不安で、不安で。
誰にも縋れない。誰にも頼れない。
暖かいぬくもりが欲しいだけなのに。
それすら適わない。

***

雷鳴

***

 雨が降っていた。
 さらさらと霧雨のような透明な雨が、薄汚れた新宿の街を濡らしてゆく。
「…おい、そろそろ入れ。風邪ひくぞ」
 車内から蛮が声をかけた。蛮の唇からゆらりと紫煙が吐き出され、外気とまざってゆく。それを呆けたように見つめ、銀次は頷いた。
 しかし入ってくる様子はまるでない。
「……ったく!」
 おもむろに運転席を出ると、銀次の腕を掴み、助手席へと無理やり押し込む。自分も再び運転席に乗り込むと、後部座席から真新しいタオルを取って、しっとりと濡れた銀次の髪を優しく拭く。
「蛮ちゃん…」
「んなに落ち込むな。お前は今ちょーっとばかし調子が悪ぃだけなんだよ」
「でも…オレ、何も役に立てない…」
 銀次が無限城から外の世界に出て、数ヶ月。だんだんと馴染んではいるようだが、時折精神的に不安定になることがあった。
 雨が降りだすと、何かに怯えるようになる。
 それが奪還の仕事の最中であっても、いつもの喫茶店で楽しく過ごしていても。
 今日は運悪く仕事中に起こってしまった。電撃を出すどころか、体中がガタガタ震え、立っていることすら不安だというように。今回は蛮が上手くフォローに入って事なきを得たのだが、相棒であるのに役に立たない上に足をひっぱるなんて。
「蛮ちゃんに怪我させちゃって…オレ……」
「大丈夫だって。かすり傷だろ?」
 優しく頭を撫でる蛮の大きな手に、銀次の震えが伝わってくる。
 雨が強く降り出してきた。フロントガラスに大粒の雨が打ち付ける。
「……だ…」
「銀次?」
 遠くで雷鳴が聞こえる。
「嫌だ…こわい……」
「おい…」
「怖い、怖いよ…来ないで…っ」
 銀次の声が震える。
 大量の光が車内に降り注いだ瞬間、蛮は銀次を抱きしめていた。彼の震えを止めるように。強く。
「銀次…っ」


 出てこないで。
 もう誰も傷つけたくないんだ。
 大事な、大事な蛮ちゃんに。

 銀次は蛮の腕の中で小さく嗚咽を漏らしながら、涙を零した。

***

 夜が明けてみると、昨日の雨は嘘だったように快晴だった。
 その天気のように銀次は元気だった。何事もなかったように明るく振舞う。逆にそれが蛮の胸を痛めている。
 二人は遅い昼食を取るためにホンキートンクへと赴いた。
「うーっす。なんか軽いモン頼むわ。あとブルマン」
「オレ、オムライスー!」
 波児は「はいはい」と言いながら備え付けの小さな冷蔵庫を開ける。
「…っと、卵切らしてんの忘れてた。夏実ちゃん、ちょっと買ってきてくれないかな? ついでに牛乳と小麦粉と…」
 途切れることのない注文。しかも非力な女子高生にその量は到底持てないだろうと、誰もが簡単に推測できるぐらいに。
「波児さん、そんなに頼んじゃ夏実ちゃんがかわいそうだよー。オレも一緒に行ってくる!」
 そう言って、銀次は夏実と共に店を後にした。
 二人が出て行ってからしばらくして波児が蛮に向き合った。
「…で? 何か俺に話があるんだろ?」
 蛮の視線に気が付いていた波児は、わざと重い買い物を頼み、店内から銀次を追い払ったのだ。蛮はひとつため息をつくとコーヒーを一口飲んだ。
「……銀次のヤツ、『何か』に怯えてやがんだよ」
 昨日のことが頭をよぎる。別にたいした敵ではなかった。蛮一人でも一瞬で片がついただろう。しかし、敵の一人が銀次に襲いかかった。その時彼は例のごとく雨に呼び覚まされたように、『何か』に怯え始めたのだ。普段ならば電撃を叩き込んで終わりなのだが、震える両手からは何も出ない。体が硬直して避けることすらできなかった。
 対峙する二人の間に割って入ったのは蛮だった…。
「『何か』っていうか…きっと『以前の自分』なんだろうけどな」
「『雷帝』…か」
 こくり、と蛮が頷く。
 重い空気が二人を包んだ。
「…俺は見てきたわけじゃないから本当かどうかはわからないが、『雷帝』であった時の銀次はそれは酷いモンだったようだな……」
 ぽつりぽつりと波児が語った。
 雷帝であった銀次は孤独の長であったこと。
 仲間はいたが、決して打ち解ける間柄ではなかったこと。
 無限城を守るべき立場であったから、冷酷な行いもたくさんしてきたこと…。
「多分、その時の自分に戻るのが怖いんだろ。雨が降り雷が鳴ると、否が応でも自分の中の『もう一人』を感じ取ってしまうんじゃないか?」
「でもそれもあいつじゃねえかよ…。自分を否定して、後悔して生きていくってのか!? 全部含めてあいつを…っ」
「『幸せにしてあげたい』…か? まるで惚れてるみたいだな」
「……ッ!」
 そう…かもしれない。
 銀次は笑ってる方がいい。無邪気な笑顔で、何にでも楽しそうに話して欲しい。
 気付かず、そんな想いを抱いていた自分に驚く。
「波児、俺は」
「ただいまー!」
 けたたましい音と共に銀次と夏実が帰ってきた。
「あれ? 蛮ちゃんどうしたの? そんなに難しい顔して。ねー早くオムライス作ってー!」
「はいよ」
 銀次が蛮の隣にちょこんと座る。深刻な雰囲気の蛮と波児に不思議そうな顔をする。だが、銀次には二人の間のやり取りが分かるはずもなく。
 しばらくしてフライパンから心地いい音が聞こえてきた。
「波児」
「ん?」
「…かもしんねーな」
「……そっか」
 不思議なやりとりをする二人に、銀次はさらに不思議な顔をした。

