□ HEAVEN □ 光を瞼に感じて、瞬は少し身じろぎすると、ゆっくりと瞳を開いた。 カーテンを閉め忘れた窓から、朝の陽の光が室内へと差し込んでいる。 その眩しさに、ちょっと手でそれを遮るようにしながら、まだ隣で静かな寝息をたてている男に気づくと、少しだけ驚いた顔をして、しばし夢ではないかとそれを見つめた。 そのまま身体をゆっくりとうつ伏せさせて、顔だけ上げて、盗み見るようにしてもう一度その寝顔を見る。 大丈夫・・。 夢なんかじゃ、ない。 その証拠に、ちゃんと微かな寝息もその耳に届いているし、上下する厚い胸板の奥の胸の鼓動さえはっきり感じられる。 兄さんが、帰ってきたんだ・・。 瞬はそう思うと、その口元に、しあわせそうにおだやかな笑みを浮かべた。 ゆうべは確か、大晦日だった。 そうか、朝が来て、新しい年が来たんだ。 年の終わりが慌ただしかったから、あまりにそれを実感せずにいた。 サンクチュアリから戻ってまだ一週間足らずだったのに、続々と帰省してくる仲間たちの出迎えに、なぜか沙織とともにそれをもてなす立場に借り出され、めまぐるしく日々が過ぎてしまっていた。 そう、毎年どこにいても年の瀬が近づくと、どういうわけか皆、城戸邸に集まってきては、家族のようにここで一年の最初を過ごす。 誰がそう取り決めたわけでもないのに、ただ、いつの間にかそれが新年の恒例の行事のようになっていた。 だけども、それに兄が加わることは、ごく稀で・・。 だから、期待はしないようにしていた。 ゆうべ、眠る直前まで。 窓の向こうが光で真っ白なのは、雪が降ったせいだろうか。 外で、はしゃぐ星矢たちの声がする。 ♪いーぬは喜び庭かけまわりー♪の歌の歌詞の犬タイプだから、星矢は。 雪が積もったのを知って、邸の中でじっとしてられなくて駆け回っているのだろう。 星矢らしいや・・。 そう思って、肩をすくめてクスッと笑う。 こうしていると、まるでグラードコロッセオで闘った頃から、幾ばくも時が経っていないかのようだ。 ・・もっとも、それならこんなに近くに兄がいることなど有り得ないのだが。 あの頃は、兄と自分の位置関係がわからなくなっていて、感情もひたすらに混沌としていた。 でも今は。 たとえ、遠くで別の生き方をしていても、兄への信頼は絶えることなく瞬の中にあったし、逆に身体が遠く離れていることで、心をより近くに通わせることが出来るようになった、そんな気さえする。 気紛れで我が儘な生き方を信条とする兄が、それでもこんな風に時折、自分の向かうべき方向を迂回してでも、瞬の生き方に寄り添うようにしてくれる。 そのことが、瞬にはたまらなく嬉しい。 もちろん、淋しくないと言えば、それは嘘になってしまうのだが。 「兄さん・・・」 すぐそばで、無防備に眠っている男の顔を見て、嬉しそうに枕の上に手を置いて、その上に顎をのっけて小さく囁く。 たぶん、兄が自分以外の誰にも見せないであろう、子供のような安らかな寝顔。 幼い頃から、寝顔は少しも変わっていない気がする。 ゆっくりとうつ伏せになっていた上体を起こすと、瞬の背中にあった一輝の手がぱた・・とシーツの上に滑り落ち、それをハッと肩越しに追いかけて、自分が何も身につけていないことにやっと気がついた。 そういえば・・・。 年が変わりゆく寸前で、いきなりテラスから現れた人影に驚く間もなく抱きしめられて、ずいぶんと情熱的な年越しをしてしまった・・。 皆で飲んだお酒が少し身体に残っていたから、なんだか余計に恥ずかしい姿を晒してしまった気がする。 いやだな。 まさか、そんなことで嫌われたりはしないと思うけど。 まるで、あれでは、兄さんを待ち焦がれていたみたいじゃないか・・。 仮に本当にそうであったとしても、兄にそれを気づかれたくはない。 なんだか、悔しい。 好きな想いは何1つ変わっていないけれど、兄の存在がそばにない時にまで、それに翻弄されているとは思われたくない。 兄のことなど、まるで会って初めて思い出したかのような素振りでいたい。 