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今朝は遅刻ギリギリだったけど、一応セーフだったはずだし、まさか『魔の追跡調査』で
デート発覚?
彼女は、これといった確信もないまま、放課後の生活指導室に呼び出され、パイプ椅子に
座った。伝統有るこの女子校では、ひっつめ三つ編みよりもキツい校則が、当然のように
校門の外まで追っかけてくる。『尾行による素行調査』という恐るべきアナクロニズムも、
処女(おとめ)の誇りを護らんという教師陣の至高のイデアの前に、当然に敢行されていた。
「――伊藤さん」
ダンゴ髪にペンを突き立てたのがシンボルの、生活指導のお局(つぼね)教師、“通称・針山”の
呼びかけに、はいっ、と背を正す。その横には、彼女の担任のハイミスも並んで立っている。
さて、判定や如何に。
「あなた……今朝、あわや遅刻という駆け込み方でしたね? わたくしが見ておりました」
「どうも申し訳ありませんでした、これからは充分気を付けます!」
「……なぁんて破廉恥(ハレンチ)な!!」
バンッとデスクを叩くお局に、女生徒はビクッとすると共に、眉をひそめた。遅刻は常習という
わけでもなく、遅刻未遂を“破廉恥”などと咎(とが)められたのは、聞いたことがない。
「あなた、校門の前まで、車で送ってもらっていたじゃないの! それもっ……若い男性に!」
ガタッと椅子から立ち上がる少女に、横にいた担任が静かに、
「長髪に色眼鏡、それにつば付きの帽子をかぶり、軽音楽でもやっていそうな、どう見ても
 あなたより一回り以上は年の離れた青年だったと、春山先生はおっしゃっていますよ」
「そんな、違います! 誤解です、あれは、あれは……」

針のムシロの一時間後、生活指導室をノックする音。ハイミスがそそくさとドアを開けると、
そこにスラリと立っていたのは……確かに肩までの「長(?)髪」、「色眼鏡(サングラス)」に、
「帽子」、そしてラフなシャツにジーンズ姿の……
少女は座ったまま振り返ると、仏の姿を見たように肩を落とし、ホッと息をついた。
ハイミスと“針山”の困惑をよそに、その人物はサングラスを外すと、煙草の入った胸ポケットに
差し込み、怜悧な眼差しで室内を見渡した。そして、開口一番。
「……うちの娘が、何か問題になるようなことでも?」

――即刻、無罪放免となった。


* * * *


「……たく、いい加減なもんだぜ。これでもし私が捕まらなかったら、おまえ、今頃まだ
 説教食らってたところだぞ」
ハンドルを握る人物は、風に誘われて車窓を開けると、指と爪でルーフをカツカツ鳴らした。
「それならそれで『保護者呼び出し』だから、結局同じだけどね。でも、ホント助かったよー。
 野枝(のえ)さん、捕まらない時、ほんっと捕まらないもん」
「脳みそウニになるかと思ったぜ、マジで。あの行かず後家ども……男オトコと騒ぎまくって、
 よっぽど欲求不満のクチだね。千夏(ちなつ)、おまえナニ好きこのんで、こんな学校選んだんだ」
「セーラー服が可愛いし、この辺りの男の子に人気もダントツなのよ? うちの学校」
「……そうでござんすか」
半ば諦めて、物臭そうに首を振る溜息の人物に、少女・千夏は横から、
「ねぇ、仕事の途中だったんじゃない?」
すると、帰ってきた言葉は投げ遣りで、
「いーんだよ、んなモン」