***

 何をするあてがあるわけでもないので、夕方にはマンションに戻った。マンションといっても、築10年以上は経っているであろう2DKの部屋だ。
 ソファにどっかりと座り、テレビをつけると夕方のニュースで天気予報のコーナーが、ブラウン管に映し出される。 大型の台風が近づいているらしく、今夜は暴風雨になるため十分に気をつけるようにと、キャスターが視聴者に語りかけていた。
 どんなに大きな雲がくるのだろうか。台風とでもなれば計り知れないほどの雷が鳴ってもおかしくない。銀次は…それに耐えられるのだろうか。
 蛮はぼんやりと思った。
「ねー蛮ちゃん。台風ってどんなの?」
「テメーそんなのモンも知らねぇのかよ」
「だって…無限城は外の天気なんて関係なかったから」
 無限城。
 銀次が雷帝として暮らしていた場所…。
 今は自分がその時のように、冷酷な人間になることを恐れている。
 だが、また恐れる時間がやってくるのは目に見えていた。
「……怖い、か?」
 台風というものを知らない銀次も、迫ってきている気圧の塊を肌で感じるのだろう、少し不安げな顔をした。
「ちょっと…だけね」
 それでも強がって微笑む銀次に、昼間波児から言われたことを思い出していた。
  『まるで惚れてるみたいだな』
 あの時言ったことは本当だった。銀次には幸せに笑っていてほしい。それを守りたい。
 ……なぜ?
 気が付くと視線が彼を追っている。いつも気になってしまう。
 彼が自分の名前を口にすると、なんだか照れくさくて。
 彼が微笑んでくれると、こっちまで嬉しくなってしまう。
 何故なんて馬鹿げている。
 答えはひとつしかない。
「助けてやろうか?」
「え…?」
 銀次が答えを返す間もなく、蛮はそっと口付けた。
 ゆっくりと二人の体が離れる。
「蛮ちゃ…」
「嫌か?」
 黙って瞼を閉じたので、もう一度唇を重ねた。今度は銀次の柔らかい唇を舌で濡らし、吐息が漏れたところに侵入する。
「ん…」
 こんなキスは初めてなのだろうか、銀次はどうしていいのかわからないようで、ぎゅっと蛮のシャツにしがみ付いている。蛮は銀次の頬へ手を添えると、角度を深くし、もっと銀次の口内を味わう。
「は…あ…」
 歯列を舐め上げ、舌を絡めると、どちらからとも言えず淫猥な音が上がる。
 くちゅ…と鳴らし、開放された。
「テメーが望むなら、何も考えれねぇようにしてやる」
 返事をする代わりに、蛮の胸に顔を埋めた。

