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“私は翼の有る天使は描かない  そんなものを、私は見たことがないからだ”

                           ――どっかのエラい芸術家サンの弁。






僕の大学受験の日は、大雪だった。「東京スケール」での話だから、十数センチ程度だが。
それでも交通網はマヒし、僕の乗ったバスも、娘のために体を張ったお母さんに、無理矢理
止められたりした。僕は時間に間に合ったが、結果的に試験の開始は四十分遅らされた。
その間、暖房でボーっとして眠くなるし、神経質な女の子は泣き出すしで、何だか悲愴な
雰囲気が漂った。
そんな、エンギでもない受験だったので、僕はすっかり気落ちして、「こりゃダメだな」と
思いつつ、合格発表に赴いた。もうあの日の雪はスッカリ消え、乾いた風に、早咲きの
白梅の薫りが乗せられ、真っ青な空が、気が遠くなるほどに綺麗だった。こんな日に、
受かっているわけもない発表をわざわざ見に来るなんて、我ながら酔狂だなぁと思ったが、
受験の日に隣に座っていた謎の女子高生(ミッション系高校の制服を着ていたのだが、
試験開始前に「阿含宗○○式」とかゆうお経の本や、何か彫ってあるメダルを取り出し、
ブツブツ唱えたり手で印を結んだりしていた)が受かったのかという興味もあり、結局
来てしまった。
しかし予想に反して、僕は合格していた。そして、謎の女子高生も。それがすぐに
分かって、却って気抜けしてしまった。嬉しかったが、なにぶん天候は「劇的な場面」に
そぐわぬ穏やかさ。独りで来ていたし、盛り上がりに欠けた。あぁ、ウチに電話しなきゃな、
でも公衆電話は何処も一杯だろう……とか考えて、ボーっと経っていた。
そんな僕がハッとしたのは、隣にいた、ソバージュがパイナップルみたいなポニーテールの
お姉さんが、大声を出した時だった。
「カナエーっ、こっちこっち! 受かってたよぉ、妹、受かった!」
……カ・ナ・エ。
僕は、そんな名前を耳にしたのは、初めてだった。その大声につられて振り向くと、
芝生の真ん中を突っ切る「花道」を歩いてくる女の人が、それに応えて手を振り、
大きなステップで駆けてきた。
「ごめん、遅くなって! でも良かったー!」
「もぉー、誰かに言いたくって、うずうずしてたんだから」
僕は、初めてその人を見た瞬間――目を見開いたまま、硬直してしまった。
……信じられないようなものを、見てしまったからだ。
「みんなに報告しよう! セミナー・ルームにいるよ」
“カナエさん”は、パイナップルお姉さんの手を引いて、大学本館の方に行ってしまった。

その後もしばらく、僕は動けなかった。「カナエ」……名前だろうか、姓だろうか。
どんな字を書くのだろう。
――不思議な人だった。ほつれた巻き毛みたいなショートの髪。男物のシャツにスカーフを
使ったフェミニンな着こなし。アンバランスな要素がかき集められて、「カナエさん」という
存在が造られていた。僕は、そんなアシンメトリーな、「違和感」とすら取れるその人の
印象を、とても綺麗だと思った。


入学してから、僕は「カナエさん」に再会できる日を願っていた。多分、三年生だろう。
小さな大学だし、きっとまた会える。そう信じた。
そして或る日、メールボックスに山と詰まっていたサークル勧誘のチラシ。
いつものように捨てる準備をしながら、チラと横目で見る。

 『「ジェンダー研究会」 “造られた性”の意味を、どう考えますか?』

――そこで、ヒラリと再生紙用チラシ回収箱に落とした……が、最後の一行が目に残り、
慌てて回収箱に手を突っ込んだ。

 《CONTACT....TSUSHIMA, KANAE (JR.)》

ツシマ・カナエ……この人……に違いない!
僕は改めてチラシを読み直した。サークル説明会が、今日の昼休みにある。
活動内容についてはサッパリ分からなかったが、「カナエさん」の手がかりというだけで、
僕には充分な動機であり、またその後「ジェンダー研」に在籍することとなるのだが、
それも動機はタダ一つ、「カナエさん」だった。

僕の狙い通り、「カナエさん」は「ジェンダー研」の人で、本名・津島香苗。
……何だか中国野菜みたいな名前だなとういのが、率直な印象だった。
そして半年もすると、僕はすっかり「ジェンダー研たむろ」の常連一年生となっていた。
とにかく自分からは何も喋らなくとも、ミーティングに欠かさず出席していれば、自然に
カナエさんや他の人達と親しくなれる。あまり積極的でない僕にとっては、楽な方法だった。
それにカナエさんの話は面白くて、僕は確実に、彼女に心酔していった。

