日用品と、冷蔵庫が無くても保存できる食料を少し買い、後はまあ追々買い揃えていくかということに落ち着いた。
――が。
二人がマンションを借りたという話は、どういうわけか、あれよあれよと言う間に仲間内に広まって。
なぜか、こういうことになってしまったのだ。
視線を再び室内に向けて、蛮がゆうべとは見違えるように人の住処らしくなった我が家に、眉間に皺を刻んでそれを見やる。
確かに、ゆうべ部屋にあった家具らしいものといえば、ソファとベッド、それから犬のルームライト、それぐらいだったはずなのだ。
それが今朝になって、まるで嫁入り道具のように、マクベスからトラック一台分の家具一式と電化製品が一揃え届き、あっという間に室内は見違えるように豪華になった。
まあ当初の予定では、奪還料の残りの金をギャンブルで倍の倍の倍に稼いで家財道具一式を買うはずが、蛮が競馬で思い切りスったおかげで見事に当てがはずれてしまい、当分家具や電化製品も買える見通しがたたなくなっていた矢先のことだったから、助かるといえば助かるのだが。
しかし、それをしっかりお見通し、というのが蛮の実に気に入らないところなのだ。
考えて、嫌がおうにも溜め息が漏れる。
ま、あのパソコン坊やにゃ、たんまり貸しがあっからな。
こういうトコで返してもらっといて、ちょーど釣り合うぐれえだがよー。
悪びれずそう考え、吸い終えた煙草をビールの空き缶の中に捨てると、蛮はまた新しい煙草に火をつけた。
・・・は、いいが。
いったい何時まで居座る気だっての。あの連中はよー!
いい加減、とっとと帰りやがれ。
男共はともかくとして、夏実とレナはお子さまの寝る時間はとっくに過ぎてんだぜ。
波児、いい加減つれて帰れ!
ヘブンも卑弥呼も、いくら帰りに夜道で襲われる心配がねえからって、いい加減にやめとけって。
どんだけ飲むんだ、この女どもは!(しかも、卑弥呼!テメーいくつだっての)
そして、3人掛けのソファに我が者顔で坐ってやがる糸巻きと猿マワシと、その背もたれの間から顔を出してしきりに笑えねぇギャグを飛ばしてやがる、オマケのドリフ野郎と。
それと問題はココだ。
ソファの前のテーブルを囲んでいる銀次の両側に、新参者の濃いのが二人。
来栖とかいう、オッサンのくせにVOLTS四天王やってた男と、雷帝雷帝とやたら銀次にしなだれかかってる火生留とかいう厚化粧のオンナと。
おい・・!
どうでもいいが、あんま飲ますな!
銀次は、酒に弱ぇんだ。
しかも酔っぱらうと、やたらと人に抱きつきたがる。
今でも相当やばいんじゃねえか。
目が、かなりトロンとしてやがる。
こういう時は――。
と蛮が思うのとほぼ同時に、銀次が何事か柾に言った後笑顔になって、唐突にがばっとその首に腕を絡ませるようにして抱きついたのだ。
ったく、だから言わんこっちゃねえ!
