「空中庭園 聖女との対話 3」へ          NOVELSへ           TOPへ


聖女との対話 2



「“空中庭園”の人間は、反体制者のことを『堕落者』と呼ぶわ。天から堕ちた者……と。
 如何にも、自分達が高みにいるという言いぐさね。だけど、雲の上を歩くのも、
 泥沼をはいずり回るのも、それが良いか悪いかを決めるのは個人の自由。
 価値観は、他から与えられるようなものじゃない。自分で見つけなければ、血肉ではない、
 ただの衣服と同じ、絶対的な自分のものにはならない、本当には理解できない。
 女が女として生きるかどうかということの真の意味も、深さもね」
「女官に選ばれるほどの幸運の下に生まれながら、それが不満だったというのですか」
「女としての人生と、女官としての人生は違うのよ。あなたは、女のしての性が、
 国家によって義務づけられるということに、疑問を抱かない?」
「……女官制度は、国家の存続、文明の維持に関わる重大な問題であって、
 個人が軽率な自由で改廃を唱えることはできないでしょう」
「――洗智の口調がうつってきてるのね。自覚は無いんでしょうけれど……高飛車だわ。
 『階級』があることが当然だと思っている」
虚をつかれたように征騎が口をつぐむと、おもむろに摩耶が上体を起こそうとし、
反射的に彼は、上衣の内側の銃に手を触れた。その気配に、彼女はピタリと静止したが、
彼の顔を見ると、向き直り、背を向けたまま起きた。
「終わったんじゃないの」
「まだ……これから傷をスプレーで固めますから」
「見かけによらず、用心深いのね。良い心がけだわ。テロリストと密室に二人じゃ、
 命が幾つあったって足りやしない」
「外には武官が待機しています。あなた一人で、“タワー”のシステムを破って
 逃げられるつもりですか。……目を瞑って。息も少し止めた方が良い」
征騎がスプレーを使うと、摩耶は黙って指示通りにした。そして、それが終わると、
ふうと息をつき、薄汚れたシャツを、上から被った。
「こんな時代になっても、まだ『軍隊』と呼ばないんだから、おっそろしく平和的な国にいるのね、
 私達。自律国家主義だか一国平和主義だか知らないけれど……結局、自分達は第三国から
 貢がせて、植民地同様に支配している。そんな御都合主義がまかり通るんだから」
「世紀末の混乱と闇を切り拓くために、現在の国家体制が敷かれたのであって、第三国への
 援助もその一貫としての行為に過ぎず、支配ではありません」
「一通りの御説なら、私も聞いたわ。何しろ、女性の高学歴化が出生率の低下の一因
 であるとして糾弾された時代に、例外的に最高学府にまで進んだんですもの。
 ……国家からの『許可』なんて、今にして思えば鬱陶しいものだけれど、確かにそのお陰で、
 かけがえのない人とも出会えた」
そして摩耶は、またあの瞳を、征騎に向ける。
「――私が一番尊敬していた法学者の先生は、粛正されたわ。……私は、体制側に
 残りながらも、その内部から、孤独な、そして頼りない、けれど魂をかけた抵抗を続けている
 人達がいるということを、その時、初めて知った。そして、それまで当たり前と思って見ていた、
 作られた秩序の『ゆがみ』が見えてきたの。今の世界は皆、人為的にゆがめられている。
 女官制度も、保安法も、教育制度も……巧妙にゆがめられている。誰かの都合に
 合わせた形に。けれど、体制の中で生まれ育った者が、そのカラクリを見破るのは、
 容易なことではないわ。失われた自由がどんなものであったのか、その本来の姿も
 分からない、知らないんですもの。あなただって、そうでしょう」
彼は、応える術すら分からない。果たして、彼女が正しくて、自分が間違っているのか。
疑うことを知らない記憶……護られた『知識』。確かに、この女性は、ただの『女』ではない。
彼はそれを、間違いなく感じ始めていた。
「先生は、そのカラクリを内側から突き崩そうと、ずっと息をひそめながら、何十年も
 生きてきたのね。もう七十歳近いおじいさんだった。それがリベラシオンの協力者だって、
 裁判もせずに処刑よ。あっという間。売国奴と嘲(あざけ)られ、勝手にねつ造された
 『事実』で名誉を汚されて。――先生は私がラス・メニーナスの選抜候補者、それも
 高級幹部クラスの女官になることを知っていて、色々なことを教えてくれた。
 その意味が分かったのは、ずっと後になってからだったけれど。先生は、女官制度を
 ひどく批判していたわ。女性の人権を蹂躙するものだって。……そうよね、現在の医学なら、
 女が子供を生まなくったって、幾らでも試験管(チューブ)ベビーを作ることが可能なはず。
 文明をここまで貪欲に追求したのなら、動物的本能としての欲求からは離れていくべき
 なのに、いまだに女をセックスから解放しようとしない。それも、国家の強制力によって。
 おかしなことだとは思わない?」
首を傾げて顔をのぞき込まれ、征騎は口をつぐんだ。
「生殖の問題なら、男の飲酒や喫煙も規制されて然るべきなのに、何故、女だけが
 生殖行為に隷属させられる存在なのかしら」
「女官制度は、あくまで健康的な子孫を存続させるためのシステムであって、」
「だったら何故、女官は二十四歳で強制的に退官なの? 妊娠しやすい年齢を設定したのは、
 あくまで便宜上のことよ。女官制度は、男が女を選ぶという制度で、女はそれを受け入れる
 しかないという発想に基づいているの」
「女性を護るのは、男性の役目であるからでしょう?」
「独りで生きる誇りは、何故、女にだけ許されないの? 強制的な行政制度で自律の道を
 閉ざすことにより、女は自由だけでなく、その人間としての誇りまでも奪われた。
 ……自分達でそれを許してしまった。改造されたわけね。当局の改造生物
 “ネオ・ドーベルマン”みたいに。あれが人間用のプロトタイプだって噂は、あながち嘘じゃ
 ないのかもしれないわね。その内、権力者が思いのままに動かせる、機械仕掛けのイヌ
 みたいな人間しか、都市にはいなくなるかも。――秩序の崩壊と、そんな人間の徘徊と。
 ……どっちが怖い? あなた」
終末論的な彼女の論説に、征騎は首筋の下まで血が下がったように、冷や汗が流れた。
からかわれているのか……それとも、本気なのか。
「あなたの言う『自由』を貫けば、間違いなく現在の文明は崩壊に向かう……
 危険思想なんてものじゃない、あなたの思想は、破滅そのものだ……!」
「どんなに栄えた都市の灯も、いつかは消えるわ。それが文明の取る、最終発展の
 自然な形なのよ。幾度崩壊を繰り返しても、都市は再生できる。けれど、その崩壊の
 真実の意味を忘れた時、都市は破滅するわ。どんなに抗っても無駄。高度文明を極めた
 者が、最終的に求めるものが何だか、分かる? ――自らを滅ぼす実行力と決断力よ」
彼女が望むのもまた、それだと言うのか。だとすれば、彼女は最も進化した『女性』が取る形……?
「何を憎んで……何のために、多くの血を流して、世界の秩序を引き裂いてまで、
 何をしたいんだ、あなたは……!?」
「――私はただ、槐谷を死なせたくないだけよ」
その、あまりに呆気ない、静かな一言に、彼の緊張は一気に崩れた。
彼をひたすら畏れさせるほどの挑発的な『危険思想』吐露の果ての告白。



「空中庭園 聖女との対話 3」へ          NOVELSへ           TOPへ