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History Members 三国志編 第32回
「引き立て役ではない男たち・7 The Longsword of EastRiver」 前編

F「ちょっと違うオハナシから」
A「オープニングジョークか?」
F「いや、モスコビッツじいさんシリーズじゃないから。水滸伝の"小覇王"周通ってどんな奴なのか、だ」
A「……じいさんの小噺は何番まであるのかだけ聞かせろ」
F「108番。周通は山賊をしていたンだが、ある日みかじめ料の徴収に近くの名主のところに赴いた。日本の山賊は旅人を襲うが、あっちの山賊は定期的に村々からみかじめ料を取り立てて、その代わり暴れないでおく、という真似をしていたワケだ。その方が、ちまちま旅人を襲うよりアガりがいいから」
Y「合理的だな」
F「合理的な奴はこんな因果な商売はやらんと思うがな。ところが、名主の娘を見初めてな。みかじめ料どころか結納金を持ってきて『嫁にくれ!』と云いだす。これには名主も困ってしまう」
A「そりゃ困るだろう……で?」
F「かくて初夜となったンだが、ウキウキやってきた周通が床に入ると、花嫁にボコボコにされてしまう。灯りがついて見えた花嫁の姿は、刺青姿のハゲマッチョだった」
A「どうしてそんな女見初めるンだ!?」
F「いや、通りがかった魯智真和尚が、困った名主を助けようとひと芝居打ったンだ。というわけで周通は嫁取りを諦めた……というオハナシ。このあと、官軍に攻められたら和尚に助けを求め、そのまま和尚と一緒に梁山にのぼるのが、周通の主な人生になる。もちろん、梁山入りしたあとはロクな出番がない。まぁザコっぱちのひとりでな」
A「こんなモンのどこが小覇王なんだよ……」
F「扱いとしては和尚も似たようなもんだからね。お山にのぼるまではこーいったトンデモかつオモシロな真似をしでかすのに、梁山入りしてからはほとんど目立たない。個人を、集団の中で能力を発揮できるタイプと群れることができないタイプとに分ける場合、このブッディストはどう考えても2番でな」
A「はぁ……」
F「三国志でも馬超なんかはその典型。あの男は自分で曹操と敵対していたときはイキイキしてるのに、蜀軍に加わるととたんに影が薄くなる。演義ではどう死んだのかさえ直接は書かれていないほどで、『おいら、言っちまおう、魯智真のインテリ化をはかれ』と願う声はやまない」
A「扱い悪いよなぁ」
F「それだけに二次創作の介入する余地があるンだがな。本題に入ろう。以前、楽進がそんなに身長が高くなかったというのを触れたが、この頃の身長に対する意識について、坂口和澄氏が面白い分析をしている。朱然伝に『七尺に満たなかった』とわざわざ書いているので、そのライン、約166センチからが小柄とされるボーダーだろう、と」
A「曹操は七尺そのものじゃったよね」
Y「演義ではな。正史に曹操の身長に関する明記はないぞ。劉備は七尺五寸(約178センチ)とあるが」
F「実はそこがポイントになる。正史三国志に身長の明記があるなかで、いちばん低いのが劉備の七尺五寸だ。劉備から上なら諸葛格の七尺六寸(約180センチ)に始まって八尺以上までちゃんと書いてあるから、陳寿は劉備以上なら書いたンじゃなかろうか、という推察ができてな」
A「つまり、曹操は劉備より背が低かった、と」
F「たぶんね。ちなみに、惜しまれて死んだ我らが鄭泰は、本当のことを云って董卓をだましたときに『袁紹の身長は婦女子並み』とも云っている。袁紹と直接の面識があった董卓相手にそう云っているからには周知のことだったと考えてよく、曹操よりさらに背は低かったことになるようだ」
A「そりゃまた、意外なのかどうでもいいのか」
F「この野郎。今回のお題となる太史慈は、七尺七寸(約183センチ)と書いてあるひとりだ。実際のところ、どう扱うべきか割と悩んだひとりになるが」
A「悩むかな」
F「んー、身長は七尺七寸と体躯に恵まれ、コーエーの三國志シリーズでは呉将随一の武力を誇る。本人の回で云った通り、甘寧でも武力平均値では負けている……ものの、実は[以降のシリーズでは甘寧のが高いンだが、まぁ呉でトップクラスの武将だというのは変わらん。のだが」
A「のだが?」
F「正史三国志の呉書では劉繇士燮(シショウ)と並んで伝を立てられていて、要するに陳寿から群雄扱いされているンだ」
A「……あつかい変だね」
F「変だろう。ただ、三国志が便利なのは『呉書でそうなっているなら、魏書や蜀書ではどうなんだ?』という比較ができることでな。陳寿がどんな考えで太史慈をそこへ配置したのか、ほか二書から推察が可能なんだ。確認してみよう」

