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3−



それから数日は外出することもなく、ただぼんやりと過ごした。

何も行動を起こす気が持てず、寝ていても覚めていても、何の違いもない。

そんなまどろみの中に座り込んでいた彼女を現実へと引きずり戻したのは、則文だった。

最近は、まともに口をきいてもいない。

彼は、近頃は会社にも出ずに帰ってきたり、部屋に籠もったきりということも多くなり、

精神的にも不安定なように見えたが、彼女自身がハッキリしない感覚でいたし、

あまり考えたくもなかったので、気に留めていなかった。

「あんた、また会社行かなかったの? いくら社長の息子でも、クビになるわよ。

 電話だってうるさいし……」

或る日突然、則文は外から帰ってくるなり、彼女の目の前に、大型の封筒を投げ出した。

開けてみると、書類と、何枚もの写真。みな、彼女が外出した際に会っていた男達とのもの。

だが、どれも行きずりの相手で、名前すら覚えていなかった。

「何よこれ……あんたまさか、探偵でも雇ったの?」

「そうされるようなことを君がするからだろう」

「……しょーもない」

彼女は大して目も通さず、それをソファーの背後に全部放り投げた。

「言い訳はないのか?」

「『こんなのウソよ、あたしを信じてのりぴー!』とでも言えっての。別に、言い訳する程のことは

 やってないから、あんたも気にすることないのに」

彼女の横柄な態度に出鼻をくじかれ、則文は一瞬言葉を失ったが、まだ切り札が

残っているのを思い出したように、

「健次郎にも……会ったらしいな」

「――会ったうちにも入らないわよ、あんなの」

だが、あきらかに先刻よりは狼狽気味なのに意を得て、

「ずっと会ってるのか? 俺の目を盗んで、あいつと密会してたのか?」

純子は、そのあまりに定番な口調にウンザリしたように溜息をついて、

「何であんたはそう演歌調になんのよ……。あっちは女連れだったわ。また生徒でしょ」

「いいか、健次郎とは二度と会うな!」

威圧的な口調の彼に、彼女は眉をひそめ、目前に立ちはだかった無精髭面の則文を、

怪訝な目で見た。

「何でそんなことあんたに命令されなきゃいけないの」

「健次郎だけじゃない、他の男とも、俺に内緒で会うな、良いな!?」

「プライバシーってもんは、どーしてくれんの?」

「俺は、君の過去は一切問わないし、とやかく言わない。だが君の将来については、

 口を挟む権利がある」

「……あたしをニョーボにでもしたつもり」

「もう夫婦同然だろう?」

「セックスの回数で言ってるなら、まだ足りてないわよ」

則文が彼女の胸ぐらを掴んだ。しかし彼女は冷たく、

「嫉妬深すぎるのよあんたは。……心が狭いわね」

「健次郎の口調だ。あいつの『型』がうつってる」

則文は、最も嫌悪すべき対象の影を見いだしていた。

だが純子は、決して怯む様子は見せない。

「あんた、自分は由利よりマシな人間だって思うことに必死になってるんでしょうけど、

 そういうレベルで勝手に張り合ってること自体、次元が低いのよ」

彼の手が上がり、一瞬彼女は肩をすくめたが、眼だけは決して閉じず、彼を見据え続けた。

「大体由利は、あたしみたいな女、はなっから相手にしなかった。

 あんた、それを勘違いしてたでしょ」

「……どういうことだ?」

微かな狼狽に、彼の手が少し緩む。

「寝ようと思えば簡単だった。きっと……あいつ、抱いてって女が言えば、誰とでも寝るからね。

 けど自分からは絶対、欲しがらない。そこがあんたと違うところ。でも、人間としては、

 あんたの方がマトモよ。由利はビョーキだから……愛のないファックどころじゃない、

 欲望の無いセックスができる、生きてく欲求も無いくせに……ヘンタイよね」

「何で……ジュン、何故君は……」

則文は、途方に暮れたように、彼女の胸元を掴んでいた手を離し、よろけるように下がった。

「あいつの差し金で、俺を誘惑したのか……!?」

「まだそんなことほざいてんの? 由利が、そんな人間らしいことするわけないじゃない」

苛立ったように腕を組み、彼女はそっぽを向いた。則文の年甲斐のない純朴さが

鬱陶しい幼稚さに変わって感じられ、ほとほと嫌気がさしてきていた。

「――あいつに惚れてるのか」

ポツリ、と、壁にもたれながら、彼が呟いた。

「そんなんじゃないわよ……あいつは幾らでもたかって良いっていう都合の良い男で……」

「それだけは、言わないでくれジュン、あいつのことが好きだなんて、それだけは……!

 俺を助けてくれよジュン、不安なんだ……俺はもう、何処にも戻れない……」

また、彼が膝にすがってきた。ごっつい図体を縮めて、母親の赦しを請うように。

彼女はそれを、いつぞやの夜のように、足蹴にした。

「いい加減にしてよね……あんた初めの頃、あたしが舐めてやらなきゃ勃たないようなんだった

 けど、随分変わったかと思ってた。……でも、ちっとも変わってない。相変わらず女々しいところは、

 そのまんまなんだから」

今度は、則文の手は、止まらなかった。



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