LITTLE
ENVY
蛮ちゃんは言いました。 「お前はそんなモン知らなくていいんだよ」と。
でもオレは、知ってしまったのです。
「ちぃーっす」 「こんちはマスター!お仕事入ってないですか〜?」 いつものようにホンキートンクにやって来たオレ達に、返って来たのはいつもと違う返事。 「おう、珍しく来てるぞ、依頼人」 新聞越しに波児さんが促す、奥のボックス席。 スーツをビシッと決めた女の人がお辞儀してました。 「うわ〜キレイでカッコいいお姉さんだねぇ、蛮ちゃん〜」 オレがうっとりタレてる隣で、蛮ちゃんは瞬時に営業モードです。 「よーうこそGBジャパン新宿本社へ!ワタクシ代表取締役社長の美堂蛮でございます!」 「お、同じく副社長で営業…なんだっけ……と、とにかく天野銀次っス!」 「奪還率100%を誇ります当社へのご来訪、それも仲介屋抜きのダイレクト依頼!真にマコトにありがとうございます!」 「あ、ほぼですよ、ほぼ100%です〜」 「ほぼほぼ言うんじゃねえっつってんだろが!」 「だって蛮ちゃん営業にはセージツさが大事だって〜!」
「……ぷっ……あははははっ!」
突然店内に響く、はじけたような笑い声。 呆気に取られるオレ達の目の前、お姉さんが涙目をこすってます。 蛮ちゃんは何か気づいたように、ハッとしました。 「奪還屋さん始めたって聞いたんだけど、漫才屋さんの間違い?いい相方見つけたんじゃない?」 「…オマエ……」 「やっと気づいた?おっそいよ、蛮」 「 サラ」
サラと呼ばれたお姉さんはにっこり微笑んで、 蛮ちゃんは静かな眼で黙り込んで。 ふわり、とお姉さんのいい匂いが、ホンキートンクの空気をちょっと変えて。
いつもと違う、オレの知らない蛮ちゃんがそこにいたのです。
* *
「情報屋…サラさんが?」 「裏新宿有数の情報屋が一人だ。俺も彼女のネットワークはよく利用させてもらってる」 裏新宿きってのよろず屋・王波児がそう言うなら相当のやり手さんなのでしょう。 オレはカウンターから、ボックス席の二人をちらりと眺めました。
「久しぶり、蛮。元気だった?」 「…ああ」 「奪還屋ゲットバッカーズ、メンバー総入れ替えって聞いて調べてみたら…驚いたわよ。まさか邪眼の男、美堂蛮の名前が出てくるとはね」 「世間話に付き合ってられるほどヒマじゃねーんだよ。客として来たんならさっさとビジネスの話に移れや」 「そうね。名を継いだとは言えあなた達自身はまだ新人、売り込みに精を出さなきゃいけない多忙な時期だもんね?」 「イヤミに付き合う気もねぇんだがな?」 「ふふ、ゴメンゴメン……」
蛮ちゃんをからかうサラさんの横顔は楽しそうです。 そっぽ向いてる蛮ちゃんは、文句言いつつちゃんと相手しています。 本当にイヤなら最初から相手なんかしない、蛮ちゃんはそういう人です。 だから口で言うほど、蛮ちゃんが彼女を嫌がってないのはわかるのですが。 「うーん。蛮ちゃんとサラさん、どーいう関係なんだろ…」 「さぁなぁ。蛮がお前とつるむ前、一時彼女のとこに転がり込んでたっては聞いたが」 コーヒーを淹れながらマスターは言いました。 「それって『同棲』、っていうやつ?」 「そこまで深い仲でもなかったみたいだがな。蛮も一ヶ月足らずで出てったって話だし」 「蛮ちゃんから聞いたの?」 「いや、サラちゃんからだ。蛮から彼女の話を聞いたことはないな」 「ふーん…」 オレもないです。 オレ達はあんまり過去の話をしないし、訊いたりもしません。 お互いそうしようと約束した訳じゃなく、自然とそうなってました。 過去より「今」。 今の蛮ちゃんがオレには大事です。 蛮ちゃんがどう思ってるかはわかりませんが、少なくともオレはそうです。
『ちょっとあっち行ってろや、銀次』
蛮ちゃんはそう言って、サラさんの向かいに座りました。 オレがいない方が話しやすいのでしょう。蛮ちゃんにもいろいろ事情があるのだと思います。 それはいいのですが蛮ちゃん、サラさんの話ちゃんと聞いてますか? そっぽ向いたまま煙草吹かしてるなんて、依頼人さんに失礼ですよ?
