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“タワー” 3



不意に彼女と視線が合い、征騎はビクッとした。だが、離れることができなかった。
何か……惹き付けるような、強い力。意思……『意志』? 目が合っている間は息もつけず、
胸苦しくなった。が、彼女の方から視線を逸らしてくれて、彼はやっと息がつけた。
「確認できる死体の中に、槐谷はいなかったようだな。重傷を負ったという未確認情報も
 入っている。……まだ持っているか、それとも息絶えたか。早いところ、確かな情報が
 欲しいものだよ」
「槐谷は……」
摩耶の視線が征騎から外れたのは、この時だった。
「槐谷は生きているわ。……私が死なせない。決して」
その強い語気に、洗智の表情から、うわべの笑みが消えた。
鋭い視線と視線が、突き刺すようにすれ違う。
「――おまえにしては、素晴らしく論拠を欠いた発言だな」
立ち上がると、洗智は摩耶の背後に回り込み、彼女の肩に、左手を置いた。
「おまえの評判は、私のところにも届いている。なるほど、大層な献身ぶりだそうじゃあないか。
 ……国家のために捧ぐべきその精神と肉体を、あの男一人に委ねたのか?」
「国家? あんた一人に、の間違い? ――同じ一人の人間に尽くすなら、
 こちらにも選ぶ権利があっても良いはずだけれど」
「はっ……危険思想者どもが軽口を叩く。何でも手当たり次第に『権利』だ! 
 それも皆、槐谷の受け売りか?!」
「聖人君子たるべき御方の嫉妬は、見苦しいわよ」
男の指が、女の肩に食い込む。
「……おまえはただの偶像だ。奴らが、自らを異端者ではないと正当化しようとあがく心が、
 おまえや槐谷を神格化し、崇拝対象とするという形で現れているに過ぎん。その実体は
 といえば、連中の求める、ゆがんだ性的欲望のはけ口でしかない。鬱屈したエネルギーの
 爆発を扇動するシャーマンにでもなったつもりか?」
摩耶は、ふっと笑い、
「あんたが私にさせようとしたことと、同じじゃないの」
「――槐谷は何処にいる」
「まどろっこしいやり方はやめたら? あんたの噂はこっちでも有名よ。長官のイケニエにされる
 と分かったら、さっさと自殺することだ。変態性欲者(サディスト)だからな……って」
洗智は、もう片手で摩耶の頭髪を掴み、ぐいっと顔を上げさせた。その荒々しさに征騎は
息を呑んだが、何も言えぬままに、キィの上の指が硬直した。
「で……どうする。おまえは自殺するか」
「イケニエにしたいのね」
「おまえは私の獲物だ。だが、今は殺さん。槐谷を捕まえるまではな。おまえの目の前に、
 槐谷の首を突きつけてやる」
「――悪趣味」
「一つだ。他のことはどうでも良い。槐谷の居場所さえ吐けば、他の連中には減刑を
 考えてやっても良いぞ」
パッと手を離すと、ガクリと首が落ちる。摩耶は、ゆっくりと背後の洗智を振り返ると、
いまだ失われぬ強い意志をたたえた瞳で、彼をあざ笑うように。
「そんなことに興味は無いわね。槐谷一人の命と、その他雑魚(ザコ)の命との取引じゃ、
 話にもならないわ」
「『聖女』は雑魚の命に関心は無いのか」
「私は、誰の命を預かった覚えもないから」
「――もういっぺんだけ、穏やかに訊こう。一度は我が妻にと思ったおまえだ。
 槐谷研は、何処に逃げた」
「……ひとっかけらの心当たりも、無い」
最後通告が返上された途端、洗智は乱暴に摩耶の腕をねじり上げて立たせると、
彼女の体を、壁に向かって押さえつけた。
「長官、何を……!」
征騎は思わず立ち上がった。
「次官は、差し支えのない会話だけを記録しておけ。でなければ何もしないことだ。
 どうせ、報告義務は無いからな」
「しかし、これは尋問であって、拷問ではないはずです!」
一度はそう言ったものの、おじの冷たい残虐に浸りきった表情に、凍り付く。
「言ったろう……こいつは普通の犯罪者とはワケが違う。それにな、たとえ切り刻まれたって、
 可愛げのある哀訴嘆願の一声をあげることもないよ、この女は」
それは、身内ではなく、最高権力を掌握する者として、部下に言い渡す圧力にみなぎった
言葉だった。征騎は、微かに震えながらも、それを押し殺し、ゆっくりと席についた。
視界を閉ざそうとするが、恐ろしい力で引きずられるように、見たくはない方向へと首が傾く。
そして次の瞬間、洗智の手に、小さな刃物が握られ、彼女の頬に押し当てられるのが
目に入り、再び彼は立ち上がった。
「――何を!」
「誤解するな、征騎。私が、すべての犯罪者に対し、これほどの憎悪を感じているのでは
 ないということを。――この女にだけは、どんな慈悲も憐憫も無用だ、この女は……」
ギッと力が入れられると、彼女の頬に、紅い筋が走った。
「忘れたとは言うまい? 摩耶……女官の身でありながら、その規律に逆らい、
 都市の秩序を破壊する魔物に成り下がった汚らわしい女が! その汚辱にまみれた
 双眸をえぐり出しても、まだ贖罪には足りないぞ!」
「私を同じ目に遭わせたいのなら、どうぞ。……好きなように、切り刻むと良いわ」
彼女は、少しも怯(ひる)んだ様子はない。むしろ征騎の方が、恐怖から耳をふさいで
逃れたい思いに苛(さいな)まれていた。
「そんなに切り刻まれたいか。……それならば、槐谷への伝言を頼もうか」
全く抵抗しない彼女の片手を壁に押さえつけ、洗智は、その背に細身の刃物を突きつけた。
「かつて共に学び、国家の復興を誓った我が旧友……槐谷研に。名高き『聖女』を介して伝えよう」
「生きて槐谷に会わせるつもりがあるの? 余裕ね」
ぐっと上から、斜めに、ゆっくりと引き下ろす。彼女の手が、痙攣した。
――うめき声一つ、こぼれない。ただ、彼女の背に、紅く糸を引くように切り刻まれた傷から、
悲痛な絵画を描くように、血が滲んだ。
「もう、やめてください長官! お願いします……!」
また振り上げられた洗智の腕を、征騎が駆け寄り、押さえた。
「摩耶、私はもううんざりしている! おまえ達の馬鹿げたテロにも、システム攪乱にも!
 この間、私を愚弄するようなウイルスをぶち込んでくれたのは、何処のハッカーだ?
 つけ上がるのも、いい加減にしろ!」
「おじさん!!」
ぐっと力が入り、洗智と征騎の力が拮抗した。が、その後すぐに、洗智は摩耶から手を離した。
そして、血に濡れた刃物を床に叩きつけると、襟を正し、
「……局長と会ってくる。おまえはここで待っていろ」
「手当を……」
崩れそうになる摩耶を、征騎が抱きかかえた。洗智は背を向けると、
「間違えるなよ、征騎。……その女は、紛れもなくテロリストだ。手負いだろうと、隙さえあれば
 おまえ一人殺すのに、何の躊躇もしない。それを絶対に忘れるな」
そしてドアーが開くと、敬礼をする武二名に目配せをする。摩耶を再び収容するために
彼らが室内に入ってくると、征騎はその場を去らんとする洗智に向かって叫んだ。
「手当を施しても宜しいでしょうか、長官!」
洗智は立ち止まり、しかし振り返りはしない。
「――好きにしろ」
そう言い残すと、そのまま出て行った。



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