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聖女との対話 3



“解放同盟”を名乗る反体制運動を率いるカリスマ的リーダーにして、組織の象徴以上に
その存在が神格化された人物・槐谷研。元は、彼も体制側の人間で、洗智長官とは
学友であったという。だが彼の実像については、摩耶同様、あまり知られてはいない。
「私がリベラシオンのお飾りをやっているのは、槐谷のため。あらゆることから、彼を護るためよ。
 だから私は、本当は女の権利なんか、どうだって良い。体制を憎んでいるわけでも、
 革命を達成させたいわけでもない。ただ、槐谷の命を狙う人間がいるから、闘っているだけ。
 私は、彼と一緒にいられれば、それで良いの。けれど、私が彼と一緒に居る方法は、
 今は一つしかない。終止符が打たれるまで……『今』は。私の生の意味は、
 彼と共にあるから。私にとって、今の時代における闘いの意味は、それだけ」
「あなたや槐谷を支持した多くの人が犠牲になってきた。けれどあなたにとっては、
 それもどうでも良いことだと?」
呆れた果てに、彼の渇いた胸の底から、重苦しい言葉がはい上がってきた。
「――座ったら。……随分と純真なのね。若きエリートさん」
立ちっぱなしの彼に、ベッドに座った摩耶が言った。彼はしばし立ちすくみ、ぶっきらぼうに
椅子を引き寄せると、そこに座った。真っ直ぐに彼女を見ようとしない彼に、それまでしばらく
無表情だった摩耶に、いわく言い難い笑みに似た、懐かしい表情が浮かんだ。完全な笑み
ではなく、皮肉な色でもなく、すべてを抱きながら突き放す、慈愛と冷酷さ……混在する
魔性と聖性。それに気付いた彼は、更に落ち着きをなくし、それを隠すように視線を逸らす。
「……分からない? 何故私が、『聖女』として祭り上げられ、その一方で『魔女』、『毒婦』、
 『淫売』、『情婦』……それ以上の悪名でもって呪いを受け、罵られるのか」
混乱し始めていた征騎は、海風に打たれたように熱くなった瞼を、素早く瞬いた。
そしてそんな熱さに、苛立ちを覚え始めていた。摩耶の言葉が、彼の耳に絡みついて、
思考の身動きを阻害する。
「私は、人身御供なの。あらゆる災厄、血の穢(けが)れを、槐谷に代わって引き受けるための。
 だから槐谷の側にいる。情婦……そう呼ばれても不自然でないほど、いつもね。
 ――だけど実際は、槐谷は私に触れたことすらない」
「……え?」
思わず彼女を顔を見ると、その瞳に捕まる。
「信じられない? 当然だわ、盟友達ですら知らないことだもの。――槐谷は、私が人身御供
 だと分かっているから、私に触れないのかしら。私が女官から逃げ出したからなのか。
 ……とても愛してくれているけれど、槐谷は決して私を抱かない」
「槐谷は……あなたを犠牲にしても平気なんですか」
彼の言葉に、摩耶はほんの一瞬、息を詰めたように見えた。だが、それを確かめる間もなく、
サッと背を向けた。
「……槐谷は死ねないのよ。だから私が、彼を護らなければならない。……あまりに
 人間的な苦しみに無防備な彼を、苛(さいな)まれるあの人を。闘いの矛盾に苦しみながら、
 多くの人の命運を担うという重責にも苦しみ、尚も生き続け、その生の限り戦い続けなければ
 ならない現実から、せめて」
見えないその表情。「何も考えない」よう、「見たものにそれ以上の意味を見いだすことはない」
ように躾(しつけ)られた女性達に、「何を考えているのか」などと気を取られることは、起こり得ない。
けれど今、彼の心を動かす謎、未知であるものへの魅惑――

