「Love&Battle」
2
「疲れましたか? 大分歩きましたからねえ」
「うん・・」
「よく頑張ってますよ、キミは。では、ご褒美に」
次第に足取りの重くなっている銀次に、赤屍が笑いかけ、ひょいとその身体を片腕で抱き上げた。
「わっ」
「これなら、楽でしょう」
「うんv ありがとう、あかばねさん」
「いえいえ、何のこれしき」
嬉しそうな赤屍と、嬉しそうな銀次に、蛮がちろりとそれを睨む。
そろそろ本気で肩がヤバイというのに、些細なこういう二人のやりとりに対して、だんだん本気で胸がじりじりしてきている自分に気付いて妙に苛立つ。
赤屍の肩にちょこんと置かれた小さな手に、言い様のない痛みが走った。
「おい、よこせよ」
「おや?」
100mも歩いたかどうかで、いきなり腕から銀次を奪い取った蛮に、赤屍があからさまに嫌な顔をしてそれを見た。
それを軽く無視して、蛮が不機嫌そうに、それでも笑って返す。
「いや、テメエもそろそろ疲れたんじゃねーかと思ってよ」
蛮に抱っこされるなり、赤屍の腕にいた時よりは明らかに緊張して、銀次が恥ずかしそうに頬を染めた。
「いえ、私は別に」
「そっかあ。ま、99%の雷帝とやりあったんだからよ。無理しねー方がいいぜ?」
にやりとして言う。
その言葉に片手でちょっと帽子を直し、そして、やっぱり赤屍もものの100mといかないうちに蛮の手からスイと銀次を抱き上げた。
「何すんだ、テメエ!」
「いや、そちらこそ。そろそろ限界なのではと思いましてねえ」
「オレは大丈夫だ! よこせ、オラ」
「あ、あの。ばんちゃん」
言うが早いか、蛮が赤屍の手からまた銀次を奪う。
「痩せ我慢はよくないと思いますがね?」
「わ・・・ あ、あかばねさん」
言うが早いか、またしても赤屍に銀次を取られ、蛮が心底ムッとする。
「だからよ、テメエもわかんねえ野郎だな!!」
「そちらこそ!」
無感情な赤屍らしからぬ物言いにも気づかず、自分の腕から銀次を離したくなくて、蛮がひったくるように銀次を抱き上げる。
「う・・・!」
そうするなり右肩に激痛が走り、蹲ろうとする直前にまた銀次を赤屍の手に奪われ、蛮が殺気立った目でそれを睨み上げた。
肩を押さえた指の間から、鮮血が溢れ出す。
「ばんちゃん・・」
「おう、大丈夫だ」
「でも・・」
「いいから、こっち来い。銀次」
裂いたシャツで傷口を縛り直して手を差し伸べると、銀次は小さく首を振った。
「いい・・・」
「いいって何だよ!」
「ぼく・・。歩く・・。降ろして、あかばねさん」
「私の方は、大丈夫ですよ、銀次クン」
「でも・・」
「銀次、こっち来いってんだよ!!」
「だって・・」
「銀次!!」
「うぇ・・・」
「おやおや」
「うえぇぇ・・・・ん」
「泣くな! なんでも泣きゃいいってもんじゃねえだろ!?」
蛮の怒声にびくっとする銀次を腕から降ろし、赤屍が、余裕のない蛮を前にしてフッと嘲笑する。
「やれやれ・・。貴方はどうしてそう、いたいけな子供を前にして威嚇的なのでしょうかねぇ。こんなに無垢で可愛いものを」
「へッ! オレぁ生憎、ぴーぴー泣くばっかりのガキは大嫌・・・・!」
・・・・すんでのところで飲み込んだ言葉の先を読んだのか、銀次は泣くのをやめ、その代わりにひどく哀しそうな瞳で蛮を見上げて、それから長い睫毛をそっと伏せた。
ぽろぽろと涙が頬を落ち、しゃくり上げる肩が小さく震えた。
蛮の胸がちくりと痛む。
くそ・・。何を言おうとした? オレは!
