『Silence』
   4






全身が、がたがたと震えていた。
まさか、そんなはずはない。
有り得ることではない。
そう思うのに、自分の中の何かが、目の前にいるそれが紛れもなく、かつての自分の姿だと
教えている。

逆立った金色の短い髪に、険しく射るような金色の瞳。
悪魔の化身と恐れられていた頃の自分だ。
天子峰がここを出ていって、信じられるものが何1つなくなってしまった
孤独な化け物。


天子峰・・。
オレはもう『雷帝』にはなりたくない。
ただの人に戻りたいとそう言ったのに、天子峰はそれを許してはくれなかった。
ロウアータウンを守るためには、仕方がないのだと。
ここの人たちを守るために、おまえの闘いは果てしなく続くのだ。
殺さなければ殺される。そうして闘うのが運命なのだからと。
それを哀しく否定した翌日から、天子峰は銀次のもとに戻らなくなった。

闘うしかないのだ、心は捨てよう。
ただ、ここを守るために闘うのだ。
手段を選んでなどいられない。

そんな頃の目だ――
心の余裕もなく、敵と思われるものには情け容赦しなかった。
まだVOLTSもなく、ひたすら無秩序で混沌としていたロウアータウンを守るには、その方が
都合がよかったのかもしれない。

心は渇き果てた砂漠のようで、冷たい雨すら降らなかった。



バーチャルなのだ、現実に起こることじゃないと頭ではわかっているのに、心の動揺が収まらない。
ぴくりとも動けず、じっとそれを凝視したまま瞳を見開いていると、『雷帝』は、全身から恐ろしい
までの殺気をみなぎらせたまま、銀次の姿を透り抜けるような視線でその背後を見た。

さっきの黒い影のような男たちが、いつのまにか起き上がって凄まじいスピードで、こちらに走り
寄ってきているのが背中で感じられた。
狙いは、オレなのか?
それとも目の前にいる、”オレではない”雷帝なのか?
そう思った瞬間、『雷帝』の瞳の金色が怪しく揺らめき、血が滲むように少し赤みがかる。

「・・・・!」
マズイ!
そう思い、さっきまで敵だった男らに、命じるように叫んだ。


「やめろ! 引き返すんだ、雷撃が・・・!!」


叫びは、轟音に掻き消された。
雷がすぐそばに落ちたような、大地が裂けるほどの衝撃と振動があり、目の前をバリバリと稲妻
が駆け抜けていく。
それが『雷帝』の放った電撃のためだと知った時には、突っ込んだ黒い男たちのうち2人はもう、
影も形もなくなっていた。
大地に灼けつけられて、周辺には肉の焼け焦げた嫌な匂いが充満している。


「な、なんで・・・。なんで・・・・・・」

銀次の瞳が、大きく見開かれた。
立ちつくしたまま、その壮絶な光景にそれ以上言葉が出ない。
見開かれた瞳が、激しく震えた。
あまりのショックに、呆然自失状態になり、土の上に灼きついた人間だったのものの残骸を見る
なり、がくりと膝から力が抜けてその場にへたりこむ。
嘔吐感が襲ってき、銀次は口を両手で押さえてそれに堪えた。
苦しげに眉間に皺が寄せられて、涙が両眼を溢れた。


「ひどい・・・。ひどすぎるよ・・・」


あの男たちは、ただの情報屋でマクベスの包囲網に追い込まれてここに来ただけだ。
別に、誰かに危害を加えたわけじゃない。
情報を横取りされないために、自分らと戦おうとしている、ただそれだけのことだ。


「殺すこと・・・・殺すことなんか、なかったんだ・・! どうして・・!?」

自らに向かって悲鳴のように叫び、悔しげに唇を噛んだ。


「オレは・・・オレは・・・・・・・!」


座り込んだまま身体を預けた倒壊したビルの壁に、苦しげに頭を何度も何度も打ち付ける。
苦しくて、身体のあちこちから引き裂かれるように激痛がした。
割れた額から、血が流れてくる。
鮮血と涙が一緒になって、その頬を流れ落ちた。


「いったい、何てことを・・!」


なんてことをしてたんだろう。
これでは、本当にディアブロだ。
人たちに、畏怖を込めてそう呼ばれた。
その名の通りだ。
どんなに、この下層階のために闘おうと皆の命を守っていようとも、人たちは自分を恐れと怯え
の籠もった瞳で見るだけだった。
・・・・・・孤独だった。
だから尚のこと、闘うことで紛らわそうとしていたかもしれない。
ベルトラインの連中と同じく、ただ侵入者を狩って、その血に満たされていたかっただけかもしれ
ない。


「くそ・・・・・っ」

涙が頬を伝って、黒く灼けた地に落ちた。







ばかやろう・・・。
今のテメエは、違うだろ?




頭の中で、声が聞こえた。
同時に、右手がぐっと握り締められ、拳を固める。
戦えよと、そう言ってるかのように。


はっとなる。
そうだ。
過去の自分を悔やんで、
泣いてる場合じゃ、ない。
そうだよね・・・・?



「うん・・!」




何かに励まされるようにして立ち上がった途端、仲間を雷に灼かれた残りの男らが、それでも
怯まずに『雷帝』に拳を向けていくのが見えた。
それに冷たい一瞥をくれて、『雷帝』が静かに腕を上げる。
またあの”雷撃”がくる。
銀次が、体内で作り放出する電撃などとは比べものにならないくらい、天から真っ直ぐに落ちて
くる雷を、そのまま受けて撃ち出したような強力な、まさに”雷撃”。


「危ない・・!!」

とっさに身体が動いた。


これ以上、目の前で殺戮が行われるのは堪えられない。
しかも、殺戮を行っているのは、過去の自分だ。
確かにこんなことは現実には起こりうるはずのないことだから、無限城が見せる半仮想空間の
出来事であることだけは間違いないが、それでもこれはただのバーチャルじゃない。
紛れもなく、過去に起こった現実だ。
こんな風に、自分は殺戮を行っていたのだ、侵入者は危険だと決めつけて。
それを排除するためなら、容赦はせず。
力で、統制を行い、それから一時の平穏を勝ち取るために。