「おい、銀次!」
思わず怒鳴って、ズカズカとベランダからリビングに大股で戻ってきた蛮に、銀次がトロンした今にも寝そうな目で蛮を見上げ、きょとんとする。
腕は当然、まだ柾の首に回されたままだ。
「あ、蛮ちゃんー。どったのー」
「どったのじゃねえ! 何やってんだ、テメーは! おら、来やがれ!」
柾の首に巻き付いていた銀次の腕を乱暴に解いて、そのままずるずると対面式になっているキッチンの中まで、引き擦るようにしてつれていく。
「ちょっとお、アンタ! 私の雷帝に何するのよ!」
「うるせえ! テメーこそ、コイツに気安くさわんじゃねえ!」
「え、あの蛮ちゃん?」
「おら、水飲め、水!」
ぎりぎりと奥歯を噛み締める火生留を軽くあしらって、蛮が、冷凍庫から氷を2つばかり摘み出し、水を張ったグラスに放り込んで銀次に手渡す。
「ええ、オレ喉乾いてないんですけど〜! さっきからいっぱいお酒飲んでるし」
「それがマズイっての! なーんで、そんなに飲んでんだよ!」
「だってー、みんな一緒って久しぶりだし楽しいんだもーん」
「つっても限度を知れっての! テメー、酒はめっぽう弱ぇんだからよ。おら!」
怒鳴られて、渡されたグラスの水を大人しくこくこくと飲み、銀次が思いきり情けない顔をする。
「んあ、冷たぁ〜」
半分閉じかけていた瞼が、それでも多少はまともに開いてきたらしいことに、蛮がやれやれと肩を落とした。
全くコイツはオレがそばにいねぇといったいどうなることやら、などと思いつつ、蛮がギャラリーの剣呑とした視線などどこ吹く風で、ぐしゃぐしゃと銀次の頭を乱暴に撫で回すと、銀次が笑い声を上げて言う。
「あはは、蛮ちゃん、やめてよぉ」
「うっせーよ、バカ」
「あ! ねえねえ蛮さーん、こっちのお部屋見てもいいですかあ?」
トイレに立っていた夏実が、玄関に近い方の洋間のドアを指差して、興味津々に笑顔で蛮に聞く。
「ああ? 別に見たけりゃ見てもいいけどよ」
「わーい、こっちが銀ちゃんのお部屋かなあ? あれっ?」
「どうしたんですかー。先輩?」
ドアを開けたまま不思議そうな顔で部屋の中を見、首を傾げる夏実に、一緒にトイレに立っていたレナがその後ろからひょこと顔を覗かせる。
「蛮さーん。こっちも見ていい?」
夏実が再び蛮に尋ね、その隣の、ちょうどリビングの隣になる部屋の扉を指差す。
「ああ? 構やしねーけど? おら銀次、ついでに顔洗え!」
「ええ、ここでえ?」
「ついでだ、ついで」
「もー蛮ちゃんー」
銀次とまだキッチンの中でごちゃごちゃと戯れるのに忙しい蛮は、夏実の言葉に生返事を返し、流し台の水のレバーを上げた。
銀次がそこで、蛮に言われるままにバシャバシャと顔を洗う。
「あれー?」
「どうしたんだ? 夏実ちゃん?」
またしても、扉の前でレナと顔を見合わせ不思議そうな夏実に、すっかり出来上がっているらしい波児が上機嫌で聞く。
「ねえ、蛮さーん」
「あ? んだよ。あ、こら銀次! テメエ、人のシャツで顔拭くんじゃねえ!」
「えへへー」
「ったくテメーは!」
「ねえ、蛮さんったら!」
「あー? 何だってよ」
「どうしてベッド、一つきりしかないんですか〜〜〜あ??」
・・・・・しーん。
賑わっていた室内が、一瞬で水をうったように静まった。
「しかも、これ、セミダブルだし!!」
追い打ちをかけるようなレナの一言に、次の瞬間、室内の険悪な空気と視線が一斉に蛮に集中した。
「な、なんだよ、テメーら!」
まだ蛮のシャツの胸のところにコシコシと顔を擦り付けていた銀次は、妙な雰囲気にんあ?と顔を上げて室内を見回す。
「え? 何、みんな??」
「どういうこと、ですか?」
出来上がっている上、さらに尖った視線で蛮を睨む花月に、銀次が焦って代わりに答える。
「え? カヅっちゃん? どういうことって??」
「僕らは2LDKの部屋を借りたと聞いて、てっきり、君と銀次さんが一部屋ずつ使うものだと思っていたのですが!」
