ふわり、と自分の腕の中に落ちてきた天使。
 離したくない。
 離れたくない。
 抱きしめたこの体が、自分ごと溶けてしまえばいいのに。



***

融解

***



「ぎ…んじ…」
 とっさに抱きしめた体は軽くて。蛮を庇って受けた傷からはドクドクと止まることのない血が流れ、地面を、蛮を、赤く染めていく。
「銀次…銀次…っ」
 生気の抜けた顔は青白く、腕の中の温かみが急激に失われていくのがわかる。
 突然のことに驚くことしかできず、ただただその体を抱きしめた。こんな場面には慣れているはずで、一刻も早く処置をしなければ事態は悪くなる一方だと知っているのに。
 なのに体が動かない。
 思考も停止する。
 この人が失われるのだけは絶対に避けたいのに。
 いなくなったら。
 もし、また愛する人を失ったら…いや、他の誰とも違うこの人を失ったら、自分はきっと崩壊する。求めて、彷徨って。暗闇しかない。
 あなただけいればいい。
 ここで。
 自分の側で。
 その柔らかい微笑みで。
 今はその笑みも見せず、輝く瞳も閉じられたまま。
「…美堂くん! 応急処置をしましょう。今なら助けられます」
 花月に肩を叩かれても、何も反応を返せなかった。
 どうして、どうして、とその言葉だけが頭を埋めた。
 花月はそっと、蛮の手を銀次から離そうと手をかけた。
「触るな」
「…しかし」
「触るな!」
 自分のだとでも言うように、蛮は銀次を抱え込んだ。
(もう…間に合わないかもしれない)
 花月は不安を覚えた。
 自分が繰り出した技は確実に銀次の急所を捉えていた。すぐに応急処置をしなかった銀次の体からは、血の気が失せている。出血が酷い。今までの経験から、助かるものと助からないものの区別ぐらいはつくのだ。…しかも、ここは無限城ではない。
 呆然とした表情で銀次を抱きしめて離さない蛮。
 見ていて辛いけれど、自分にはどうすることもできない。
 二人が、望んだことであれば。共にいたいということを。それが例え死であっても、自分たちは受け入れなければならない。歪んだ想いであっても、歪んだ愛であっても。
 それは、銀次が無限城から姿を消したその時から、覚悟してきたことだけれど。
 蛮がおもむろに銀次のシャツを引き裂いた。
 どす黒く濡れそぼった傷口に、手を当てる。そうしてぶつぶつと何かを呟いている蛮は、不気味で。
 気が触れてしまったのではないかと…。
 そう思ったその時。
「……っ!」
 花月が目を覆った。
 銀次の傷口に当てた蛮の手は、黄金に輝いていて、見る見るうちに傷口が閉じていく…。そして、徐々に銀次の顔にも赤みが戻ってくる。逆に蛮からは血の気がうせていくのがはっきりと見て取れた。しかし蛮は苦しそうに冷や汗を垂らしながらも、何かを唱えることを休めようとはしなかった。


 −−−…ババァに感謝するのは初めてかもしれねぇ…。
 銀次を…失っちゃいけねぇものを…助けられるんだから。


 −−−…蛮、蛮。
 よくお聞き。
 治療にしろ、蘇生にしろ、自分のエネルギーとなる生気を分けることになる。
 それがどれだけ大変なことか、お前にはわかるだろう?
 魔術は手法と手順が大切だ。
 それを破れば…自分に負担と跳ね返りがあることを重々覚えておおき。
 命を落とすことになる…。


 −−−命を。
 でもそれでもいい。
 俺は…俺の命なんざ惜しくねぇんだ。
 こいつがいない方が耐えられない…。
 耐えられないんだ。


「もう、もう大丈夫ですから! あなたが死んでしまいますよ!?」
 花月の声が遠くから聞こえる。
(ああ、自分は別に死んでも構わないんだから、放っておいてくれ)
 自分の生命力すべてを銀次へと注ぎ込む。紡ぐのは古い魔術。祖母が言ったように、手順の踏んでいない儀式は自分の命を削っていくのが分かる。でも止められない。絶対に助けたいのだ。この愛しい人を。
 どんどん意識が遠のいていく。
 しかし、自分の目で銀次の顔に生気が戻ったのを確認できてよかった。
 もう少し。
 もう少し…。
 自由の効かなくなった体を、銀次から無理矢理はがされた。力なく見上げると、それは花月で。
「もういいんです。銀次さんは大丈夫ですよ」
 涙を流しながら、ぎゅ、と腕を掴むから。
「そ…」
 そうか、と。
 呟いたはずの言葉は、空気に溶けて消えてしまった。


