『おにいちゃーあぁあーーーん!!』
夢の中で叫ぶ自分の声で目が覚めた。
驚いて、どきどきする胸の鼓動にそっと手を合わせ、ゆっくりと辺りを見回す。
―― 見慣れた天井。家具。窓。
・・・・大丈夫。
ここはお台場で、マンションの自分の部屋で、そして、自分は5年生だ。
大丈夫。ここはデジタルワールドじゃない。
あの森の中じゃない。
ほっとしたように小さく息をつくと、ぽろっと涙がこぼれおちた。
さびしくて、かなしいユメ。
いくつかの別れ。まだ幼かった自分にはどうすることもできなかった、重すぎる別れ。
自分のせいかもしれないとか、どうにかできなかったのか、とか、そんな悲観的な考えは、今はもうしなく
なったけれど。
仕方なかったんだし。
そう、仕方なかった・・・。
だけども、そう思えることも、それはそれで哀しいことだよね。
頬に伝わる涙を手の甲で拭って、ゆっくりとベッドを降りる。
・・・・両親の別離。
エンジェモンとの別れ。
兄との別れ。
その1つ1つの別れのキオクが今も鮮明にタケルの中にあって、未だにそれが時折夢となってタケルを苦
しめ、苛んでいる。
まるで呪縛のように。
いつかまた、誰かと別れるのでは?というそんな想いが、タケルの心の奥深いところに根付いていて、それ
が他人との距離に影響している気すらする。
いや、他人だけじゃない。
その別れの相手が、また兄ではないかと、そんな恐れすら抱いている。
ヤマトとの、別れ。
それは、考えただけで、たまらなく怖い― 魂が引きちぎられるように。
カーテンを開いて、窓ガラスに頬をそっと押し当てる。
ああ、今夜も見事な月だ。
狼の遠吠えが聞こえてきそうな・・・・
「・・・お兄ちゃん・・」
ガラス越しに指先で月のかたちを辿って、小さく呟く。
それだけで、なんだか、心がほわ・・・と温かくなった。
―― と。
次の瞬間、まるでそれに呼応するように、真夜中にも関わらず、電話のコールが鳴り響き、タケルはハッ
と顔を上げると反射的に自室に置かれている子機に手を伸ばした。呼び出し音は一度でタケルによって止
められ、母を起こしたりしていないかを気配で確認してから、それを耳に押し当てる。まだ何も声を発してい
ないのに、聞きなれたやさしい声が言った。
『どうした?』
その言葉に驚いて、それからちょっと小首をかしげて考えて、小さく笑って返事を返す。
「自分からかけてきておいて“どうした”はないでしょ? お兄ちゃん」
甘えるように受話器に耳を寄せると、ヤマトが笑った。
『そうか・・・そうだよな』
「どうしたの?」
『ん?』
「・・・寝ぼけてるんだ?」
『寝ぼけてねーよ、まだ寝てなかったからな』
「寝てないの? だって、もう2時だよ」
ベッドの脇にある目覚まし時計を、自分の方に向けながら言う。
『明日、数学のテスト』
それを聞いて、タケルがくすくすと笑う。
「また一夜漬け?」
『うるせえな』
答えるヤマトの声も笑っている。
それから少し、とりとめもない話をして、ここ数日の話などもして、それだけのことなのにタケルはひどく
嬉しそうで。でも、時間は気になるようで、会話の切れ目に小さくし言う。
「もう、こんな時間。早く寝ないと、テスト中に寝ちゃうよ」
『ああ、そうだな。もう寝るよ』
深夜に思いがけずかかってきた大好きなヒトからの電話に、まだ名残おしそうにはするものの、タケルが
その言葉に微笑んで頷く。
「うん、じゃあね・・・」
『ああ・・・』
「おやすみ、お兄ちゃん」
『おやすみ・・・・』
低い声に受話器をゆっくりと耳から離しかけたタケルは、小さく兄が“あ・・・”と声を上げたのを聞き、慌て
てもう一度それを耳に押し当てた。
「お兄ちゃん・・・?」
『おまえ・・・』
「何・・?」
『なんか、あったろ?』
「え・・・どうして・・?」
『俺を呼んだ、だろう?』
「お兄ちゃん・・・」
驚いて言葉につまる。