でも、それは間違っている。
そんなことで、何が変えられると思ったのか。
殺されないために、殺していい。
そんな理屈があるものか。


「やめろおぉおぉぉ――!!!」

黒い男らを庇うように前に出、『雷帝』の雷撃をまともに受けて跳ね飛ばされる。
それでも銀次は一回転して、ガッと足を地に踏ん張って衝撃を吸収し、それから、受けた雷撃
を返すように突進していく。


「なんで、殺した・・?! 殺すことなんかなかったんだー!!」


プラズマが、ドォン!と『雷帝』の立っていた大地に穴をあけた。
ひらりと跳び上がった『雷帝』が軽くそれをかわして、銀次に向かってくる。


オマエもか。死にたくなかったら、ここから消えろ


雷帝の怒りの如く、天から落ちてきた雷が、バリバリバリ・・・!!と大地を引き裂いた。
『雷帝』が放った雷撃を空中で受け止め、銀次がそれに自分の電撃を放って、はじかれて地に
落ちる。
体勢を立て直してすぐさま立つと、銀次はまた『雷帝』に向かっていった。
空中を稲妻が幾筋も走り、その中を凄まじい早さで飛び回り、銀次と『雷帝』の雷がぶつかり
あう。


「自分のテリトリーを守るためなら、どんな殺戮でも許されるのか!?」


立ち去れ、さもなくば


地面にひらりと降り立って、『雷帝』が腕を向ける。
バシッ!バシッ!と、空気が振動して光が交差した。


「力だけじゃ、何も本当の解決にはならないんだ!!」


消えろ


「なんでこうまで、する必要がある・・・? 殺さなくても、手だてはあるだろう!?」


殺さなければ、仲間が死ぬ。手だてはない


「そんなことはない!」


叫びとともに銀次の放った電撃を軽く片手で受けとめて、『雷帝』が手の中でさらに強い雷撃に
変えて撃ち放つ。
かろうじて、それを身体の前で両手で受けとめ、銀次がザッと片膝をついた。
それを見下ろして、『雷帝』が冷たく言い放つ。


ならば、なぜ、ここを出ていった。なぜ、1人でここから逃れたんだ


「・・・・!!」


雷撃を受けとめた以上の衝撃が、心にあった。
瞳を見開き、かつての自分を見上げる。

バーチャルの中にいた、天子峰にも以前に同じことを言われた。
その同じ言葉を、過去の自分の口からも聞くことになろうとは。
あんまりだ。
あれほど苦しんで、ここを出たのに。
決意するまで、心が血を流しているようなそんな日々を送ったのに。

頭の中が混乱する。
うまく自分の気持ちを、整然と並べ変えられない。
何もかも、自分に都合よく考えようとしているだけのように思えてしまう。


手だてがなく、仲間は死ぬ。そんなここに絶望して、何もかも捨てて逃げた。
そうではなかったのか?



「・・・・違う!」


ならば、1人でどうして逃げた!? 逃げて外の世界でラクになろうとした
おまえに、何が言えるというんだ!



「・・・・逃げたりしてない、逃げたんじゃない!」


毎日を楽しく笑ってオマエが過ごしている間にも、ここではヒトが死んでいく。
それから逃げ出したオマエに、何をエラそうに言えることがある・・・?!



「・・・・・・・・・オレは・・・!!」




確かにそうだ。
オレは、ここで誰かが死んでいく時も、外の世界で笑ってたんだ・・・・。

皆が明日の命もわからず、恐怖に震えている時に、蛮の隣で自分は笑っていた。


その報いが、これなのか――



「オレは・・・・」



戻れよ。本来の姿に。そうして思い出せ。ここの掟を
「本来の姿・・」
そうすれば、すべてうまくいく。オマエを捨てたあの男も。戻るかもしれない
「ちがう、オレの本来の姿は、コッチで・・・」
また逃げるのか?
「ちがう!!」
戻れ、苦しみを思い出せ、オマエに架せられた運命を・・





     闘いつづけるしかねえのさ、銀次。
     それが、オレたちの運命なんだ――







「うわあああああああ・・・・・・!!!」



叫びとともに、雷鳴が轟いた。
ゴオオオオォォ・・・・と地響きがし、次の瞬間、天から空をバリバリバリ!と裂いて落ちてきた
雷が、銀次の身体を貫いた。
シュウウウ・・と全身から、白い炎のような稲光が天を焦がすようにのびていく。



だめだ・・・。怒りが、身体中に満ちていく。
封印が、解けちゃったよ。蛮ちゃん・・。
もう、止められない、雷帝に。
元の自分に戻ってしまう。
目の前にいるアイツと同じに。



だけど、アイツを止めるのは、今のオレの力じゃ、どのみち無理だから。
100%雷帝に、
心を持たない戦闘本能だけの、化け物に・・・・。
ナるしかない。




(・・蛮ちゃん・・・ごめん・・・オレ、やっぱ、1人じゃ、無理だった・・・・。
もう、自分じゃどうしようもない。自分の力じゃ、もうきっと、『雷帝』から『オレ』には戻れない・・
戻れないよ・・・ 蛮・・・ちゃん・・・)




(それでいい・・・・? ううん、よくない、オレはナリたくなんかない・・・!
ずっと奪還屋で、蛮ちゃんの相棒で・・・いたいんだ・・・ でも、もう遅い・・・・・!)











