海底から引き上げられるような感覚。
ああ、また眠りから覚めるのか。
今日も俺は生き永らえてる。
アイツを失っても。
俺は生きなきゃいけないらしい。
***
渇望
***
銀次が蛮の元を去ってから、10日間が過ぎようとしていた。銀次がいなくなってからというもの、蛮の生活は一変していた。食事も睡眠も極限まで取らないし、博打やふらりと街に出ることもなくなった。そのかわり、無謀なほど仕事に明け暮れた。一人では無理なような依頼。しかもヘヴンからではなく裏から仕入れた、闇の仕事だ。命の危険に晒されるギリギリのラインが、蛮の心を落ち着かせた。
戦っている時だけは忘れられる。
本気で命を奪い合っているときこそ、彼のことを考えずにすんだ。
どうして彼は消えたのか。
自分は本当に彼を好きだったのか…。
彼はどうだかわからないが、自分の気持ちは嘘ではなかった。愛しいと思ったし、守ってやりたいと思った。ずっと、片時も離れることはないと、どこかで安心を覚えていた。
今まで色々な人間と別れを経験してきた蛮なのだが、銀次とは離れないと、どこか信じていた。だから余計に辛い。
空虚感が襲い掛かる。
まだ、銀次に縋ろうというのか。
きっと、相手を必要としていたのは自分の方。
でも…失ってもなお求めている。
彼を。
彼がいないと駄目なのだ。
生きるのも死ぬのも、意味がない。
色々なことを思いながら歩いていたら、いつのまにか怪しい界隈に踏み込んでいたようだ。蛮の勘がこのあたりだと知らせる。依頼の品が近い。そして敵も。
「死ねええええ!」
廃墟の上から数十人飛び降りてくる。
あんなもの一つに大した人数を遣すものだ。ふわり、と一歩あとずさって最初の一撃をかわすと、右の拳を叩き込む。黒ずくめの男は断末魔のような叫び声を上げて、そのまま壁に叩きつけられ動かなくなった。蛮は群に走りこみ、次々と敵を倒す。
辺りに黒い塊がどんどん増えていく。
何をしているんだろう、と思う。
くだらない依頼を受け、くだらない争いをし、くだらない物を奪い返す。
あんなもの、本当は欲しくない。
本当に奪い返したいものは、あの金色だけなのに。
***
結局、大した敵はおらず、蛮はあっさりと依頼の品を奪還することができた。自分より格下の敵を、無情なまでも叩き伏せた。この手が赤に染まっていく様を、関心のない目で見つめる。別に今更、気にならない。
(あの人やアイツの…血に濡れたこの手。もう、俺には何も残っちゃいねぇんだから…)
綺麗な腕でなければ抱きしめられないような、特別な存在がないから。
だから、いくらでも…非道になれる。
『蛮ちゃん…』
空耳。だけど心にはっきりと届く声。
『蛮ちゃん』
自分に向かって無防備に微笑みかけられた。それだけで救われた。
なのに…。
「………俺は…」
まだ忘れられない。振り切れない。
心はまだ銀次を追いつづける。あの存在が自分を狂わせる。
求めて、求めて。
決して出ることの適わない砂漠に迷い込んだみたいだ。
自分たちは、お互いがなくてはならないものだった。…いや、今でもそうだ。離れていられるほど、軽い存在ではない。
こんなにも、惹きつけられて、焦がれて。
「………」
瞬間、ざわりと総毛だった。
(強ぇ…)
闇から、気配を感じる。先ほどまで相手をしていた輩とは、比べ物にならないほどの殺気。
姿を見せたのは細い体と長い髪を持った同い年ぐらいの青年。
見た目に騙される気はない。
「…誰だ。あのチンピラに雇われてるヤツか? ……いや、見たことある面だな」
「僕は、『雷帝』の関係者だとだけ言っておきます」
「……で、何の用だ」
「彼はあなたを追って無限城を出ました。僕たちに止める術はありませんでした。あの時、僕たちは彼がそれで幸せになるのならば…と思ったんです」
蛮は黙ったまま聞いていた。
記憶を探る。
確かにいた。雷帝の、銀次の側に守るように立っていた男だ。
「なのに。彼は行き場所を失った…。もう無限城へも戻ることもできない。あなたも元へも。…僕は許せない」
「あいつが勝手に出て行ったんだ。知るかよ」
「そうですか? そうやってあの人を追い詰めて。あなたは何も守れなかった。あの人の過去も未来も! あんな風にしたのはあなただ!」
「…だったら、どうだって言うんだ」
追い詰めて。
守れなくて。
自分が一番分かっていることだ。
だから他人から言われると、余計に思い知らされる。
「死んで頂きます。でないと、あの人はあなたを忘れられない」
耳元の鈴をひとつ手に持ち替えた。リン、と涼しげな音が鳴る。
(こうするのが…一番いいんです)
蛮も右手に力を込める。きっと、一撃で決まるだろう。手だれ同士の打ち合いとはそういうものだと経験が知っている。
(あなたは悲しむかも知れません。僕を恨むかもしれません。でも)
ぎゅっと鈴を握る手に力が入った。
(あなたが狂うよりマシです…)
『会いたい』
彼はそう言ったけれど。
会って、また戻って、どうなる?
どうせまた想いに悩まされて、心が喪失するだろう。
ならば原因がいなければ。
そうして全てをなかったことにすれば。
(あなたは戻ってくれますか…?)
二人の間が一気に迫った。
ガツンと衝撃を受けて、目を見張る。
蛮に仕掛けたはずの攻撃は目の前の人の腕に突き刺さっていて。
「…どうして……」
蛮が仕掛けた拳は寸前で止まっていた。
「ぎ…んじ……?」
そこにいたのは紛れもなく、銀次その人だった。
『融解』へ
End:2002/11/05