「スウィート・ホーム・スウィート」



「もう帰らせていただきますよ。その前に一つ、僕からのお願いをきいていただければね」

テーブルの回りにまだ屯していた元VOLTSの面々の中から、花月がスッと立ち上がり、蛮に言う。
火を点けないままの煙草を咥えている蛮は、いかにもといった仏頂面だ。
「お願いねぇ…。てめぇもほとほとしつけえヤローだな、糸巻き」
「――先ほどの話の続きですが」
花月の言葉に、蛮がウンザリした顔で腕をふった。
「ベッドがどーよってか? まだ言うかよ」
「銀次さんには、僕からベッドを贈らせていただきます。それを使っていただくようにお願いできませんか? 部屋も君と銀次さんが各々使えるように2つ在るわけですし」
「”各々使えるように”ねぇ…」
「ええ」
腕を組む花月をちろっと見、ジッポを取り出す。
カチと音がして、瞬く間に紫煙が上がった。
それを大きく吸い込むと、フーッと悠然と吐き出し蛮が言う。
「なぁんで、そこまでテメーに指図されなきゃなんねえ?」
「…別に。でも、それが自然じゃないですか?」
「そうかー? けど、しようがねえだろ? アイツの方が、1人で寝るのは嫌だとかぬかしやがるんだからよ。オレとくっついて寝ねえと、よく眠れねーんだとよ? まったく、元"雷帝”サマは、えれぇ甘ったれでな」
挑発的ににやりとしていう蛮に、花月の目がキッときつく尖る。
「戯れ言を」
「事実だぜ? なんなら、本人に聞いてみりゃどーよ?」
本人に、というところで、花月が険しくなっていた眉を、僅かに緩ませる。
頭に、”あ、うん! 実はそーなんだよ、カヅッちゃんv”とか無邪気に言いながら、照れ臭そうに笑う銀次の顔でも思い浮かべてしまったのだろう。
多少毒気を抜かれたところで、逆にそれが気に入らなかったらしい蛮が畳みかけるように言う。
「…つーかよ。そういうつもりでせっかく2LDKの部屋を手配してやったんだから、こっちの思惑通り動きやがれって、そういうコトなんだろ?」
にやりとして言う蛮の台詞に、一瞬鋭く顔色を変え、それでも動揺を悟られないように、にっこりと花月が答える。
「――どういう意味ですか?」
「そっちこそ。どういうつもりでぇ?」
「――!」
互いの間で、空気が今にもバチバチと火花が散りそうに緊張する。
「お、おいおい、花月…」
さすがに拙い、と思ったらしい士度が声をかけた。笑師も立ち上がる。
「か、花月はん、ち、ち、ちょっとなんか険悪でっせ…。よ、よっしゃ! ここは一発、ワイのギャグでー!」
「キミは黙っていろ、笑師!」
「ふが!」
サッと飛んできた紘に、あっという間に笑師が口を縫いつけられ、士度が、やれやれと肩を竦め気の毒そうにそれを見上げる。
「つまり、アレだ。 まあ例え話にすりゃあよー。 『溺愛して育てた娘は、親を裏切り、ふらっとやってきた男と家を出て行っちまった。しかも、その男に苦労ばかりさせられてやがるというのに、一向に別れる気配はねえ。ならばいっそ、いつまでも反対しててもラチがあかねえから、実家の隣の空き地に家でも建てて、そこに住まわせりゃあ監視もできるし何かあった時に安心だ。一石二鳥』ってな ――ま、そういうこったろーが?」
花月が、蛮の言葉に、それこそ突き刺さりそうなほど目つきを剣呑とさせる。
柾が肩で息を落とし、グラスの中を酒を一気に煽った。
「…勘が良すぎるというのも、なかなかつまらないものだな」
「オッサンほど、まだボケてねえもんでな」
「何!?」
「ま、まあまあ柾ひゃん」
口を縫われながらも窘める笑師の、涙ぐましい努力もどこ吹く風で蛮が吐き捨てる。
「別に、オレはいいけどよ? 冬の間はとりあえず、ここに住むことに異論はねえし。…そん代わり、オレらの好きに住まわせてもらうぜ? 一応、お膳立てがあったとはいえ、オレらが仕事で得た”報酬”にゃ、変わりねぇんだからよ。好きにすんのは当然だろが?!」
「…美堂君」
髪の鈴を取り、花月がそこからシュル…と口の端に紘を引き出す。
蛮は一向に構う気配が無い。
「だいたいよぉ、別に一緒にベッド使ったからどうだってんだぁ、糸巻き? テメーが勝手によからぬことを妄想してるだけじゃねーのかよ! 欲求不満ってか?」
「な…!」
「テメーはよー。飛針の兄ちゃんと、それこそ、針と糸でチクチク乳繰り合ってりゃあいーんだよ!」
「何!? 僕はともかく十兵衛のことまで侮辱するなんて…! 許しませんよ!」
「おうよ、許さなきゃどーよ!」
一発触発の事態に、士度らも思わず立ち上がる。
「ちょ、ちょっと待て、花月!」
「止めるな士度!」
「そうだぜ、馬並みのクセに、嬢ちゃんの手も握れねー根性ナシ野郎は黙ってろっての!」
「な、なんだとおおぁ!!」
「相変わらず、血の気の多い男ね。ビーストマスター」
「黙れ、火生留!」
「厚化粧の炎使いのねーちゃんよー。テメーも、血塗ったくったみてぇな唇しやがって、そんなんで銀次に迫ろうったぁ見苦しいってぇんだ!」
「な、なんですってええ! 私の雷帝と組んでいる男だからって、ちょっと大目に見てやってれば!」
「”私の雷帝”が聞いて呆れるぜ! あのバカは、オンナとみりゃー誰にだって甘ぇんだよ! 勘違いしてんじゃねえっつーんだ!」
「雷帝を侮辱することは許さないわよ! このバカ男!」
「誰がバカ男だ! あああ、上等じゃねえか! こちとら、テメーらの思惑にのっかっちまったことに大概ムカついてんだよ!! まとめて掛かってきやがれってんだ!!」
蛮の怒号に、柾もスッと立ち上がる。
「わからせてやらねばならんようだな、貴様には!」
「ええ、僕たちの、銀次さんを心から信奉する、この想いの強さをね…! 風鳥院流絃術…!」
「舞えよ、炎!」
「百獣擬態――!」