「いよいよかな? しかし、バーチャルにしては凄まじいね、マクベス」
「現実と信じていれば、身体が受ける傷の負担や、攻撃の威力には何らリアルと変わりはない
からね・・」
「さすがのキミも、少し不安そうだね。おや、そろそろ雷帝光臨かな。さすがに早い。・・・今で
もう既に80%くらいの覚醒かな・・・? 83・・・・・85・・・・・・88,89,90,95・・・・98
・・・・・・・・」
「雷帝化への条件は、充分満たされていたから・・。それにしても嬉しそうだね、鏡クン」
「100%の雷帝を見るのは初めてだからね、観察のしがいがある」
巨大パネルと同時に、部屋に置かれた幾つものモニターを心配げに見つめていた卑弥呼が、
マクベスと鏡のやりとりに眉を顰めた。
「・・・・100%雷帝が観察できるってことは、即ちアンタの計画は失敗だったってことじゃないの、
マクベス?・・・・ねえ、どうでもいいけど、ちょっと・・・早すぎない? こんなので、蛮は間に合う
の?」
「そのはずですけどね、僕の計算に狂いがなければ」

「あと1%・・・」





「あと0.5%・・」

「ちょっと!! ヤバイんじゃないの!? 止めなさいよ、マクベス! このままじゃあ、アイツは」
卑弥呼が、切羽つまった声で叫んだ。
「おいマクベス、銀次が・・! 銀次がこのままじゃ、本当に戻れなくなっちまう!」
今まで黙って苦い想いでモニターの1つを睨むように見ていた士度も、マクベスに詰め寄った。
「・・・・・・・わかっている」
「わかってるんだったら、早く何とかしなさいよ!」
「マクベス、もう待てない・・! あの男はもう来ないんだ! だから、銀次さんを・・・!」
卑弥呼の声に、花月も叫んだ。






(・・・・もうオレの全身に『雷帝』が満ちている・・・ もう・・・・誰も止められない・・・よ)



髪が光を放った金色に逆立ち、全身から白い雷光が放たれ、琥珀の瞳が金色に輝き出す。
指の先でプラズマがはじけ、身体中に満ち満ちていく。
金色の瞳をなぞるように、微かに金赤がゆらりとその中に揺らめく。
これで、もう99.9%・・・・・
残り僅かでもう、完全なる『雷帝』に。







蛮・・・ちゃん・・・・ 


オレ、もう、これで、
2度と蛮ちゃんに、会えない・・・・・・・のかなあ・・・・?














待てよ。

右腕は、ちがうだろ?




(・・・・え・・・? ・・・・・み・・・ぎ・・・・・?)







それは、今、テメエのもんじゃねえだろ?






(オレ・・・・の・・・・・・じゃな・・・・い・・・・?)






だから、テメエは100%にはなれねえ。
わかるか?









(・・・・・・・・ナれな・・い・・・・・?・・・・)












「おかしいな・・・」

「え?」
マクベスがパネルを見上げ、親指を唇に当てるようにして呟いた。
「あと0.1%というところで、何かが足りない。いや、足りないのではなくて・・」
「足りないんじゃなくて?」
「何か・・・・違う力が・・」
「違う力って・・・・・・・あっ」
卑弥呼がはっとするなり、マクベスが全て解ったという顔して微かに笑みを浮かべ、両腕を組んだ。
「そうか、外からではなく内から来たか・・・。さすがに計算をさせてくれないね・・・」
「どういうことだい、マクベス?」

「鏡クン。観察はどうやら、ここまでになりそうだよ・・」













左の壁だ。
そっから真横に飛んで、地上から3m上を思いきり叩け!






間違えるな、右腕を使えよ!
壁に亀裂が入ったら、そこにテメエの電撃を思いっきりブッ込め。








(かべ・・・・?・・・・なんて・・・・ない。ここはロウアータウンの・・・・・・・)








さっさとしやがれ!! ずっと『雷帝』のままでいたいのか、このボケが ―!!!






あたり一面に轟いた怒声に銀次がはっと正気に返って、わけもわからず、夢中で跳び上がって
『壁』と言われた空間を右手で思いきり殴りつける。
どう見てもそこに壁はなく、ただの瓦礫の山が積み上げられただけの『風景』だったが、壁と信じ
て拳で思いきり叩くなり、ピシ・・・・!と亀裂が入った音と手応えがあった。




「そのまま電撃をたたき込め!」
「うん!!」




声のままに、壁に突っ込んだ右手の先から、力を込めて電撃を放つ。
途端に、バシイイィィッ!!と何かが壊れる派手な音がして、銀次はそのまま落下し、地面に
たたきつけられた。

「う・・・・」
衝撃に顔を顰めながらうっすらと目を開けると、倒れ伏しているところは既に地面ではなく、白い
床の上で。
見渡した下層階の街も、巨大な白い部屋に変わっていた。


そういや・・・。
あのドアは、巨大な部屋につながってるってカヅッちゃんが言ってたっけ・・?
今頃思い出した。
なんで、今まで忘れてたんだろう。


・・・・ってことは?
なんでオレ、あんなとこで、『オレ』と闘ってたんだろう・・・。
情報屋は・・・・どうなったんだっけ?
あれ? 
ってことは、あの黒づくめの情報屋ももしかしてバーチャル・・・?
じゃあ、オレは全部バーチャルの中で、1人でいったい何やってたの・・・?



床に倒れたまま、意識が朦朧となっていく。
ぼんやりとしていく意識の中で、右手から気配が消えていくのを感じた。



右手・・・?
そういや、
蛮ちゃんの、みたいだった。

蛮ちゃんの・・・・。
蛮ちゃんの、声が聞こえた。

ああ、そうだよ。
蛮ちゃんの声が、確かに聞こえた。
オレを、助けてくれた。


そっか。
オレ、
蛮ちゃんに助けてもらったんだ・・・。



眠ってても、オレのこと。
ちゃんと、見ててくれたんだね・・・・。







ゆっくりと気を失っていきながら、微笑んで小さく呼んだ。





「蛮ちゃん・・・・・・」
















「おうよ」




・・・・・・・・・・・・・えっ?