「 断る。んな依頼受けれねーよ」
蛮ちゃんはひらりと席を降りると、すたすたとドアの方へ歩き出しました。 オレの座ってるスツールをひょいと回しながら。 「んあ〜眼が回るぅ〜、ちょっとオモシロイけど蛮ちゃぁん〜?」 「受けてくれないの、蛮?」 オレが訊く前にサラさんが言いました。 「俺を雇いたきゃ真っ当にビジネスの話を持ってくるんだな」 「あら、受け継いだのはその名前だけ?」 くるくる回るオレの視界、交互に入れ替わる蛮ちゃんの背中とサラさんの微笑み。 「奪られたものは奪り還す、奪還屋を名乗る以上その信条も継いだはずよね?」 「奪られたと思ってねぇよ。 『俺』は」
あれ? 依頼人はサラさんなのに、奪られたのは蛮ちゃん? でも蛮ちゃんは奪られたって思ってない? あれれ?
カランカラン……。 店内に響くベルの音。 スツールの回転が止むと同時に蛮ちゃんは出て行ってしまいました。
「あーあ、フラれちゃった」 さほど気にしてない風に、サラさんは軽く伸びをしました。 「マスター、お代わり頂ける?」 「はいよ」 「あ、オレ持って行きます〜」 マスターからトレイを受け取って、オレはサラさんの席に向かいました。 依頼を蹴ってしまった蛮ちゃんのフォローは、相棒のオレの役目ですから。 「ハイ、どうぞ。蛮ちゃん…じゃなかった、ウチの社長が大変シツレーしまして……」 「いいのよ。あなたが天野銀次君…無限城の雷帝ね?」 「は、はい!でももう雷帝じゃなくて、奪還屋ゲットバッカーズです!」 「じゃあゲットバッカーズとして覚えておくわ。改めて、情報屋のサラです。よろしくごひいきにね、銀次君?」 「はい〜…」 名刺を頂きつつ、オレは思わずまたタレました。 間近でにっこり微笑むサラさんは、やっぱりとってもキレイでうっとりです。 こんな人と一緒に暮らしてたことがあるなんて、蛮ちゃん、僕はあなたがちょっとうらやましいですよ? 「ところで銀次君、パートナーを追っかけなくていいの?」 「あ、大丈夫です!オレに声掛けないで出てったのは、すぐ戻って来るってコトですから!…あ、パチンコだとすぐじゃないかも……」 「そっか、よくわかってるのね。蛮のこと」 「…?」
コーヒーを飲むサラさんの、表情が変わりました。 笑顔は同じだけど、眼が。 さっき蛮ちゃんがサラさんに見せたのと同じ、静かな色。 蛮ちゃんとサラさん。お互いにどんな気持ちなんだろう。 このままサラさんの依頼を断ってしまって、本当にいいのでしょうか。
「あの、サラさん…依頼内容は何なんですか?」 そろそろと訊いたら、サラさんはちょっと眉根を寄せて、 「うーん…ごめんね?それは言えないの」 「え?」
残りのコーヒーを飲み干して、サラさんは席を立ちました。 さらりと揺れる髪と、ふわりと漂ういい匂い。 ぽかんとするオレに、サラさんは言いました。
「ゲットバッカーズじゃない、蛮個人に依頼したかったから。だからパートナーの君にも教えられない。ごめんね」
チクリ。
…なんだろう。 オレの胸に、小さなトゲが刺さったような気がしました。
* *
「 ケッ。そんなこと言ってたのかよ、サラの奴」 「うん…」
夕焼けに染まる廃ビル。 建設途中で棄てられたそこが、今のオレ達のネグラです。 ガラスのない窓の風や、むき出しのコンクリートはちょっと冷たいですが、 「へへ、蛮ちゃん」 「あんだよ、何甘えてやがる」 「だってこうしてればあったかいでしょ?」 「…ふん」 抱きつくオレにブツブツ言いながらも、好きなようにさせてくれます。 「アイツのこたぁ気にすんな。どうせ引き受ける気なんざねーからよ」 蛮ちゃんがオレのポケットからサラさんの名刺を取り出したと思ったら、