コイツが一番傷つく言葉を誰よりも知っているくせに、どうして。
この自分の苛立ちの理由も、自分でよくわかっているというのに。
何をこんなに1人で切羽詰まって、幼いコイツまで傷つけて。
蛮は、小さく舌打ちした。
自分のふがいなさに、むしょうに腹が立つ。
今、あのチビ銀次の頭の中がどんなことになってるのかを想像するのは困難だが、とりあえずは、自分と赤屍の名がわかる程度で、思考回路はきっと見てくれ通りの5さいのものなのだろう。
現状もよくわからない上に、これまでの記憶もないのだとすると、記憶喪失の5さいの少年相手に、自分は怒鳴りつけたり、睨み付けたりしていることになる。
・・・・そりゃあ、やさしくしてくれる赤屍の方になつくわな・・。
冷静に思い、とっととマクベスのとこに向かってILの奪還を・・なんて焦って考える事自体、無謀な話なのだと蛮はやっと理解した。
余裕でこの状況を楽しんでいる赤屍の方が、じりじりと焦って、しかも子供みたいな独占欲を剥き出しにしている蛮よりは、銀次にしてみれば余程安心なのだろう。
ガキは、そういうトコ、敏感だもんな・・。
その蛮の目が、通路の先を見て、突如ギッと鋭く光った。
ゆっくり、落ち込んでいる場合でもなさそうだ。
「おい、赤屍」
「ええ、お越しのようですね?」
赤屍が答えるなり、前方から百人近いワイヤードールの集団が現れた。
肩を庇いつつ、怯えたように身を竦ませる銀次を見る。
このチビを連れてのここの突破は、そうとう骨が折れそうだぜ・・・・。
と、蛮が思うのとほぼ同時に、赤屍が銀次を腕にひょいと抱き上げ、もう片方の手から数本のメスを取り出した。
そのままひらりとワイヤードールの間を突っ切っていくのを、顔色を変えて、慌てて蛮が追いかける。
赤屍の冷酷さと残忍さは、身をもって知っている。
その殺戮の様を間近で見せられたりしたら、幼い銀次がどうなるか・・・。
考えただけで、ぞっと心臓が凍りつきそうだ。
「あ、赤屍、待ちやがれ! 銀次にゃ・・!」
叫ぶなり、わかってますよという返事が返ってき、右手のメスを振り下ろしながら、赤屍が銀次をぽいと後方の蛮に向かって投げ渡す。
「うわあ!投げるなコラァ!」
慌てて左手で抱きとめて、傷ついた右手で闘いつつ、赤屍の通り過ぎた床を見る。
切り刻まれたかと思われたワイヤードールたちは、足下に気を失って転がっているだけだった。
(・・・・・赤屍が・・?)
人を殺さなかったのか?という疑問に、赤屍本人がクス・・と笑って答えた。
「銀次クンに、無駄な殺生はいけないと言われましたからねえ。ましてや、小さな子供の前で、血はよくありませんから・・」
言いながらも目にもとまらぬ早さで次々と敵と倒していく赤屍に、こんな状況下の今、この男が敵でないことを蛮は心から助かったと思った。
「く・・・っ」
たかがマクベスの操り人形相手にさえ、痛みが増していく肩が恨めしい。
「くそ・・・」
「ばんちゃん・・?」
左腕に抱っこされたまま、心配そうに見る銀次に「でーじょうぶだよ」と微笑みかけると、それでも自分が抱いているよりは・・と赤屍を呼び止める。
「おい。コイツ、頼む・・!」
また、荷物のようにぽーいと投げられて、素早く赤屍の腕に抱き取られ、銀次はその肩口で泣きそうな顔で蛮を見ていた。
へえ・・・。
んな心配そうな顔で、オレのこと見てくれんの初めてじゃねーの?