「蛮ちゃん・・?」

「んだよ」

「・・・・・・・あ・・・・」


確かに聞こえた声に、落ちていく意識をなんとか引き戻して、重くなっていた瞼をどうにかこじ開
ける。


「ったく、テメーはよ。なんでこうも何度も何度も、いとも簡単にパソコン小僧の作ったバーチャル
にひっかかるよ? っとーに学習能力がねー野郎だぜ」



「蛮ちゃん?」
やっとの思いで開いた銀次の瞳が、激しく震えた。

「おう」
はっきりしない視界に、少し前に立っている人影が見える。

「蛮ちゃん・・なの?」
「ああ」
その声に、両手を床について力を振り絞って俯せていた上体を持ち上げた。

「・・・ばーちゃる? じゃなくて?」
「バーチャルの装置は今、テメエがぶっ壊しただろ?」
それでも、また・・と思わずにはいられなくて、もう一度問い直す。
「本当に、蛮ちゃん?」
「しつけーな」
笑っているのが、わかった。

「・・・・・・・・・・」







「銀次」

「・・・・・・・・!」




自分の名を呼ばれるなり、胸の奥が熱くなった。

ずっとずっと、その声で呼んで欲しかった。
眠っている蛮に、無理と知りつつも、何度も何度もねだった。
一度でいいから、寝言でもいいよ、もう一回、オレの名前を呼んでよ、と。
でないと、オレは、自分が誰なのかわからなくなる、自信がなくなってしまう。
自分が確かに『天野銀次』だという、自信がなくなってしまう。
無限城に捨てられた時、自分が本当にこの名だったのか、それすら疑わしくなってしまうから。
だから、呼んでよ。
蛮ちゃんの声で、呼んでよと、眠っている蛮に取りすがって、泣くまいと唇を噛み締めた。

それが、なんだか逆に、随分と前のことに思える。

涙に揺れてぼやける視界に、蛮がいつものようにズボンのポケットに両手を突っ込んで、少し斜
に構えて立っているのが映る。
その手がポケットから出され、銀次を見下ろし、いつもの包み込むような笑みを浮かべて、
ゆっくりと右手を差し出した。





「来い、銀次」

「・・・・・・・ゃん・・っ!!」




呼ばれるなり、ふらつく足で立ち上がり駆け出していた。
そのまま床を蹴って、蛮の胸に真っ直ぐに飛びつくようにダイブする。




「蛮ちゃあああああぁぁぁ・・・・・・・ん!!!」






首にしがみついて、力強い腕に抱きとめられるなり、涙が両眼を溢れた。
大粒の涙が銀次の頬を伝い、蛮の肩を濡らす。
夢じゃないよね? 本当に蛮ちゃんだよね?
 と、そういいたいのに、とても言葉にならない。



「うわあぁぁぁぁあああ・・・・・・・っ」



コドモのように声を上げて大泣きして、蛮の手に背中をさすられ、またそれが嬉しくて号泣する。


「蛮ちゃん・・・!蛮ちゃん・・・蛮ちゃん・・・蛮ちゃん、蛮ちゃん・・・・蛮ちゃん・・・・っ」

何度も何度も呼ばれる名に、蛮がちょっと照れくさそうにしながらも、面倒くさがらずにそれに
「おうよ」とか「ああ」とか、笑いながら、一つ一つ返事を返す。
答えてほしかったのに、どんなに呼んでも答えてはくれなかったことの、つらさとか哀しさとか淋しさ
とか、今まで堪えてきたすべてが一気に銀次の心から溢れ出してきて、どうにも流れる涙がとめ
られない。
蛮は、それに付き合って、泣きじゃくる銀次の背中をずっとやさしく抱きしめていた。








「蛮・・・ よかった・・」
「おう、卑弥呼か」
白い部屋の壁にある扉の一つから、ふいに姿を出した卑弥呼がほっとしたような顔で近づいて
くる。
そして、蛮に抱きついたまま目を閉じて脱力している銀次を見て、呆れたように肩を竦めた。
「あれ・・・? 寝ちゃってる、コイツ」
「ああ・・・」
「安心したのね」
「パワー使いきった上、泣き疲れたんだろ。相変わらず、ガキみてーなヤツだ」
相変わらずの口調に、卑弥呼がちょっと笑みを浮かべる。
「よく言うわよ。だいたいアンタ、どうやって出てきたの? ずっとコイツといっしょにいたでしょ」
「お、テメエにしちゃ鋭いじゃねーか。まーもっとも、オレもどこで魂がコノヤローと同化したのか、
よくわかんねーんだけどな。気がついたら、コイツの中にいた」
「どうりで、追尾香の匂いがわかったワケだわね」
「ああ」
答える蛮に、卑弥呼がちょっと考え込むように腕を組んだ。
「・・・けどいったい、アンタいつから目が覚めてたの? マクベスの計算じゃ、目覚めるのは120
年後とかって」
「あ゛あ゛? あのガキの計算なんぞ信用してたのか? だいたい、あのヤローの計算はこの前
のIL奪還の時だってよ、とんだ計算ちがいでよー。ま、しょせん、パソコン好きの引きこもりボーヤ
の計算じゃあ、オレ様のことなぞ、なんもわかりゃしねーってコトさ」
「僕がどうしたって?」
卑弥呼の後に続くようにして、マクベスを先頭に士度、花月、十兵衛、雨流が近づいてくる。
マクベスと視線が合うと、蛮が二ヤリと笑って言った。
「いや。ま、結果オーライってコトよ」