「ああ?」
「おい、蛇ヤロー! テメエ、まさか自分だけセミダブルのベッドで悠々と寝て、銀次だけ床にでも寝かそうってんじゃあねーだろうな!」
「そら蛇ヤローはん! あんまりやーひどすぎやー! ワイらの雷帝に、なんちゅー仕打ちを!」
「あのね、士度、笑師! 僕が言いたいのはそういう事じゃなくて!」
「確かに、そりゃ怪しいわねえー?って、私にしてみれば今更だけどねえ」
「ちょ・・! あの、ヘヴンさん!」
ヘヴンの一言に、銀次がすかさず焦って叫ぶ。
「やーだ、気持ち悪い・・」
そのヘヴンの横で、すっかり目が坐った卑弥呼がぼそっと呟く。
「卑弥呼! テメーなあ!!」
「まあ、まあ、まあ」
波乱の予感に、波児がついいつものクセで場を収めようと、坐ったまま両手を広げて身を乗り出す。
こういう時、トシの功とかいうのも厄介なものだ。
「あ、ありがと波児さん。あのね、えーっと。実は、オレたちお金なくて、まだ一個しかベッド買えてなくて」
「じゃあ、至急にもう1つ、僕が手配しましょう」
「え? いや、あのカヅッちゃん!」
素早い切り返しについていけず、銀次が焦る。
「ベッドぐらい、お二人にプレゼントさせてもらいますよ。部屋も2つあることですし」
「あ、あの、でもね」
「ベッドなら、私が手配させるわ。私の雷帝が床で寝るなんて許せない。床で寝るんなら、あんたが寝ればいいわ、美堂蛮」
「んだとぉ!」
「だから火生留! 僕が言いたいのはそういうことじゃなくて!」
「銀次は、我慢強いやつだ。それゆえ、あまり不平不満を口にすることなどないだろうが、そのような不当な扱いは、コイツを育てた天子峰の友として、俺が断じて許さんぞ、美堂蛮」
「あぁ?! 別にテメーに許してもらおうたぁ、微塵も思っちゃいねーけどな? 来栖のオッサン」
「オッサンとは何だ!」
「だから、来栖さん! 僕の言いたいのはそうじゃなくて!!」
「やっぱりー、お二人でー、1つのベッドで一緒に寝ちゃってるんですかあ?ってことですよね――?」
しーん。
「な・・・・・。夏実ちゃんも、レナちゃんも、さ、さあ遅くなったしそろそろ帰るか。は・・・ははは・・・・・・」
なんとも言えないどよーんとした空気に、波児がだらだらと冷や汗を流しつつ、夏実たちを促して立ち上がる。
酔いも一気に醒めたらしい。
「そ、そうね、波児。私たちもおいとましましょうか、レディポイズン」
「そうねー。なんかまだ飲み足りないけど」
「じゃ、どっかで飲み直す? って、あんた未成年じゃあ」
「もう遅い」
「わね。思いきり出来上がっちゃってるしー」
「オメーら、ちったぁ片して帰れよな!」
「ええー!? なーんで私たちがぁ」
「さんざん食って飲んでしやがったクセによ!」
「って言っても、全部私たちが作ってあげたんでしょー」
「なーに言ってんだヘヴン! テメーは材料運んできただけで、作ったの全部波児じゃねえかよ!」
「あ、そうだったかしら。ほほほ」
「でも食料持ってきてあげたんだから。これで当面は困らないでしょ。感謝してよね、蛮」
「へいへい。んじゃまー、感謝の証に乳揉みでも・・」
「うわあああ! 何すんのよ、この――! 火炎香!」
「あちち、あち! テメエ何しやがる! 部屋燃やす気か、ゴラァ!」
「アンタがヘンタイ男だからでしょうが!」
「テメーみてぇな貧乳揉んでやろうってんだ、ちったあ感謝しろっての」
「まだ言うかー! 腐蝕香!」
「ぐわああ!」
「・・・なーにやってんだか、もうー。ちょっと! アンタも手伝いなさいよ、レディポイズン! ねえ、ちょっとったら!」
蛮に言われてエプロンをつけ、空のグラスや皿を下げてキッチンに立ったヘブンが、どたどたと追いかけっこをしている蛮と卑弥呼にやれやれと肩を竦める。
そしてふと、キッチンの奥の壁にもたれかかるようにしている銀次に気づいた。