「よーっしゃ、テメーら覚悟しやがれ! スネークバイ…」







「やめろおおお―――!!!!」








「……あ?」




「え…!」
「は…?」
「おっ」
「ひ……」








「いい加減やめてよ、みんな!!!
 こんなとこで喧嘩しないでよおおお――!!」









「…つーか、テメーなあ…!」


蛮が怒鳴ろうと大口を開けかけ、それよりもコッチが先だ!と言わんばかりにササッ!と銀次の前に立った。
呆然と一点に注がれていた元親衛隊の視線は、蛮によって遮られたそれにハッと我に返って、口々に一声残しつつ、銀次とその前に立つ蛮の目前を、玄関のドアに突進していく。



「ぎ、ぎゃああああああ!!!」
だだだだだ……。ばたん!
「ぼ、僕も、し、し、失礼します! で、では銀次さん!」
ささささささ……。ばたん!
「お、お、お、オレも、帰るぜ・・・! またな、銀次・・!」
どどどどど……。ばたん!
「あ、士度はん、待ってえなー! ぐ、ぐおお、鼻血があ」
どたどたどた…。ばたん!
「銀次、立派になったな・・・。では、失礼する」
ス…………ッ。 ばたん!








「・・・・・あれっ?」








「どしたのー? みんな」
なんでいきなり帰っちゃったんだろう?と首を傾げ、銀次が、壁にぐったりとなついている蛮を不思議そうに見る。
「テメー…」
「んあ?」
頭を抱えながら、蛮が疲れたようにため息をついた。
「・・・オメーな。野郎共を一瞬で追っ払った事はよくやったと褒めてやりてぇとこだがよ。誰が、んーな出血大サービスしろっての!!」
「はい?」
指差されて、なんだろう?とその蛮の指の先を追って、てんてんてん…と自分の視線を下ろしていく。
そこでやっと”ああっ”と気がついたらしい。

