kiss me (2007/夏発行の無料配布本より再録)





夜の帳が降りる頃。
一人、そうっとてんとう虫くんを抜け出した。
空には半分のお月さま。
それを見上げて、はあと溜息をひとつ。
公園の真ん中あたり。まるで指定席のようになっているベンチへと腰かけて膝を抱えた。

…どうしよう。眠れない。

なんか。ここんとこ。どうにも、今一つ調子が出なくて。
たぶん、『神の記述』にまつわる子供達の奪還を終えて、あれからずっと。
工事中の穴に落っこちて(間抜け過ぎだ、オレ)、ちょっとだけ入院したけど、身体の方は電線に感電したおかげで、もうすっかり元通りだし。
そっちの方は、問題ないと思うんだよね。
雷帝化の後遺症も、そのどさくさで治っちゃったみたいだし。
なのに。どうにもこうにも気持ちは落ち込んだままで。
というか、落ち込んでるのかな、コレ。自分でもよくわからない。
いっそ気のせいだと、思い込もうとするんだけど。
ビラ捲きしてた時には学校帰りの小学生たちに、「どーしたんだよ、銀ちゃん。めずらしく元気ないじゃん!」とか言われて、クラブの後に買ったパンを半分、「ほら、これ食べて元気出しなよっ」って分けてもらった。
公園では、よく遊びにくる小さな子たちに「どーちたの?」って聞かれてアメもらったし。
おかあさんたちには、「これ飲む?」ってパックのジュースをもらった。
夜には、ホームレスのおっちゃんたちにまで、元気ねぇな、腹減ってるのか?って、おにぎりもらって。

……んん? ちょっと待って。

あのね。
そりゃ、俺、いつもおなかすかしてけどさ! 
そればっか言ってるケドさ!
でもだからって、俺が元気のない理由が、みんなそれしか思い当たらないって、いったいどうなの、それっ。
(というか、そう思われてる俺ってどうなのっ(涙))
俺だって俺だって、おなかが減ってる時以外で、ブルーな時ぐらいあるもん。
考え込んじゃう時とか、思い出しては気持ちがどんより沈んじゃうようなことって。
あるもん。…たぶん。
けど、うーん。
どんより、というのはちょっと違う気がする。
くやしいみたいな、悲しいみたいな、よくわからない気持ち。
名前のつかない感情。
こういうの初めてで、だから俺自身にもよくわからない。
でも、なんでそうなってるのかは。
たぶん、わかってる。
違うって何回も否定したけれど、何回ちがうって自分に言っても、勝手に頭に浮かんできちゃうから。
俺らしくないって思うけど、でも、どうにもならないから、もう認めちゃうしかない。
ベンチの上で、観念したみたいに目を閉じた。


反魂の儀式。
祭壇の上に横たわった雨流に、蛮ちゃんが近づく。
『儀式』なんて、そんなの勿論初めて見たし、とんでもない迫力に俺はただただ圧倒されるばかりで。
蛮ちゃんの衣装も、いつもの蛮ちゃんとは別人みたくすごくて、でもそれに全然負けてない蛮ちゃんはもっと凄かった。
俺には手出しの出来ない世界だって、そうも思って。
少し、さびしかったりもした。

だけど。
雨流の青白い唇に。
蛮ちゃんの唇が、ふれた瞬間。
――俺の頭の中は、真っ白になった。

だって、そんなことするなんて全然知らなかったから。
もちろんそれが、雨流が生き還るためにはどうしても必要なことだって。
それは俺にだってわかったし、その分、結構冷静だったんじゃないかと思う。
(ショック受けてたのはバレバレだったケド)
ただすごくびっくりして、気持ちがついてきてなかった。
雨流が助かって、心からあぁよかったって、ほっとして。
やっと俺はじわじわと、自分でも驚くくらいショックを受けてる自分に気付いてった。
その話になると(いや。俺がしたんじゃなく、ヘヴンさんたちがね)、蛮ちゃんはそりゃもう怒髪天をつく勢いで怒ってたけどさ。
したくてしたんじゃねえ!とか言われると、いや、そりゃそうだけど、って思ったけど。
でもさ。
あとになればなるほど、思っちゃうんだよね。
――別に、ちゅーじゃなくてもよかったんじゃない?
とかって。
だって、いくら蛮ちゃんの魔女の血が蘇生に必要なんだとしてもさ。
指先から滴らすとかさ。そういうのでもイイじゃんか。
わざわざ口移しにする必要ないじゃん?なんて。
そんな風に思っちゃうのは…。
もしかしてヒガミ?なのかな。



