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“sweet”



「あー、エリの手はリカちゃんみたいに華奢だからなー」
コーヒーカップをはさんで、巧(たくみ)は恵利子の手を取る。
「サイズ幾つだって?」
「六号」
その声は、当然に“おねだり”。昼下がりのカフェテラスで、二人にとって、これ以上に
穏やかな構図は無いだろう。しかしハタから見れば、ベロベロのスウィートネス・カップル。
まだ恋に、何のつまずきもあろうものかと、その揺らめきという想像だにしたことのない、
ハッピーな二人。スポーツマン風さわやか青年と、少し栗色の髪の、カワイイ彼女。
「でも、女の子に指輪買うのなんて、久しぶりだなぁ」
「――前に、誰かにあげたの?」
不用意な呟きに、愛らしいお人形のようだった恵利子の顔が、不意に厳しい表情に
変わった。巧は、彼女の手を取ったまま慌てて、
「あっ、いや、違うよ。あげたんじゃなくて、買わされたんだよ、ちょっとした賭けに負けて」
「賭け?」
まだ納得のゆかない顔の彼女に、ワンモア・プッシュ。
「ほら、マキだよ、幼なじみの。よく話してるだろ?」
「……ああ、そう。マキさんね」
恵利子は、すっと手を彼の手からほどいた。平和な時ほど、機嫌の悪いのは気にかかる。
そのせいか、巧は一人でぺらぺら喋り始めた。
「あいつ、ガキの頃からアメリカと行ったり来たりしてたせいか、マセててさー。小学校の
 時だぜ? 指輪買ってくれって言ったの。ま、だから色ガラスか何かの、ちゃちいヤツ
 だったけどさ。……変なトコ少女趣味だったよなぁ、そういや」

巧の幼なじみという真紀絵(まきえ)については、恵利子も何度も話を聞いている。
その度に出てくるのが、「あー、マキか? ありゃ女じゃねーよ! 口は悪いしランボーだし」
といった言葉の数々。普段あまりそういうことを言わない巧に、少々意外な感じを抱きながら
も、「そう……」と微笑む胸の内で、恵利子は休心してきた。
「エリに選ぶのは、もっとちゃんとしたヤツだから、比べものにならないよ」
その時はまだ、巧の口からこぼれる、真紀絵のことについての何気ない言葉よりも、
彼が自分に選んでくれる指輪のことが、彼女の中では重要課題だった。真紀絵が、
二人のいる大学に入学すると聞いた時も、まだ。


――たくの嘘つきっ……!

大学二年の春。何となしにあった平穏の日々は、いきなり揺らいだ。
はらはらと散る、名物の桜の下で、恵利子は大冷や汗。
「恵利子、これが例のマキ。新入生、大月真紀絵」
確か……巧の言葉に依れば、「女じゃねぇ」はずの、はねっかえり。――ところがドッコイ。
にっこりと笑う、その目元。すっぴんなのに、アイラインを引いたかのように涼やかで、
黒目勝ち。自然な漆黒ストレート・ロングが、インディゴのシャツの肩を滑り、風になびく。
エキゾチックな顔立ちに、日焼けした肌の色が、ハッとするほど健康的な美しさとなって
光っていた。
「ははっ、本当に可愛い人ね、エリちゃんって。おい、巧、羨ましいぞ! 自慢できる彼女が
 いてさ。泣かせたりしたら、私が貰っちゃうからね」
「うっせーな、取れるもんなら、取ってみい」
「照れちゃってぇ、耳まで赤いぞ。良いのか? そんなこと言って。これでも私は、『お姉様、
 行かないで〜』という可愛い後輩達の涙の川を越えてやってきた、女泣かせのマキ様なのよ。
 油断してると……早速エリちゃんの耳に舌突っ込んじゃうよーん」
え、え、と思ったら、あっという間に真紀絵に抱き締められ、恵利子は硬直。ふわりとした風に、
彼女の香りを感じた。洗いざらしの、コットンのシャツのような、優しくて、清々(すがすが)しい匂い。
「マジかよ、おいよせ、バカ!」
巧が慌てて二人を引き離すが、恵利子は、涼しい顔の真紀絵に、不思議とドキドキさせられた。
鮮やかな笑みで、この世に何一つの罪も感じないような彼女には、同性の恵利子ですら、
禁じ得ないほどに惹き付けられた。真紀絵と一緒にいる時の巧は、恵利子の知らない、
少年時代の彼の片鱗を見せる。
「ったく……オマエが聖心出身だなんて、聖心に対する冒涜もはなはだしいぞ」
「へーん、私がその気になれば、あんたなんかより女の子にモテるもんね」
強烈すぎる真紀絵の輝きに、自分が色褪せてしまうように思えて、恵利子は話しに入って
ゆけない。……こんなに魅力的な彼女を、巧は、本当に何とも思っていないのだろうか。



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