「あ…。オレ、すっぽんぽん…」

「アホ…」
呆然と言う銀次に、蛮が脱力しつつ返す。
「あ、あは、あはは…。で、でででも、まっ、いいか。男同士だし!――って、火生留はちがうじゃん、オレ! がーん、見られちゃったよぉー! 蛮ちゃーん、どうしよう! オレもうお婿に行けないよー!」
「オレが知るか!」
「わーん、ヒドイー!」
「つーか、自分から見せたんじゃねーかよ。なんでタオルぐれー巻いてこねえんだよ!」
「だって! 蛮ちゃん、怒ってる声聞こえてきたし! みんな、なんか険悪な雰囲気で、これはヤバイ!って思ったんだよー」
「そりゃそーだけどよ!」
「わー、一生の不覚ー」
がっくりと落ち込み、その場にへたり込む銀次に低く笑いを漏らしながら、蛮がバスルームにバスローブと新しい下着を取りに行ってやり、それを銀次に投げ渡す。
『あんがとー』と力無く返事を返し、とりあえずはバスローブに腕を通し紐をしてから、あっとなぜか下着だけは持ったまま、またバスルームに戻っていく。
その様子を見ていた蛮が、おかしなヤローだとほくそ笑んだ。
どうも蛮の視線に晒されて、下着に足を通すのが抵抗があるらしい。
まあ、その無防備で不安定なところを、幾度となく蛮に襲われてひっくりかえされているので(もちろん、ついでに悪戯もされている)、多少の警戒心もあるのだろうが。
ぽっと頬を赤らめるあたりは、初心か?
悪かねえと、蛮がくすりと笑う。

それはそうと―。
室内をぐるりと見渡し、深々とため息をついた。
さしもの蛮ですら、掃除機でもかけたくなるくらいのテーブル周辺の有様に、それでも”今夜はもういい”と視界に入れないことにして、大股にリビングを横切る。
とにかく、胡散臭い連中のおかげで、すっかり淀んでいるこの室内の空気だけでも入れ換えようと思い立ち、蛮は窓という窓を開いた。
風が入り、冷え冷えとするが気持ちはいい。
普段、地面にかなり近い高さで寝起きしているのに慣れていると、この高さを吹く風というのはどうも新鮮だ。
汚れが少ない気がする。
蛮は、換気の間再びベランダに出ると、また新しい煙草に火を点した。



一通り換気が終わった室内は、今はもう窓もきっちり閉められ、エアコンのスイッチが入れられていた。
照明を落としたリビングのソファで、銀次はその背もたれに背中を預けきって頭ももたげ、ちょうど真正面上部から吹いてくるエアコンの温かい風を受け、気持ちよさそうに目を閉じていた。
蛮は、銀次と入れ替わりでシャワーを浴びている。
リビングでも微かに聞こえてくるその水音に、銀次が目を閉じたまま、口元を綻ばせる。
(あー…。いい気持ちー。このまま、もう寝ちゃおうかなー…)
その音に耳をじっと傾けていると、あっという間に本格的に睡魔が押し寄せてくる。
前髪をさわさわとくすぐる温風と、蛮の浴びるシャワーの音に、全身がくつろいで力が抜けていく。
ホテルに居るのとはまた違う、何ともいえないくすぐったい幸福感に包まれているのは、ここが自分の家だと思うからだなのだろうか。
蛮と、自分の。
ずっと憧れていた”お家”。
ロフト付きがいいとか、オートロックだとか、こういう間取りがいいねえとか、床暖房とか最高だよね―とか色々言っていたけれど、本当は、実はどんな所だってよかったんだけれど。
木造二階建てのアパートとかでも、全然構わなかったし。
今にも壊れそうなボロ家とかでも、よかった。
口で言うほどの贅沢は、きっと蛮も望んではいなかったろうと思う。
まあ、不便な車生活に比べたら、手足を伸ばして眠れるスペースがあれば、それで十分過ぎるぐらいなのだから。
でも、それをなかなか実行に移さなかったのは、まあ、先立つものが足りないせいもあるが。
ただちょっと、それを現実にしてしまう勇気が足りなかっただけのことなのかもしれないと、そんな気がする。
手に入れてしまうと、それを失うのが怖くなる。
安定に慣れてしまうと、不安定を恐れてしまう。
まあもっとも、それは銀次の方の理由であり、蛮の場合はどちらかというと、元々どこか生活の安定を好まないようなところがあったから、その所為かもしれない。
とにかくあれだけ、「金が入ったら今度こそマンションの1つでも!」といいながら、それが今まで実現に至らなかったのは、金運の無さと蛮の金使いの荒さの他に、各々にそれなりの些細な事情があったからなのかもしれない。
――まあでも、実際こうなってみると。
やっぱいいもんだなあーと、銀次は素直に思っていた。
まだ丸一日しか経っていないけれど。
自分の家に人が集まってきて、じゃあまたね、と自分が見送れる立場にある。
(もっとも今日のところは、タイミング悪く、それに間に合わなかったけれど)
そういうのって、もしかして初めてじゃないだろうか。
それが何だか嬉しいし、くすぐったい。
しかも、1人で暮らすのだったら、きっとこんなではないだろうけれど。
蛮が一緒なのだ。
1人じゃない、それが一番嬉しい。
そう思って、知らずと目を閉じたまま、微笑んだ顔になる。