心の中で、蛮がこぼして口元に笑みを浮かべる。
思わず痛む肩を庇いつつ片膝をつき、それでも果敢に闘う蛮に、銀次が赤屍の肩から小さく叫んだ。
「ばん、ちゃああん! がんばって・・!」
「おうよ」
いつもの元気な声ではないが、幼いかわいい声で励まされるのも悪くはない。
蛮は不敵に笑みを浮かべると、一気に飛びかかってきた敵をその傷ついた右腕で一掃した。
「お見事ですねえ」
「てめえこそな」
お互いそう言って笑った頃には、既に敵は全て床に伏している状態だった。
「・・少し、休みましょうか」
「テメエに情けをかけてもらうほど、墜ちちゃいねーよ。とっとと先へ・・」
「いえ、美堂クンではなく、コチラの問題なのですが」
「あ゛?」
次から次へと襲いかかってくる敵の攻撃と、それと闘う赤屍と蛮の間を行ったり来たり放り投げられ、さすがに怖かったらしく、赤屍の肩で涙に濡れた顔でぐったりしている銀次に、蛮が思わず深々とため息をつく。
「・・・ま、しゃあねえか」
しかも闘いが一段落した今、ほっとしたのか眠そうに目をこすっている銀次の疲労を見ては、休むかという赤屍の提案に頷かざるを得ない。
まあ、ここで今さら先を急いでも、たぶんマクベスは自分たちが辿りつくまでは、何も行動を起こさないだろう。
そう信じて、蛮は少しでも安全に眠れそうな場所を探そうと、また薄暗い通路を歩き始めた。
「・・・ったくよー・・」
えれえ誤算だ。
まったく。
スチールの机と棚が無造作に置かれた、他には何もないがらんとした部屋の壁にもたれて窓から外を眺めると、青白い月がぼんやりと見えた。
どうやら、これで無限城に潜入して3日目の夜が来たらしい。
まあ肩の傷のこともあるし、あとの闘いに備えてここいらで仮眠も必要だろう。
銀次も雷帝化でエネルギーを使い果たし、こんな状態になっているのだし。
思いつつ、月明かりの下、赤屍のロングコートにくるまるようにして眠っている銀次を見る。
赤屍も、いつもの鍔の長い帽子を深々と被って壁を背に、本当に眠っているのかどうなのかは定かではないが、一応は仮眠をとっているようだ。
この男が眠るというのが、どうも想像がつきにくいが。
蛮も壁を背にしたまま少しでも眠ろうと目を閉じるが、どうにも肩の痛みで眠るどころではなさそうだ。
まあ、いいか別にと思いながら、寝入っている銀次のあどけない寝顔を見て、ふっと微笑む。
こんなことになるとは、確かに計算ちがいもはなはだしいが。
それでも、コイツが100%雷帝になってしまうのを止めてやれただけでも、それだけでも本当によかったと思う。
怒りにまかせて殺戮と破壊の限りを尽くした後で、はたと我に返ってその惨状を目の当たりにした時、自分の犯してしまったことに、銀次がどれほど深く嘆き傷つくかを想像しただけで、蛮の方が苦しくなってしまうから。
止めてやれてよかった。
そのためなら、肩の1つや2つ。
腕がちぎれようと、命がなくなろうと、少しも惜しいとは思わない。
コイツのためなら。
(けど、マジで死ぬわけにゃいかねーかんな。この馬鹿残して死んだりすりゃあ、何を暴走しやがるかわかったもんじゃねえし。やっぱ、オレがついててやらねーと)
いつ死んでもちっとも構やしねえと、恐れるものなど何1つなかった自分が、他人のために死なずにおこうと思っているのは何だかどこか滑稽だが。
”本当に欲しきもの、失いたくなきものある時には己が宿命の星座に・・・ ――”
なるほど、ババア。
一個ぐれえ、役にたつことをオレに教えやがれと思ったが、確かに役にはたったぜ。
ま、これ一個きりだろうけどよ。
もっとも、その「欲しきもの。失いたくなきもの」は、今、あんなに毛嫌いしてやがった赤屍のコートですやすや寝てやがるのが、ちょっとというか、かなりムカつくが。
まさか、ずっとこのままというわけではないだろうが、元に戻れるという確証があるわけでもない。
もし、このままだったら?
オレは、コイツを連れ帰って育てるのだろうか?
なんだか、このトシで子持ちたぁ、ぞっとしねえ話だが。
しかも、子連れの奪還屋じゃあ、仕事なんてどうするよ?
波児に仕事の間は預けて・・・。
いや、波児も店があるから(大して客なんていやがらねーけどよ)嫌がるかもな。
夏実かヘブンにでも、子守りのバイトを頼むか。
いや、それよか、学校とか行かせねえといけねえのか?
