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2 ・ 前編



『母』になることは、『女』ではなくなることだから嫌だ、と言う女性がいる。
私自身は『母』になる気もならない気もなく、種付け人が居ない状態
だから、何とも言えない。しかしながら、彼女の言うところの『女』という
定義に従えば、いずれ皆、 『女』ではなくなる。その時、『女』でも
『母』でもない自分を、正視できるのだろうか。私には彼女が、『女』
というより、『女性器(ヴァギナ)』でしかない存在に思えてならない。

                         《I’ve》 六号コラムより



もしかしたら、幸世と順志夫婦の運命は、すべて私が握っているのではないか。

そう錯覚しそうな程、この二人のことで、私が知らないことはなかった。

確かに私は、「私の望む形」で二人が幸せを育むことに、異様なまでの執着を寄せていた。

それが幸世と敷島さん、そして私という三角形に、奇妙なゆがみを生み出していったのだろう。

危ういけど離れがたい、そして計りがたい均衡。



二人が結婚して三年目、今から二年程前のことだが、幸世が流産をした。

早期で、まだ妊娠にも気付いていなかったような段階だった。やはり幸世は、少なからぬ

沈みようを見せたが、敷島さんの労りもあり、思ったよりも早く、笑顔を取り戻してくれた。

その件についてショックが大きかったのは、寧ろ私の方だったかもしれない。



私は、幸世と敷島さんが結婚することは祝福していた。

二人には一緒になって、いつまでも慈しみ合う、美しい夫婦になってほしいと願った。

けれど――これは矛盾したことなのだが、二人には、夫婦であっても、

肉体関係は持ってほしくないと思っていた。

これは、嫉妬とは異なる感情だと思う。勝手な言い分なのは分かっている。

だから口にしたことは、勿論ない。けれど私の中では、たとえ敷島さんといえども、

幸世には触れてほしくないという思いが、思考の死角で暴れ回っていた。

幸世だけには、そういう男と女の生臭い事柄とは無縁な、聖処女であってほしかった。

手を触れても、抱き締めても良い、口づけても良い。でも、絶対に寝てほしくない。

それは私にとって、想像するだに耐え難い、グロテスクな行為だった。

子供は居ても良い。赤ん坊はコウノトリに運んでもらうか、でなければ私が運んだって良いから。


……幼稚というのか、人権や人間性すら無視したような考えだということは分かっている。

だから、ただそのことは考えないようにして、やり過ごしてきた。

だが、その一件によって、当然のことながら私は、否応無い事実を、目の前に突きつけられた。

世の父親というものは、娘が処女でなくなる日に、こんな気持ちで懊悩するのだろうかと思った。

いつの日か、当然認めなければならなかった現実。

私が、何かを割り切らなければ、幻想を断ち切らなければならなくなる時。

それでも私が何とかその衝撃をやり過ごし、何食わぬ顔で、この夫婦への複雑な愛情を

自在に糸で操るが如く、その後も何事もないように付き合い続けることができてしまったのには、

やはり理由が有った。



* * * *



「――ねぇ、かれん。オトコに『大技』試されたことって、ない?」

打ち合わせが終わった途端、切り出してきた彼女に、一体何のことかと、コーヒーカップを置くと、

私は次なる解説を待った。彼女は、気持ちだけ声を落とすように、少し前傾姿勢になると、

「それって、他に本命が居る可能性大なんだって。つまり、第二候補以下の、テスト用に

 されてるってこと。ほら、本命には、そうイキナリ凄いこと、やれないじゃない? ね、どう」

雑誌の仕事で数回会っただけの相手だが、やたら気安く、そのテの話題をふってくる。

まぁ、仕事というのも女性用エロソフトの評を書くというものだから、引き受けたこちらも、

お高くとまることもないのだが。私も、まだ『お仕事』が選べる程のタマではない。

「アブノーマル・セックスだったら、ないよ」

結論から先に述べると、相手は面食らったように目を丸くした。

しかし、すぐに気を取り直し、椅子の背にグイッと凭れると、タイトスカートの脚を組み直した。

「ふーん……なんだ、かれん、書いてるものとか結構スゴいから、色々教えてもらいたいと

 思ってたんだけど」

私の生活が、ここ二年程で安定期に入り、一時はホームレス並だった状態が解消されたのは、

ある雑誌のコラムをレギュラーで持たせてもらえることになったのが大きい。

知り合いの女性エディターが、新しく創刊するキャリア・ウーマン向け雑誌の企画コンペに

誘ってくれたのが切っ掛けだった。

『知的官能美』――これが、私のアイディアが採用され、創刊二年目にして現在も順調に

売り上げを伸ばしている 《I’ve(アイヴ)》 のメイン・コンセプト。知的で、かつセクシーで

あることで、昼も夜も支配しようという、プライド高き女性の尊大さを煽る内容がウケたらしい。

「知的」だけだと「女らしさ」に欠け、「色気がある」だと「頭が悪そう」と言われているようで

腹を立てる、微妙な女性心理にハマった企画だった。……愚かで、卑怯な女達。

私もまた、その一人だ。だからこそ、今は成功しているのだと思う。

だが、それもいつまで続く運勢なのかは、私にも分からない

とにかく私はそこで、女性の性についても忌憚のない意見を表している。

扇情的にしているつもりはないのだが、私のフランクな見解は、普通の女性ならば、

考えたとしても、まず絶対に口には出さないようなことらしい。

「私も、何人か付き合ってる人、居るんだけど、どれも妥協し合ってるっていうか。

 上っ面だけじゃ満足してるんだかどうだか、ピンと来なくって。決め手って何だろうって、

 考えちゃうのよ。かれんなんか、そういう方面、どうなのかなーって、気になってるんだけど」

「……マメだね」

「やだ、ホンキで悩んでんのよ?」

私が率直に年寄りじみたコメントをこぼしても、彼女は苦笑もしない。

確かに、悩みとしては立派に重要なことだとは思うが。

「私は、一度に複数の人間と付き合うっていうのは、ケーキとイカの塩辛同時に試食するみたい

 なもんで、どっちも旨いんだか不味いんだか分からなくなるから、まずしないけど」

「えー、意外と古風なんだ」

どうも私は、余程のスキモノだと思われているらしい。そうでもなけりゃ、誰もこんな仕事を

持って来はしないのだろうが。別にそれで損をしたこともないから良いのだがと割り切って

いても、溜息は出る。仕事の付き合いで口説かれたことは一度も無いのに、アヤシゲな噂には

事欠かないのは何故だろう。

「まあ、かれんみたく、ライターなんてペン一本で独り生きてくってのも、カッコ良いよねー。

 男に頼らずに、孤高の人生を送るってのも、羨ましいよ」

多く誤解されていることだが、ライターで食っていくというのは、人が考える程スマートな

生き方ではない。泥臭い世界だし、常にシビア。しかも私のような、吹けば飛ぶよな

売り出し中にとっては、ちょっと深刻に考えれば即、吐きたくなってくるくらいに厳しい。

目の前の彼女には、それも「刺激」として羨ましいようだが。「知らねぇで勝手なことヌかせよ」

と、ちょっとムカつく反面、そんな彼女を羨ましいと思うのも否めない。



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