「それにしても、よかった。銀次さんが無事で」
「あ? 絃使い。てめーもやっぱ最初っからグルだったのかよ?」
「そういう言い方はやめてくださいよ、美堂くん。僕は、貴方にかつての仲間を奪り還してもらった。
そのお礼にと奔走しただけなのですから」
花月の言葉を継ぐようにして、雨流が言う。
「美堂・・蛮。その節は世話になった」
「ああ、遠当ての兄ちゃんか。ったく、てめーのおかげでえれぇ目に遭ったぜ」
「貴様、そういう物言いは・・!」
「まあまあ、十兵衛。この人は、もともとこういう口の悪いヒトなんだから」
「しかし花月」
花月に肩を掴まれ、渋々といった顔で十兵衛が下がる。
雨流が、蛮の肩にもたれかかっている疲労しきった銀次の顔を見、少し苦しそうにそれを侘びた。
「とにかく、いろいろと悪かった。雷帝が気がついたら・・・・そう伝えてくれ」
「おうよ。ま、もう『雷帝』じゃねえけどな。・・・・っと、そーだ。猿回し」
「・・・おう、蛇野郎・・」
いきなり視線を合わされ、後ろ暗い所があるだけに、ぎょっとした顔で士度が答える。
「ま、テメーのおかげで目が覚めたよーなもんだしよ。一応、礼は言っとくぜ?」
「・・・・お・・おう」
「そんかわし、2度と余計なちょっかい出すんじゃねーぞ! 今度しやがったら間違げぇなく、この
右腕でテメエのその首へしおってやるからな・・!」
殺気の籠もった目で睨みつけ、”その分は貸しにしといてやらぁ”と凄みのある笑みを浮かべて
言う。
いつもなら、コドモの喧嘩のようなやりとりが延々続くのにと、間に立っていた卑弥呼がちょっと
不思議そうな顔で蛮と士度の顔を見比べる。
その肩の辺りを手の甲でトンと叩いて、蛮が言った。
「おい、卑弥呼、アレ出せって」
「え? アレって?」
「大方、絃使いにでも言われて持ってきてんだろ? 忘却香」
「え? なんで知ってんの」
「オレ様にわかんねーことなんぞねえっての。おら、さっさとよこせ。コイツが目覚まさねえうちに。
あ、言っとくけど、量は加減しろよ。ほんの1時間程度の記憶を消してくれりゃーそれでいい」
「やはり、そうするべきだよね・・。雷帝と・・かつての自分と闘った記憶は、銀次さんにとっては
過酷すぎるから」
重く沈みがちなマクベスの言葉に、蛮がそれを振り返る。
「ああ。けどテメーも、ハナっからそのつもりで卑弥呼をチームに入れたんだろ? オレの目を覚
まさせるためだったにしろ、相手がバーチャルにしろ、ちょっとキツすぎる体験だかんな。過去の
自分と向き合うのはよ。誰でも結構怖いもんだ。・・・違うか?」
「・・かなわないね。さすがに何でもお見通し、だな」
少し節目がちになって、マクベスが静かに答えた。
「僕も、銀次さんには自分を責めたりしてほしくはないと思っていた。だって、この人は、いつも
本当に正しかったんだから。そしてずっと、みんなのために、自分を犠牲にして戦ってくれてたん
だから」
それを見ながら、蛮が自分の肩にもたれかかるようにして眠っている銀次を、頭を手の中に抱く
ようにしながら支え、ゆっくりと床に降ろす。
卑弥呼が、スッとその顔の前を忘却香を横切らせた。
「んなもんか?」
「そうね」
「・・あんがとよ、卑弥呼」
「あら、あんたがそんな殊勝なこと言うなんて。なんか気持ち悪いわね。寝過ぎてボケちゃったの
?」
「・・相変わらず、口の悪ぃ女だなー そんなだから、男が出来ねーんだよ!」
「悪かったわねぇ、関係ないでしょ!!」
「うお、いってぇ!」
バキ!と殴られ仰け反る蛮を笑いながら横目で見て、卑弥呼がふいに真顔になる。
「・・・けど」
「あ?」
眠っている銀次の顔を見下ろし、ちょっと声を低くして卑弥呼が言った。
「コイツ、本当によくやってたわ。あんたが寝てる間・・・。1人でよくあんたの世話して、から元気
出して頑張ってた」
「・・・・そっか・・・」
答える声も、低くこもる。
「感謝した方がいいわ」
「・・・・わーってる・・」
蛮は、やさしい目をして銀次を見下ろすと、その身体を起こし、両腕を取って自分の背中へと
おぶさった。
「・・・・・!?」
あまりの軽さに驚いて、もう一度その顔を肩ごしに振り返り見る。
ふざけてしょっちゅう抱きつかれたり、おぶさられたりしていたから、数字の上だけではないだいたい
の身体の重さは知っていたはずだ。

いつのまに、こんなに痩せた・・?

そう思うと、胸が痛んだ。
食べることが嬉しそうで、あんなにいつも満面の笑顔で食べ物に食らいついていた銀次が、こんな
になるくらい食べることも出来なくなっていたのかと思うと、蛮の瞳の蒼が重く沈む。



そんなに、つれぇ想いをさせたのか・・?
オレは。テメエに。


なー、銀次。
また二人でたんまり稼いで、たっぷり腹いっぱいうまいもん食おうな・・。
な・・・?


心の中で、そっと呟いた。




「さて、帰るとすっか・・。ああ、とりあえずテメエらにゃ、いろいろ世話になったな。ま、借りはまた
そのうち返してやっからよ」
銀次を大事そうに背中におぶさり、その巨大な部屋を去っていこうとして、ふいに蛮が足を止めて
マクベスを振り返った。
「おっと、忘れるとこだった。おい、パソコン小僧」
「・・・・え・・・?」
「言っとくけど、オレらの取り分は二人で200万だかんな! 銀次の分だけなんて、ケチ抜かす
んじゃねえぞ! ったく、んな危険の多い仕事のわりにゃ報酬ケチりやがってよお。100万くれえ
じゃ、足らねーっての」
「・・・・な・・! こ、これはだいたい美堂クン、キミを呼び起こすためのイベントであって、仕事も
もちろんでっち上げ・・」
「で、すまされると思うなよ? こちとら時間と労力はたいてんだ、ビジネスでやってんだからよ!」
「い、いったい誰のために、こんな大掛かりなセットを作ったと思ってるんだ―!! だいたい、これ
だけのバーチャルの装置を作るのに幾らかかってると思ってるんだ! それを木っ端微塵に壊して
くれて! こっちから請求書を回したいくらいだよ・・!」
「んなもん、知るか! だいたい、それもよー。銀次を傷つけて泣かせたいとかいう、テメーのサド
心に忠実に作った趣味のバーチャルなんだろー? そんなくだらねえもんに払う金なぞ、こっちにゃ
ねえよ!」
「な、な、な、な・・・!!」
言うだけ言って、とっとと帰っていく蛮を指さしたまま、真っ赤になって言葉に詰まっているマクベス
に、卑弥呼がすかさずツッコむ。
「・・・・図星なの? アンタ・・・」
「こ、こ、この、守銭奴・・!」
「まったく相変わらず、お金には汚い人ですよね。美堂くんは・・」
「ていうか、ほんとに図星なの? マクベス」
「ま、まったく、本当に野蛮な男だよ! 美堂蛮という男は!」
「話をそらすな!」
「マクベス・・。テメーもオレと同じ穴のムジナか・・・」
「士度! キミのようなケダモノと一緒にしないでよね!」
「ケダモノたぁ、なんだ! 神聖な魔里人の一族を・・!」
「ところで士度。キミ、銀次さんに何かしたのかな・・?」
「え! い、いや、花月、オレは別に」
「じゃあ、オレたちは先に戻るか、筧」
「そうだな、雨流よ。これで一件落着したことだしな。久しぶりに手合わせを」
「ああ、そうだな」
「アンタら、まだ笑えないダジャレ合戦やってんの?」
「う・・」
「だいたいマクベスが」
「僕にふるんじゃない! キミこそ士度・・!」
「だから銀次さんに何をしたかと聞いているんだ!」
「や、やめろ花月! うわあああ」