漢数字は正史での巻数
呉書の収録内容魏書の収録内容蜀書の収録内容
一 孫堅・孫策 一 曹操 一 劉焉・劉璋A・D
二 孫権 二 曹丕 二 劉備
三 孫亮・孫休・孫皓 三 曹叡
四 曹芳・曹髦・曹奐
三 劉禅
四 劉繇・太史慈・士燮 五 曹操と各皇帝の夫人 四 各夫人と他の息子
五 孫堅と各皇帝の夫人
六 孫静ら孫家一門衆
六 董卓・袁紹・袁術・劉表
七 呂布・張邈・臧洪
八 コーソンさん・陶謙・張楊・公孫度・張燕・張繍・張魯
五 孔明
六 五虎将
七 張昭・顧雍・瑾兄ちゃん・歩隲
八 張紘・厳o・程秉・闞沢・薛綜
九 周瑜・魯粛・呂蒙
九 夏侯・曹両一族E・F
十 二荀・賈詡

F「まず、三国の初代皇帝を二巻めにそろえ、一巻には『コイツがいなければその国は成立できなかった』という面子をそろえている。劉璋はともかく、劉焉が州牧の地位を設置し益州に独立しなかったら、のちの蜀はなかった」
Y「となると、天下三分が孔明の予定通り進んでいたら、劉表も蜀書に伝があったことになるか」
F「そゆこと。基本的に親子は同じ伝に入れるという原則を曲げておいてタイトルが『劉二牧伝』なのは、陳寿の『あーぁ、ここにいるのが劉表だったらなぁ』という無念さが込められている……と思えるのは僕の考え過ぎだろうか」
A「むしろ曹操だよ。皇帝にはならなかったし、曹操がいなければ魏がなかったのは事実だけどさぁ」
F「そゆこと。曹叡が別になっている理由はいまひとつ判りかねるが、続いて二代め以降の皇帝たち。呉書では夫人たちの伝がひとつ遅いが、そのあとで敵がエントリーされる」
Y「孔明がか?」
A「待てぃ!」
F「お前が待て、泰永。つまり『建国のために戦った群雄』なんだが、蜀の場合のそれは劉璋だったろ? ために、すでに出ている蜀書には該当する巻がないンだ。魏では三巻に渡って敵を列挙しているのは、やはり天下の七割を抑えただけはあるな。そのあとに親族で、配下武将の伝が来ると。ある程度のパターンが見えるな」
A「えーっと、先駆者(A)、皇帝(B・C)、敵(D)、夫人や親族(E)、配下(F)の順番か」
F「曹丕を除く曹操の息子たちは割とあとになるがな。劉備の親族が蜀にはいなかったので、その辺りは夫人の伝に併記された。となれば、同じく夫人伝に附された呉景(ゴケイ、孫堅義弟)・徐琨(ジョコン・孫堅甥)や親族の孫静孫賁を並べる目的で、呉書では夫人伝がひとつ遅くなったのは想像できる。ここで本題に戻るが、太史慈の伝があるのは確認した通り、呉書の敵列伝の中だ」
A「……考えてみれば不自然だなぁ。呂布伝とは別に、それでいて直後に張遼伝があるようなモンだろ? 敵対はしたものの主君を見限って仕えた武将」
F「この場合はたとえに張遼ではまずいンだが……とりあえずテンプレ行こうか。出自は青州東來郡(とうらい)、山東半島北部のでっぱりに位置する。166年生まれで、メジャーどころでは荀ケ(163年生)より少し年下というくらいの年代になる」
A「意外と若いな」
F「若い頃から学問を好んだとあり、当初東來郡でお役人をしていた。ところが当時、郡と州の意見対立が起こって、先に朝廷に上奏した方が有利になる案件が発生している。青州刺史はすでに使者を出したもんだから、遅れてはならんと郡の太守も使者を出すことにして、選ばれたのが21歳の太史慈だった」
A「どんな案件なんだ?」
F「内容の明記はないンだが、166年生まれの太史慈が数え年で21歳ということは、186年の出来事になる。黄巾の乱の余燼いまだ冷めやらぬ時代では、先に上奏した方が有利となっても仕方ない情勢だろう」
ヤスの妻「青州なら、張純と烏桓の攻撃も受けていたからね。劉虞が幽州に派遣されたのが187年だから、まだ混乱は続いていた。その辺の余波とも考えられるね」
F「『私釈』の10回で触れたオハナシです。まぁ、具体的な内容は不明ということで。昼夜兼行で洛陽にたどりついた太史慈がお役所に急ぐと、ちょうど青州の使者が取次を願い出ているところでした」