無限城にいる間は、そんなどころじゃなかっただろうが。
外に出たら、小学校ぐれえは行かせねえと、また字もロクに読めねえアホに育っちまう。
・・・なんてよ。
もし、それで、仮にオレがそうやって育てたとして。
元の銀次みてえに育つのだろうか。
あんな風に素直でお人好しで、やさしくて、自分のことより他人の心配ばっかしているような。
太陽みたいな笑顔で笑えるヤツに、オレなんかのそばで育つだろうか・・・?
・・いや、それより以前に。
オレとは来ないかもしれねえ。
オレより、コイツはずっと、赤屍の方になついている。
つまんねえやな・・・。
ずっと後ろからへばりついてきたヤツが、この世のどこを探してもいねえ。
なんてよ・・・。
蛮は冷たい壁を背に、ライターを点けて煙草に火を灯した。
ガラスのひび割れた窓から見える空に浮かぶ月は、凍えているかのように青ざめて見えた。
銀次は、夢を見ていた。
過去のとも、現在のともつかない夢。
それは過去の銀次が、まだ5、6歳の時に見た、まさに「現実」そのままだった。
「いやだ・・! まだ帰りたくないよぉ」
「銀次!」
「だって、てしみねさん・・! まだ暗くなってないもん、もっと遊びたい・・!」
「日の暮れが近づいたら夜はすぐなんだ、銀次」
「でも・・!」
ロウアータウンの中でも一番貧しい子らが住む、スラムのような薄汚れた一角の広場で、幼い子供らと遊んでいた銀次が迎えにきた天子峰の手を振り払おうともがいていた。
それを許さず、小さな手を引っ張って、天子峰は少し苛立ったように銀次を叱った。
「いいから来るんだ!」
銀次が、少しびくっ!として天子峰を見上げる。
「だって・・!」
「夜は危険だ。何度も言っただろう? 暗くなってから、もし、こんなところに子供がいたら・・・」
言いかけて、天子峰は言葉を切った。
確かに、夜はこの辺りは中層階の連中の恰好の狩り場になる。
こんな危険過ぎる場所に、とても幼い銀次をいつまでも遊ばせてはおけない。
だが・・。
それは、あの子たちにも言えることなのだ。
強引に銀次の手をひっぱるようにしながら天子峰が、ねぐらへと帰っていく自分たちを、ただぼんやりと見送る5,6人の子供たちの力のない視線に気づき、それを振り返って立ち止まる。
この子らに、親はない。
ベルトラインのヤツらに殺されたか、ここに捨てていかれたか。
理由はそれぞれあるのだろうが、子供たちだけで寄り添うようにここで暮らしている。
だから夕闇が近づいて、こうして大人の迎えが来る銀次を、心から羨んでいるのがわかる。
無感情に、ぽっかりと開いた生気の少ない瞳で、明日はもう遊べないかもしれないトモダチを、羨みつつ見送っているのだ。
「ねえ、てしみねさん・・! お願い、あとちょっとでいいの・・」
「・・・だめだ」
「だって、だって・・・!」
「明日、また遊べばいいだろう」
「明日は・・! 明日じゃ、だめ・・! 今日、遊びたいの! ねえ・・!!」
「行くぞ・・」
「・・・てしみねさん・・!」
子供たちから背を向けて歩き出し、手を引かれながら泣きじゃくる銀次を、苦しい想いで見下ろした。
”また明日”・・・か。
なんて、残酷な言葉だろう。
思いながら、何度も何度もトモダチの姿を振り返る銀次のその大きな瞳を溢れている涙に、天子峰は胸が締め付けられるような気がした。
無限城に捨てられていたこの子を拾って、どういうわけか自分の手元から離せなくなってしまった。
理由は自分でもよくわからない。
自分が育てようとそう決意した、というほどの強い思いがあったわけでもなかった。
なのに、気がつけばこうして、ずっとまるで保護者のように寄り添っている。
泣き虫で恐がりで、手がかかる子といえばそうなのだが、そばにいると、なんとも言えない光のような暖かさがあって・・。
それが、上との闘いに明け暮れる、殺伐とした心をやさしく癒してくれたから。
もっとも、食事を与え、寝床を与え、殺戮者から守ってやる以外は、何をしてやれば子供が喜ぶのかはよくわからなかった。
もっと抱きしめたり撫でてやったりと、たっぷり甘えさせる方法はあったのに、天子峰は幼い子供をどうやって甘えさてやればいいのかわからかったのだ。
ただ、心の中だけでは、過分なくらい過保護だったのだが・・。
ねぐらにしていた、廃墟ビルの3階の一室に戻って、食事を与えるなり銀次は遊び疲れたのか眠ってしまった。
その数時間後。
予想通り、子供たちの住むスラム地区は、ベルトラインのヤツらに狩られたのだ――
天子峰が駆けつけた時には、もう遅かった。
無造作に、まるで野良犬の死骸のように積み重ねられた幼い子供たちの亡骸が、そこにあっただけだった。
激しい怒りで、全身が震えた。
それでも、ここで殺されて、まだいいと、そう思わねばならない自分の無力さが呪わしかった。
さらわれて中層階まで運ばれれば、そこには死よりもつらい地獄が待っている。
死にたくても、死ぬことさえ許されないような、地獄が・・・。
「てしみねさん・・・・」
銀次の声に、ぎくりとしたように振り返る。
(着いてきたのか!? どうして!!)