「・・・・・あーあ、あほらし。相変わらず、ここのヤツらは変わってるわよねー。さ、アタシも帰ろう
っと」
すったもんだになっている無限城の面々を置いて、卑弥呼はとっととそこを抜け歩き出し、ふと、
その広い部屋の端の扉に消えていく蛮の背中を見送って、誰に言うでもなく心の中で小さく呟
いた。

(・・よかったね・・)




















銀次が、ゆっくりと目を開けると。
そこは、見慣れたホンキートンクのカウンターだった。
スツールに腰掛けたまま、カウンターに突っ伏して寝ていたらしい。
あれ・・・?
と、思いつつ、ぼんやりとした目で隣にいる人を見上げる。

「ああ、もう! そんなに急いで食うなって! 意地汚ねえなあ」
「んな事言ったってよ、波児! 何ヶ月もまともに飯食ってねえんだからよ、腹へってよー!」
「だからって、飯食うのか、煙草すうのか、コーヒー飲むのか順番にすりゃいいだろうが!」
「うるせえ! とにかく腹へって、ニコチン切れでキレそうになってるとこへ、そっちが目の前で美味
そうな匂いさせてコーヒーなんぞ煎れやがるから、こういうことにだなあ・・!」
「・・・・・・・・」
カウンターに突っ伏したままの状態で、目だけぼんやり開いて不思議そうに自分を見ている銀次
に気がつくと、蛮がやおらその頭をバシッとはたいた。
「いてっ」
「なーに見てやがんだよ!」
「何って・・・」
「あ、テメエも腹減ってんだろ? ほら、食え。波児の作ったピラフはうめえぜ。ツケじゃなくて、
オゴリだってえんだ。テメエもたらふく食っとけ、オラ」
「え・・・?」
目の前に差し出されたピラフののったスプーンに、銀次が目を丸くする。
なんだか・・・。
状況がよく掴めない。
ええっと・・。
オレ、無限城に行ってたんじゃなかったのかな・・。
蛮ちゃんが、ずっと寝たままで・・。
あ?
でも、起きてるね?
いつ起きたの?
てか、オレが寝てんかな。
夢見てんのかな。


そうだね、きっとこれが夢なんだ。
こんな夢、何度も見たから。


目が覚めた後、余計につらくて。
布団にもぐって、声を殺して泣いた。


また泣くの、嫌だけど。



でも、今日の夢は、すっごくリアルだ。
叩かれた頭が、ずきずき痛い。



蛮ちゃん、笑ってる。

と思った途端、顎を握力200の手にがっと掴まれた。

「だから、食えっての!」
「蛮、こら、無茶してやるなって!」
いきなり、スプーンが口の中に入ってくる。


ぐえ、何するんだよーもう・・・。
あ・・・・でも、おいし。


「おいしい、蛮ちゃん!」
「だろ? もっと食っていいぜ」
「ほんと? あーん」
「んだよ、何甘えてやがる」
「だって、スプーン、それっきゃないでしょ? はい、あーん」
「しょーがねえなあ。おら」


あはは、さすがに夢だけあるなあ、蛮ちゃんがやさしい。
赤ちゃんみたいに食べさせてもらっちゃった。
もっとー。とかねだると、ちょっと困った顔をしつつもまた口に入れてくれる。


「もっかい」
「ああ、もう面倒くせえ」
「ええ。もっと食べたいよお」
「だったら、自分で食えっての」
「ケチ」
「んなら、もう食うな! 残りは全部オレ様が食ってやる!」
「ええ、ずるいよお! オレにもちょーだいったら! ねえ!!」
「やんねーよ」
「蛮ちゃあん! よおし、蛮ちゃんがその気なら!」
「うわ、テメエ、スプーンに食らいつくんじゃねえ!」
「だって、くれないんだもーん」
「離せ、こらっテメエ!」
「やだー。くれるまで離さない!」
「んなろー! こら、口あけろ!」
「嫌だー、離さないってば」
「ぎーんじィ、テメエ!」
「離さない・・・・んだから・・」


「・・・・銀次・・・?」


スプーンに噛み付いたまま、突然に泣き顔になる銀次に、蛮が驚いたようにそれを見つめた。
ゆっくりと首を横に振りながら、銀次が言う。
離されたスプーンが床に落ちて、カシャン・・と小さな音をたてた。


「蛮ちゃん・・・オレ、もう目、さます・・・」
「ん?」
「蛮ちゃんとこうやって、ご飯取り合って食べて楽しいけど、夢からさめた時に、すごいつらいんだ・・。
だから、もう、起きるから・・・」
「何・・・言ってんだ、オマエ・・?」
「も・・・目、覚ましていい・・?」

「・・・・・・・・・!」

頬を伝っていく涙が、蛮の心を絞るように切なくさせる。
その涙を指先で拭ってやると、やめて・・と消え入りそうな声で言う。
やさしく、しないで。
つらいんだ。
目が覚めた時に、すっごく淋しくてつらいから。
だから、やさしくしないでよ、蛮ちゃん・・。



「蛮ちゃ・・ん」
「んだよ・・?」
そっと聞き返すと、つらそうに眉を寄せて目を閉じ、その閉じた瞼を震わせる。
「ば・・・ん・・・ちゃん・・・起き・・て・・・よぉ・・・・・もう・・・・オレ・・・これ以上・・・ひとりは嫌・・
・・だよぉ・・」
「銀次・・」
「ねえ、おねが・・・・いだか・・・ら」
「ばか・・・。オレは、ここにいんだろが・・・ ったく、オレの知らないうちに、こんなに痩せちまいや
がってよ・・」


オレのために、なんでそうまで?