だってさ。
蛮ちゃんとキスなんて。
俺だって、したことないのに。



ぼんやりと考えて、自分の思考にはっとなる。
――えっ!? 
いや! ななな何言ってんの、俺っ!?
俺たちはコンビであってですね、コイビトとかじゃあないんだから! 
別にちゅーの相手まで、どうこう言える権限なんてあるワケないじゃん、俺!
かーっと真っ赤になって、一人で口を押さえてじたばたして、誰かに見られてないかなと辺りを窺う。
でも夜の公園はひっそりしてるだけ。
最近は、ホームレスのおっちゃんたちもいないし。
ちょっとさびしいね。
はあ…と溜息を重くついて、ベンチの上から半分のお月さまを見上げる。
…でも。やっぱり、くやしい気がする。
うん、俺。きっとくやしいんだ。
思い、唇をかみしめて、ぎゅっと腕で膝を抱えた。
どうしてかな。あの時は、大丈夫だったのに。
後になればなるほど、そういう感情がわいてきて、なぜだか胸がぎゅっとなって泣きたくなる。
近くで、蛮ちゃんの顔を見てるのが、ちょっとつらかったりもして。
だって、そばにいるだけで、ぎゅっとなるから。
痛くて。くるしくて。
それを蛮ちゃんに知られたくなくて、紫紺の瞳を少し遠ざけたりもした。
…蛮ちゃんは、気付いたかな。
もしかして、"ふざけんな"って怒ったりしてる?
考えて、抱えた膝の上に、力なくくたりと頬を置いた途端。

「いたぁーーーっ!」

うわー! 何なにっ!? 
いきなり頭の真上からメガトン級の拳骨が落ちてきたよっ! 痛いーー!
「なーに、一人でぶつくさ言ってやがんだ、このヤロウは!」
怒鳴られて見上げれば、俺の坐ってるベンチの後ろに煙草を咥えた蛮ちゃんが立ってて。
俺は飛び上がりそうなほどびっくりした。
「ば、蛮ちゃん! いいいつのまに、そこにいたの!? っていうか、いつからっ!?」
「ついさっきだ。テメエ、ちっとも戻ってこねえし、小便にしちゃあ長えからよ。いったい何やってやがんだと見にきたら、真夜中のベンチで一人ぶつぶつ言ってやがってよ」
「うわ! も、もしかして、聞いてた…!?」
「何をよ」
「い、いえ、聞こえてなかったらいいのですがっ」
「あぁ? 雨流がどうだとか、キスがどうのって、アレか?」
「ひえええ!」
充分聞こえてるしっ! 
ていうか、なんでそんなピンポイントで聞こえてるの!?
焦りまくって真っ赤になって、一人でわたわたして。
その上じんわり涙まで出てきちゃって、もう。
恥ずかしくて、顔が上げらんない。
抱えた膝の上に今度は正面から顔を突っ伏して、情けなさにぐすっと鼻を鳴らした。
そんな俺を見下ろして、蛮ちゃんがいかにもやれやれといった様子で、隣に腰かけてくる。
「何やってんだ。テメエ」
「…わかんない」
「あ?」
「自分でもワカんない」
「何だ、そりゃあ」
「だってワカんないんだもん。だから、ほっといてよっ」
「あぁ!?」
やけくそみたいに言う俺に、"何生意気言ってやがるっ!とてっきり落ちてくるかと思った拳骨は、だけども、ちっとも落ちてはこなくて。
代わりに降りてきたのは、やさしい大きな掌だった。
ぽんと頭に落ちてきて、そのまま髪をくしゃっとされる。
まるで、小さい子をなだめるみたいに。
「つーかよ。なーに、ふて腐れてやがるんだかよ」
「…え」
「ここんとこ、ずっとそんなぶーたれたツラしてやがってよ。俺に言いてえ事があるんなら、はっきり言えっての」
口調は乱暴でぶっきらぼう。
でも、声音はやさしい。
だから怒ってないのがよくわかる。
俺はゆっくりと顔を上げて、隣に坐る蛮ちゃんを見た。
どうしてだか、その拍子に涙がぽろりと一粒、頬をすべり落ちる。
自分で驚いた。
「わわ!? な、なにコレ、なんで俺、泣いて…?」
誤魔化すみたいに言うなり、涙がさらにぽろぽろ落ちて。
慌てて両手で拭うんだけど、どうにも間に合わない。
「ご、ごめん、俺…っ」
蛮ちゃんはそんな俺に、ちょっと驚いたみたいな顔をしたけれど。
それでも、また俺の頭をぽんぽんとやって、自分の肩へと引き寄せてくれた。
「――ごめん」
「何謝ってんだかよ、このバカ銀次はよ」
「だって、蛮ちゃん…。俺、なんか、なんか、ホントに、自分でももやもやしてて、よく判んなくて…」
涙まじりにそういう俺に、蛮ちゃんは苦笑を漏らすと、"本当にわかってなかったかよ"と呆れたようにぼそりと呟いた。「ったく。これだから、お子様は」
「な、なに…?」
「まさか、無自覚たぁね」
「どういう…意味?」
何もかもわかっているように言われて、項垂れた頭を起こして蛮ちゃんを見る。
「テメエ。まだ拘ってんじゃねえのかよ?」
「何…を?」

