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第三話  空飛ぶ七面鳥


TURKEY――(英)七面鳥、つまらぬ人・もの


靴が濡れた。……まぁ良い。とにかく――
[“あいつ”は良い奴だった]
それは、間違いないことなんだ。

俺の幼なじみ。“あいつ”は、いつも優等生だった。
誰にでも良い奴だった。だから皆に……親にも友人にも、教師にも好かれた。
だが、“あいつ”の素晴らしさを誰よりも理解していたのは俺だった。それに間違いはない。
“あいつ”も、それを知っていた。だからこそ、俺と“あいつ”は、無二の親友だったんだ。
“あいつ”の頭脳は誰よりも明晰で、容姿も端麗だった。“あいつ”は、俺の理想と夢の可能性。
だが周囲の連中は、“あいつ”の真価なんぞは、分かっちゃいなかった。小学校に入った頃から、
やれ神童だの天才だのと騒ぎ立てて、まるで“あいつ”が、既に完成された器であるかのように
扱った。冗談じゃない……! “あいつ”の器は、そんなちっぽけなものではない
まだまだ……まだまだ、これから素晴らしくなる。“あいつ”の可能性は、こんなものじゃないんだ。
“あいつ”の素晴らしさは、容姿だとか頭の回転の早さだとか、そんな形骸的なものじゃない。
その、真実の奇跡の為には、美しい容姿や聡明な頭脳などは、寧ろ小賢しくうるさいもの
でしかない。邪魔なものなのだ。そんなものは無くとも、“あいつ”は素晴らしい、神の奇跡の
ような器なのだから。――それを理解しない奴らのことなど、どうでも良い。ただ俺は、
“あいつ”を守るのは、俺の使命だと思っていた。俺は神の召令を受け、“あいつ”の為に
生まれたのだ。だがしかし、どうすれば“あいつ”を、より完成へと導けるのだろうかというのが、
俺の常の悩みだった。中学でも高校でも大学でも――俺の視線は“あいつ”を離れず、
俺の頭は、“あいつ”のことで一杯だった。他の奴らが“あいつ”をどう見ようと、そんなことは
どうでも良い。“あいつ”を正しく見ることができるのは、神と、俺だけなのだから。

いつも穏やかな“あいつ”は、敵というものを、全く作らなかった。それは、見ていて不思議な
程で、俺はそれが、“あいつ”の中身がまだ虚ろで、満たされていないからだと思った。
優しい奴は、争いごとや、残酷なことは嫌った。以前も俺が……と言っても、小学生の頃の
話だが、学校の飼育小屋で飼われていた七面鳥を、「飛べよ、飛んでみろよ、そら」と、
棒切れでつつき回していた時も、「可哀相だよ、苛(いじ)めるなよ」と、本気で俺を諫めた。
“あいつ”の困る顔は見たくなかったから、俺はすぐにやめた。だが、“あいつ”は間違っていた。
俺は、七面鳥を苛めていたわけではなかった。俺は七面鳥の、あのブヨブヨと爛(ただ)れたような、
醜悪な面構えが気に入っていた。きっと七面鳥は裏切らない。その真価を、過小評価も、
過剰評価もさせない。あの恐ろしいほどにグロテスクな顔など、評価の基準の一つにも
ならないからだ。
――正確でない評価は、冒涜的だ。
俺は、七面鳥が空を飛ばないのは、奴自身が、その偉大な可能性に気付いていないから
なのだと思っていた。本当は、空を飛べる――しかし、奴は気付かないだけ。
そして俺は、七面鳥が完成されるための手助けをしようとしていたにすぎない。
まぁ、そんな話は、どうでも良い。昔のことだ。

俺と“あいつ”の世界が、不意に変化してきたのは、大学の頃。奴が、初めて女に惚れてから。
勿論、俺は認めなかった。女は、「完成」の妨げになるだけだ。それも、くだらん水商売の女だった。
舌先三寸のお情け話に騙されたクチで、俺が何を言っても、“あいつ”の耳には入らなかった。
女の為ならば、全てを捨てても構わないとすら言った。そんなバカ気たことを、死にそうに
真剣な顔で言った。俺も必死だった。今更こんなところで、つまらぬ女に、俺が神へと
近付ける為に守ってきた“あいつ”を、滅茶苦茶にされてたまるものかと思ったからだ。
「お前は特別なんだ、他の人間とは違うんだ!」
――俺は“あいつ”に、そう言った。何度も何度も。しかし、答えは一つだった。
「僕は、平凡な人間で構わないんだ。ただ、一人の女性を幸せにしたい……彼女と幸せに
 なりたいんだ」と。そんな戯言を!

……“あいつ”は、すっかり変わってしまった。俺の言葉になど、耳も貸さなくなってしまった。
皆、あの女の所為だ。……愚かな。結末など、始めから見えていたのだ。
女の言葉が真実であるわけがなく、女が本気で、学生などと一緒になる筈がなかった。
当然、“あいつ”は捨てられた。それ見たことか……と、俺は冷たく、心の中で呟いた。
周囲の連中は、“あいつ”にこぞって同情を寄せた。人の好い、優しい男が、悪い女に
騙されたと。――俺は違った。人の好さ、優しさなど、美徳でも何でもない。
……“あいつ”は、そんなちっぽけな賛辞など必要としない程の人間の筈だった。
それを、自分から捨てようとした行為は、許されるものではない。もう二度と、「完成」はない
だろう。俺は、そう絶望した。「神の器」を、自分で破壊した“あいつ”を、俺は許せなかった。
“あいつ”は俺を、そして神を裏切ったのだから。

だが……だが……!


――俺は再び、自分の足下を見下ろした。

女に捨てられ、その裏切りを知った“あいつ”は、忠告した俺に謝りに来るでもなく……
ガソリンをかぶり、焼身自殺を図った。――それが、一週間前のことだった。
運が良いのか悪いのか、“あいつ”は死に損なった。俺は今更、“あいつ”に言う言葉も
ないと思ったが、奴の母親の願いで、見舞いの為に病院を訪れることになった。
奴は、やっと昨日、意識が戻った。無理もない。全身が焼けただれ、助かったのが
不思議な程なのだから。あの端正な面影も、そのカケラも見いだせないことだろう。

奴に言う言葉など無い。きっと“あいつ”は、もう、女に捨てられた時点で、何もかも
壊れてしまったから。

雲一つ無い快晴だった。空には一片の曇りもなく、鳥の影一つなかった。
俺は、ふいっと空を見上げた。

――鳥が……飛んだ。

今、俺の足元に、“あいつ”が舞い降りた。遥か天空に飛び立った鳥は、俺の元へ。
血と、膿(うみ)と、脳漿の中に、焼けただれた顔が、めり込んでいた。俺の靴にも、その血や、
ぬるりとした水が飛び散った。
得も言われぬ快感が、俺の五体を満たし、震えさせた。

そう……“あいつ”は、完成されたのだ。











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