ソファにもたれたまま、いつのまにかウトウトしていたらしい銀次が、髪の後ろから梳くようにして触れてきた指先に、とろんとした目を細く開く。
「こら、まだ髪の毛濡れてんじゃねーかよ」
「ん…」
「風邪ひくぞ」
「蛮ちゃん… お風呂出たの?」
「おう。それはいいから、ちゃんと拭けって」
「大丈夫だよー。バカは風邪ひかないんでしょー」
「いくらバカでもな、急に環境が変わりゃ、風邪ぐらいひいても全然不思議じゃねーんだよ」
「ふーん…」
半分寝ぼけているような銀次には、それが果たして理解できているのやら、いないのやら。
そんな顔を見て、蛮がクスと笑いを漏らす。
銀次が、またとろとろと眠りに入りかけて、でも温かいやさしい指先に髪を触れられると、うっとりとした顔で睫毛を震わせながら、それをなんとか持ち上げた。
蛮の指が銀次の髪を掬い上げるようにしながら、やわらかなタオルでその水滴を拭ってくれている。
いつもみたいに、適当にがしがし力まかせに拭くのとは違って、まるで愛撫を受けているような感触に、甘い痺れが項を走る。
握力200を誇るその手は、しかし指先の動きは結構繊細なのだ。
「んあ〜… いい気持ち…」
銀次の呟きと同時に、上から降るように蛮の口づけが下りてくる。
しっとりと合わせて軽く舌を吸い上げる、深くも浅くもない戯れのようなキスは、実は銀次の大好物だ。
その証拠に、さも嬉しげな笑みがこぼれる。
一度離されても、首を上げて、もっとと強請る。
それを聞いてやりながら、蛮が笑いを含んでこぼした。
「…ったく、オメーはよー」
「んー?」
「まさか、無限城でもああだったんじゃねーだろうな」
何度もキスを強請られ、こりゃ相当酔っぱらってんなと苦笑しつつ、蛮が強請られた分より1つ多い目に銀次の唇にキスを落とすと、銀次がやっと満足げに瞳を開く。
「…ん? なに…?」
「フルチンで大サービス」
「ええっ、まさかー。もうやだなあ、蛮ちゃん」
「いつもは風呂から出て来る時ゃ、きっちり着込んでくるクセによ」
「…だって。蛮ちゃんの前だと、裸に近い恰好でいんの、なんか恥ずかしいもん」
「なんでよ?」
「すぐ、えっちな事考えっから!」
「テメーが?」
「ちがうよ、蛮ちゃんでしょ」
「そっかあ?」
「そうなのです! ―あ」
「あ? どうした?」
「ねえねえ」
「ん?」
「へへっ」
「んだよ、気持ち悪ぃ」
「もしかして、ヤキモチやいた?」
「…あ? 誰が、誰に」
「蛮ちゃんが、みんなに」
「ああ!? アホ抜かせ! テメー、最近自惚れてやがんな?」
「そう? でも、オレはちょっと妬けちゃった」
「へ?」
「仲いいもん」
「……オレが、あの糸巻きらとか?」
「そうじゃなくてー。卑弥呼ちゃんと」
「…ほー」
「ん? ほーって何?」
「いや、ソコに来んのかってな」
「…え? オレ、ヘンかな?」
「いんや。そーか、そんでその腹いせに、ヤツらにオールヌードで大サービスかよー」
「もお! そこに戻んないでってばー まだ落ち込んでんのにー」
「ああ、しっかり落ち込んどけ! 当分、ヤツらにいいオカズにされんだろうからな、テメーは! ああ、胸糞悪ぃ! この際、卑弥呼の忘却香でも使って、いっその事…」
「オカズ? オレ、食べられんの??」
「あ?」
ソファに腰掛けたまま、真後ろに立っている蛮を見上げて、銀次がきょとんとする。
説明すべきかと一瞬戸惑うが、つまらない意識を持たせたくないので、やはり黙っておくことにする。
無知なのは危なっかしいが、こういう風に天然に無垢だと、なかなか逆にちょっかいも出し辛いもんだ。
(なんせ、このオレ様がいい証拠だ。手出しすんのに、いったいどんだけ掛かったかと…)
「……まー、知らねえ方がいいこともあっからよ」
