ウェッブ夫妻(Sidney Webb, 1859-1947, Beatrice Webb, 1858-1943)について


        近著,江里口拓著『福祉国家の効率と制御−ウェッブ夫妻の経済思想−』昭和堂,4200円(税込),2008年6月も参照してくださると幸いです。


                  


ウェッブ夫妻についての問い合わせが多いので,経済系,社会福祉系の大学生向きに,専用ページを作成してみました。レポート等で引用される場合は,江里口まで一言お願いします。

なお,専門的に学ぼうとされる方には,上記の著書と,彼らの公式の伝記であるR.ハリソン著(大前眞訳)『ウエッブ夫妻の生涯と時代―1858〜1905年:生誕から共同事業の形成まで』ミネルヴァ書房を参照してください。

                                                   (江里口拓のページ)

・シドニー・ウェッブとビアトリス・ウェッブ
 夫シドニーは,ロンドンの下町の生まれ。下層中産階級出身。ロンドンの夜間大学(シティオブロンドンカレッジ,バークベック・インスティチュート)出 身。シティの金融ブローカーとして働きつつも,類い希な学力で,植民地省書記官の試験に合格。1885年にフェビアン協会(1884年設立)に加入し G.B.ショウとともに,中心的存在となる。「ロンドン州議会」においてロンドンの教育改革に尽力して頭角をあらわす。この前後にLSEを設立。一次大戦 後の労働党の基本政策を策定し,1924年,1929年の第一次第二次労働党内閣では商務相,植民地相に就任。男爵をさずかり,別名はパスフィールド卿。
 妻,ビアトリス(ビアトリス・ポッター)は,グロースターシャーの上層中産階級出身。祖父は,マンチェスター派の「ラディカル・ディック」こと,リ チャード・ポッター。父は,グレートウエスタン鉄道の重役。正式に大学教育は受けていないが,事実上の家庭教師が,「社会進化論」のハーバート・スペン サーという驚異的な教育環境で育つ。ロンドン調査と「貧困線」で有名な,チャールズ・ブースと協同研究を行い,1892年に,シドニーと結婚。「救貧法に 関する王立委員会」の中心メンバー。2人の墓は,ウエストミンスター寺院の一角にある。

・ウェッブ夫妻と現代の福祉国家
 ベヴァリッジとならんで,イギリスにおける福祉国家形成に最も大きく関与したとされるものの,その主張は長いあいだ誤解されてきた。これまでのウェッブ 夫妻研究では,彼らへの「フェビアン社会主義(漸進主義)」という呼び名が示すように,19世紀的な自由主義・個人主義を否定して,社会主義・国家保障中 心の「福祉国家」を提唱したと理解されてきた。こうした理解は,一面で正しいが,現代的に見れば,ウェッブの別の側面が重要である。それは,ウェッブ夫妻 が福祉国家を,「効率」を発揮すべく絶えず「制御」され続けられねばならないシステムと把握したことである。
 彼らが言う「効率」とは,単なるコスト削減でもなければ資源配分の最適性(「パレート効率性」)でもなく,いわば一定の人間努力に比した真のアウトプッ トの最大化である。例えばエンジンを部品から組み立てるだけで満足するのではなく,その使用目的に応じて,メンテナンス,関連パーツ(ターボ装置など)と の連携などの調整作業を行って初めて,エンジンの潜在力は最大化される。社会をシステムとして考えた場合,最適の部品が揃っているか(「パレート効率 性」)だけではなく,その先にシステムの有機的連関性が上手く機能しているか(ウェッブの言う「効率」)が重要となるわけである。会社組織も同じで,人が 集まるだけではだめで,最大の「効率」発揮に向けた仕組み作りや調整が必要とされる。
 そして,福祉国家とは,うまく「制御」されれば人間社会の潜在力(社会的効率と経済効率)を最大限に発揮することができる優れたシステムである。このこ とは2つの意味を持つ。第一に福祉国家は単なる平等主義的要求のみから生じたものではない。平等は目的ではなく「効率」の手段でもあるのだ。第二に,福祉 国家システムは,社会の変化(経済・社会の「進化」)に応じて,絶えず再調整され続けられねばならないことである。硬直化し,既得権化した制度は,合理性 を失えば,むしろ「非効率」を生み出す「古い外套」に早変わりしてしまうのである。
 実際,今日において,いわゆる戦後の福祉国家は,大幅に「改革」を迫られている。そうした「改革」を裏で支える新保守主義は,福祉国家の非効率を糾弾 し,これを行きすぎた市場原理によって代替しようとしている。もちろんウェッブはそうした新保守主義を支持しない。ウェッブの目からみれば,新保守主義は 硬直化した福祉国家に打撃を加えることはできても,社会的効率を犠牲にすることで人間社会の潜在性をフルには発揮させえない,所詮は「非効率」なシステム なのだ。他方で,ウェッブは今日の福祉国家も容認しないであろう。そもそも新保守主義のような反動的な思想が生み出されたのは,福祉国家が新しい現実に 「不適合」であるからに他ならない。逆に言えば,福祉国家を支える知識人の側に,福祉国家を時代に即してリファインし続けるという使命に対する「知的怠 慢」があったと言わねばならない。

