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『真理君』は千夏の彼氏で、本名は母田真理(おもだまさみち)という。女顔だから、友人達からも
「ママ夫君」とか「まりちゃん」などと呼ばれている。千夏の学校の近くの男子校の生徒で、
去年の学園祭フィーリングカップルで出会い、その場限りでなくいまだに続いているという、
珍しいくらい持ちの良い二人だった。
「――テレるなんて、ガラじゃないのにねー。おかし! そんならペンネームだって、全然
 本名と違うのに変えちゃえば良いのに。野枝さんのそういうとこ、不思議だなぁ」
食事の後、お茶をしながらの会話。千夏の向かい側に座っているのは、千夏の解いた髪
よりサラッとしているのではないかと思われる髪が、わずかに細いうなじにかかった、カップに
かかる指先も端正な少年。
「前に聞いたの。何で本名にしないのって。そしたら、よく分かんなかった。何か……『私の
 オヤジはバリバリの左翼だったからな』とか何とか、ぶつぶつ言ってて」
「あ、そうか。本名が『伊藤野枝』……なるほど」
合点がいったようにうなずく真理に、千夏は首を突き出して、
「なに? どういうこと?」
「戦前の、女性運動家だよ。大杉事件の……大正時代に、無政府主義者(アナーキスト)
 大杉栄と、愛人の伊藤野枝が、憲兵隊に惨殺されたっていう事件があったんだ」
ちょっとやそっとでは分かりそうもない千夏に、できるだけ簡易に説明を試みる。だが千夏は、
分からなくてもあまり気にならないようだった。
「惨殺された愛人の名前!? 流石は野枝さんのお父さん、過激ぃ〜」
「大杉栄は今でも熱烈なシンパがいるし、そのお父さんって、もしかしたら大学の先生とか
 かもしれないね。――それより、なっちゃん……」
話題に一区切りが付いた所を見計らってか、おもむろに真理が切り出した。


* * * *


激しく大股で歩く姿からだけでも、頭バクハツ状態である様子がうかがえる。今、千夏の頭の
中にあるのは、とにかく帰って、この怒りをぶちまけることだけだった。
玄関は、鍵がかかっていなかった。「ただいま」と、その声だけで既に、如何に不機嫌であるかを
誇示するが、返事はない。それにまた少しムカッときて、ズカズカ上がり込む。リビングには
いないし……と思うと、何か声がして、洗面所の方へ。
「ひどいわ野枝ちゃん……少しは親身になってくれたって良いじゃない」
「だーれがテメエのファッキン・ケツの穴のことで親身になれるかってんだ。大体、私に恋愛相談
 しようという発想自体、既にゆがんでるぞ」
もしや……と、恐る恐る、浴室を覗く。
「千夏か。お帰り」
バスローブ姿に、髪にタオルを巻いた野枝が、立ち聞き娘に気が付いた。
「あら、アタシったらこんな格好で! ごめんなさい、ちなちゃん」
腰にタオル巻いただけだったルイが、慌ててバスローブを羽織るが、千夏は無感動。
「……野枝さん、玄関開けたままでお風呂入らないでよ」
「何で」
こういう人には、勝手にさせておけば良い。
「何なんだかルイが一緒にフロ入ろだなんて言い出すから、何かと思えばよ。恋の悩みなんて
 さ……おい、類(すぐる)ちゃん、お門違いなんだよ」
「野枝ちゃんったら、ホントまともに話なんて聞いてくれないのね、もうっ。背中流してあげたのに」
「相手選べよ、相手を。オカマの純情は、私にゃー分からんし、『精々頑張れよ』くらいが
 関の山だ。……何だ、千夏どうした。デートの後にしては、顔がむくんでるぞ」
「むくれてるの!」
ちょっと気勢を削がれたものの、ここで猛然と巻き返す。


