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それから一旦、彼女は由利の所を去った。

カードは渡す、マンションのカギはかけたことがないから、いつ出て行くも、また来るも自由。

それでいてその代償は一切要求しない。

そんな男が、人間が、果たして本当に存在し得るのか。

とにかく動じるということが無いような男だったので、彼女の悪戯心が疼(うず)いたのも、

無理はない。何とか困らせるなり、驚かすなりしてやりたい。

そうは思うものの、彼と彼女の出会い方自体が、相当に突飛なものであった為に、

そう良い考えも浮かばない。カードもちゃんと使えるし、いつになったら使用差し止めが

かかるか見てみたが、一向に反応はない。

それで結局、取りあえず何の前触れもなく、再び彼を訪れることにしてみた。

やはり、せめてもの驚きの要素として、夜。



「――おんやぁー……」

まず、自分が驚いてどうする。彼のマンションの扉には、本当に鍵がかかっていなかった。

しかも第二の驚き。玄関に、華奢で可愛らしいサンダル。

既に二つも驚かされた腹いせもあり、悪戯心にはやる彼女は、そっと室内に足を踏み入れた。

「ゆーりぃ〜、遊びに来たわよー」

ナイトランプだけのリヴィング。そのソファーにふんぞり返り、奥まで聞こえるように声を出した。

間もなく人の気配が動き、灯りが点いた。

「……やあ。今晩は」

数週間ぶりの再会の、第一声。

「あんた、もちっと驚いた顔、できないの?」

由利がナイトガウンを羽織った姿で奥から現れると、彼女は立ち上がり、腕組みをして

彼を見上げるように、

「お言葉通り、またたかりに来たわよ。迷惑?」

「いいや」

「連れ込んでるのはオンナ? それともオカマ?」

「女子大の生徒だから、女性だと思うよ」

「――先生……?」

的外れに悠長な会話が続いた後に、慌てて身支度をしたらしい、

若い女性が不安そうな声で、彼の後ろに、そっと現れた。

そんな状況に、真夜中の訪問者は艶やかな媚態を添えて、

「あらまぁ。お楽しみの最中、お邪魔しちゃったかしら?」

その言葉に、今度は不安よりも不快を露わにし、

「先生、誰なんですか、この人」

「由利にたかりに来たの。あんたも?」

その言葉に、彼の袖口を握りしめていた彼女の顔色が失せた。

だが当の彼は、相変わらずの様子を変えない。

そして、言葉を待つ明確な沈黙の、数秒の緊迫の後。

「……車を呼ぼうか」

その、あまりにも淡々とした口調には、邪魔者の方が目を見開く程だった。



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