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“タワー” 1



「外は暑いようだな」
正面玄関から出る時に、洗智は呟いた。建物の内部は空調されていて、制服で丁度良い
位だが、外ではそうもいかない。それとも、この制服のためのきつい冷房が、不自然なのか。
どちらにせよ、車に乗り込む迄の、ほんの一瞬のことだ。
「夏は暑いのが相場とはいえ……私が子供の頃より、二度も上がっていてはな。
 お前は、生まれた頃からで慣れているか」
「それでも暑いですね。今日は特に。午後に視察団の方々をお迎えした時には、
地面に陽炎(かげろう)が立っていました」
自動扉が開くと、熱風が吹き込む。両脇に立った警備の武官が更に暑苦しいが、
立ちっぱなしの彼らの方が、余程暑いことだろう。彼らは敬礼すると、正面に止まった車の
ドアーを開けた。
「Y地区の国家保安局本部。“タワー”だ。急げ」
乗り込むなり運転手に言い渡すと、車はすぐに発進した。
征騎は、隣の洗智の顔をチラと見たが、いつもの冷徹な表情の中にも、わずかな異変が
見られた。気がせいているのか、何かの予感が走っているのか。かつて無い微妙な緊迫に、
彼も深く息を呑んだ。
「長官……一体、何者ですか。今回の大物というのは」
彼の問いに、洗智は腕を組んだまま少し下に傾けた視線を動かさずに、静かな、
しかし確かな低い声で答えた。
「おまえも、名前は知っているだろう。……“摩耶(まや)”だ」
衝撃に凝固した征騎の表情を見やると、洗智は口の端をゆがめた。
「噂は聞いているらしいな」

“摩耶”――その名は既に、あらゆる風評に彩られた衣(きぬ)をまとう、妖しい響きを持つ音として、
征騎の中に記憶されている。反体制運動組織“解放同盟”の主導者・槐谷研の情婦と呼ばれ、
またその激烈な武勇によっても名を馳せる、しかし謎めいた存在の女性。聖女のような美しさ
ながら、魔女のような冷酷さを兼ね揃えていると伝えられる、当代きっての妖婦。
「……本当ですか。あの、ナンバー2の」
「私もにわかには信じがたかったが、十分に確認は取れた。まぁ、私が出向くというのは、
 その最終確認を兼ねているわけだが」
「何故……長官が?」
いくら大物とはいえ、第一回目の尋問に、もっとランク下の人間ではなく、彼が出向く
というのは、大仰すぎるように思われた。
「いずれ分かる。お前を連れてきた理由もな」
“ウワサ”には無い、秘められた事実がある。――そんな、気配。しかし、それは機密にでも
関わることなのか、おいそれとは口に出されぬことらしい。
「下っ端の人間は、いくら叩いてもたどれる箇所は限られている。だが、“摩耶”であれば、
 いまだ消息を掴めぬ槐谷を引きずり出すことも可能だ。――あの魔女に会うのも、
 4年ぶり……いや、もっとか」
洗智は、冷たい光を宿した目で、遥か前方を見つめているようだった。
「どんな顔をして……私の目を見るものか」
その奇妙な、いささか自虐を含んだ微笑に、征騎は眉をひそめた。
「“摩耶”に……お会いになられたことがあるのですか」
「言っておくが征騎」
余計な質問は、押し切られた。
「あの女を……『女』とは思うな。決してな。あれは、おまえが理解しうる『女』という生き物の
 範疇(はんちゅう)には、絶対に入らん。これは、おまえの命に関わることだ。理由なぞ
 分からなくて良い。ただ、肝に銘じておけ。良いな」
確かに、洗智が何を言わんとしているかは、征騎にはさっぱり分からなかったが、
その言葉は至上命令には違いなかった。



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