***

 寝室のカーテンは薄いものがかけられただけだ。さっきまで美しい夕闇が広がっていた窓の外も、今は暗雲が立ち込めている。もうすぐ雨も呼ぶのだろう。
 セミダブルのベッドに銀次の体を沈める。
 シャツの隙間から手をもぐりこませ、ピンク色の突起を弄る。
「あっ」
 感じるのか銀次の体がしなった。
 左手で乳首を優しく引っかいたり、摘んだりしながら器用に右手だけで下半身をむいてしまった。
 すでに立ち上がっている銀次の欲望を口にゆっくりと含むと、ジワリと苦い味が口内に広がる。
「蛮ちゃん…っ、ダメ、そんなっ」
「いいから、黙ってろ…」
 全体を口に含み、巧みに舌を使って裏を舐め上げる。気持ちがいいのか、銀次は蛮の髪に指を埋め、快感の声を漏らす。
 口内から開放し、指先を銀次のソレで湿らせると、おもむろに銀次の後ろの蕾へとあてがった。
「な…にするの…?」
 それには答えず、少し力を入れて、人差し指を差し込む。内壁が反発し、侵入したものを押し返そうとする。
「いた…いよ、蛮ちゃん…っ」
 再び蛮は銀次のモノに舌を這わせ始めた。舌先を割れ目にもぐりこませるようにすると、ドロリと液体が流れ出る。銀次が快感に力を緩めた隙に、指を奥まで差し込んだ。
「ああっ!」
 容赦なく内壁を弄られ、銀次は絶え間なく声を発する。蛮の骨ばった長い指が一点をついた瞬間、銀次の体がびくんとはじけた。
「イイか?」
「な、なになにっ。なんか…変…っ」
 もっとそこだけを弄ってやると、内壁が緩み、蛮の指を引き込むように動き出す。指を二本、三本と増やしても、もう痛みはないようだった。
 ぐちゅ、と音をたて、指を抜く。
 欲望を取り出し、銀次のそこへとあてがった。
「ひ…」
 これから起こることに恐怖が心を占めた。知らずと体が強張る。
 蛮は銀次の手のひらに自分のそれを重ねて、指を絡ませる。少しでも恐怖が除けるように。
「俺を信じろ。テメーの弱さも、過去も、全部俺が受けてやる。俺によっかかれよ…」
「…うん……。うん…蛮ちゃん…」
 ゆっくりと受け入れたことのない体に侵入する。銀次の口からは、苦しそうな声が漏れ、顔が苦痛にゆがむ。
「力抜け…」
 蛮の声が囁かれるが、体験したことのない痛みに、体が思うようにならない。
 蛮は萎えかけた銀次のものに指を絡めて、強弱をつけて扱いてやる。くびれの部分を人差し指でことさら弄ってやると、先端から透明な液体が一筋零れ落ちた。その快感に気を取られているのか、銀次の後ろの緊張が少し和らいだ。
 ズズっと入ってくる質量に耐えながらも、快感の声を上げる。
「やあっ…ばんちゃあん…っ。もっと、ゆっくり…ッ」
「できねえ…。も、俺も限界っ」
 無理やり全てを収めてしまうと、蛮は銀次の体を抱きしめた。
 二人とも荒い息を繰り返す。その間も蛮の手のひらは、腰のあたりをさまよう。
「だめ…蛮ちゃん、それ…」
「なんで」
「腰…触られるとぞくぞく…する…」
 恍惚とした表情でそんな言葉を言われれば、蛮も欲情し銀次の体内に収めた欲望がさらに膨らむ。
「ちょ、やだっ。キツ…いよ…」
「…テメー、煽りすぎ。もう我慢しねえぞ」
「え、あ、アアッ!!!」
 急に激しく腰を使い出した衝撃についていけない。絶えず嬌声が溢れ、我慢ができない。これが自分の声だと認識できないぐらいに、艶やかな声が発せられる。
 さっき見つけた銀次のいいところを探って腰を蠢かす。
「いやあっ!」
「ココ…かぁ?」
 ソコをしきりに攻めてやると、銀次はいやいやをするように首を左右に振った。生理的な涙が溢れ出し、シーツへ零れ落ちた。
「アっ。ああ…っ!! イ…イ、蛮ちゃ…そ…もっと…っ」
 銀次は快楽を追うので精一杯だ。体がふわふわとして、頭の中は真っ白だ。
 窓に激しい雨が打ち付けられていることも、先ほどからしきりに雷が鳴っていることも気付かないほどに。
「く…っ。あんま…締めんなよ…っ」
「あ、あんっ! も、もう…ダメ……アアア!!」
 一際高い声を上げて、銀次は蛮の手のひらに白濁した欲望を吐き出した。
「銀次…っ!」
 ひくひくと蠢く内壁に絶えられず、蛮も最奥に放った。
 ドクドクと、蛮の放ったものが体内に流れ込んでくる。
「は、ああっ、…うっ! ……はあ、は…あ」
 息も絶え絶えに銀次が腕を蛮へと差し伸べた。
「ね…蛮ちゃ…ん……はぁっ…あ…オレのこと…好き…?」
「…ああ。愛してる、銀次」
 にっこりと銀次が微笑む。
「オレも…好き…っ。あ、ああ、や、蛮ちゃ…」

 雷鳴が辺りを木霊した。


***

 もう雷が鳴っても自分に怯えなくてもいいんだ。
 『もう一人の自分』ごと温めてくれる人がいるから。
 何も怖くない。

 この手が自分を包む限り。



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End:2002/09/20