「――私と会うのを、これから一週おきにしてほしいって言うのよ!? そんなの、頼まれて承諾
 するようなことじゃないじゃない!」
マジメに聞いているのか不安が残る野枝は、まだバスローブ姿で、缶ビール片手に、ソファーで
新聞を読んでいる。
「別れ話じゃないんだし、良いじゃないか。いつも会えるのに慣れてると、ちょっと離れただけで
 すぐ別れるようなハメになる。それに彼は、おまえと違って受験するんだし、おまけに3年生
 なんだから、察してやれよ」
「そんなの……自分勝手な都合だわ」
「話聞いてりゃ、千夏には、自分と、自分にとっての彼の都合しかないみたいだな。彼も若い
 のに、なかなか我慢強いもんだよ。『燃えて恋、さめても愛』というのが現実だ。千夏も、熱が
 冷めても彼が好きなら、ホントだってことさぁ。今のうちから考えておくのも、悪いことじゃない
 と思うよ。彼の方も、ちゃんと流されずに自分を律しようとしているところが、偉いじゃないか。
 優しい上に、なかなか人間ができてるよ」
「律してなんかいないわよ。私が怒るとオロオロしちゃってさ。優しいのは、オクテでマザコンで
 シスコンだから、女の子には頭が上がらないだけだし。大体、根が少女趣味なのよ!? 
 優柔不断だし……本当は、自分でも迷ってるのがバレバレで、情けないったら」
プイッとむくれて、千夏はソファーの後ろで仁王立ち。
「……あのね、千夏。おまえさん、迷いも知らない傲慢な人間と、迷っても、弱さがあっても、
 それを断ち切りながら前に進む強さを持った人間と、どっちが良い」
「そんなの分かんない。私は野枝さんみたいに強くない、か弱い女の子だもん」
千夏の言い草に、野枝は、ハッと鼻で笑って。
「自分のことを『弱い』と公言できるだけの図太さが有るのなら、被害者ぶるのは筋違いだよ。
 『女』である弱みを逆手に取るのは、卑怯なだけだ。大体、女がしぶとくなきゃ、人類なんて
 とっくに滅亡してる」
「野枝さんはレズなんだから、男なんて嫌いなんでしょう!? どうして庇(かば)うのよ!」
ちっとも共感してくれない野枝に苛(いら)ついて、千夏はソファーの背もたれを、バンッと叩いた。
「……あいにく、私はそんな『偏った人間』じゃない。単に最近は、あまり好みの男に会わない
 だけだ。春奈のことは、相変わらず愛しているけどな」
呆れて絶句している千夏の気配を察しても、野枝は相変わらず、振り向きもしない。それでも
千夏は、まだ反抗の意志を、口の中で呟くように。
「私は……とにかく真理君が、私がどれだけ傷つくか考えもしないで、いきなり結論を持ってきた
 ことが気に入らないのよ。もうちょっと、私のこと分かってくれてるかと思っていたのに」
「――愛されて、その上理解されようだなんて。……贅沢だねぇ」
野枝の苦笑ともつかぬ溜息を最後に、千夏は再び、ブチ切れた。


「もぉー、イヤっ! どーしてあんなにイジワルなのよ、野枝さんなんかキライっ……」
大体、初めから話す相手を間違えていた。千夏は、ルイのところに駆け込み、泣きついた。
「まぁまぁ……野枝ちゃんは大雑把な性格だから、微妙な乙女心には理解が乏しいのよ」
「『大雑把』? 冷たいだけじゃない、何だって分かったような、何でも知ってますって澄ました顔
 してるけど、ひとの言うことなんか、ロクに聞ーちゃいない! こっちに見向きもしないんだから。
 ……親身な一言くらいくれたって、バチは当たらないようなものなのに、ポンポンポンポン、
 切り返すみたいに、自分は何言われたってヘーキな人だからって、ひとに何言うのにも、
 無頓着すぎるのよぉ」
「それはね、ちなちゃんが期待しているのを知っていて、わざと言わないのよ。分かってる
 んでしょう?」
「分かんない分かんなぁいっ」
いじけてゴロゴロ甘える少女を、優しいオカマが慰める。ベッドの上で、疲れていることもあり、
千夏はルイに膝枕。
「会ったこともない真理君のことばっか肩持つし、イジワルばーっか……。仕返ししようにも、
 返り討ちにされるの目に見えてるからできないし、あー、むかつくっ」
「そんなこと言わないで……。会ったこともない人だから、ただ一方的に聞いた話だけで
 非難したりしないだけなのよ。野枝ちゃん、ちなちゃんのこと、もう可愛くて仕方ないんだから」
「……知らない、そんなの。ルイさんだって、野枝さんに話、聞いてもらえなかったんでしょ」
ルイは、むくれる千夏の髪を、そっと撫ぜてやる。
「そんなのは良いの。……アタシ、ずっと野枝ちゃんを見てきてるから、分かるもの。あれで、
 随分と穏やかになったの。昔は、もっと破れかぶれだった。仕事にしても、ちなちゃんという
 扶養家族ができてからは、派手に喧嘩したりはしなくなったけど、それまでは、自分独り、
 どうなろうとっていう思いがあったから、もう無茶苦茶! 精神的にも肉体的にも、もの凄く
 不安定だったの。チェーンスモーカーだったし、すぐにストレスが胃に来るから、入院しかけた
 のなんて、しょっちゅうでね」
ちょっと顔を上げた千夏に、「ホントよ?」とルイ。
「もう、普段クールなくせに、キレる時は凄くて、ソーウツみたいに危なっかしいし。好き勝手
 言っていると思われているのかもしれないけれど、意外と何でも胸に詰め込んじゃうから、
 ギリギリまで我慢して、突然真っ青になって倒れるから怖いのよー。そんなことが何度か有った。
 そんな不安定な野枝ちゃん……それが、ちなちゃんのお陰で、オトナになったんだなって、
 ホントに思う。ちなちゃんのために、それだけ、ちなちゃんが大事だからなのよ?」
けれど、ただ甘えるのが目的の千夏は、それにうなずくこともなく、そのままうつむくと、ルイの
膝に枕したまま。
「……知らないもん」
そんな甘えん坊が可愛いのか、ルイも強いことは言えないまま、そのままにさせた。今、彼女が
欲しているものは、理解ではないのだから。



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