□ セカンド・チャンス □
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『高校合格したら、お祝いになにが欲しい?』
なあんて。
迂闊に聞かなきゃよかった。
タケルは、少し「とほほ・・」という気分で運ばれてきた御馳走を見て溜息をついた。
「なんだ、腹へってないのか? タケル?」
ナナメ向かいにいる父に言われて、はっと慌てて笑顔になる。
「え?そんなことないよ! すっごい美味しそう! いただきま〜す」
「おいおい、その前に何かいうことはねえのかよ?」
隣に坐るヤマトが、タケルの肘を突っついた。
あ、それもそうか。
そんなタケルに、タケルったら・・と前に座る母が笑う。
そのやさしげな嬉しげな微笑を、少し心の奥で痛いと思いながら、タケルはにっこりと笑って言った。
「じゃあ、乾杯しようか」
「乾杯は大げさだろ」
「いいじゃない、乾杯しましょうよ。ねえ?」
母が、隣にいる父を見る。
父も嬉しそうに頷いた。
「じゃあ、ヤマトの高校合格を祝って・・・かんぱーい!」
グラスを上げる父につられて、母とタケルもグラスを掲げて「かんぱーい」と声を上げて、ヤマトを見た。
兄は、困ったように頬杖をついて窓の外を見たけれど、その顔は思わずこぼれる笑みを照れて隠しているようだった。
「オヤジ。声でかいよ・・」

「フランス料理なんて、久しぶりねー」
母の声が弾んでいる。
「いいのか、おまえ。まだこれから仕事あるんだろ。そんなにガブガブ飲んで大丈夫かあ」
「平気、平気。ワインくらい」
「そうだよ、お母さん、家でも結構飲むもんねー。このくらい序の口だよね?」
「へー。そんなに飲むのか?」
「やだ、少しだけよ。仕事のお付き合いとかでちょっと強くはなったけど、家ではそんなに飲んでませんったら」
「けど、オヤジよりペース早い」
「え? いやあね、ヤマト。それより、アナタこそ大丈夫。真っ赤だけど」
「そうかぁ。ま、局に戻る頃にはさめるだろ」
「いいよな、俺もワインでよかったのに」
「何、言ってるの。これからまだ高校生なんだから。まだまだお預けよ」
「そうだ、せめて、入学式終わるまでは我慢しろ」
「ええ? ちょっとアナタねー」
「冗談、冗談」
笑い合う両親のやりとりに、タケルが少しほっとしたような顔で、それを見ながら、ナイフとフォークを器用に使って料理を口に運んでいく。
母とはよく2人でフランス料理を食べにきたから、テーブルマナーで焦ることはない。
それでも、今日は久しぶりの店で、たぶん初めてだろう顔ぶれでの食事だから、ゆうべは緊張の余りよく眠れなかった。
兄は、レストランとかじゃなく、家で寿司とるくらいでいいぜと言っていたけれど、どうせだったら、とこういう食事会が催される運びになったのだ。
早めの夕食の後、まだ父と母はそれぞれ職場に戻らなければならない事情もあったし、何より、家の中で4人でテーブルを囲む方が、もしかして両親とっては、余程緊張するものなのかもしれなかったし。
それでも、やっと叶った家族4人での食事風景は、タケルには嬉しいものだった。
並んで談笑しながら、ワインを傾ける両親と、そして見上げれば隣にいるやさしい瞳の兄。
自分は、これで、結構シアワセなんだ。
別に不幸とか、そんな風に思ったことはないけれど。
あまり幸福だと実感したこともなかったから。
でも、シアワセなんだ。
だったら・・・。
今、これから選ぼうとしている自分の答えは、せっかくのその幸福を、根底から壊すことになるんじゃないのか・・?
考えて、次の料理を待つ間、タケルは思い出していた。
今日は、母と一緒に制服を見に行った。自分と、兄の。
早めに用意しておいた方がいいものね、と嬉しそうな母の顔に、複雑な思いがした。
初めて、中学の制服に身を包んだ兄を見た時の、あの何ともいえない気持ちがまた甦ってくる。
羨望と、憧れと、それから胸の早くなる鼓動と。少しだけの淋しさと。
高校の制服を纏った兄は、なお一層大人びて見えた。
今もそれなりに正装していて、我が兄ながら、どきどきするくらい大人びて見える。
自分はといえば、中学の憧れのグリーンのブレザーを身につけても、どうもなんというかしっくりこない。
華奢な体に肩幅がないし、その上、兄に「七五三みたいだな・・」と笑われて・・。
こっそりと傷ついた。
まあ、それだけじゃない。
今、少しだけ気が重いのは、この後のことを考えて。
その、家族の幸福という切符を永遠に捨て去る、そんなとんでもない覚悟を、両親が食事を終えて立つまでに、返事をしなくちゃならない。
そういう約束だから。

いや、もう切符は破かれてしまっているのかもしれないけれど。
既に自分と兄の手で。

今日、これから、どうするか。
今日というか。今夜・・・。
ごくり・・・と、飲み込んだ水に喉がなる。
妙な生々しさ。
それに追い打ちをかけるように、兄が運ばれてきた肉を一口ほうばって言った。
「この肉、やわらけーな。美味い」
その一言に、妙にどきりとして、はっと兄を見上げる。
ヤマトはそれに気づくと、にやりとして、もう一度、今度はタケルに同意を求めるように言った。
「な、タケル? 美味いよな、この肉。いい肉は、たっぷり味わって食わねえと」
兄のその言葉の含みに、カアァと頬が赤くなるのを、タケルは感じた。