それくらいの自尊心を持つ程度には、自分も大人になったらしい。 いや、そんなちっぽけな自尊心でもなければ、兄のいない間の淋しさに押し潰されそうになるからなのか。 可愛くないな・・・。僕は・・。 思いつつ、ちょっと哀しげに微笑む。 こんな弟を、あなたはいったいどう思っているのだろう。 昔と何ら変わりなく・・? それとも、もう・・・? それでも、僕は。 僕の気持ちは、小さい頃からずっと。 ずっと、あなたを思うこの気持ちだけは、変わってはいない。 1人になったアンドロメダ島で、あなたの名を泣き叫んだ。 あの頃からずっと。 「あなたを愛しているんですよ・・・ 一輝兄さん」 小さく小さく、ため息のように小さく囁いて微笑むと、一輝の額にそっと唇を寄せた。 ふれるかふれないかのところで唇を離したはずなのに、兄がその微かな気配にゆっくりと目を開ける。 色素の薄い自分とは、似ても似つかぬ漆黒の瞳。 力強く、炎を宿したような奥の深い黒。 いつも、この瞳に見つめられ、畏怖を覚えつつも、恋い焦がれた。 それが、室内に満ちている光にちょっと眩しげに細められ、しばし、呆然と横上から自分を見下ろして微笑んでいる弟を見つめる。 手をかざして、光を遮る。 翠の長い髪がぱさり・・と瞬の滑らかな肩から落ち、光の中でその白い輪郭を尚、際立たせていた。 まるで、この世のものとは思えぬくらいのまばゆさで。 「・・・・? 兄さん?」 瞬の声にやっと我に返ったように、フッと一輝が笑んだ。 「おはよう、兄さん・・・」 「ああ・・・」 「あ、そうだ。おめでとうっていうんですよね? あけましておめでとう、一輝兄さん」 「・・・・・・・・元旦か、今日は・・・」 「だから、ここにいるんでしょう?」 そういう理由でもないと、僕の側には来てくれないくせに、と少しばかりの皮肉も込めて瞬が言い、小さな顔に笑みをたたえる。 一輝がそれを受けて、低く笑った。 「口だけは、しっかり成長しているようだな・・」 「兄さんに似てきましたか?」 「俺は、口達者な方じゃないだろう」 「そう・・・?」 顔を顰めるようにする兄に、それがなんだかおかしくて、肩をすくめて瞬がふふっと笑った。 「瞬・・・」 「はい・・?」 「・・今・・・ いや、いい・・」 「何です?」 問うように首を伸ばすと、一輝の大きな手のひらがふいに瞬の頬に寄せられて、瞬が少し驚いたような顔になる。 あたたかい大きな手のひら。 愛情も、信頼も、すべてここに委ねてきた。 その手に自分の手を添えて、にっこりとおだやかに微笑む弟を、一輝が愛おしげに見上げ、親指でそっと唇にふれる。 離れている間に何か変わりはなかったか? どうやって暮らしていたのか? 淋しがるようなことは、なかったか? そう聞こうとしたのだが、自分の身勝手で放ってある弟に、それを問うのはなんだか傲慢な気がしてやめた。 瞬の方も、またいつのまにか、その逞しい身体に新しい傷をつくっている兄に、それはどこでどうしてついたものなのか問いたくて、でも問えずにただ微笑んだ。 互いがいない間にあったことなんか、本当は何の興味もないのかもしれない。 もちろん、自分が会えないときに、互いと会って話して触れた誰かは存在するはずだから、そこに嫉妬がないかと言えば嘘になる。 自分の知らないところで、誰と語り、何に傷つき、どんな時に互いを思い出したのか、気にならないわけはない。 だが、一緒の時を過ごせる今の時間の方が、互い貴重なものだと知っているから。 敢えて、それを問いただしてみることは、ひどく時間の浪費のように思われた。 そんな思いを振り切るように、瞬が努めて明るく言う。 「あ、おせち料理、僕も作るの手伝ったんですよ」 「ほう」 「後で味見してみてくださいね」 「毒味か?」 「ひどいな、兄さんってば。僕だって、少しは自分で料理もするようになったんですからね」 「そいつは、楽しみだ」 「あ、本気にしていないでしょう?」 「いや、大丈夫だ。