思う、蛮の胸の中が熱い。
愛おしいとは、本当はこんな気持ちだったのか。
心の奥から沸き上がってくる温水のように、熱く、後から後から湧いて出てはそこに大きな溜まり
を作っていく。



「馬鹿野郎が・・・」

呟くように言って、手のひらで、指先で、溢れてくる涙を何度も拭ってやりながら、そっと腕の中に
銀次の身体を抱きしめる。
肩が激しく震えている。
怯えてるんだと、そう思った。
目の前の、ぬくもりが消えて無くなってしまうことに怯えている。
捨てられた記憶が、深いトラウマになっている銀次だからこそ、いつもそれを思い出さなくてすむ
ように、ずっとそばにいて大事にしてきたのに。
そんな銀次を自分が、不可抗力といえども、傷つけてしまったことがどうしようもなく苦しい。
それでも、その分、愛情はもっと心の深いとこに根ざした。
抜けようもない、深いところに、頑丈な根を張って。
そんな気がする。


「波児・・」
「ん?」
「オレは、どんくらい寝てた?」
「ああ・・。2ヶ月ちょっと・・ってとこか」
「そっか・・」
「コイツにゃ、永遠みたい長く感じられただろうぜ」


腕の中にしっかり抱いて、いつもしていたように金色の髪をくしゃくしゃと撫で、しゃくりあげる背中を
何度も何度も落ち着くまで宥めてやる。



「オレはここにいる・・。銀次。おまえのそばにいるじゃねーか・・」

「うん・・・。うん・・蛮ちゃん・・・」




「羨ましいねぇ・・」
「あ?」
「長く人間やってるが、オマエみたいに、そうまでにヒトに想われたことがねえもんでな・・。
ちと羨ましい」
「何言ってやがる」
「いいじゃねえか。ずっと1人で生きてきたオマエに、こんなに想ってくれるヤツができたんだ。
人生、捨てたもんじゃねえってことだな」
「・・・・・・・・・ああ」
「2ヶ月もつれえ思いしてきたんだ。そう簡単に、現実が信じられないのも仕方ねえって。気長
にやれや、蛮。こいつが落ち着くまで、奥、使ってていいからよ」
「・・・・すまねぇ、波児」




”寝かせてくらぁ”と銀次を腕の中に横抱きにして、奥の部屋へと運んでいく。
初めて入る部屋だが、さすがに2ヶ月もそこで寝ていただけに、妙に落ち着く気がした。
半分居眠っているような銀次の瞳が、ベッドにそっと横たえられて、ぼんやりと蛮を見る。


「蛮、ちゃん・・・?」
「おう・・」
「起きた・・の?」
「ああ」
「本当に?」
「テメエ、本当にしつけぇ」
言って、笑う。
銀次もつられるように、笑みを浮かべた。


きっと当分は、こんな会話がなされるのだろうな、と蛮は思った。
無限城での記憶の一部を忘却香で消されてしまったから尚のこと、現実の時間経過を縫い
合わせることが難しく、どうやって蛮が目覚めたかもしばらくは混乱したままだろう。
話してきかせるしかないか。
ゆっくりと時間をかけて。根気よく。
時間は、まあたっぷりある。
銀次が嫌がらない限りは、コイツのそばに一生いてやりたい、そんな夢みたいに思っていたことを
今、リアルに考えている自分がいるから。


「なんか・・・・変な感じ」
「あん?」

ずっと蛮が眠っていたベッドに横たわって布団をかけられ、そのベッドを背もたれ代わりにして床に
座り込み、煙草をふかしている蛮を見ながら銀次が笑った。
「ずっとね、ここに寝てたのは蛮ちゃんで、オレがそうやってベッドに凭れて蛮ちゃんを見てたから」
「ああ、そっか・・」
納得して振り向き、煙草の煙を遠ざけるようにして銀次の顔を覗き込む。
「気分は、どーよ?」
「うん、大丈夫」
「やせ我慢すんじゃねえって。身体、ガタガタだろ。当分、あんま無茶すんな。1人で無限城で
仕事して、テメエ頑張りすぎたんだよ」
「うん・・・」