まだ「うん?」という顔をしたままの銀次を一旦視界から外し、キッチンに入ると冷蔵庫からビールを取り出す。
――ちなみに、この冷蔵庫もマクベスから、中身の食料は卑弥呼だ―
花月やらには、もともとこの部屋は、奪還の仕事の報酬代わりなんだからよ―と悪びれずに言ったものの、至る所にマクベスからの貢ぎ物があるかと思うと、どうもこの部屋の居心地も悪い気がしてくる。
あの不動産屋のオヤジをぶっとばして、もっかい新たに部屋を探さすんでも、この際いいかとも思う。
そん時にゃ、マクベスから贈られたこの家具やら電化製品何やらを、一切合切を全部売っとばして――。
などと、不穏な事を考えつつ、銀次の坐っているソファの隣に腰掛ける。
缶ビールを一口煽るなり、銀次が体重をかけて凭れ掛かってきた。
「んだよ、重ぇな」
言葉はぶっきらぼうだが、声音はやさしい。
甘えられるとかなり照れ臭いのだが、悪い気はしないのだ。
なので、銀次にべったりされる時の蛮の反応は、いつもこんな風だ。
言葉と態度で、180度違いが出る。
「蛮ちゃん…?」
「ん?」
「なぁんかさー」
「ああ」
「…いいよね、こういうのって」
「………」
酒が入っているのと、眠気のせいも大いにあるだろうが、潤んだ琥珀の瞳で肩口から見上げられ、とろけそうな笑顔で、そんな風に言われちまうと…。
頭の中で提案された事柄が、全部、リセットされてしまいそうになるじゃねえか。
思いつつ、甘えてくる頭を軽く抱き寄せ、ほとんど乾いてしまった髪にそっと指を潜り込ませる。
「蛮ちゃんは?」
「…あ?」
少し、声をひそませる、
「このままでいい?」
「…どういう意味だ?」
その問いに、銀次が自分の頭にある蛮の手に、静かに自分の手を重ねて返す。
「これってやっぱ… マクベスのお膳立てなんでしょ? あの不動産屋のオッチャンに手回して」
銀次の答えに、蛮が片眉をぴくりと上げた後、深々と肩を落として溜息をつく。
―これだから、このボケは…。
アホだ、ボケだとこけ下ろしていても、決してあなどれねえんだ。勘の鋭さだけは天下一品だ。
蛮が思う。
確かに銀次は、計算は得意じゃない。
それなのにいつも、苦労して計算した自分の答えとまったく同じ答えを、恐ろしいことに直感だけで導いて持ってくるのだ。
やれやれだ―。
少し間を置いて、逆に問い返す。
「テメーは、どうしたい?」
「うん?」
「それに気づいて、テメーはどうしたいんだ?」
蛮の問いに、銀次は、ちょっと意外そうな顔をして蛮の肩から身を起こした。
じっと見つめる。
自分の意見優先の蛮が、こんな風に先に銀次に意見を求めるのは、至極珍しいからだ。
「オレは― 蛮ちゃんがもしよかったら、このままここに住みたいけど…。蛮ちゃんが嫌なら、またてんとう虫くんに戻っても全然いいよ?」
「…テメーは、いいのかよ? そんでも」
「うん、いいよv 蛮ちゃんと一緒だったら、オレはどこでも楽しいもんv」
にっこり笑うその瞳に、それでも一瞬だけ淋しそうな色が過ぎったのを蛮は見逃さない。
この琥珀の瞳は、恐ろしいことに絶対に蛮に嘘をつかないのだ。
いつも、一番正直な気持ちをダイレクトに伝える、いわば心を映す鏡のようなもので。
いいよ、と口では言いつつも、瞳は”ちょっとカナシイけど”と、そう言っている。
このあたり、確信犯じゃない分、余計に蛮には始末に負えない。
――心中で、思い切り溜息をつく。
無限城の野郎どもには本気でムカツクが、その腹いせに銀次を泣かしていては本末転倒だ。
しかも、それは本意でない―どころか、思いっきり不本意だ。
じゃあ明日にでもここを出て、てんとう虫に戻るかと言われたら、言葉や態度にはこれっぽちも出さずに、それでも銀次は悲しむのだ。
それがわかっていて、どうしてそんなことが出来るだろう。