ぐしゃ。 止める間もなく、蛇咬の右手で握り潰してしまいました。 蛇の牙みたいにギラリと光る、シルバーの指輪。 「何してんの蛮ちゃん!もったいないよ、返してよ」 オレは慌てて名刺を奪り返しました。 「もったいなかねーだろ。連絡なんかしねーんだし」 「だって情報屋さんだよ?サラさんにもヨロシクって言われたし」 「俺らにゃよろず屋王波児がバックに居んだろが。サラが持ってるネタなんざ、波児を介せばいくらでも手に入んだ。必要ねーよ」 「だってサラさんキレイだしいい匂いだし〜」 「…テメーなあ…」 結局目当てはソッチかよ、と呆れる蛮ちゃんを他所に、オレは丸まった名刺を広げました。 大分よれよれになっちゃいましたが、良かった、字はちゃんと読めます。 「S…A…RA、H……お店の名前?」 「バッカ、それでサラって読むんだよ。セラとかセアラっても読めるがな」 「ふーん、その呼び方もキレイだねぇ」 「ま、SARAHの起源はヘブライ語のサーラー…『PRINCESS』の意だがな」 「それはわかる!王女様だよね」 「ほー、よくわかったな。ついでに英語のプリンセスには女王って意味もあるぜ。覚えときな」 蛮ちゃんに褒められました。嬉しいです。覚えてられるかどうかはわかんないですが。 「更にテメーにゃわかんねえだろうが、旧約聖書に出てくるSARAHの元の名は『SARAI』…」 「さらい?それもヘブ…ナントカ語が由来?」 「ああ、『CONTENTIOUS』…争い好き議論好き、戦いを好む女…いろんな意味があらぁ」 「ふえ〜…さっすが蛮ちゃん!サラさんの名前一つでそんなにたくさん知ってるんだ」 「……。ちょいと喋りが過ぎたな。忘れろ」
あれ。どうしたのでしょう。 オレも褒めたつもりなのに、蛮ちゃんは嬉しくなさそうです。 これ以上サラさんのことを話したくないと言ってるみたいに。
「蛮ちゃん、サラさんのコト嫌いなの?」 「嫌いも何もあるかよ…あんな実体のねぇ女」 「へ?」 「サラ、サーラー、セラ、サライ……あいつは複数の名を使い分けてんのさ。情報屋サラは裏新宿での通り名、他所に行けば全く違う顔と名を持つ別人に変わる…」 「…何でそんなコトするの?」 「色んな業界に潜り込んで情報を得るっつうのが建前、本音は アイツの趣味だ」
ピン。 蛮ちゃんの指が名刺を弾いて、床に飛ばしてしまいました。
「あーもう、何すんだよ蛮ちゃんたら……、……蛮ちゃん?」 拾おうと離れたオレを引き寄せて、蛮ちゃんは両腕でオレをぎゅっと抱きしめました。 足の間に挟まれて身動き取れません。 肩に顎を乗っけられて、蛮ちゃんの顔も見えません。 「複数の顔を使い分けて、捕らえどころのねぇテメーを演じて、そのクセ相手のコトは捕らえたがる……嫌な女だよ」 「…それって、サラさんの 」
言い終わる前に、蛮ちゃんはオレの口を塞いでしまいました。 煙草の味の唇で。
「きゅ〜……」 初めてではないですが、蛮ちゃんにちゅーされると、酔っ払ったみたいにぼーっとしてしまいます。 「外国育ちでキスは挨拶」な蛮ちゃんはいつも平然としてます。 オレは蛮ちゃんにくったり寄りかかりました。 蛮ちゃんの温もりはとっても気持ちいいです。大好きです。 唇と同じ、シャツに染み付く煙草の苦い匂いも。
そういえば。
「サラさんの匂いは、甘かったなぁ……」 「…香水の匂いだろ。アイツがつけてるのは『ENVY』……」 「えんう”ぃー?何てイミ?」
「 『嫉妬』」
呟く蛮ちゃんの眼はまた静かで。 きっとサラさんを思ってて。 その眼はオレを見てくれなくて。
チクリ。 胸のトゲが、またちょっと痛みました。
それから少し経った頃。
「お仕事入ってないですか〜?」 「入ってないですよ〜?」 「あ、サラさんだ!こんちはー」 今度はかわいいワンピースのサラさんが、ホンキートンクのカウンターに居ました。
「サラさん今日はかわいいね!」 「今日『は』?前はかわいくなかった?」 「前はカッコよかったのです。前も今日もキレイなのは一緒なのです」 「あら、上手いわねー。どっかの無愛想な相棒とは大違い」 オレとサラさんがニコニコしてる隣で、蛮ちゃんは眉間にシワです。 「また来やがったのか、サラ?何度来ようが依頼は受けねぇぞ」 「今日はマスターのお客として来たんでーす。それもダメなんて言わない下さーい」
これが「複数の顔を使い分けてる」と言うことでしょうか。 サラさんの喋り方や仕草も、服と一緒にどこかかわいくなってます。 ムリしてる風じゃない、とっても自然に。 今日はサラさんであって、サラさんじゃない別人さんなのでしょうか? オレが不思議な気持ちでサラさんを見てたら、 「うきゅっ!痛い〜!」 蛮ちゃんに思い切りゲンコを頂きました。わめくオレに構わず、蛮ちゃんはサラさんに鋭い目つきです。 「オマエの色香に惑わされるバカタレがここに居んだよ。飲むもん飲んだらさっさと失せやがれ」 「そういう台詞は払うもん払ってから言うんだな?」 オレらのツケを抱えてる波児さんに言われては、オレも蛮ちゃんもなす術がありません。 蛮ちゃんはつまらなそうに舌打ちして、オレに言いました。