おだやかに微笑んで、銀次がちょっと恥ずかしそうに布団の中から、おずおずと蛮に片手を差し
出した。
「あ?」
条件反射のようにそれに手を出し、そっと握ってやる。
とたんに、銀次がひどく嬉しそうに笑った。
「蛮ちゃんが、オレの手、握ってくれたぁ・・・」
「な、なんだよ! そ、そんな感動するようなことでもねえだろうが!」
「だって、寝てる間、ずっとそうして欲しかったんだもん。ぎゅって手握ってくれたりしたら、きっと、
もっとたくさんの勇気が出るのに、ってそう思ってたから」
目を細めて言う銀次に、蛮が照れたようにフイとそっぽを向くと、床に転がっていたジュースの空き
缶を見つけ、煙草を消してその中に吸い殻を捨てると、銀次に向き直った。
「つめろ」
「え?」
「ベッド、一個しかねーんだろ」
「う、うん」
でもオレは隣に布団敷いて寝てたよ?と言おうとしたけれど、蛮が横で寝てくれる気ならこんなに
嬉しいことはないから、それは黙っておくことにした。
ぴったりと身体を寄せ合い、一つ布団にくるまって、銀次はちょっと赤くなった。
「・・・んだよ、そんな顔すんじゃねーっての! コッチが恥ずかしくなるだろーが」
「あ、うん。えへへv」
枕に片肘をついて銀次を見下ろすようにする蛮に、いかにも『添い寝』してもらっているという体勢
の銀次が、照れまくって布団から顔半分だけ出して、上目使いに蛮を見上げる。
「オラ、もう寝ろ。こうしててやっから」
「・・・・蛮ちゃんは・・・? 蛮ちゃんも寝る・・?」
ちょっと不安そうな問いに、蛮がフッと笑った。
一回寝ると、また起きないんじゃあ・・とか、そんな心配をされているらしい。
まあ、もっともといえば、そうなのだが。
「オレはよ。もうたっぷり寝たから、ちっとも眠くはねーんだよ。オメエの方は、あんまし眠れなかった
んだろ」
「あ・・・・うん。でも」
「もう、どっこも行きゃしねえし、寝たまんまにもなりゃしねーから、安心してろ」
「・・・うん!」
こんな風に頷く時、銀次の瞳は一点の曇りもなく蛮を映している。
信じきった一途な瞳だ。
それを怖いと思ったこともあったけれど、今は素直に嬉しいと思う。


「蛮ちゃんの眼って、きれいだよねー」
「あ? なんだ、いきなり」
「ん。だって、目つぶってると見えないでしょ。オレ、ずっと空の色を見ながら、蛮ちゃんの瞳の色
思い出してた。けど、思ってたより、ずっと深い綺麗な色だったんだなあ・・って」
「銀次」
「声も、聞いたの、久しぶりなんだよね・・・ なんか、へへっv 変なカンジ。ずっと一緒にいたのに、
そんなことがすごく懐かしいとか思うよ?」
言って、甘えるように身を寄せてくる銀次が可愛い。
蛮の手が、そっと銀次の頭を自分の胸に抱き寄せた。
「眠っている間な・・・」
「うん・・?」
「ガキの頃からの夢を見てた。生まれてから今までの、よ」
「うん・・」
「自分で勝手に産み落としやがったくせに、オレを毛嫌いしてた母親のことやら、ドイツの・・・・。
ババアんちでのことやら・・・。死んだことにされて、マリーアと日本に来て、けど、そこもガキのくせに
1人飛び出して・・。ずっとその後1人で生きてた頃のことやら・・。自分の犯してきた罪の事やら
・・・」
「蛮ちゃん・・」
「この右手にかけたヤツらの夢も見た・・。夢の中で目が覚めると、オレの右手はいつも新しい血
にまみれてて・・。気が変になりそうだった・・。それから、邪馬人と・・。ったく、本当にろくでもねえ
人生で。よくこんなで生きてこれたなと、我ながら呆れ返った時に」
言いながら、少し身体を離して、片手でそっと銀次の頬にふれた。
「無限城で、テメエに出会った」
「・・・・蛮ちゃん・・」
「一緒に奪還屋やるようになって、毎日が、オレでもまだこんなに笑えたのかってぇぐれえ楽しくて
幸福で。・・・けど、どうせこれも夢なんだからよと思ったら、その夢から覚めたくなくなっちまった」
へっ、と照れたように笑う顔に、銀次が思わず顔を歪めて涙ぐむ。
「蛮ちゃん・・」
蛮がその新しく溢れてきた涙をそっと手のひらで拭って、深く生々しい傷痕が残っている唇に
そっと指の先でふれた。
「あ・・・」
電気が走ったようにびくりとするその肩を、腕を回して抱きしめて、蛮が低く囁くように言う。
「じっとしてろよ?」
「う・・ん」
蛮の顔がゆっくり近づけられ、銀次の裂けてまだ血のこびりついている唇を、獣が傷を癒すように、そっと舌を這わせて舐める。
熱い感触に、銀次の唇が震えた。
「蛮ちゃん・・・」
「眠ってても。・・・ちゃんと、テメエの叫びは聞こえたぜ?」
言って笑う蛮に、銀次がぽろぽろと大粒の涙をこぼして、蛮の首に腕を回してぎゅっとしがみつく。
「蛮ちゃん・・・!」
「銀次・・」
「オレ、淋しかったよ・・! すんごく淋しかった・・・! 蛮ちゃん・・・!」
「ああ・・」
「蛮ちゃああん・・っ」
しがみついてくる身体を、骨が折れそうなくらい力強く抱き返して、髪に顔を埋めるようにして、
蛮がその耳に睦言のようにそっと囁いた。




あんがとな・・。銀次。
もう、どっこも行きゃしねえ。
ずっと、テメエのそばにいてやっから。
だから、安心して、オレの隣で笑ってろ。

―――と。








 


それでもしばらくは、銀次は後遺症のように蛮につきまとい、じゃれつき、まとわりついて、
とにかく片時も離れようとはしなかった。
いちいち蛮をすることを見て、
「あー蛮ちゃんがご飯食べてるー」だの「煙草吸ってる!」だの、「笑った」「怒った」
「オレにゲンコした!」とうるさく感動して、蛮を辟易とさせ・・・。

「あーもう、うっせえ!! まとわりつくなっての!」
「だってえ、蛮ちゃあん」

HONKY TONKのカウンターがまたにぎやかになり、ツケもたまりにたまった頃。
二人はまた、車での生活に戻っていったのだった。



波児は、「やっと静かになる」とほっと胸を撫で下ろし、
とにもかくにも、二人が元気に出ていってくれたことに感謝をしつつ、
久しぶりに隅から隅までじっくりと読めるぞと、新聞を広げてほくそ笑んだ。






END






3にモドル
    GALLERYにモドル








や・・やっと終わりました・・。
読んでくださってありがとうございました。

リクくださった銀ようかんさま、こんなのでスミマセン〜!
少しでもリクにお答えできてたらシアワセなのですが・・v
でも、シリアスは書いててとっても楽しかったですv
また後ほど、更新ニッキででも言い訳させてくださ〜い。