***


「あ…」
 胸が苦しくて、頬に涙を感じて目を覚ました。銀次はゆっくりと起き上がると、ここが見慣れた場所だと気付く。蛮と暮らした部屋。
 頬に感じた涙は自分のものだった。
「オレ…」
 あの時、どうしても気になって花月をつけて。
 蛮と花月、双方の攻撃にどちらも深く傷つくと思った瞬間、体が勝手に動いていた。
(蛮…ちゃん……)
 あの時感じた暖かい手は、絶対に彼のものだ。
「銀次さん」
「…カヅっちゃん…?」
 ドアのところに立ったまま、そこから入ってこようとはしなかった。
「あの…本当に、すみませんでした…僕が余計なことをしたばかりに。こんな…こんなことになるなんて…」
「こんな…? こんなことって…!? なに…」
 自分は花月の攻撃をまともにくらって。
 死ぬな、と思った。
 でも蛮を救えるならばそれでもいいかとも思った。
 なのに、自分はこうして生きていて、蛮が…いない。
「蛮ちゃんは…?」
 感じたぬくもりは、手の温かみだけだったのか?
「…………」
 体中に駆け巡った輝きは、蛮の…。
「答えろよ…」
 蛮の、彼の…生命力ではなかったのか…?
「答えろって言ってるだろう!」
 ビクリ! と花月の体が揺らいだ。そこに居たのは『天野銀次』ではなく『雷帝』その人。抗うことすら許されない。唯一無二の存在。
「………あの人は…こちらに」
「蛮ちゃん…ッ!」
 シーツを蹴落とすように勢いよくベッドを飛び出し、花月を押しやって隣の部屋へと入った。
 そこには毛布に横たえられた彼がいた。
 銀次はぺたりとその傍らに座り込む。
「…生きてはいます。…息はしている、と言った方がいいかもしれません。どうしても、起きる気配がなくて…」
 銀次はそっと蛮へと手を伸ばした。
 久しぶりに触れる髪。
 漆黒で、柔らかくて。
 白い頬。
 整った顔立ち。
 何もかも、懐かしくて。愛しさがこみ上げる。
 どうしてこの手を離したのだろう。
 どうしてこの手を離せたのだろう。
 そして結果がこれだ。
「蛮ちゃん…」
 ぽたり、と蛮の頬へ銀次の涙が流れ落ちた。
「ね…起きて…よ……? 蛮…ちゃ…」
 好きだったアメジストの瞳。
 固く閉じられて見えない。もう一度、その瞳で見つめて。
 自分だけを見て…?
「蛮ちゃん…、蛮ちゃん!」
 あなたがいなきゃ…全てに意味がない。こうして呼吸をすることも、血を流すことも、言葉を紡ぐことも、何の意味もなさない。
 自分を助けるために、彼が自らの命を削ったことが何となく銀次には分かっていた。体の中に暖かい感触が残っていて、それがいつも蛮が与えてくれていたものだと感じたから。
 蛮は、傍目に見ればただ眠っているだけのように見える。
 それなのに、不安が胸をついて。
 涙がとめどなく溢れ、周りがぼやけて形を無くしていく。
 全て、無くなってしまえばいい。あなたが戻ってくるなら、何もいらないから。早くその瞳で見て欲しい。
「…蛮…ちゃ……」
 ずっとそうして涙を流しながら蛮の名を呼ぶ銀次を見ていられなくて、花月はそっとマンションを出た。
 痛いほど二人の気持ちが分かって。
 離そうとしたのは、間違いだった。
 あの二人は同じ運命に絡まっている。
 いや、お互いが運命だったのだ。それを引き裂いたところで、どうにもならない。また引かれ合って、出会い、愛するのだろう。
「…助けて」
 自分の犯した愚かな罪。
 償えないのだろうか。
 花月は空を仰ぎ、傍に居てくれないかつての親友へと呟いた。


***


 …あれからどのぐらいの時間が経ったのだろう。
(……蛮ちゃん)
 蛮の呼吸は安定している。しかし、起きるどころか、身じろぎ一つしないのだ。
(………どうしたらいいの?)
 もう涙は枯れた。
 じっと見つめるだけ。自分には何も手段はない。
 …手段。
 蛮を、永遠に自分のものにしてしまおうか。
 そうすれば、あんな苦しむことはなかった。
 蛮に捨てられて…愛されなくなって。今、与えてくれる愛情も嘘ではないかと疑わなくてもいい。
 もし彼が自分だけを見てくれたら。
 自分しかいなければ。
(オレだけを…愛してくれる?)
 きっと蛮は許してくれる。
 この人の時間を止めて、自分も。
「……ふ…はは……あはは…!」
 自分はおかしくなってしまったのではないか?
 蛮を殺す? 殺して後を追う?
 馬鹿げている。
 結局、最後に思ったことはそれか。
 愛して欲しい、誰よりも、自分だけを…そんなことを考えすぎて。殺して相手を手に入れる? そんなの欺瞞だ。そんなものは、ただの自己満足ではないか。
 でも…一つだけは真実。
「嘘だよ。殺さない。…オレ、蛮ちゃんを愛してたのは本当だよ。きっと、もうこんな好きはないだろうな…」
 そっと蛮の頬に手を添えた。
「ごめんね。ごめんね…」
 最後にもう一度。あなたを感じてから、ここを去ろう。二度と出会わない、遠い遠いところへ。
 ゆっくりと触れるだけの口付けをする。
 あたたかい唇を覚えておけるように。
 あなたの全てを覚えておけるように。
 ふわり、と蛮から唇が離される。
 その時、蛮の頬に触れていた銀次の手を、ぬくもりが覆った。
「…ぎ…んじ…」
 銀次の目が見開かれる。
 先ほどまで閉じられていた瞳は、紫の色を取り戻していて、震えながらも銀次を抱きしめる。
 抱きしめるその腕は本物。
「蛮ちゃん…っ」
 銀次は蛮の体に縋りながら、泣くしか出来なかった。


