「Growing Love」 無限城下層階は、まさに地獄と化していた。 目を覆いたくなるような酷たらしい、大量惨殺の跡。 折り重なって息絶える人々の死体の山と、血飛沫に染まるビルの壁。 倒壊した建物の瓦礫の中を、男の右手に喰われ、肉片だけになった者たちが無惨に散らばっていた。 無差別に、猟奇的に繰り返される殺戮。 だが、もう住人たちにそれをくい止める手だてはない。 雷帝が破れたと、信じ難い悲報がその街を覆い尽くした直後。 男は我が者顔で、街を狩り出したのだ。 それはもう、ベルトラインの連中顔負けの冷酷さで。 底のないほど残虐に、どこまでも無慈悲に。 四天王も破れた。 もう、誰も、この街を救う者はいない――。 「くそ・・・! やめろ・・!」 獣のような咆哮を上げて、四天王を1人・士度が地に這い蹲りながら呻く。 「よくも・・! 我らがロウアータウンを・・!」 女のようなか細い腕から腹から鮮血を滴らせ、少女のような顔を恐ろしく歪めて、さらにもう1人の花月が言う。 「なぜ・・だ! いったい何が目的で・・!」 吐き出すように言うと、血の匂いで充満した惨状の街を積み上げられた瓦礫の上から一望し、男はそこからひらりと降り立ち、倒れている花月の目前に歩み寄った。 ズボンのポケットに両手を突っ込み、ほくそ笑むようにして言う。 「目的、だと?」 あたりまえのことを訊くなというように、男が答える。 「決まってるじゃねえか」 「雷帝だ」 「何・・!?」 肉食獣のように唇をぺろりと舐め、男が目を細める。 ぞくり・・と、恐ろしい寒気が花月の身体を駆け抜けた。 「雷帝は・・! 貴様が倒したと・・!」 「おうよ、派手にな」 「てめえ・・!」 「おおっと。んな身体で何が出来るってんだぁ? 猿回しの兄ちゃんよ」 「この野郎・・!!」 「士度!」 這いつくばったまま指一本思い通りにならない士度を頭上から見下ろして、ヘッと男が嘲笑う。 「オレはな。んな寂れた無限城の下街なんぞに興味はねえ。オレが欲しいのは『雷帝』だけだ。ええ? どうよ、紘巻きサンよ。その要求さえ呑むんなら、この街にゃもう手出しはしねえ」 「貴様・・!」 「取引だ。どうするよ?」 言って、ふっと後方を振り返ると、スラム地区の端にあるゴミ溜めまで歩み寄り、男は、やおらその中にガッと手を突っ込んだ。そのまま引き出す。 肉を喰らった血に爪の中まで真っ赤に染まった手には、ぼろ布のようにぐったりした少年の襟首が捕らえられていた。 「ええ? カミナリ小僧」 ずるずると片手で、もう既に息絶えているのではないかと思われるほどの、その力の無い身体を地の上に引き擦って、士度や花月の前に無造作に放り出す。 「銀次さん!!」 「銀次!!」 「安い、取引じゃねえか? ああ?」 傍らにしゃがみ込み、金の髪を掴んで引き起こして男が言う。 「・・・オレを・・・どうしようと・・」 絞り出すような声を聞いて、男の目が微かに細められた。 「へえ、まだ生きてやがったか。あんだけやられて、まだ口がきけるとはな。さすがだと誉めてやっか?」 骨を外され内臓も喰いちぎられて、それでも生きている『雷帝』に、賛辞をくれてやる言わんばかりに男が言う。 「さあてな。ま、どうにでも好きにするさ。外に連れ出し売っとばしゃ、かーなりテメエはいい金になりそうだしな。それとも、オレの玩具にでも仕込んでやるか?」 「貴様・・!」 憎悪に満ち満ちた眼をして、士度がねめつけた。 が、それには目もくれず、男が髪を掴んだまま血に染まった雷帝の顔を間近で見据え、舌なめずりをする。 「どうよ?」 「・・・ロウアータウンは・・・・。