「反魂の儀式」

「――えっ」
その言葉に心底ぎくりと瞳を見開けば、あまりに正直すぎる反応に蛮ちゃんがまた苦笑を漏らす。
そして、自分の口許を指差して、にやりとした。
「な、なんで、ワカ…っ」
「そりゃワカるっての。ヒトの口許ばっかり、一日中ちらちら見ては、これ見よがしに溜息つきやがってよ」
「え、え…!」
そ、そんなにっ!? っていうか俺、自分で全然気がついてませんでしたけどっ!? そんなに見てた!? しかも溜息って。
「そんな、でも、あの、これ見よがしとか、そんなことは全然…! ていうか、全然気になんか…!」
「気になるか? ヤロウとキスした唇がよ」
「――あ。」
そ、それって、それってどういう…!?
「だ、だって、蛮ちゃん! あれは、キスじゃなくて、儀式だからって…!」
「ったりめーだ。けど、テメエにゃ、そうは見えねえんだろ?」
「そ、それは」
そう、なんだけど。
たぶんそういうことなんだと思う、けど。
「ワカんないけど…。俺が勝手に変なんだって、おかしいって、自分でも思うのに。でも、どうにもなんなくて。そのうちに、なんか胸がぎゅって苦しくなってきて。だって。――だってさ、蛮ちゃんは俺の……なのにって…」
「――テメエの?」
反復されて、自分の言ったトンデモ発言にはっと気付く。
どさくさに紛れて、ナチュラルに何て凄いコト告白してんの、俺っ!
「え!? うわあああっ!! 何言ってんのっ、俺! ち、ちがうっ、そうじゃなくて! そうじゃなくてですね…!!」
「別に違わねえ」
「…えっ?」
今、何て…?
「ならよ。これが、テメエのモンだってのなら、奪り還してみちゃあ、どうよ」
指先で自分の唇をなぞって、俺を挑発するみたいに蛮ちゃんが言う。
接近してくる紫紺の瞳、吸い込まれそう。
どうでもいいけど、その目とか指とか唇とか、男の色気フェロモン出まくりで、すごいエロいんですけど、蛮ちゃんっ!
ど、どきどきしちゃうじゃんかー!
「奪られたら奪り還すのが、『奪還屋』たる俺たちの信条じゃねえのか? あ?」

――"奪られたら、奪り還す"。

はっとなる。
――そうか…! 
そうだよね! 奪還すればいいんだ! 
こんな風に、ぐじぐじイジイジやってるのなんて、ぜんっぜん俺らしくないし!
なんたって、俺たちは『奪還屋』なんだから! 
Getbackersのナンバー2として、奪られたままでいるなんてダメなんだ!
「そう、だよね! そうだよね、蛮ちゃん!」
「おうよ」
「よーーしっ! じゃあ、今から行ってくる!!」
固い決心をして宣言する俺に、だけども蛮ちゃんは、すぐさま怪訝そうな顔つきになった。
ベンチを降りて駆け出そうとする俺の腕を、蛮ちゃんがぐいっと掴んで引き戻す。
「ちっと待て。テメエ、何処へ行く気だ?」
「どこって、無限城に決まってるじゃんか! 雨流は今、マクベスのとこにいるんだもん!」
「は?」
「え? だから雨流のとこ行って、蛮ちゃんのキスを還してもらえばいいワケでしょ!?」
「はぁ!?」
…あれ? 
もしかして、俺、また何か間違えた?
「遠当てヤロウのとこに行って、それでどうする気だ、テメエ!」
俺の腕を掴んだまま尋ねる蛮ちゃんに、やや不安になりながらも俺が応える。
「だから還してもらうんだってば! 蛮ちゃんがちゅーした雨流の唇に、俺がちゅーしたら、それで奪還できることになるじゃんか!」
「はあぁあ!?」
蛮ちゃんは心底びっくりしたみたいな顔して。
けど次の瞬間、オソロシイ顔つきになると、特大のゲンコを俺の頭に振り落とした。
「アホかっ、テメエはっ!!」
「痛あっ!!」
「だったら、俺はテメエの唇を奪還しに、またあのヤロウと口くっつけなきゃならねえってことか!?」
「…へ? なんでそうなるの??」
「テメエのやり方に習や、そうなっちまうだろうが!」
「え? えーと??」
え? 
そうなの、そうなっちゃうの?? 嘘っ? 
おろおろと混乱する頭で考える。
「なんでそんな回りくどいことする必要があるんだっての! そもそも相手が違うだろうが!」
「相手って」
「あぁ、もう! 面倒くせえ!」
蛮ちゃんは怒鳴ると、俺の顎をぐいと掴んで、お互いの鼻先がこすれ合う距離まで接近した。ひええっ!
「テメエがキスすんのは、俺だろうが! あぁ!?」
「………ば」
びっくりしすぎて声が喉の奥で詰まった。
瞳を最大にまで見開く。
そんな俺のあまりな驚きように、蛮ちゃんがやや声を低めて言った。
どこか切ないみたいな紫紺の瞳。
「俺と、してえんだろ?」
「………うん」
素直に頷く。
誤魔化したり、嘘は、この瞳の前では絶対言えない。
それに、俺はたぶん、ずっと。
ずっとそう思ってた。
俺が、蛮ちゃんと、したかったのにって。
「なら、向かう先はヤロウじゃねえ。コッチだろうが?」
「蛮ちゃん…」