「――お帰りなさい!」
マンションで明るく二人を出迎えてくれたのは、丸顔に愛嬌のある、イガイガ頭の青年。
童顔なので、まだ二十代にも見え、Tシャツの上からかけた黄色いエプロンが、子供相手の
料理番組の「おネェさん」のようなキャラクターを醸し出していた。
「ちなちゃん、災難だったらしいわね。アタシ、今夜は特に愛情込めてお料理したから、
 元気出してね!」
「ありがと、ルイさん。でも、大丈夫」
にっこり笑うと、千夏は着替えに自分の部屋へと上がっていった。
「で、どうでしたの? 学校は」
ダイニングのテーブルに構えて、一服ふかしている人物に、微笑みで問いかけるエプロン男。
「今朝、千夏を送っていったろ。それを見てたババァが、私を男だと思いこんで、パニクった
 らしい。一言、『うちの娘が、何か?』と言って、帰ってきた」
「あらあら……でも野枝ちゃんなら、そこらの殿方より、ずっと男前だもの。先生方が慌てるの、
 無理ないわ」
家族構成員は三人。当主・伊藤野枝は、一応、女性。しかしその無軌道な生活ぶりから、
ひどくユニセックス、かつ年齢不詳。主な職業は、脚本家。その扶養家族・千夏。高校二年。
居候・ルイは、野枝のマブダチのカマちゃん美容師。
この三人、血縁は一切ない。が、そんな三人が同じ食卓につく。これも、もう何年目かの生活。

両親を亡くした時に、縁を切っていた親戚が暖かく迎えてくれていたら、三十年前の少女小説の
路線だったが、千夏の場合、路頭に迷いそうになった彼女の手を引いてくれたのは、母親の
恋人(?)であったという女性。思いがけずに別バージョンな展開で、目の前に現れた野枝に、
当初は面食らった。女性なのに、あまり女性らしからぬ振る舞いの、それも千夏の母親を、
今も永遠の少女として愛し続けているという人物。何処にも行く当てはなし、世間は冷たいしで
投げ遣りになって、施設に入るよりはと身を投げ出してみたら、家に連れて行かれれば又、
そこではオカマの同居人が出迎えてくれた。そして、第一印象通りというか、それ以上に
強烈な毎日。野枝の、無頓着で常軌を逸脱したアバウトな生き方に、圧倒と言うよりは呆気に
とられ、ルイの細やかな優しさに護られて、今では千夏は持ち前の明るさ、そして我が儘さ
までも取り戻している。――彼らは「親子」でも「兄妹」でもない、「家族」。

「また仕事で喧嘩したの? 野枝ちゃん」
長年の付き合いから察してルイが訊く。野枝は特に気を留める様子もなく、
「大したことじゃないよ。私はただ、『脱がなきゃ色気が出せないような女優なら使うな』って
 言っただけだ」
「……きっつーい」
千夏は思わず、箸と茶碗を持ったまま、ルイと顔を見合わせた。無頼の武闘派脚本家、
“伊藤千冬”として知られる野枝は、扇情主義的な風潮には徹底して抵抗していた。
その割りには、本人の書くものは、なかなかどうして過激だと千夏は思うのだが、商業ベース
でいうそれとは、質が違うらしい。とにかく、その強烈な個性故に、野枝は仕事上のトラブルも、
それに起因するストレスも絶えない。
「分かるけど……今はちなちゃんもいるんだし、喧嘩して仕事なくしたら、元も子もないんだから」
「そうなりゃ千夏一人くらい、フリーターでも何でもして、がむしゃらになって働けば、何とか
 養えるさ。千夏、こう見えても私は、アルバイトの“ホスト”でナンバーワンになったことも
 あるんだぞ。一丁、返り咲いてみるか」
「そう見えるよ……」
千夏は引きつり笑い。勿論、冗談で言っているのだが、いつでもマジにできるのが、野枝の
その人たるゆえんだ。

“そういえば、卒業旅行に誘ってきたのは彼女だった。それが夜になると、「ねぇ……二人で
 寝るって、どういうことかしら?」って囁かれて。別なコには、いきなり足のユビなめられた
 こともあるから、それよか穏やかだったけどさ”

「――ねぇ、これって野枝さんの実体験?」
「んなテレビ見なくていいっ」
食後、野枝が脚本を書いたドラマを見ているところに通りがかり、野枝は不機嫌。まぁでも、
様子から察するに、そうらしい。千夏はソファーの背に、トントンと指をついて、ふっと笑った。
そして、背もたれにあごを載せると、
「私、明日は真理(まり)君とデートですから、夕飯は要りません。帰りは、十時位になりますが、
 よろしいですか」
ダイニングテーブルで、こちらに背を向けたまま新聞を広げている野枝は一言。
「ババァどものマークに気を付けろよ」
と、それだけ。あとは一切、干渉しない。



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