『いいけど? 俺が欲しいもんは1つだって知ってるだろ?
くれんだったら、もちろんソレがいいんだけど。
合格祝い。
何って・・。
一回ヤってから、ずっとお預け状態だしさ。
まあ、コッチも受験だなんだって忙しかったし、おまえもバスケの試合続いてたし。
なんとなーく、そのまんまになってるし。
最近じゃ、ちょっと避けられてるって気もしなくないし。
え? 誤解?
だったら、いいじゃん。
俺たち、もう既に兄弟で一線越えちまったんだから。
今さら、だろ。』


(そりゃあ、今さらなんだけど・・・)
でも。
初めての時は、何がなんだかわからなくて。
そういうことをするつもりではいたけど、ソウイウコトが実はよくわかってなくて。
途中から記憶が飛んで、わけがわからなくなって。
実のところ、何が起こったのか、理解するのに数日かかった。
自分から望んだことだったし、兄も望んでくれたし、ひたすらその時間は息苦しいくらい幸福だったから。
それでよかったんだけど・・・。
日がたつにつれて、怖さとどうしようもない羞恥とに襲われて。
冷静になっていくたびに、1つ1つ兄にされたことを思い出すから。
どこにキスされて、どこに指を絡められて、どこを舌で・・・・。


ガシャ!と皿の上にナイフを落として、驚いて我に返った。
冷や汗が出る。
父と母は、楽しげに談笑している。
気づかれてない・・。
そう思った途端、テーブルの下で、コツンと靴の踵を蹴られてはっと隣を見る。
「なーに、考えてんだ?」
「お、お兄ちゃん! じゃなくて、兄さん・・! べ、別に、何もない、よ・・」
「そっかなあ。なんか妙ににやついてたぜ?」
「そ、そんなことないよ・・!」
言いながら、空になった皿にフォークとナイフを揃えて置く。
残るはデザートだけ。
母が、ちらりと腕時計を見る。
デザートを終えたら、すぐにでも席を立って行ってしまいそうだ。
それまでが、タイムリミット。
強制するのは嫌だと、ヤマトは言った。
だから、食事が終わるまでに返事をくれたらいい。
返事がなかったら、なんか代わりに貰うものを、また考えておくから。
おまえに嫌われてまで、ヤりたいってわけじゃないから。
・・でも、僕は。
運ばれてきたデザートの、ムースの甘さが口の中に広がる。
甘いものが苦手な兄は、隣でしかめっつらをしている。
それを見上げ、くすっと笑うと、タケルはちょっとホッとしたような表情になった。
母は、いよいよ時間が危うくなってきたのか、時計を確認すると、少し急いでコーヒーを流し込んだ。
「ごめん、お母さん、そろそろ取材の約束の時間だから・・。もう少し、ゆっくり出来るといいんだけど、ごめんね、ヤマト・・!」
「ん。母さんこそ、わざわざありがとう」
少し他人行儀な言い方に、一瞬淋しそうな顔をしたものの、すぐに笑顔になって母はコートとバックを抱えた。
「あ、俺もそろそろ行くか」
父も同時に腰を上げる。
「おまえら、まだゆっくりしてっていいぞー」
「ああ・・」
「じゃあ、タケル。今夜遅くなるかもしれないから、ちゃんと戸締まりお願いね」
「あ、うん、あの」
まだ、迷っている。
だけど、これ以上、迷っている時間が・・・。
どうしよう。
まだカクゴできてない。
でも、言わなくちゃ。
早く、言うんだ。早く!
心臓がどきどきいっている。
早鐘のようだ。
でも、ほら、立ち上がって。
「母さん・・!」
思ったより大きな声が出て、近くのテーブルのカップルまでが振り返った。
「タケル?」
「あ、あの、今日、今夜。あの・・」
「何?」
「に、兄さんとこ、泊まっていい・・・?」
母は、その言葉ににっこりと頷いた。
「いいわよ、明日土曜日だし」
「ああ。いいぞー。ゆっくりしてけよ」
隣で、父も同意した。
父と母が会計を済ませ店を出ていくのを見送って、タケルは脱力したようにゆっくりと椅子に腰掛けた。
は〜と、思わずため息が漏れる。
「・・・合格したかいがあったな・・・・」
耳元で突然ささやかれ、びく!と驚いて、隣を見る。
兄は、余裕でコーヒーを口に運びながら、さも嬉しげにタケルを見ていた。


や、やっぱり、別のものにしてもらった方がよかったかな・・?

タケルは、少しだけ後悔していた。
このまま、幸福な家族像を(それが、たとえば偽りだとしても)壊さない方を選ぶべきだったのか・・?と。
父と母に、承諾を得ようとしたことの本当の意味は、普通なら決して許されないことなのだから。
ちくりと心の奥を走る罪の痛みに、両親の出て行った扉を見つめていると、そんなタケルの心を察してか、兄はそっとその肩を抱き寄せてくれた。





     
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