「――してみせろや。奪還」


囁かれて胸がひとつ。ひときわ大きく、どきんと鳴った。
「…あ。う、うん…。ていうか、いいの…?」
「おうよ」
本当にそんでいいのかなと思いつつ。
でも確かに。雨流に、「蛮ちゃんの唇かえしてっ!」といきなりちゅーするのは、どう考えてもやっぱりオカシイ。
自分でも、さすがにそう思えてきた。
いや、それよりも今は。
俺から蛮ちゃんにちゅーって。
ど、どうやったらいいんだろうと、どきどきするばかりで。
なんだか雨流にキスする方が、きっとずっと簡単に出来そうな気がするんだケド。(雨流、ごめん)
「な、なんか。心臓がばくばくいってて口から出そうなんですケド」
「出るかよ。いいから、さっさとやれっての。朝になっちまうぞ」
「じゃ、じゃあ、で、では」
「おう」
二人であらたまって見つめ合う。
なんか、すごくハズカシイ。
蛮ちゃんの背景には、少しの星と半分のお月さま。
俺の背中の方には、無限城。
それでも、なんだか厳かな儀式みたいだ。
見つめてくれる紫紺の瞳のやさしさに、胸がぎゅっとなってまた泣きたくなった。
けど、泣かない。
ちゃんと、無事奪還するまで。
どきどきしながら、ゆっくりと近づく。
心臓が、痛いほど高鳴ってる。
顔もきっと真っ赤なんだろう。
首筋とか耳とか項とか。全部すごく熱いから。
「はーやーく、しろっての」
「め、目瞑ってよ」
「テメエもな」
「あ、そうか。うん」
誘われるままに唇を寄せる。
ずっとまともに見られなかった、蛮ちゃんの唇。
そっか。やっぱり気付いてくれてたんだね、蛮ちゃん。
そうして、唇がふれあった瞬間。
一粒だけ、閉じた俺の眦から涙がこぼれた。どうしてかな。
ちゅ…と、本当に唇をくっつけただけのささやかなキス。

あ。
でも、俺。
これ、ふぁーすときす、だ。
しかも、蛮ちゃんと。
…しちゃった。

思った途端、胸がいっぱいになって。
唇を離すなり、大粒の涙がぼろぼろっと瞳からこぼれ落ちた。
感無量っていうか、何て言うか、もう。
長い時間をかけて、やっと辿りついた蛮ちゃんの唇は、予想外に熱くて。
何も言わなくても、蛮ちゃんも俺と同じ想いだったんだと気付かされた。
うわ、俺、なんかもう、どうしよう…!
一人わたわたとテンパって、慌ててごしごしと頬の涙を拭う俺に、蛮ちゃんは少し照れ臭そうに笑むと。
俺の両肩に手をかけ、もう一度引き寄せて言った。


「そんなのじゃ、足りねえな」


そして驚く間もなく。
今度は、俺が蛮ちゃんからキスされてた。
それはもう、深く熱烈に。延々と。
長い口付けを受けながら、俺は、俺の奪還したくちびるが再び蛮ちゃんに奪われたから、やっぱり俺はまたそれを奪還しなくちゃなんないのかなあ…? などと。
わけのわからないことを、考えた。

そんな思考も、蛮ちゃんの甘いキスにとろとろに蕩かされて。
すぐに、何も考えられなくなったけれど。


E N D


novelニモドル