どうしてわかるんだろう。あんなに小さい、溜息のような声で呼んだのに。
それとも心ではもっと強く呼んだのだろうか。夢の中で叫んだように。
「呼ばないよ」
心とは裏腹に笑って言った。
『そうか?』
「うん」
『なら、いいんだ』
「そう」
『何か、淋しい夢でも見たんじゃないかって、そう思ったんだ』
「・・・・・っ」
『タケル?』
息を詰める気配に、ヤマトが声を潜ませる。耳から少しずれた受話器を直して、タケルが困ったように溜息
をついた。
「どうしてわかっちゃうんだろ・・・ 隠してもすぐバレちゃう」
哀しそうとも嬉しそうとも取れる言い方で、タケルが呟く。
『どうした・・?』
「夢、見たんだ。ピノッキモンとの戦いの時。お兄ちゃんが行ってしまった夢」
言いかけて口ごもる。忘れられないことだけど、今はもう、自分のせいとも兄のせいとも思っていないし、
今こうしていることを思えば、あの別れは必要だったんだと言い切れる。特に、あの後、皆のところに戻っ
た兄は明らかに変化していたし。
けれど、両親の別離の日と同じくらいの頻度でその夢を見てしまうということは、深層心理の奥深くでは未
だ根ざしているものがあるのだろう。
そして、そのことはタケル自身も自覚している。
ただ、それを兄から隠したりせず、話せるようになってきたということは、少し自信が出来てきたのかもしれ
ない。
兄はもう決して、自分を置き去りにはしないという自信。
『ごめんな・・・あの時は・・・』
もう何度となく、その件に関しては謝ってもらっているのに、もう謝ってもらうようなこともないのに、やはり兄
はすまなそうに言う。それがなんだか、妙に微笑ましい気がして、タケルは小さく笑った。
『何、笑ってんだよ』
「ううん」
『ヒトが謝ってやってるのに』
謝っているわりには大きな態度に、タケルが声をたてて笑った。
「ごめん。でもね、今だったらちょっともったいないと思うよ?」
『何が?』
「あの時はね。お兄ちゃんが、皆の前で僕のことだけ特別扱いにするのがすごく嫌だったんだ。どうしてそ
んなに僕のことばっかり心配するの、みんなと同じでいいよ、それに、もう守ってなんかもらわなくても僕は
強くなったんだから。って思ってた」
『そうだったな』
「今だったら、皆の前で僕だけ特別扱いしてくれたら、飛び上がるほど嬉しいのに」
『嘘つけ。今でもきっと怒るぜ。おまえ』
「そう? そんなことないよ、嬉しいよ? それにさ、お兄ちゃん、あの時、ピノッキモンに何て言ったか覚
えてる?」
『・・・・覚えてるわけねーじゃん』
「“タケルに指1本でもふれてみろ、ただじゃおかないからな!”って。あ、それから、おまえのことは俺が
絶対守るからって」
『・・・・・つまんねーこと覚えてるなよ・・・』
明らかに照れて赤面しているらしい兄に、嬉しそうにタケルが言う。
「これって、すごぉい愛の告白だよね。ね、今、もう一回言ってみて? お兄ちゃん」
『・・・・・・・・・・・・・何、言ってんだ。バーカ☆』
“もう寝ろよ“と困ったように言うヤマトに、どうせ言ってはくれないと承知のタケルは肩をすくませ、すぐに
諦める。そして、さっき自分の方に向けた時計にふと目をやり、随分とまた時間が経っていることに気づく
と、ヤマトに悟られないように微かな息を落とした。月を窓越しに見上げ、静かに言う。
「ありがと、お兄ちゃん・・・・電話、くれて、うれしかった。ホントは少し淋しかったから」
『ああ・・・』
「遅くまで、ごめんね。でも、もう大丈夫だから。もう寝て・・・」
『大丈夫なのか?』
「うん、じゃあね」
『・・タケル』
「大丈夫・・・」
『タケル・・・!』
「おやすみ」
『・・・おい・・!』
取り繕っても駄目だ。伝わってしまっている。泣きそうになっているのを見破られている。
溢れそうになる涙を堪えて電話を置こうとするけれど、意思とは逆に、言葉が先に唇から零れ落ちた。