胃腸は丈夫に出来とるからな」 「・・・・もうっ」 ふてくされる頬を指先でつっ突くと、ぱあっとまた、すぐに笑顔になる。 そして兄の悪戯な指先に、頬や顎の下や耳元をくすぐられ、肩をすぼめてくすくす笑う。 一緒にいるのが嬉しいと、そんな思いがこぼれるような笑みになっている。 会った瞬間から、 この人はまた、いつ、自分の側から旅立っていってしまうのだろう。と、 そんな思いに怯えてしまいながらも。 「瞬・・・」 笑いながらもこぼれ落ちる涙に、一輝が端正な顔を僅かに歪ませた。 そして、上体を起こし、その髪をやさしく撫でて、逞しい胸へと細い肩を抱き寄せる。 「兄さん・・・」 その胸に頬を押し当てて、どうしてと瞬が思う。 どうして、この人の前に行くと、泣き虫の僕に戻ってしまうのだろう・・。 虚勢も、強がりも、どうしてこの人は僕に許してくれないのか。 「・・・・・・う・・・っ・・」 嗚咽を堪える両肩を腕に抱いて、一輝が静かに息を吐き出す。 淋しがらせる気は毛頭ないが、自分の生き方を変える気も、また毛頭ない。 そんな兄が不服ならば、いっそ突き放せば良いものを。 考えて、失笑する。 本当にそんなことをされれば、還る場所が見つからず、自分は放浪する旅すら放棄するかもしれない。 まるで闘いを挑むためだけの旅のようでも、死に場所はここだと、最愛の弟の腕の中だと心にしっかりと刻んでいるのだから。 ・・・なるほどな。 だから尚のこと、弟にしてみれば、タチが悪いのか・・? 考えて、瞬に気づかれぬように、喉元でくっと笑う。 しかし。 さっき目覚めた時は驚いた。 光が眩しくて、目がしっかり開かなかったせいだが。 そこで微笑んでいる瞬の髪が、光に透けて輝いていて、輪郭も白くぼやけていて。 目の前に、瞬によく似た天使がいるのかと思った。 ついに、悪運もつきて、天国にきたのかと。 もっとも、天に召されるほど良い行いをした覚えもないから、悪運がつきた時には間違いなく地獄へ墜ちているはずなのだが。 「瞬・・・・」 「・・・・はい」 「淋しい時は、偽らずに言え」 「・・・・え・・・?」 「淋しい、会いたいと、声にしろ」 「・・・・でも」 そうしたところがあなたはいなくて、余計に淋しくなるだけなのに。 心の中で、悪態をつく。 孤高を守る兄の性分を理解して、自分もまた自分の生き方を見つけて、それで満足しているはずなのに、時折こんな風に泣き言を許されると余計につらくなる。 押さえていたものが、全部こみ上げて、自分の内から流れ出しそうで。 「おまえが望めば、そばに行く」 「・・・え・・っ」 「おまえの声が聞こえたなら、いつでも、な」 今まででも、そうしてきただろう?と、兄の瞳が瞬に言う。 「兄さん・・」 「どこにいようと、同じことだ。どこにいようと、常におまえのそばにいるのと同じことだ」 兄が言って、無骨な指先で、瞬の薄い唇をなぞる。 そうですね・・と答える暇もなく、顎を掬われ、唇にそっと熱い唇が重なる。 「常におまえが欲しいのは・・・・俺も同じだ」 しっとりと深く口づけられて、瞬が眩暈のように意識を解き放つ。 「還りつきたい場所は、おまえだけだ」 それを支えるように腕を回して抱きとめて、その白い胸元に、肌を灼くような口づけをした。 「・・・・・あ・・」 痛みをともなって赤い刻印が押され、唇が離される。 瞬はゆっくりと息をすると、その胸の印を見下ろして瞳を見開いて、まるで紅い花びらが翻るようにぱあっと頬を染めた。 「兄さん・・」 見上げると、つらそうな色をした兄の瞳と合う。 ・・・ああ、そうなのか・・・・ そうだったのか・・・・。 と、瞳を見ただけで納得した。 離れていて、自分だけが淋しいのかと思っていた。 求めているのも、追いかけているのも、自分ばかりなのだとそう思っていた。 兄が留まるには、自分のそばは窮屈で、心地がよくないのだろうとそう思っていた。 僕の気持ちは、自由に生きたいあなたを縛り付ける、と。 そうではないのか・・。? そうではなかったのか・・。 なぁんだ・・。 だったら、もう、迷うこともない。 