それで救われる・・・のか? 本当に手を引くと・・」 「・・銀次さん?!」 「銀次・・!!」 男の眼の光が残酷な喜色に揺らめき、もはや眼の前の獲物以外は、視界に入れる価値にも値しないと雷帝のみを映して嗤う。 地を這うような低音に、凄みが加わる。 「おうよ、誓うぜぇ?」 「・・・ならば」 生け贄のように男の前に掲げられ、それでも強い瞳で男の眼を見捉えて雷帝が血まみれの唇を開く。 「行こう―」 ヒュウ!と口笛を1つ吹いて、男がくっくっと喉を鳴らして笑い出した。 雷帝の挑むような瞳と、それとは裏腹のその従順な答えに心から満足したかのように。 「雷帝サマは物分かりがいい」 「銀次さん!!!」 「銀次―!!!」 悲鳴のような沈痛な叫びも、男の耳には雑音ですらない。 だらりと脱力したままの雷帝を、その毒蛇の宿る右腕に腰の辺りをひっかけるようにしてぶら下げて、男がゆっくりと歩き出す。 戦利品はすこぶる極上だ。 当分は、愉しめる。 来た甲斐があったというものだ。 そして男は、血の惨劇に淀む街を雷帝をひっさげたまま抜けていきながら、久々の価値ある勝利に腹の底から高らかに笑いを上げた。 「さあてと・・・」 「驚いた」 「あ? 何がだよ」 「随分、手のこんだことをする」 「したくてしてんじゃねえ」 人の気配の全くない、無限城の南の最端まで来ると、男はやれやれ・・と胸ポケットから煙草の箱を取り出した。 手慣れた動作で唇に取り、ライターを開く。 深々と肺に吸い込み吐き出すと、雷帝が小さく笑んだ。 「何だよ」 「いや・・」 工事途中でほったらかされたらしい鉄骨剥き出しの通路の奥の、薄暗く天井の低い空間で、立ったままの男の前に鉄材を背に座り込み、雷帝が自分の右膝を抱くようにして男を見上げる。 雷帝の肉体はどこを取っても1つの欠損もなく、流された血さえもとう渇いている。 彼にとっては数時間前の戦いの傷など、その肉体に痕跡さえ残すことの出来ない、取るに足りないものなのだ。 この無限城にいる限り。 力の限界が来ることもなければ、その肉体が朽ち果てることもない。 雷帝が、紫煙をくゆらせる男を琥珀の瞳で見つめて、そっと静かに伏し目がちになる。 「悪かった」 「だから何が、ってよ」 「汚名をきせたね」 「ヘ! んなもん」 もともとがそうだからよ、今更汚名もクソもねえ。 言って、男がまた紫煙を吐き出す。 「迷惑をかけた」 「別に」 「だが・・」 「しつけぇよ」 ぶっきらぼうな答えに、けれども、それがどこか暖かくて、雷帝はまた小さく笑んだ。 「わかってる。・・・・でも、本当にいいんだろうか。オレは・・」 「テメエがここを出やすいように、都合のいい悪夢をヤツらに見せてやったんだろうが? 後悔するぐれぇなら、今のうちにこっからとっととテメエのポジションに戻りやがれ。まだ間に合うぜ」 「・・・・うん」 (ポジション、か・・) 冷たく突き放すように言われながらも、なぜか雷帝の顔に浮かんだ微笑はそのままだ。 「何・・。笑ってやがる」 「いや・・。見かけによらず、結構やさしいんだね?」 「あ゛あ゛?! オメーな、人の話聞いてねえのか?! ったく・・。しかも誰に物を抜かしてんだ?」 「冷酷無慈悲な、邪眼の男」 「ったく、アホくせぇ」 んなとこ来るんじゃなかったぜ。と独りごちて、男が短くなった煙草の吸い殻を傍らのコンクリートの残骸に押しつける。 雷帝が、また笑った。 今度はくすりと声をたてて。 男が肩を聳やかし、ふいに意外そうな顔をした。 「噂ってのは、やっぱアテになんねぇもんだ」 「噂?」 「ああ。