「銀次・・! 見るな・・!!」
慌てて抱き寄せ、視界を自分の身体で遮った。
それでも、腕の中で全てを見てしまった銀次が、瞳を見開いたまま、ただガチガチと震えている。
こんな光景は、初めてじゃない。
むしろ、もう、見慣れるくらい、見てきたはずだ。
それでも。
その度、銀次はこうして激しく震え、その震えが収まると、喉が裂けるような声で泣いた。
そうして泣けることが、天子峰には救いに思えた。
身体よりも先に、心が死んでいる子供は、ここには大勢いたのだから。
「まだ・・・」
「・・・ん?」
「まだ、あそびたいって言ったのに・・・!」
「銀次・・?」
「まだ、あそびたかっ・・・たのに・・・もっと・・・・もっと・・・・・あそびたかった・・・のに・・・・まだ、帰りた・・くな・・・って・・・・言った・・・のに・・・!」
「銀次・・・」
「てしみねさんの・・・! ばかぁ・・・!」
「・・・・・ああ」
小さな手が拳をつくって、トンと天子峰の胸を叩いた。
もっと遊びたかった、あの子たちと。
せめて、日暮れまで。
明日はもう、たぶん会えないと、わかっていたから。
「ばかァ・・・ッ」
えっえっと泣きながら小さな両手の拳が、天子峰の胸をとん、とんと叩く。
「ああ・・・。オレが悪かったよ・・・。もっと叩け、銀次」
「ばか・・・・・バカ・・・ぁ・・・!!」
「知ってたんだな、お前も・・・・。そうか。そうだったか・・・」
叩きながら、大粒の涙が銀次の瞳を溢れ、子供たちの血が染み込んだ土の上に落ちていく。
「アぁ・・・・・ウ・・・・・・ウワアァアアァァァ・・・・・・!!」
「すまなかった・・銀次・・・」
慟哭というにふさわしい苦しい泣き声に、天子峰の大きな手が銀次の頭に置かれ、腕がそっと小さな肩を抱いた。
小さい子供がこんなふうに呻くように泣くなんて、ここはいったい、どれほど底のない地獄だろうか。
「ウワアアァァ・・・・・・・・・!」
「守ってやれなくて・・・すまなかった・・・・」
すまなかった、銀次・・・・・。
「おい・・・!」
「おい、銀次・・? おい!」
揺すぶられて、はっと銀次が目を覚ます。
ここは・・・?