待てば、いい。 必ず、ここへ帰ってくれるというのなら、待つことも、また楽しいとそう思える。 「兄さん・・」 呼んで、あざやかに瞬が微笑む。 今度この人を見送るときは、「さよなら」ではなく、「いってらっしゃい」と、そう言えばいいのか。 なんて、やわらかな響きだ。 必ず帰ってくると、そのやわらかな言葉の中には、おごそかな誓約さえ含まれている。 あれほど気力と体力を使い果たして、聖戦の後、あなたを探したのに。 どれほど追いかけても、どこを探しても、貴方の手がかりは見つからなかった。 孤独と絶望に震えて、幾夜涙を流したことだろう。 答えは、簡単なところにあったのに。 こんなにも、たやすく手の届くところに。 待ってさえいれば、貴方は僕のもとに帰ってきてくれたのだ。遠回りをせずとも。 「でも、兄さん・・。僕は、見かけによらず、結構気の短いところもあるんですよ」 「・・ああ、確かにな」 「ずっと待てなくて、やはり貴方を求める旅に出るかもしれない。帰ってきた時に、もし僕がそこにいなかったら・・どうします?」 笑みさえ浮かべて問う瞬に、一輝が目を細めて口の端で笑って答える。 「仕様がない。今度は俺から、おまえを追うか・・」 「本当?」 「ああ・・」 「だったら、兄さんが追いかけてきてくれるのならば、僕はあなたよりも先に旅支度をしなくちゃ」 言って、少女のように肩をすくめると、いたずらっぽく舌を出す。 一輝がそれを見、また低く笑うと、コンと大きな拳で弟の額を叱りつけるようにこづいた。 幸せな年明け。 きっと、素敵なことが起こる気がする。 「とりあえず、着替えて、皆に挨拶しましょう。兄さんは、久しぶりでしょう?」 ベッドを降りて、素早く身支度を整え、兄の衣類を投げてよこす。 そして、一言、釘を刺すことも忘れない。 「兄さんも、たまにはお邸の玄関から帰ってきてくださいね」 泥棒のようにテラスからじゃなくて、ね。 言って、思わず渋顔になる兄を見て、瞬は小鳥がさえずるように声をたてて笑った。 一輝はそれを眩しげに見つめ、本当にこの弟は背に白い羽根を隠しているのではないかと疑って、そんな自分に呆れつつ、それを誤魔化すように寝乱れた髪を乱暴に掻き上げた。 窓の下から、瞬を呼ぶ、星矢の声がする。 「おーい、瞬! 一輝もどうせ帰ってきてるんだろー? そろそろ、みんなでメシにしよーぜ!!」 END 2003.1.06/海坂ゆう/アイツウシン ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ うわー!なんと9年ぶりくらいの一輝v瞬です・・! あああ、なんだか、いいのかこんなので!という気はするのですが、私自身はすごく楽しんで書いてしまいましたv ただ、やっぱりまだまだリハビリが必要だというのは実感なのですが(瞬ちゃんは全然オッケイなのですが、どーも兄さんのしゃべり方が・・・。こんな感じで合ってるかなあ・・・不安です)、それでもまだこんな好きなんだなあ・・という気持ちに浸れて、感無量ですv 時間的には、1997年に出たドラマCDの後くらいって感じでしょうか? 兄さんを探す旅に出ていたけれど、兄さんはどこにもいなかった。でも。もういいんだ・・と星矢に言っていたあの瞬ちゃんの印象が強く残っていたもので。(だから、兄さんは瞬の前にはいないんだよ。後ろからついて来てるんだから・・!←まだ言っているワタシ(笑)) 今年は、星矢ファンにとっても新たな年という感じだし、私も気持ちを新たにまた瞬ちゃんを書いていきたいです。 一応、お正月企画ということで、サイトで取り扱いの3ジャンルで同じタイトルとシチュでSSに挑戦してみたのですが。 3つとも全然違うものになってしまいました。 わざわざ同じシチュエーションにする必要なかったんじゃあ・・・(う) 新年早々、反省する私でした。 こんなおバカモノですが、これに懲りずに、今年もどうぞよろしくお付き合いくださいませーv 楽しい一年になりますように。(海坂ゆう) モドル |