「所詮、力を持つ者は、『正義』ではあり得ない。その力によって、多くの無益な血を流す
 ことも可能だからよ。正義の暴力などない。血で贖(あがな)われる血もない。理由はどうあれ、
 人を殺せば『人殺し』。……正当化をしたところで、降りかかる血の穢れが、常につきまとう。
 その矛盾を分かっているから、槐谷は常に苦しんでいる。力による支配を打ち砕くものも
 また力であり、その力によって、自らも闘い続けなければならないから」
「武力による抵抗を、やめれば良いじゃないか……!」
「槐谷は、彼独りならば、決して力による闘争など始めなかったでしょうね。たとえ自分が
 殺されると分かっていても、魂による抵抗にすべてを懸け……私の先生のように。
 けれど、今となっては、槐谷は単なる一個の人間ではなくなってしまった。
 彼は、同盟の心臓となってしまった。彼の死は、リベラシオンの死そのもの、未来の死、
 志を同じくする者達すべての死を意味するようになってしまった。その迷いが、彼の命を
 危うくするわ。……でも、私は違う。私は迷ったりしない。どんな穢れに身を落とそうと、
 どれだけ犠牲の血が流されようと、それで槐谷を護ることができるのなら、後のことは
 どうでもいい。私だけは、どんな大義名分も必要としない」
そして彼女は膝を抱え、深く息をついた。
「正義だろうと悪だろうと、それは生き残った者が後になってから考えれば良い理屈なのよ。
 どうせ善悪なんて、ただの独善的な思いこみなんだから。闘いの最中には、そんな余裕
 なんか無い。死ぬか、生きるか。それで精一杯だもの。――考えられることを考えておく
 べきであった平和の中に、惰眠を貪った我々の先達……文明のまばゆい光の中にあって尚、
 群盲に等しかった人々の浅慮。彼らのツケは、確実に巡ってきたということよ。
 でも、死ぬことが目的ではない限り、お題目を考えるのは後回しで良い。……今は勝つことを
 考えなさい。生きることを。あなたは」
彼は突然、摩耶がいつの間に、自分のことを指していることに気付いた。
そう……今はこうして、視線は分かたれながらも、言葉を交わしている。もし、これが戦場
であれば、言葉の代わりに、銃弾や殺戮の刃が、一刻も早くぶち込まれようと、
嵐のように飛び交うはず。それが、本来の、この二人の関係――
「あなたは、何のために闘うの?」
そして摩耶は、彼に向いた。揺るぎない眼で、彼を見つめ、『意志』による応えを導く。
「私は、私のためだけに闘っている。生き続け、槐谷を生かし続けるために。彼に降りかかる
 穢れ、怨嗟、皆すべて私が、この一身に引き受けて。――今のあなたに、そこまでして
 闘おうとする意味が、何かある?」
血が凝固した彼女の頬傷が、燃えるような色に、彼の目に焼き付く。
それまでは、彼自身の目が赤くなっていてあまり気にならなかったのか、突然その傷が、
残酷な色に浮き上がって見えた。
……何の保証は無い未来。その希望だけにすべてを託し、闘い続ける人々。
そして、崇拝物を欲する人心に応えながら、それを巧みに利用し、自分のためだけに、
今日のためだけに闘う女性。矛盾をはらみながらも、ゆがみながらも、世界は確実に動く。
時という流れに乗せ。
「……考えておくことね。でないと、いつか必ず迷いが生じて、負けるわ。
 『負ける』というのは、 『死ぬ』ということよ。善か悪か、そんな理屈をこねている間に、
 何度でも死ねる。生き残ることに、善悪の問題はないの。でも、『信念』を持たずに
 闘い続けることはできないわ。――あなたは反体制論や、反体制者の自己正当化に
 対する反論はたたき込まれているでしょうけれど、私みたいに、自分を正当化することに
 まったく興味のないテロリストだっているということを、知っておくことね。ステレオタイプは、
 敵のイメージを固定して、それが与えうるダメージを制限しようとする心理的作用があるだけで、
 結局は現実逃避よ。闘いは、終結に近付くほど、どちらがより強い意志と信念を持っているかに
 かかってくる。もしあなたが、これからも現体制の中で、あの“空中庭園”の中で生きる決心を
 しているのなら、その意味を考えて、自分を信じて闘いなさい。
 自分の存在を護るために闘うのだと」
静かだが、しっかりと言い放たれた言葉が、硬質の壁に響く。奇妙な対話が、言葉が、
室内にあふれ、その密度に発火しそうな緊張。征騎も息を詰めた。炎が灯ったような瞳の女。
いのちが、その中に燃えていると感じられる、確かな『有機的意志体』。
いつから女性は、男性を動かす意志の力を奪われたのか。



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