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第二話  一九九二年の夏休み ・ 3



――突然、バッと強い光が射した。校舎屋上に設置された、サーチライトだった。
「まずい……君、そっちへ逃げろ!」
「嫌よ、一緒だって……!」
「今は危険だ、良いね、とにかく何食わぬ顔で戻れ!」
そう言って彼は、彼女の背を押した。
「だって、ここならライトも届かないわ……」
「良いから早く、取りあえず散るんだ!」
彼の言葉に従うしかなかった。不安で胸が押し潰されそうだった。でも……きっと、二人で行ける。
それを信じて、今は別れるしかない。そうして、背を向けた。

――どうか無事で……!

長い長い闇の中を、永遠に駆け抜けているようだった。早く抜け出したいのに、ちっとも
進めない。――そして耳に入ったのは、遠くからの、少年の悲鳴。とうに姿など見えない。
だが、今のは確かに、あの少年の声であったかのように思われた。そんな……と、全身に
激痛が走る。捕まったのだろうか……『無関心』に。折角巡り会えた同胞である彼を、
今失うことなど、彼女には考えられなかった。

――無事でいて お願い 無事で……

急いで引き返したが、そこには何の影も無かった。連れ去られたのだろうか。何処へ……?
男子部へと続く道。Nは、ためらいなく、そこから走り出していた。あれ程に彼女の足を
絡め取っていた恐怖が、彼を助けなけらばならないという思いに、ことごとく断ち切られていた。
彼はただ一人、彼女を見付けてくれた人。いつの間に彼女を包囲していた白い闇の中で
見付けられた、たった一つの道しるべ、そして希望の灯。彼がいなければ……彼さえいて
くれたなら……! あの美しい瞳が、彼女の脳裏を離れなかった。あの瞳だけを求め、
彼女は当てもない探索を続けた。
男子部の校舎。陽も暮れ、灯りも消えた校舎は、昼間よりも更に生気を感じさせぬ、
無機質の次元に満たされていた。彼女は男子部を訪れたのは初めてだったが、校舎の
構造は、女子部のものとすっかり同じだった。その屋上に……ひらりと、白い影を見たような
気がした。Nは何を考える間もなく、校舎の中に飛び込んだ。内部の造りも女子部と同じ
だったので、彼女は迷わず屋上への最短距離を駆け昇った。何処にいるのだろう。
彼女は、何も無い屋上を見回す。先刻の白い影は――フェンスの側に、うつぶせに
倒れていた。Nは、うなりに千切れそうな血管の痛みを胸に感じながら、彼に駆け寄った。
と、その途端。
真夏の太陽のように、網膜に焼き付く光が、彼女を射抜いた。屋上の、サーチライトだ。
彼女は、焼き付けられた陽画のように硬直した。動けない……真っ白な光。

[カレニ フレテハ イケナイ]

いつも、学園長代理を務める機械音(マシン・ヴォイス)。間の抜けたような調子が、却って今は
不気味だった。

[ニンシキなんばー 9・4・5・7・3 “N”]

「音」は、彼女を「識別」した。こいつが……『無関心』なのだろうか。Nの喉を、冷たいものが
さがる。足元には、まだ触れられない少年が倒れている。

[キリツ・イハン ―― イツダツ・コウイシャ  ガクエンキソク 9・6・2ジョウ ニモトヅキ
 ショバツ]

「あんた……誰? 人間じゃない、この学園の人間を、人間でなくしてる……!」

[ショ・バ・ツ]

「音」は、一切の感情を持たない。
「い……や……」
Nは、後ずさった。逃げる……彼と逃げ出すはずだった――

――狩られる……私も、彼も

その言葉が、猛スピードで思考の中を駆け巡った。冷たくて熱い汗が、熱を与え、同時に
奪ってゆく。
「嫌……!」
彼女は、フェンスぎりぎりまで下がり、叫んだ。彼と行く……二人で、彼と。

[――コウリョ ヨチ]

突然、「音」が、幾らか人間的な調子になり、彼女はハッと顔を上げた。

[ショバツ タイショウハ イチメイ ―― 9・4・2・2・7 “M”ヲ ショバツスレバ
 9・4・5・7・3 “N”ハ カイホウスル]

「……えぇっ?」
Nは、グッとフェンスに寄りかかった。

[Vice Versa ギャクモマタ シカリ   センタクヨチ イジョウ]

「――何考えてんのよ……!」
彼女の腕は、悪寒に震えた。何を考えて……? いや、「思考」など、機械には無い。
では、これは一体……?

[センタク センタク センタク センタク]

「音」は、Nに三つの選択肢を与えた。
二人共処罰か。Mを処罰し、N一人が逃れるか。それとも……Nを処罰し、Mを解放するのか。
彼を……?
眩しい光に目を細めたまま、Nは少年を見下ろした。……あの美しい瞳は、閉じられたまま。

[――センタク センタク センタク センタク]

――うるさい……!

彼女は必死に耳をふさいだ。この選択に、何の意味があるというのか。彼女は、「思考」を拒否した。

[……タク センタク ――アト 三十ビョウ イナイ]

「やめて、私に選ばせないで!」
「人」だから……それだからこそ、無意味な、そして残酷な選択に怯え、迷い、苦しむ。

[二十五・二十四・二十三・二十二・二十一・二十……]

体中の汗腺から、血管で暴れ回る煮え立った血が、吹き出しそうだった。

[十五・十四・十三・十二・十一……]


――真っ……白。


眼球が押し潰されるかという程に強く閉じた瞼の裏が、瞼に光に染まった。
「――裁くなら……私を!」
彼女はフェンスに手を掛けると、ひらりと乗り越え、「声」が最後の一つを数え終わる前に……
それを聞き届けるのを拒絶するように、屋上から身を躍らせた。

彼女を包んだのは、真夏――真昼の光。


ず……んっ、と鈍い音がしてから、十数秒後のこと。

うつぶせに倒れていたMは、ゆっくりと起き上がった。制服に付いたホコリを払うと、ふうっっと溜息。
フェンスへと歩み寄り、サーチライトが照らす、遥か地上の、少女の無惨な骸(むくろ)を見下ろした。
肘をつく彼の、その瞳は、やはり美しく……口元には、笑みが浮かんでいた。
「――あんまり……面白くなかったな」
くすくす笑うと、彼は、巨大にそびえる、学園の全貌を眺めた。
「さて、次は……どれにしよう。ちょっと趣向を変えて……男同士の友情ごっこ、かな」

悪戯好きの子供の目は、次の獲物を探し出す。
この世界は、彼一人の玩具(おもちゃ)箱。そして学園は、彼のお気に入りの「人形の家」。
くるくるくるくる……踊り続ける、人形達。狂気は続く。……永遠に。
――人形達がすべて、「彼」に壊される日まで。










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