「おい、銀次。ちょっとあっち行ってろや」
チクリ。
「…何で?」
オレは思わず訊き返してました。 今日は依頼に来たんじゃないのに。 オレに聞かれちゃマズイことはないはずなのに、何で? 「いいから行ってろっつの。直ぐ済むからよ」 「…うん…」 蛮ちゃんの眼は本気です。 行かなきゃ機嫌を悪くしてしまう感じです。 仕方なくオレはボックス席の奥へ向かいました。
「ほれ、銀次。蛮からだ。暇つぶしに食ってろ、だと」 またツケ追加だけどな、と波児さんがコーヒーとサンドイッチのランチを持って来てくれました。 その後ろでは、カウンターで会話してる二人の姿。 何だか見たくなくて、サンドイッチに集中することにしました。 「うん…ありがと」 「何だ、いつもならガキみたいに喜ぶトコだろが。そんなに気になるか?あの二人」 「何でオレ仲間ハズレにされちゃうんだろ。オレが聞いちゃいけないことばかり話してるのかなあ」 「聞いちゃいけないって言うより聞かせたくないんだろ、蛮のヤツ」 「……?」 「昔の女と話すとこなんざ格好つかねえって思ってんのさ。ただの見栄っ張りだよ」
昔の女。
「それってやっぱ二人が恋人同士だったってコト?」 「そこまで深い仲じゃなかった、って言ったろ?男と女ってのは、そういう肩書きがなくたって色々ある生き物なんだよ」 「………」 「やれやれ、その辺もまだガキのようだな?ま、とにかく気にすんな」 ぽんぽん、とオレの頭を叩いて、波児さんはカウンターに戻ります。 オレは齧りかけのサンドイッチを置きました。
深い仲じゃないなら、何で蛮ちゃんはサラさんをたくさん知ってるんだろう。 何でサラさんは蛮ちゃんの隣で楽しそうなんだろう。 蛮ちゃんが何かを奪られたとサラさんは知ってて、 依頼を受ける気はないけど蛮ちゃんはサラさんとお話して、
『パートナーの君にも教えられない』 『ちょっとあっち行ってろや』
オレには何にも、教えてくれなくて。
『よくわかってるのね。蛮のこと』
チクリ。 知らない。 サラさんといる蛮ちゃんは、オレの知らない蛮ちゃん 。
「どうしたよ、銀次?」 ランチを残して席を立つオレを、蛮ちゃんが振り返る。 オレは構わず歩いた。 二人が並んでるとこを、蛮ちゃんの眼を見ないように。 「ん、ちょっと散歩。チラシとかも配って来る」 「営業ベタのテメー一人に任せられっかよ。いいから待ってろ」 「あはは、だーいじょぶだって」 「 待てっつってんだろ」
背中越しにオレを捕らえる、蛮ちゃんの声。 その低い呟きも、機嫌が悪くなる一歩手前のサイン。 でも。
笑え、オレ。
「だって待ってるのアキちゃったよ〜。だから行くね?」 オレは蛮ちゃんを振り返る。 大丈夫、オレはちゃんと笑ってる。 見透かされるような蛮ちゃんの眼に見られても、平気。 「オレいない方がサラさんと話しやすいでしょ?オレのことは気にしないで、ゆっくりしてていいよ」 「…銀次」
チクリ、チクリ。
笑え、笑え。
「ごめんね、オレって邪魔だよね…?」 「おい、銀 …!」
バタン。 蛮ちゃんを振り切って、オレは外へ走り出した。
「はぁ、はぁ…」 走って走って、着いたのは公園。 蛮ちゃんとスバルで寝泊りする馴染みの場所のひとつ。 熱い身体を冷やそうと、噴水で濡らしたバンダナを額に当てた。
ツキン。 胸の鼓動と一緒に響くトゲの痛み。 前よりもっと強くて、
「痛い…」
オレは胸を押さえて、ぼんやり空を見上げた。 広がる綺麗な青い空。 でも今はとても辛い色。 青い青い、蛮ちゃんの眼を思い出すから。
いつものホンキートンクの空気と、いつもの蛮ちゃんの煙草の匂い。 それをちょっと変えるサラさんの、「嫉妬」って名前の香水。 甘い香りなのに、なぜかひどく、苦い。
ツキン、ツキン。
「いたいよぉ…蛮ちゃぁん…」
オレ、「嫉妬」っていうの、してるのかなあ……?
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