・ウェッブ夫妻の経済思想とアルフレッド・マーシャル
 今日,ウェッブ夫妻の福祉思想を振り返る意義は,福祉国家の本来あるべき姿を原点に立ち返って反省してみることにある。まず最初に重視すべきは,ウェッ ブは,同時代のケンブリッジの経済学者,アルフレッド・マーシャルの経済学から非常に多くを学んでいたということである。これまで,ウェッブ夫妻が社会主 義者としてのみ理解されてきたとするならば,マーシャルはいわゆる新古典派経済学の創設者としてのみ描かれる傾向にあり,両者は通常対立的に描かれること が多い。
 マーシャルの主張とは,「有機的成長論」という言葉に代表されるように,企業組織の高度化と,労働者の活力向上が車輪の両輪のように展開していくこと で,イギリス経済が発展し,底辺層の貧困問題も解決されていくというものであった。ただし,マーシャルにとっては,その最善の施策は,自由競争の環境整備 であり,経済的自由主義を推進することが,その最も近道であると主張し続けた。
 ウェッブの主張の特徴は,基本線でマーシャルの「有機的成長」のビジョンに賛同を示しつつも,経済的自由主義にいくつかの制度的な枠組みを当てはめるこ とで,かえってイギリス経済の発展が生み出されていくというものであった。その意味で,ウェッブは,マーシャルの主張を,政策論的次元で,180度転回さ せたものと言えよう。事実,シドニー・ウェッブの最初期の経済学の著作は,マーシャル経済学につながるような経済分析に向けられていた。また,ここで言う 制度的な枠組みとは,労働組合,ナショナル・ミニマム,福祉政策など,今日我々が社会政策,福祉政策と呼ぶところのものである。

・ウェッブ夫妻と労働組合運動
 ウェッブ夫妻は,まず,労働組合の研究者として有名であるが,彼らの労働組合論は,ある意味で異色である。日本で労働組合と言えば,マルクス主義の影響 から,職場での機械化,合理化,効率化に反対し,人間的な労働条件を確保するための抵抗組織という意味合いが強い。ところが,ウェッブは,まったく逆の発 想をする。労働組合とは,まずもって労働者の賃金,労働時間,安全を確保する組織であり,機械化,合理化それ自体に反対すべきものではない。労働強度の増 大は,賃金の増大,時間短縮という形で埋め合わせることが最善であり,労働組合はむしろ技術革新には友好的で有らねばならない。その代わり,労働組合は, 産業別,職業別に組織され,最低労働条件(コモンルール)を諸企業に提示し,なおかつこれを引き上げ続ける。劣等企業は最低労働条件を提供できなければ, 市場から淘汰されてもかまわない。優秀な企業のみが生き残り,労働者に優れた労働条件を提示してくれればそれで良い。競争で淘汰されるべきは,劣った労働 者ではなく,劣った企業・経営者なのである(スペンサー社会進化論の修正)。その意味で,労働組合運動は,産業進歩と親和的であるだけでなく,むしろ産業 進歩を積極的に推し進める制度機構である。
 近年,日本経済復活の処方箋としてデービッド・アトキンソンが賃上げによる非効率起業の退出による生産性向上を主張しているが,そうした主張は元々ウェッブ夫妻のアイデアに近いものだと言えよう。なお,この考え方は,イギリスよりもスウェーデンでレーン・メイドナー・モデルとして引き継がれている。