太史慈「おい、キミ」
州の使者(姓名不明)「何スか?」
太史慈「青州の使者だよな? 上奏文はどこにあるね」
州の使者「あ、お役人さんですか? 馬車の荷台の上です」
太史慈「表書きに誤りがないか、ちょっと確認させてくれ」
州の使者「はいはい。……はい、これです」
太史慈「そぉい!」(←持っていたナイフで上奏文を破る)
州の使者「何してンだてめー!? さては東來郡のまわし者だな!」
太史慈「聞け。あんたが俺に上奏文をよこさなかったら、上奏文が破られることはなかった。つまり、俺たちふたりともに過失があったンだ。このままじゃふたりとも処罰されるから、何もなかったことにしてふたりでこの場を離れよう」
州の使者「そりゃ俺は逃げるけど、何でお前まで逃げるんだ? さっさと上奏文を出せば、東來郡の思うつぼだろ」
太史慈「いやぁ、俺が郡から命じられたのは、もう上奏文が提出されたのかの確認なんだ。ところが、ついかっとなって上奏文を破るなんて真似をしでかしてしまった。これがバレたら、俺も怒られる」
州の使者「なるほど、俺がいなくなったらそっちの上奏文を提出するってワケじゃないのか。そういうことなら判ったぜ。一緒に逃げよう、馬車に乗りな」
 ふたりで馬車に乗って、洛陽の門を出る
太史慈「……あ、いけね。俺の馬が宿にいるんだ。すまんが、先に行ってくれ。すぐ追いつくから」
州の使者「おぅ、気をつけろよ」

F「というわけで、東來郡の上奏が受け入れられた」
A「州の使者さんを騙して提出したワケか。結果として東來郡に利益をもたらしたとはいえ、目的のために手段を選ばないのはどうなんだ?」
F「その辺りが、太史慈の人格面での大きな問題でな。ともあれ、この間抜けな使者がどうなったのか、および誰だったのかは記述がない。そして、というわけで太史慈は青州のお役所からにらまれることになった。当然だが」
A「当然だな」
F「太史慈はひとまず青州を離れ、海を越えて遼東に逃れている。というのも、この頃の遼東には曹魏4位のノンダクレで邴原(ヘイゲン)という人物が隠遁していてな、コレが青州は北海郡の出自。その北海郡の太守の孔融(コウユウ)は、先の一件で太史慈を気に入ったので、太史慈の母親に何かと融通したとあるンだ。たぶん、紹介状でも書いたンだろう」
ヤスの妻「……あぁ、差し引きゼロだね」
A「なにごとー!?」
ヤスの妻「気にしないで続けて」
A「……ヤス、サッカー見てないでこっちゃ来い」
Y「いま始まったンだよ! 聞いてはいるから俺のことはほっとけ」
F「いいけどな。邴原は、もともと孔融の下で財政官補佐の役職にあったンだが、賄賂が横行しているのに嫌気がさして遼東に隠遁してな。人格者として知られ、旅人やお尋ね者を受け入れたりしていたので、太史慈のことも受け入れたらしい。どれくらい遼東にいたのかは明記がないが、例のイベントが発生する。黄巾の残党に北海が襲われたンだ」
A「来たぜ〜へっへっへ」

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