「――たとえば、江戸時代の女形役者なんかは、完璧に『女』としてのジェンダーを、
 社会的に認められていたわけ。だから、銭湯なんかに行っても、女湯に入るのが
 当然許されていたんだな」
……まさかカナエさんは、僕が初めから、彼女だけが動機で「ジェンダー研」に入ったなんて、
知るよしもないだろう。そんなことは、勿論僕も言わなかったし、誰も知らないハズだった。
ただ、カナエさんが僕の憧れの人であるということは、目敏い面々には、バレバレだった。
「ヒトミちゃあ〜ん、残念だったねぇ。香苗女史と二人きりを邪魔されて」
ミーティングではなく、ただの「たむろ」の後、僕とカナエさんの「二人きりの(オイシイ)談話」
に割り込んできた一つ上の先輩が、僕の首を背後から絞める。
「やっ……めてくださいよ先輩」
“ヒトミちゃん”は、僕の愛称。本名を、遠野瞳という。性格と容貌のせいか、「ヒトミちゅわ
わ〜んv」とか呼ばれ、からかわれることが多い。当たり前だが、本人はそう呼ばれることに、
大いなる抵抗がある。
「しっかしナンだな、ヒトミちゃんはオクテだね。俺なら、あれだけの時間がありゃ、もっと
 近付いてるがな」
「……ほっといてください」
ズバリ指摘されて、実は傷ついている。何も、下心の問題ではなく、一緒に過ごしている
時間の割には、僕はカナエさんに対して、よそよそしい。側にいるのだが、その一歩先には、
どうしても進めない。これには、僕の性格以上に、カナエさん自身にモンダイがある。
いや……というか。そう言うと、それもまたちょっと語弊がある。

そういえば、カナエさんについて、まだ言っていないことが、一つあった。僕が、初めて
あのひとを見た瞬間、凍り付いてしまった理由。

――カナエさんの背中には、“翼が付いている”。
フツウなら、「んなバカな」と思うことだろう。正確には、付いているように「見える」だけ
なのかもしれない。何しろ、その翼は、僕以外の人間の目には、映らないらしい。
あんなに美しい、白い翼。いや、それよりも、あんなものが背中に付いているという
こと自体、おかしい。だが僕には……僕だけには見える。これは、幻なのだろうか?
きっと、そうに違いない。何故、僕の目に見えるのかは分からないが、翼を持つ人間が、
存在するわけがないのだから。
カナエさんは、美しい。間違いなく美人だ。そして、美しい、白い翼を持っている。
となれば、既に人間ではない。んなわきゃないから、あの翼は……あれは……と、
僕は一生懸命考えた。というのも、僕が今一歩の所でカナエさんに近づけないのは、
あの翼のせいだからだった。
僕が思うに、あの翼には魔力がある。あの、「人ならぬもの」の象徴とでも言うべき
「翼」が、神秘的で美しいカナエさんを、より一層近付きがたく、侵しがたい深遠な
高貴さでガードしている。しかし……ナンで「僕にだけ」なんだろう。「僕だけ」が
カナエさんに近付いてはいけなくて、だから「あんなもの」が見えるのだろうか。
……このままでは、僕は永遠にカナエさんに近付けない。あの白い翼の魔力に
打ち勝たねば、僕は「お姫様」に触れることすらできない。

翼よりも、(僕にとって)とんでもないことには、カナエさんには、恋人がいた。
僕は、カナエさんに翼がくっついてるのは、まぁ仕方がないが、恋人(オトコ)
くっついてるのは、絶対にイヤだった。とはいえ、そんなのは僕の勝手な言いぐさで、
実際にはどちらも、僕にはどうしようもないことなのだが。

カナエさんの美しさは、その不安定さにあった。そのちぐはぐさが独特で、だから時として、
崩れてしまうのではと、危うく思われる儚さがある。それでいて、意志の強さから醸し出される
気品の高さ故に、それを忘れさせられる。本当に……何処から何を取っても、ちぐはぐな
……しかし美しい人だった。当然、モテる。そして恋人だが、どうもカナエさんと、しっくり
行っているとは思えない。相手は卒業した先輩らしいが、そろそろギクシャクしているらしい。
人の噂とは不思議なもので、何処からとも無く耳に入ってくる。だけど僕には、そんな噂を
聞くまでもなく、カナエさんを見ていれば、それが分かった。悲しいはずなのに……
辛いはずなのに、カナエさんは一層、美しくなる。まるで、傷つくほどに、高貴な美しさを
増すかのように。そして一層、近付きがたくなる。あの翼が、痛ましいまでに美しければ美しい
ほど、僕はその魔力に捕らえられ、何も出来なくなってしまう。そんなことをしている間にも、
カナエさんを狙っている連中が……と、僕のイライラと不安は、季節を追う毎に高まった。
――そして……また春が。



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