・ウェッブ夫妻と「ナショナル・ミニマム」
 例えば,ウェッブ夫妻のいう「ナショナル・ミニマム」概念は,「最低賃金,最長労働時間,衛生安全,義務教育」の4つの項目からなる。最低賃金が,現在 の日本にも存在しているように,それは労働市場での自由な雇用契約に,一定の枠をはめて,これを規制していこうとする労働政策であった。ナショナル・ミニ マムは,ベヴァリッジの「最低生活費保障原則」につながっていく福祉国家の最も根本的な理念の一つである。
 ところが,それは単に低所得者に対する平等主義的な所得分配策であったのではない。「ナショナル・ミニマム」は,快適な労働条件によって労働者の健康, 知力,活力を増大させ,また,劣悪な条件でしか労働者を雇用できない非効率な企業を追放することで,マーシャルのいう「有機的成長」を,加速度的に推し進 めようとする生産力理論であった。ちなみに,ウェッブのこうした主張は,東京大学,大河内一男教授が提唱したところの,生産力説的な社会政策論と,ほぼ等 しい視点にある。大河内教授は,もちろんウェッブのこの面に気づいていたと推測しているが,直接の言及は無いようだ。日本の経済思想史研究者に調べていただきたい。今日流の言葉で言うと,ナショナル・ミニマムは最低生活保障への権利論であると同時に,人的資本論として,いわゆるスウェーデンなどの社会的投資国家や,ヘックマンの「幼児の経済学」などの着想に近い。


・ウェッブ夫妻と福祉行政
 また,ウェッブ夫妻による『救貧法少数派報告』(1909年)は,これまで考えられてきたように個人主義的な新救貧法(1834年)を廃止し,国家中心 の福祉制度を提唱したものではなかった。それは,むしろ今日の福祉「行政」を考え直す上で参考になるような,行政パフォーマンスの最大化のためのインセン ティブ論であった。今日の,いわゆる福祉行政の単位は自治体である。このことは,現在の地方分権の流れの中で,ますます重要になろう。ただし,注意すべき は,ウェッブは同様の事態を察知しながらも,福祉サービスの水準が,それぞれの自治体間で競争的に引き上げられていくようなシステムを作り出すことであっ た。