巷の噂じゃあ、雷帝サマは、”無表情のまま人をその雷で灼き殺すようなディアブロ”だとかってよ」 「ああ・・・」 否定することも肯定もなく、琥珀がその言葉に小さく震え、睫毛がそれを隠すように陰を落とした。 男の深い紫紺の瞳が見逃さず、それを捉える。 「そうでもねぇんだな。というより、よく笑ってるじゃねえか? コッチが素か」 言って、新しい煙草を指に取って顔を見る。 その視線から逃げるように顔を背けると、小さくこぼした。 「普段は・・。そんなに笑うことはない」 「へえー。どうしてだ」 「笑えないんだ」 「笑えない?」 「うまく、笑えなくて」 「そんで、笑わねえってのか?」 「そうかも・・・しれない」 思いつめたような陰のある表情に、男が微かに目元を綻ばせる。 そういう顔も出来るじゃねえか、ちゃんとよ。 別に笑うばかりが能じゃねえだろと、男の瞳が見守るように雷帝を映した。 なにがディアブロだ。 まだまだ、ケツの青いガキじゃねえか。 心の中でほくそ笑む。 ・・それを知っただけでも、来た価値はあったか? いや、オレにはどうでもいいことか。 思い、そして軽く今来た方角を顎で示した。 「ところで、どーすんだ? そろそろジャスト1分だぜ?」 「あれが全部、邪眼っていうもの、なのか?」 「ああ、そーだ。目さえ合わせられりゃあ、複数の人間にかけるのも造作はねえ。・・・・で?」 答えを要求するように、頭を傾ける。 雷帝は再び男を見上げ、静かな口調でそれに答えた。 「ここがサウスブロックの端だ。出口まであと約500m」 「決心はついたのか」 一瞬だけ膝に置かれた自分の手を映し、次に男を捉えた瞳は決意をはらんで強い光を放っていた。 「・・・出るよ」 「本気かよ?」 「・・・・・・ああ」 「後悔しねぇか?」 「・・・わからない」 男は、苦虫を噛みつぶしたような顔をした。 「言っとくがな、『出りゃあいい』ってのはあくまでもオレの考えで。テメエにそれを強いた覚えはねえぜ」 「ああ、わかってる、ごめん。そういう意味じゃない。オレは今、自分で自分がよくわからないんだ。今まで、自分のことをこんな風に考えたりしたことは、ほとんどなかったから」 「あん?」 「ただ・・。どうして今日初めて会ったあんたの言葉に、今まで考えてもみなかったことを実行しようとしているんだろう、オレは。ここを出るなんて、不可能なことだと思っていた」 「案外、不可能なんて、この世にゃねえのかもしれないぜ? 望めばその通りに何でも手に入るんだろ。テメエは」 「ここの中ではね。・・・いや、だけど。そうでもないよ。いくら望んでも手に入らないものもある。例えば・・・」 琥珀の瞳が揺れて、紫紺の瞳とぶつかる。 「例えば?」 「例えば、あんたが・・ええっと」 「美堂蛮だ」 唐突に告げられた名に、自分の中で反復するように声を出さずに唇を動かして、それから声に出してその名を呼んだ。 「美堂・・・蛮」 男が、心持ち驚いたような顔になる。 「オレを手に入れてぇってか?」 驚かれたことにどう返していいかわからず、雷帝が両の膝を自分の腕で抱えるようにして弱く笑んだ。 「ほら、望んでも仕方のないものもある」 「ああ、確かな」 あっさりと肯定され、少し哀しそうにした。 「うん・・」 「オレは、誰かの手中におさまんのなんざ、我慢ならねぇタチでな」 「そうだろうね」 落胆の色を見せつつも、突如はっと顔を上げて、雷帝が自分が抜けてきた街を振り返った。 気配が慌ただしく動き、近づく。 それも多数だ。 「夢からさめたらしいぜ。テメエの部下共がよ」 男の呟きに、さっと表情を厳しくして立ち上がった。 「行くか」 端的に言って、男が煙草を投げ捨てる。 