***


 息もつけないキスをして。
 無言でお互いを貪りあった。
 どうして離れられると思ったのだろう。
 こんなに惹かれあっているのに…。
「ん…は…」
 角度を変えて、唇をまた重ねる。銀次の体を強く抱きしめ、シャツの裾から手を差し込み、直接肌を弄った。銀次の手も、蛮のシャツのボタンを外し、胸へと差し入れられた。鼓動が手を伝わる。それは生きている証拠で。二人とも、お互いの命を感じようとしていた。
「ふあ…っ」
 言葉がなくても伝わる想い。
 忙しなく互いが相手を感じようとする。
 銀次を一糸も纏わない姿にしてしまうと、横たわる自分の体に銀次を持ち上げた。蛮に跨る格好になった銀次は、後ろ手に蛮の欲望を衣服から解放する。深いキスをしながら、肌を重ねあった。
 まだ兆しの見えない蛮の陰茎を、やわやわと手のひらで扱く。指を絡め、先端を刺激するように愛撫してやると、どんどん力を持っていくのがわかった。
「んっ、あ…ァ…」
 甘い声が漏れる。
 銀次のソコはすでに立ち上がっていて、透明な滴を絶え間なく零していた。蛮は銀次と同じようにそこへと愛撫を加え、さらに追い立てていく。
 もう片方の手は自分の口元へとやり、指を1本1本舐め上げるように舌を這わせる。それを見ている銀次は欲情に駆られる。赤い舌が指を舐め上げる様子は、まるで自分の欲望を口でされるようだ。
「……あぁっ、……んぅ!」
 唾液で濡れそぼった指を、ゆっくりと後ろへと塗り込まれていく。長い間受け入れていなかった後ろは、かなり狭まっていて、蛮の指をなかなか受け入れない。
「痛いか…?」
 フルフルと首を振った。
 痛くてもいい。蛮を感じていたい。
 蛮は銀次の前をおもむろに激しく扱きはじめた。銀次の体がびくびくと跳ねた。唇からは絶えず吐息が漏れている。
「は…アッ、あん…やあ……」
 前への刺激で緊張が緩んだのか、固く閉じていた蕾が収縮をはじめる。そこへ蛮は2本の指で内部を侵していった。内部に侵入してしまうと、そこは熱く蛮の指を迎え入れて、もっと奥へと誘い込む。
 性急に銀次の感じるポイントを探り当てた。
「ア…!! あっ、あっ、ああ…。ん! ソ…コぉ…」
「銀次…」
「い、イイっ…ひゃ…う……っ」
 ぐちぐちと卑猥な音を立てて、そこを更に広げる。内壁を辿るように指先が銀次を翻弄していく。
 内部を荒らされるのと同じように、銀次は蛮を握る手を速めた。上下に動かされる手で、蛮のモノも絶頂へと追い詰められる。先走りで銀次の手はぐちゃぐちゃに濡れ、それが更に音をたてて銀次の心を奮い立たせた。
 ふいに蛮の手が銀次の手を掴み、そこから離れさせる。銀次の内部を弄っていた指も引き抜かれ。銀次は次に来る衝動を思い出し、ゴクリと喉を鳴らした。
 ぐ…と当てられる蛮の感触。
「…ん…!」
 両手で銀次の腰を掴み、自分の方へと落としていく。
 ゆっくりと蛮が内壁を押し分けて入ってくるが、痛みはなかった。それよりもやっと蛮を受け入れられた喜びで、体が震える。
「あああ……ッ!」
「銀次、銀次…」
「蛮ちゃ……」
 あとは二人、お互いを感じるだけ。
 ぬくもりを与え合い、命を感じて。
 指を絡め合い、離れていた隙間を埋めるように、体を重ねあった。


***


 あれから随分な時間、そうしていた。
 目が覚めると、今日は何日で、いま何時かもわからなかった。
 でも隣を見ると柔らかな金の髪が自分の胸へと埋められていて。ふっと笑みが漏れた。銀次は離れないというように、蛮へとしがみ付いていて。
「大丈夫。もう離さねぇよ…」
 お前が離せと、離れたいと、そう言ったとしても。
 もう二度とこの手から出してやらない。
 寂しさから彼が自暴自棄になって、全てを否定したとしても、自分だけは傍にいてあげる。全てをあなたにあげるから。
 どうか傍に居させて…。

 蛮は、その愛しい人の額にひとつ口付けを落とすと、自分もまた眠りへと誘われた。






End:2002/12/05

モドル