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“タワー” 2



国家保安局の中枢として、“空中庭園”と並び称される美しい建築を誇り、宵の天空に
そびえ立つ、通称“タワー”が悠然とウォーター・フロントに君臨する姿は、さながら
中世の城に立つ塔のようだった。
「何ということだ……海からの風も熱いとは」
うんざりしたように呟きながら、洗智は車から降り立った。後は早足で、建物の中へと進む。
「長官、容疑者は通常、“タワー”ではなく、別地区の収容所にまず拘留されるのでは
 ないのですか」
「今回は相手が特別だからな」
「危険はないのですか? 本部には収容施設はないですし、武官が充分な数で
 配備されているか……」
「“摩耶”は、外見的にも体力的にも、ただの非力な女だ。そういう意味では、
 恐るるに足らん。だが、精神的には、あいつは『女』を超えている。それだけだ。
 それに、あと2時間もすれば、増強武官が配備される」

“摩耶”の存在についての謎が多い一番の原因は、彼女と遭遇したと思われる潜入者が、
ことごとく生還することがないことにあった。彼女を護る人間が居るのは当然としても、
それだけとは思われない節があった。
「洗智長官、わざわざ御足労いただき、恐縮です」
「経過は聞いている。話は後だ」
出迎えの局長にも愛想は見せず、洗智はさっさと中に入っていった。
昇降機で数十階を昇って降りると、案内されるまま、「尋問」には不似合いな、
来客用の応接室に通される。洗智は後ろを振り返り、
「悪いが、君らは外してくれるかね。次官と二人で尋問を行いたい」
「は? しかし、護衛の者が……」
「武官は外で待機させておけば良い。心配には及ばん。そんな正攻法で来る相手でもなし、
 まして今はまだ薬が効いて、足取りもおぼつかない状態だと聞いた」
「は……。護送の間のことですので、意識は覚醒しておりますが、まだ倦怠感は残っている
 ものと思われます。とは言いましても……」
「――私が武官なしでは見ておれない程度の男だと思うのか」
「とんでもございません、はいっ、仰せの通りに……」
洗智がいらついたように言うと、そうでなくとも緊張している局長は、人形のように角張った
お辞儀を繰り返した。それは、征騎の目からしても、無理な要請というものであったが、
洗智がそこまで強要するには、余程の理由が有ってのことだろうと、口出しは一切しなかった。
「――容疑者を連れてまいりました」
洗智は一人掛けのソファーに、征騎はその横に於かれた簡易デスクに、書記官として
ノートサイズの端末を置いて座った。征騎がハッとドアに目を上げると、二人の大柄な
武官に両脇を取られ、連れてこられたのは、黒いパンツに白いいTシャツという軽装に
身を包んだ、意外なほど、ほっそりとした体つきの女性。髪は短かったが、うつむいていて、
表情は見えなかった。
「おまえ達は下がって結構。大丈夫だ。……そう、そんなバカな真似をする女ではないさ。
 なぁ……“摩耶”」
ぱっと腕を放され、ふらりとよろけた女性は、その声を聞くと、くっと顔を上げた。
洗智の顔に、悦楽に近い笑みが広がる。
「久しぶりじゃないか、摩耶。……まあ、座りたまえ」
真っ直ぐに見据えられた瞳。氷のように透き通った色の中に、何もかも射抜き、
貫き通すような鋭さ。征騎は、こんな眼をした『女』を、見たことがなかった。こんな風に、
世界を見ることができる女に、出会ったことが。
「折角だから……ご好意には甘えさせていただくわ」
足下が危うく、思わず征騎は手を貸そうと腰を浮かせたが、その前に彼女が、
ソファーの背もたれをグッと掴み、何とか腰を下ろした。
洗智は膝に片肘をつき、ゆったりとした笑みすら浮かべていた。
「素直で良いことだ。――大分、痛めつけらたようだからな」
「あんたの顔見る方が、ずっと堪(こた)えるけどね」
「おやおや……あばずれぶりも、随分と堂に入ったものだ。
 もはや、“女官たち(ラス・メニーナス)”の一員であった面影などないな」
「女官……?」
思わず征騎が声をこぼすが、これは咎(とが)められなかった。
洗智は、ぎらりと光る目で摩耶を見つめながら、
「征騎。この女はな。女官として選抜された中でも、女として、国民として最も栄誉ある
 “聖家族(サグラダ・ファミリア)”に迎えられるべくして教育されながら、反体制側に堕ちた売女だ」
「もっと言ったらどうなの。――オレは、こいつに逃げられたんだ、って。……どうせ彼は
 身内なんでしょ。でなきゃ、あんたが連れてくるわけがない」

女官――若い人材の育成どころか、若い人材そのものの危機的な減少は、
世界動乱の折りも折り、国家非常事態宣言のもと、強力な行政管理制度によって
回避されようとした。
前世紀、既に一割を越えていた不妊に悩む夫婦の数は、その後も増加。
より優秀な遺伝子を、確実に、より多く継承させてゆくために導入されたのが、
主に未婚女性を対象とした「女官制度」だった。特に、国家の命運を担う首脳陣営は、
国家の美徳と繁栄の象徴として、理想的な家庭を持つことが望まれ、その“聖家族”
と呼ばれるエリートの一員となることは、生殖以外の社会的任務からは
ほとんど除外された女性にとって、望みうる最高の地位を得ることを意味する。
あの女性秘書のように、社会の表層にいる女性は、女官に限られていた。
「健康な卵巣……それは当然の条件だ。そして、二年間の女官就任猶予を与えられ、
 女性としては極めて例外的に最高学府を許された程の知性。しかも、おまえのその美しさ。
 ……おまえほどに価値のある『資源』は、後にも先にもいなかったな。――が、やはり女に
 学を付けすぎたのは、失敗だったようだ」
洗智の表情が、一転、憎々しげな色に変わる。
「その、最も価値ある国家の財産たる存在であったはずが、今では国家転覆を謀る
 テロリストの一員、それも首領の情婦だと?」
摩耶は、何を言われても悪びれた素振りはなく、
「普段は『革命の聖女』で通ってるんだけど」
「その『聖女』にお会いできて光栄だよ。おまえが死体の中にいなくて、本当に良かった」
「私を庇って、3人は頭を吹き飛ばされたけどね」
「皆、おまえを抱く夢でも見ながら死んだんだろう」
「……そんな余裕があったのなら良いけれど。せめてもの慰めになったでしょう」
摩耶が溜息のように肩をすくめると、洗智がまたハッと嗤う。
「聞いたか、征騎。『聖女』らしい言いぐさだとは思わんか。外面如菩薩内心如夜叉――
 まさにおまえのことだよ、摩耶。気高き淫売女が」
征騎がチラと彼女を見ると、疲労の影を濃く含みながらも、不敵な表情を見せる女性の横顔。
不思議な感情を喚起させる、謎めいた沈黙。
噂というのは往々にして頼りなく、外見ですら、頼りなさに変わりはない。
……人間の本質を覗く確実な方法など、ありはしない。



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