「・・・あれ? どうしたの銀ちゃん?」
「うん・・」
「気分悪い?」
「あ? どうした銀次?」
心配そうにそばに寄っていくヘヴンの言葉に、蛮が追いかけっこをやめて即座にキッチンに入ると、ヘヴンを押し退け、銀次の正面から両肩を掴むようにして顔を覗き込む。
「蛮ちゃん・・」
「気持ち悪ぃのか?」
「ううん、大丈夫。そうじゃなくて、なんか急に眠くなっちゃって・・」
言って、甘えるようにトン、と蛮の肩口に額を置く銀次に、蛮がやさしい目になってその頭をそっと撫でる。
「なら、ベッドで寝ろや。後はコイツらにまかせてよ」
「あーのねー、蛮クン?」
「うん。でも・・」
「おら」
背中を促すようにされて、銀次が顔を上げて蛮を見る。
顔色は確かにそう悪くはないが、なるほどかなり眠そうだ。
その目を片手で子供のようにゴシゴシ擦った後、蛮を見上げ、少し甘え口調になって言う。
「あ、でも。オレ、ちょっと汗かいて気持ち悪いから、シャワー浴びててもいい?」
「ああ。構わねえけど」
「んじゃ、ちょっとお風呂行ってくんね」
「大丈夫ですか? 銀次さん」
着替えを取りに部屋に行く銀次に、ソファから花月が声を掛ける。
こちらはどうにも、まだ席を立とうという気は毛頭ないらしい。
「あ、うん」
「大丈夫なのか、銀次」
「うん、平気だよ。士度。シャワー浴びたらすっきりするから」
「あ、おい! 湯は溜めんなよ。オメー浴槽で寝ちまうだろ」
「うん、わかってる。蛮ちゃん。じゃ、ちょっとゴメンね、みんな」
「気をつけるんだぞ、銀次」
「うん、ありがとう。征」
「もし気分悪くなったら、呼べよ?」
やさしい声で言われ、銀次が振り返って蛮を見て、ちょっと嬉しげに頬を染める。
「ん、蛮ちゃん・・・」
頷いてバスルームに向かう銀次とそれを見送る蛮に、波児が”まったくコイツらは・・”と言わんばかりに脱力して、はあーと深い溜息を落とした。
「さて、帰るとするかな。夏実ちゃん、レナちゃん」
「はぁい、マスター」
波児と夏実とレナについて玄関まで見送って、蛮が白い壁に凭れて煙草を取り出す。
「蛮さんったら、あんまりお部屋で煙草いっぱい吸ってたら、すぐ白い壁が灰色になっちゃいますよー?」
「へいへい」
靴を履きながら言う夏実に、思わず蛮が苦笑する。
自称無敵の男も、最強の天然娘の前ではどうも形無しだ。
「んじゃあな、蛮。ま、いい寝ぐらが出来たんだ。ここ拠点にたんまり稼いで、とっととツケ返してくれや」
「ケッ、ったくツケツケうるせーっての! んなもん、今度でっかい仕事が来たら倍にして返してやらぁ」
「ほいほい、ま、せいぜい期待してるぜ」
「おやすみなさーい、蛮さん」
「おう」
扉を出ていく波児らに続いて、後片づけを一通り終えたヘヴンと卑弥呼もリビングを出てくる。
「じゃあ、私たちも帰るから」
「おう、ご苦労!」
「えっらそーに!」
頭を撫でようとした蛮の手をぱん!と振り払う卑弥呼にヘヴンが笑って肩を竦める。
「あんたたち、本当に仲いいわねー」
「どこかじゃ!」
「どこがよ!!」
「はいはい、じゃあ帰りましょー。おやすみ、蛮クン。銀ちゃんにもよろしくねー」
「ああ」
「じゃあ、蛮」
「おう」
ヘブンと卑弥呼が出ていった扉が出ていった扉が、派手な音を立てて閉まるのを確認すると、蛮は肩で息を1つついて、ちょっと面持ちを険しくしてリビングに戻る。
ガラスの入ったそこの扉を開くなり、険悪なムードが立ちこめた。
何となく、タダでは済まない雰囲気に、1人笑師が焦って右往左往している。
「・・・・・・んで?」
蛮は、テーブルの周辺にたむろする5人の顔をざっと見回すと、ぴくりと片眉を上げ、ドスの効いた声で言った。
「てめーらは、まだ居座る気かよ? もと雷帝親衛隊ご一行様?」
2につづく
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