どこに眠っていたのかと辺りを見回し、何か怖い気配はないかと身を竦ませる。
そして薄暗い部屋の中で、やっと自分を心配げに見下ろしている蒼いやさしい瞳に気づいた。
「・・・ばん・・・ちゃん・・?」
「どうしたよ・・・?」
気遣うようにやさしい声がして、指先が汗に濡れる額を拭ってくれる。
「なんか、やな夢でも見たか?」
んなとこで寝っからだぞ?と、ちょっとおどけて言われて後ろを見上げると長い鍔の帽子を深々と被って眠っている赤屍が目に入り、ちょっとどきっとする。
銀次は、起こさないようにそろっと、そのロングコートの下から這い出ると、ぶるっと小さい身を震わせた。
「どした? ん?」
自分の坐っていた場所に戻って、また壁を背にへたり込む蛮に、銀次がおそるおそるという感じでその側に歩み寄る。
それを、ちょっと困った顔で見、蛮がくすっと笑った。
「よっぽどオレは、テメエに嫌われてるらしーな?」
「え・・・?」
「別に、取って食いやしねぇぜ」
からかうように言われて、銀次がちょっと俯く。
それから、両手で自分の身体をぎゅっと抱くようにすると、突然、ぽろぽろと大粒の涙をこぼした。
「お・・おい!」
「・・・・・・・え・・っ・・・・・えっ・・」
「な、なんで泣くんだよ。おい。別に今はオレ、なーんも怒鳴ったりしてねえだろ?」
「う・・・ん・・・・ ふぇ・・・・・っ・・・・え・・・っ」
「泣くなってーの」
「ご、ごめんなさ・・・・・ う・・・・っ・・・えぇ・・・・」
「しゃーねえな・・・。よしよし・・・」
両手でこぼれ落ちてくる涙を拭いながらも、それを止めようとするのに止められず、困ったように自分を見る銀次に、蛮がやさしく笑いかけ、その頭を撫でてやる。
それから「来っか?」と腕を伸ばし、自分の膝の上へと小さな身体を抱き上げた。
ちょっと身を竦ませつつも、蛮の胸の広さとあたたかさに、銀次が次第に力を抜いて、甘えるように身体を寄せてくる。
泣きじゃくりながらも、両腕に抱かれてすっぽりと蛮の体温に包まれると、言い様のない安心感に満たされて、銀次はほっとしたように息をついた。
「どーしたよ・・?」
「・・・んだの・・」
「ん?」
「トモダチが、死んだの・・ みんな・・」
「え・・?」
小さな声に、蛮の表情が凍りつく。
「あしたもあそぼうね・・って約束して指きりするのに、次の日になると、その子はもういなくて・・・。毎日、毎日、夕暮れになると、だれかと指切りするのに、でも、やっぱりいつも遊べなくなるの・・・。ぼくは泣きながら、てしみねさんといっしょに、その子たちのお墓をつくって・・・。てしみねさんは、またそのうちトモダチが出来るさっていってくれるけど・・・・・。指切りの数だけ、お墓の数がふえていくだけなの・・・。小指に、まだ、あの子の指の感じがのこっているのに、なのに、もう、会えなくて・・・・」
「銀次・・・・」
「つよくならなくちゃ・・・。てしみねさんのせいじゃないから・・・・。ぼくもつよくならなくちゃって・・・・ そうおもうのに。ぼくはちっともつよくなれなくて、だれも助けられなくて・・・」
ぽろぽろと新たな涙がこぼれ落ちる。
蛮の手が、ぎゅっと強く震える銀次の身体をかき抱いた。
こういう時、かける言葉なんてないことは、身をもって知っている。
こんな壮絶な苦しみを、和らげる言葉など、何1つない。
せめて抱きしめて、一時でも傷の痛みを忘れられるくらい、癒せるだけの温もりを与えてやる。
それくらいしか、出来ない。
口惜しさに、蛮は思わずぐっと奥歯を噛み締めた。
まだこんなに幼い子供が、全身で耐え抜いてきた哀しみと苦しみを思うと、気が変になりそうだった。
「てしみね」と何度か銀次の口から聞いた、その名の男も。
幾度、無力感に苛まれながら、幼いこの身体を抱きしめたことだろう。
それでも。
オメエは、強ぇよ・・・。
銀次・・。
今、あんな風に笑えるんだからよ。
生きることに、失望したりもせず。
オレの隣で、太陽みたいに。
あったかく、笑ってやがるんだから。
だからこそ、惚れたんだけどな。
このオレが。
テメエに・・・・よ。
「あ・・・あの」
「ん?」
「ばんちゃん・・・?」
「おうよ?」
やっと泣きやんで、泣き疲れた顔で蛮の胸にもたれていた銀次が、横抱きに蛮の足の上に坐った状態のまま、ちらりと上目使いに蛮を見上げて言う。
「このまま、ここで眠っても・・・いい?」
ためらいがちに消え入りそうな声で聞かれて、蛮がちょっと驚いた顔で銀次を見下ろす。
「・・いいけど・・・・。オレの事、もう怖くねぇのかよ?」
大きな手で黒い髪を梳くようにしながら、やさしい声で蛮が訊く。
「うん・・・」
「そっか?」
「ただ・・・・ あの・・・」
「あ?」
「はずかしいの・・」
「・・・・・・・・・・・は? うわっちち!」
思わず、くわえたばかりの煙草をぽろっと銀次の上に落としそうになり、慌ててそれを手で受けとめて、蛮がわたわたしつつどうにかそれを消し、はあと肩で息をつく。
は。恥ずかしいって何だ?