・ウェッブ夫妻と地方財政のナショナル・ミニマム
 ウェッブの考えはこうである。まず社会サービスを自治体が供給するとすれば,都市部・農村の財政格差は,「地方財政のナショナル・ミニマム」をもとに平 準化されねばならない。日本で言えば「地方交付税交付金」がこれである。これは,従来の福祉国家体制のもとで最も重視された地方財政原則である。ところ が,「交付税・補助金 grant in aid 」は,単なる自治体間の財政の平等化論ではなかった。その先に,ウェッブは「第二次補助金」(日本で言う省庁毎の「補助金」,義務教育負担金,生活保護補 助金,,,)を想定し,この部分が,自治体における社会サービス水準あるいはその質の高さに応じて,強いインセンティブをもって競争的に配分される必要が あると主張した。
 ウェッブは社会サービスにおいて「予防」を最も重視する。介護,疾病などの様々な問題に対しても,その初期から専門的で適切な処置を施し続けることで, 当事者のQOLが向上するだけでなく,結局は財政的にも安価であるということになる。ウェッブは,その意味で「予防は投資である」と主張した。今日における介護予防,疾病予防を見ればこの意義は明らかであろう。適切な社会サービスとは,ヘックマンが幼児期の社会的・教育的投資を最も重視したように,初期段階においてその根本問題を見つけ出し,そこに根底的な解決策を模 索することで,無駄な財政支出を節約するものである。ただしこうした有益な社会サービスも,自治体のみが行うには限界がある。A県が行った優れた施策も,B県,C県への人口移動という「漏れ」(スピルオーバー)によって,当事者のA県に100%フィードバックされるとは限らないからである。中央政府の 役割はこの「漏れ」を相殺してA県に社会サービス向上への動機付けを付与し続けることにあり,具体的には中央からの「補助金」が,社会サービスの質に応じ て競争的に配分され,「財政誘導」されるべきという結論が出てくる。
 今日,「財政誘導」というと官僚主義の象徴として敬遠されがちだが,ウェッブの言うような方向で適切に活用されれば,自治体行政サービスを競争的に向上 させるための大きなインセンティブ機構になるのである。現在の大学の研究費は,事実上,このようなシステムで競争的に配分されている。もちろん,こうしたシステムには弊害も大きく,行政・教育の質をいかに評価・測定するかは,それ自体で,大きな課題となることは言うまでもない。客観的な評価がかえって形骸化した人間性の一部(例えば,暗記的学力)のみを反映し,いびつな社会(貧弱なエリート主義)をもたらすこともある。現代流に言えば,確固たる社会常識・規範のもとで,専門家による「主観」評価の勇気ある導入が必要かもしれない。いずれにせよ,使い道でどうとでもなるが,「測定と公開」という概念が,ウェッブの行政理論の一つの柱であったことは注目に値するだろう。
                           
・ウェッブ夫妻とLSE
 ケンブリッジ,オックスフォードとならんで,イギリスの社会科学研究の中心であるLSE(ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス・アンド・ポリティカ ル・サイエンス)は,フランスのシアンスポ(高等政治学院,パリ),アメリカのコロンビア大学(NY)にならって,ウェッブ夫妻が,イギリス・ロンドンに 設立した都市型大学であった(1895年)。場所は,ロンドンの地下鉄(ディストリクト・ライン,サークル・ライン,テンプル駅)から徒歩5分,隣は最高 裁判所というロンドンの中心地に位置し,キャンパスには,いわゆる緑の芝生がまったく無いほどの都市型大学。元々は仕事をもって学ぶ人向けの夜間大学とし て出発した。オックスブリッジの図書館がどちらかというと閉鎖的なのに対し,LSE図書館は,学外者でも非常に簡単にアクセスできるオープンさが売りでも ある。社会科学系では,20世紀の文献ならば,大英図書館に匹敵する蔵書を誇る。
 開学の当初から徹底した「実学」教育がモットーであり,初期の人脈には,「イギリス歴史学派」と呼ばれるオックスフォード系統の歴史・実学系の経済学者 が多く集まった。一時期は,マーシャルのケンブリッジに対する対抗的な存在でもあった。ベヴァリッジ(オックスフォード出身)もLSEの学長を務めた。シ ドニー・ウェッブは理事会の議長であり,「行政学」の教授でもあった。ウェッブ夫妻=フェビアン社会主義者が作った大学として,左翼的な色彩で見られがち であり,事実,60年代のイギリス学生運動ではロンドンの中心地だった。歴史的には,ハロルド・ラスキなどの大物の左翼知識人が存在した一方で,F.Aハ イエクなどの新保守主義に分類される超大物も在籍するなど,経済学の世界では,左右両極端な評価が現在まで放置されているが,再考の余地を秘めている。最 近では,ニュー・レーバーの理論的ブレインであった,アンソニー・ギデンス(『第三の道』)が学長を務めていたことでも有名。




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