「うん」 答えて上げるその眼差しを合図に、男を先頭に走り出す。 まだ追いつかれることはない。 まだ、居場所を掴みきれてはいないだろう。 ただ、マクベスのネットワークの力が実際はいかほどのものかは、雷帝ですら計り得ない。 うかうかしているうちに、見つけられてしまうかもしれない。 そんな危惧を余所に、瞬く間にその鉄製の巨大な扉に行き当たり、男がざっと踵を翻して足を止めた。 「いいんだな?」 強く問われて、反射的に頷く。 「ああ」 「ところで言っておくがな」 すぐにでも開かれると思った扉を前に、男に気を削がれた形になって、少し苛立つように雷帝が短く返す。 「何だ」 「オレはテメエを外に出すまでの手引きはするが、そっから先はテメエの勝手にしろ。どこへ行こうと、もうテメエは自由だ。好きにすりゃあいい」 男の言葉に、雷帝の瞳が見開かれる。 「自由?」 「ああ」 「そう、か・・」 なんて頼りない自由。 思わず、睫毛が怯えて震えた。 見知らぬ場所で、見知らぬ人たちの中で、果たして自由になることなどあるだろうか? そこで生まれたはずとはいえ、初めてに等しい全くの未知なる世界で。 外に出たい、出なければ。 そんな渇望に、不安が混じる。 僅か考えた時間は数秒だったかもしれないが、とても長くそこに佇んでいるような気がした。 男がそれを静かに見、答えを渡す。 どうせなら自分から言わせたかったが、それを今のコイツに要求するのは無謀なことなのかもしれないと思い直したからだ。 それほど、雷帝は心細げに震えているかのように見えた。 自分の腕で、自分の身体を抱くようにして。 「一緒に、来っか?」 「え・・・」 いつのまにか、無意識に項垂れていた顔がゆっくりと上げられる。 「来てぇのか? オレと」 「あ・・・」 瞳が潤んだ。 言葉より早い。 男の眼がそれを見とめて、笑んだ。 ひどく、ひどくやさしい色をして。 「オレは、誰にも捕らわれたりはしねぇ。だったら、どうよ? 手に入れんのはあきらめるとして、自ら手中に収まりに行くってぇのは?」 「え・・・・っ」 「名案だろが?」 首を傾げるようにして悪戯っぽい笑みになって、美堂蛮は腕を伸ばして雷帝の冷たい頬に静かにふれた。 ゆっくりと、それで何かを許されたかのようにゆっくりと、雷帝の琥珀が潤んでこぼれ出し、頬と蛮の手を濡らした。 「・・・・・うん。本当に。名案だ・・・ね」 「来いよ、無限城の王サマ。いや、攫われてくのなら姫君のが似合いか?」 「姫君?」 驚いたように返す雷帝の前に、蛮が右手を手の平を天に向けて開きながら差し出した。 思わず問い返すように紫紺を見つめ、ほとんど意図のわからないまま、その手の上にゆっくりと自分の手を重ねて置くと、強く握られ引っ張られる。 指を絡ませるようにして引き寄せて、蛮が、瞳は雷帝の琥珀に合わせながら、その指に恭しく口づけた。 「・・・・・あ」 「今日から、テメエはオレのもんだ」 「・・・・うん」 「異論はあるかよ?」 自信の笑みに、驚いた顔がゆっくりとゆっくりと微笑みに変わっていく。 「・・・ううん。ない」 「来いよ・・」 「うん・・!」 互いの指を絡めたまま、鉄の扉の施錠が外され、蛮の手がギギギ・・・・!と錆びた音を立てる重い扉を押し開く。 「行くぜ、銀次」 「・・・・え?」 「アイツらが、そう呼んでた。ソレがテメエの名前なんだろ?」 「―― うん!」 「ねえ」 「ん?」 「・・・・ありがとう」 極上の微笑みで、『銀次』が言った。 そして。 扉は開かれたのだ―― 二人だからこそ駆け抜けて行ける、そんな自由の街に向かって。 > next |