今まで24時間年中無休で一緒にいといて、今さら恥ずかしいも何も・・・。
「あかばねさんには、そんなことないのに、ばんちゃんといると、なんだかここがどきどきして苦しくなるから」
言いつつ、ちょっと頬を赤らめて、左胸のあたりをTシャツの上から、きゅっと掴む。
そりゃあ、ダンナ。恋ですぜ?
・・・ってな。
いや、純真なココロを茶化してる場合じゃねえだろう?
そっか・・・。
なんだよ、そういうことだったのかよ。
別に、嫌われてるわけじゃあなかったのか。
考えて、ほっとしている自分がどうにも情けない。
「ばんちゃんは・・?」
「ん?」
「ぼくのこと、きらい・・?」
「・・・あ? なんでだ?」
「・・・・すぐ泣くから・・」
「・・・あのよー」
「・・・うん」
「ガキは別に、すぐ泣いていいんだ。泣くのがショーバイみてえなもんなんだからよ」
「しょーばい?」
「ええっと。だから、別にテメエに怒ってたわけじゃねーんだって。・・・ただよ、泣かれるとどーしていいかわかんなくて。オレが困るだけで、よ・・」
「・・・そうなの?」
「ああ」
「じゃあ。ぼくのコト、ちょっぴりくらいは・・・スキ?」
上目使いに頬を染めて言われると、ガキだと思ってても本気で照れる。
これが元の銀次だったら、照れ隠しにゲンコに蹴りのオマケまでもつけてやるとこだけど、ま、相手はガキだし。
嘘は、よくねーやな。
思いつつ、蛮が笑ってダイレクトにそれに答える。
「あ? ちょっぴりじゃなくて。イッパイ好きだけどな?」
言うなり、銀次が真っ赤になった。
恥ずかしそうに目をぱちぱちして、それから蛮の膝の上に乗り上げるようにして、首に両手を回してナイショごとのようにその耳に言う。
「ぼくも・・・。ばんちゃん、ダイスキv」
「おうよ・・」
「あっ・・」
「ん?」
「肩、いたい?」
「ああ、でーじょうぶだよ」
「本当?」
「おう」
「おまじないしてあげるね」
「おまじない?」
「うん! いたいの、いたいの、とんでけ〜」
蛮の傷口に両手をかざして一生懸命言う、その仕草がかわいい。
おまじないといえど、やさしい、それなりに念を込めたコトバの前には、アスクレピオスの呪文などちゃんちゃらおかしいぜと思いつつ、蛮がそれに笑って答える。
「あんがとな。なんかマジで、痛みがマシになった」
「よかったぁ」
本気で痛みがひいた気がして、なんだかそれも妙に嬉しい。
「おやおや・・・ 私が眠っている間に、すっかり仲良くおなりで・・」
「あかばねさんv あ、起こしちゃった? 眠れなかった?」
「いえ・・。よく眠れましたよ。ありがとう、銀次クン」
言って、ゆっくりと立ち上がり、帽子の裂け目からちらりと蛮と銀次を盗み見るようにする。
「さて・・・と。では、私は先にまいりましょう。そちらはまだお楽しみのようですし」
「あ゛? どういう意味だ、そりゃあ」
「あかばねさん?」
蛮の膝から降りて、とことこと赤屍に近づいていく銀次に、赤屍がコートのポケットから何かを取り出し、手を開いてそれを銀次に差し出した。
「おなか、すいたでしょう、銀次クン。あいにく、こんなものしか入っていませんでしたが・・」
「アメ?」
「どうぞv」
「わ、ありがとうv」
「お・・おい! テメエ、なんか毒でも入ってやしねえだろうな!」
「まさか。私がそんな無粋なものを、銀次クンに食べさせるワケがないじゃないですか」
だよな。
殺す時ぁ、毒じゃなくて、メスでばっさり行くってか。
妙に納得しつつも、おいしいvとアメをほおばる銀次を見る赤屍の眼に、少し嫌なものを感じて蛮が真意を探るようにそれを睨む。
赤屍はそんな視線をものともせず、美味しそうにアメを食べる銀次を満足げに見つめ、「では・・・」と部屋を出ていこうとする。
「あかばねさんは? 一緒にいかないの?」
「ええ、ちょっと。大事な用を思い出しましてねえ・・。先に行かせてもらいますよ」
言って部屋を出ていく赤屍を見送って、蛮がいぶかしむような表情になる。
いきなりどうした?