「・・・会いたい」
『タケル?』
「お兄ちゃん・・・会いたい・・」
搾り出すように言うと、やさしい声が答えてくれる。
『うん・・俺も、会いたいよ』
「会いに・・・行ってもいい・・・?」
『夜中だぜ?』
「夜中だけど」
『いいよ・・・いいよ、おいで・・』
「・・・うん・・っ!」
小さい子に言うように“おいで”と言われ、それが何だかくすぐったくて嬉しくて、弾かれたように行動を
起こす。
電話を置くと、夢中で玄関へと走り、パジャマ姿のままスニーカーを素足に履く。それから、母に気づか
れないように細心の注意を払って音を立てないように玄関のドアを開け・・・・・。
タケルは、そのまま止まってしまった。
瞳を大きく見開いて、ビデオの一時停止スイッチを押されたように、声もたてずに静止している。
薄い雲が月の前を通過していき、その影が一端あたりを暗闇に変え、それからゆっくりともう一度青白い
光を放つ。それが、徐々にタケルの前にいる人の輪郭をなぞり、やさしい微笑みを映し出した。
開いたままのドアが、タケルのものではない手によって、タケルの背後で静かに閉じられる。
月明かりの下。あの夜のように、夢の中のように、蒼い狼が連れてきたのと同じ人を、誰よりも大切な人を
じっと見つめる。
「これは・・・・・夢、なの?」
タケルの言葉に、微笑んで答える。
「いや・・・これはゲンジツだよ、紛れも無く」
頬に差し伸べられる手に、甘えるように首を傾ける。
「どうして・・・?」
両の瞳から、涙がぽろっと零れ落ちた。
「おまえに電話かけてすぐ、そのまま家を出て歩いてきた。俺も会いたかったから」
「・・・・・お兄ちゃん・・・・・おに・・ちゃ・・・!」
涙にくぐもるように呼んで、広げられる腕の中に飛び込み胸にしがみつく。温かな腕がそっとタケルを包み
込み、抱き締める。涙に濡れる頬に自分の頬を押し当て、囁くように言った。
「約束したよな? あの時。戻ったら、もうどこへも行かないって」
「うん・・・」
「おまえのそばを離れない」
「うん・・・」
「おまえを一人で淋しがらせたりしない」
「うん・・・」
「守れてるか?」
「うん・・・うん・・・!」
「そっか・・・なら、よかった」
ほっとしたように言ってやわらかな金の髪を撫でる。
“この先もな。ずっと”
そう言ってタケルの顎を手の平で掬い、上向かせて、そっと見つめる。
これからも、ずっと、淋しがらせない。
ずっと、そばにいるからと、新たな約束のしるしに―― 唇が触れる。
両親の、
エンジェモンとの、
そして兄との。
別れの果てに知ったこと。
別れは、悲しみばかりつれてくるわけじゃない。
新たな何かをも運んでくれる。
父と母は、今はもう憎しみ合うこともなく、
誰よりも信頼のおける友人のような関係だ。
エンジェモンはタマゴからやり直し、その後何度も進化を遂げ、
今も、可愛い生意気なタケルの相棒。(姿はパタモンだが)
そして兄は、その望み通り、強く逞しくなったと思う。
昔のように、歯の浮くようなことは言ってくれなくなったけれど、
昔よりさらに強い、ゆるぎない愛情でタケルを包み込んでくれる。
そして、その絶対的な信頼だけは今も変わらない。
あたたかな腕につつまれながら、そんなことをふと考えて、
月明かりの下、夢のように。
もう一度。
ヤマトの甘い口付けを受けた。
ああ、眠い。眠くて思考が動いてないので、ここのコメントまたかきなおそっと。
とにかく、タケルの別れのキオクに付き纏うトラウマ?について書いてみたかったのですが。
無印タケルは、私にとってはもっと明るく無邪気な子供の印象なので、今度はもっと可愛く
書きたいです;しかし、あのピノッキモンの回は、タケルじゃなくても”うるさいよ”と言いたく
なるくらい、タケルタケルタケル・・・と言ってましたね、ヤマトは。
こんな内容のないもんですが、感想など聞かせていただけたら嬉しいです。(風太)