―銀次には、自分はとことん甘い。
最近それは、激しく自覚している所だ。
望むことは、すべて叶えてやりたい。
そう思ってしまうほど。

「…いいぜ、オレは」
「え?」
「別に、今すぐに出ていくアテもなけりゃ、車生活に戻って、むざむざ凍死する気もねえし」
「うん…」
「ま、そのうち、実入りのいい仕事でがっぽり稼いで、これよっかいい部屋に引っ越しゃ、それでいいだけのコトだしよ。そん時ゃ、マクベスが貢いできやがった家財道具一切を売っ払って、だな」
「ええ、売っちゃうのー!」
「おうよ! いったいどこに盗聴器がついてるかわかんねー家具なんぞ、気色悪くて使ってられっかっての!」
「ええっ、そうなの?」
「テメーも妙な電波感じたら、オレにしっかり報告すんだぞ」
「う、うん…!」
言って、慌てて口を押さえ、思わず室内をきょろきょろする銀次に、蛮が可笑しそうに笑いを漏らす。
ストレートな反応が楽しい。
まあ、あながち冗談事ともいえない気もしないでもないが。
とにかくリビングのカーテンだけは、明日にでも買いにいかねば、とそう蛮が心中で思う。
「けどさ、じゃあ当分は…」
もう一度、蛮の肩に凭れてき、銀次が甘えて言う。
「ここ。オレたちの”お家”ってことで―いいんだよね?」
「おうよ…」
「オレと蛮ちゃん、のおうちなんだよね?」
「ああ…」
「そっかあ…」
”よかったぁ”と語尾に続きそうな嬉しげな口調に、蛮がやさしげに笑む。
「蛮ちゃん」
「ん…」
「オレ、すごく、シアワセ、かも…」
”かも”は余計だがよ、と言いかけて、口をつぐむ。
眠いのが限界に来ていたらしい銀次の瞼が、もう堪えきれないとばかりに瞳を塞いでいく。
肩にかかる銀次の重さがわずかに増し、ややあって、その口元から、すーすーと寝息がこぼれた。
このままここに居られると知って、安心もしたんだろう。
覗き込むと、どうにもこうにも本当に”シアワセ”と書いてある子供っぽい寝顔に、蛮が思わず笑みを漏らす。
すっかり乾いた前髪を指の先で上げさせると、”ああ、らしくねぇ”と胸の内で思いきり自分に毒づきつつも、露になったきれいな額に、そっとやさしく唇を寄せる。
そして、背中から脇に腕を差し入れ、もう一方の手で両の膝裏に腕を回すと、ひょいとその身体を抱き上げた。
寝室に運ぼうと、ふとリビングの窓からその全貌の3分の1くらいを覗かせている巨大な城が目に入ると、挑発的な笑みを向け、”どーよ”とばかりに腕の中の銀次を誇示してみせる。
寝室に運び、セミダブルベッドの奥に横たえると、バスローブの裾から剥き出しの白い両脚が太股まで露になって、かなりの目の毒だ。
やれやれ。
明日、カーテンと一緒に、パジャマもついでに買ってやらねば。
考えつつ、銀次の隣に自分も身を横たえる。
同時に、蛮の体温を探して、銀次がごそごそと無意識にくっつきに来、ぺたりとその胸に顔を埋めた。
それを愛おしむように見下ろし髪を撫でつけながら、蛮がくすぐったそうに笑む。
そういや昨夜は、ここでの初めての夜をくたくたになるまで堪能したが。
今夜は、いろいろ疲れた―。
さすがに眠い。
まあ、明日からずっと、ここで暮らしていくのだ。
今、がっつくこともないか―と睡魔との闘いを放棄して蛮が思う。
そして、腕の中ですうすうと可愛い寝息をたてて眠る銀次に、自分もまたどうしようもないくらいの充足感を覚えつつ、蛮も深い眠りへと落ちていった――。



つづく・・。







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やっと前置き終わったカンジ…。
ていうか、いきなり当たり前にマンション暮らししてる二人から書き始めたらよかったよーと、今更ながらに思ってみたりもするのですが、
またこの設定、別のお話でも使たいしーv
とにかく3はさらに新婚らぶらぶな予定ですv エロも軽く入れてみたいv



モドル