ジャッカルの野郎・・。
オレと銀次が仲良くやってるからって、それで面白くねえと拗ねるような、かわいらしい感情などよもや持ち合わせてやしないだろう?
と、すると――?
「・・・・・!?」
思った途端、近づいてくる殺気をよんで全てを理解した。
「銀次、危ねえ!!」
立ちつくしている銀次を腕に抱えて、床を転がる。
それとほぼ同時に、今まで背にしていた壁にピシィッ!と亀裂が走り、そこから鋭い刃先がドガアァッ!と壁を裂いて現れた。
「ここにいたか・・・! 美堂よォオオ・・!」
「ふ、不動・・!!」
「オレから逃げて、どこに行ったかと思ったぜぇ? ええ、美堂ォ〜」
ほとんど死人に近いくらい内蔵が砕かれた身体で、血をボトボトと床に落としながら、蛮を見つけた不動が嬉しげににやりと不気味な笑みを浮かべた。
そのギミックを振り上げる。
「では美堂クン。銀次クンをよろしく」
「赤屍ェ、てめえ・・!」
クス・・と笑いを漏らし、悠々と扉から出ていく赤屍に、蛮がちっと舌打ちし、自分の背に銀次をかくまう。
「銀次、下がってろ!」
「ばんちゃん・・!」
銀次の小さな悲鳴を合図に、ザッ!ザッ!と繰り出されてくる鋭い刃先に、肩の疼きが治まらりきっていない蛮が、それを紙一重でかわしつつも、劣勢を強いられ後退する。
しかも背後には銀次がいるため、それ以上、下がることもままならない。
「くそ・・・!」
血を滴らせながら腕を振り回す不動は、もうただの「美堂蛮を殺す」という欲だけの、バケモノに過ぎなかった。
死を恐れない殺戮者ほど、手に負えないものはない。
「ばんちゃん・・っ」
ザッとギミックの腕をかわして横に跳ぶなり、足を滑らせて転ぶ銀次の姿が見えた。
「銀次!」
慌ててそれを助けようと凄まじいスピードで壁を蹴って逆に跳び、銀次を抱いて床に転がる。
すんでの所で銀次がその刃に裂かれるのは防げたが、床に叩きつけられた右肩からは、ぱあっと鮮血が飛び散った。
そして、左手で思わず肩を庇った、その瞬間。
その僅かに出来た隙に、蛮の額めがけて不動の鋭い刃を持つギミックの腕が、眼にも止まらぬ速さで振り下ろされた。
「もらったあああああ!!」
しまった・・・!
そう思った瞬間。
それ以上に。
心臓が凍り付くような光景に、蛮は愕然とした。
銀次の小さな身体が、その蛮を庇うように、不動のギミックに飛びかかったのだ。
「ばんちゃあああぁあん・・・!!」
ぼくもつよくならなくちゃって・・・・
そうおもうのに。
ぼくはちっともつよくなれなくて、だれも助けられなくて・・・
だから、ばんちゃん。
ぼくはつよくなりたかったの・・・。
もっと、もっと、
つよくなりたかったの。
「銀次イィィイイ・・・・!!!」
蛮の叫びが、夜の無限城に響き渡った――
つづく。
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