「話してたってラチがあかないわ! あなたみたいな若造の下っ端じゃなくて、
もっと、ここのエラい人出してよ!」
一見、可愛らしい姿をした栗色の長い髪をなびかせた少女の言葉に、その場に居合わせた
数名が凍り付いた。
「……き、君、なんということを! この方は――」
「い……いや、良いんだよ」
東方司令部門前での出来事。警護兵が、ハッと打たれたように我に返り、少女に手を伸ばしたが、
ロイ・マスタング大佐はそれを押しとどめた。
相手が可愛らしい少女と思ってにこやかに話しかけたロイだったが、その顔に似合わぬ毒舌で
“若造”、“下っ端”という言葉を投げつけられ、さすがに一瞬、顔が引きつった。
気に障ったというよりは……ショックで。
仮にも、この東方司令部で実質上の最高司令官の地位にある男である。
よくある嫌味や当てつけで言われたわけでないと分かる少女の言葉には、無垢なだけに
容赦のないトゲがあった。
そりゃあ、年よりも相当若く見られるのには慣れていたし、そういう顔らしいから
仕方がないとは思っているが――
それはある日のこと。午後一番の仕事として、街の視察に出かけようという時だった。
東方司令部の外門を通りかかると、警護の兵2名と少女が押し問答をしている所に出くわした。
「どうしたのかね」
「はっ、これはマスタング大佐!」
警護兵は慌てて敬礼をする。
少女は見たところ、まだ10歳にもならない位だろうか。
よそ行きらしいオレンジ色のワンピースには、花柄が散っていた。
小さなトランクをぶらさげ、長い髪は後ろで、黄色のリボンに結わえられていた。
何となくその様子から、この街以外の場所から遠出してきたような印象を受ける。
「この子が、『エラい人に会わせろ』の一点張りで、理由も何も言わないものですから……」
理由が有ったところで、通常に考えて、少女の望みが叶えられるとも思えないが、
こうしてここに気まぐれな男が通りかかった。
「――どうしたのかな? お嬢ちゃん」
老若を問わず総ての女性には礼節を尽くすロイ・マスタングが、その外面の良さを
フル動員して少女に問いかけた。……その、数分後の暴言。
「お嬢ちゃん……威厳がなくて誠に申し訳ないが、これでもそこそこのエラい人なので、
何とか私に、君の力にならせてもらえないだろうか?」
こうなったらこの少女を放っておけない気持ちになったロイは、その場にかがむと、
彼女の手を取った。少女はおしゃまな唇をとがらせて、
「お嬢ちゃん、じゃないわ。ロクサーナ」
「これは失礼、ミス・ロクサーナ。私はロイ・マスタング。少なくとも、いつまでもここで
こうしているよりは、お話を聞かせてもらえたら、君の望みに近付くことが出来ると思うよ」
「大佐、いけません、これから視察――」
それまで黙って横で控えていたリザ・ホークアイ中尉が見かねて発言すると、ロイはスッと
立ち上がり、小声で耳打ちした。
「十中八九、家出娘だ。放っておくわけにもいくまい?」
「ですが、何も大佐が……」
「変わらぬ日常を視察することより、前途ある青少年を正しき道に導くことの方が、
どう考えたって重要だろう。彼女にお茶でも煎れてあげてくれたまえ。あと、甘いものでもあれば」
また、ただサボりたいだけのくせに……とは、口には出さなかったものの、リザは心中呟き、
溜息をこぼした。
「中尉、大佐が年端もいかない女の子を連れ込んだって、ホントっすか?」
お茶を出して執務室から出てきたリザに、通りがかったハボック少尉がにやけ笑いを
浮かべて言った。
「バカなこと言わないで」
しょうがないわね……と呆れつつも、みな本気で噂をしているわけでもないと分かっているから、
躍起になって訂正するつもりもない。まぁ、確かに少女を連れ込んでいるには違いないのだし。
ロイに少女を愛する趣味はないと分かっているから、部屋で二人きりに放置しても心配はしないが、
それとは別に、心配事はあった。
――あんな小さな子の望みくらい叶えてあげられると思ったのでしょうけど……
裏目にでないと良いのだけれど。
ロクサーナというあの少女が一体何の目的を持って、いずこからかこの地を訪れたのか。
それはおそらく今、ロイが彼女に話を聞いているところだろう。とにかく、家出少女なのだとしたら、
早く彼女の身元を割り出して、できれば今日中にでも迎えに来てもらわなければ。
リザは、そんな自分の懸念が当たればいいと思っていたわけでは決してなかったのだが、
半時ほども過ぎた頃、ロイが仕事場にいた彼女を呼びに来た。
「で、どういうことでしたか?」
何故か室内でなく、わざわざ廊下に彼女を引っ張り出したロイの表情に、浮かれたところは
一片もない。困ったというのでもなく、ただ、いつになく深刻な目をしていた。
「ちょっと調べてもらえるだろうか。ジョシュア・オースティン。その家族……連絡先を」
「彼女の父親ですか?」
「ああ。だが、どうも要領を得ん話でね。家庭の事情がありそうだから、こちらが手前勝手に
対処するわけにもいかなそうだ。ロクサーナ自身はラフィットの町から、列車に乗って
やってきたらしい」
隣町、という程でもないが、列車で1時間半ほどの場所だ。
「父親を捜して?」
「……どうも、一緒に住んでいるのは叔母らしい。不仲というのではなく、どうしても父親に
会いたかったから、飛び出してきたということだ」
「でも、彼女は何故、“東方司令部”に?」
「その叔母が彼女に、『父親は軍隊の仕事で遠くへ行ってしまった』と言ったらしい。
真偽の程は分からんが。それで、ここに来れば何か事情が分かると思ったのだよ。
医者らしいから、比較的すぐ素性は割れるだろう。もう2年以上会っていないそうだ」
「――母親は?」
「母親については何一つ話さない。ま、一緒に住んでいないことだけは分かったがね」
壁にもたれ、ふぅ、と息をつくと、ロイは天井を見上げた。
「……あなたらしくもありませんね。女性相手に弱気な溜息をつくなんて」
リザが無表情に呟くと、ロイはくすっと笑って、
「あんなに小さな女の子相手に、妬いているのか?」
「寝言は寝てる時だけにしてください。――では、その叔母という女性へ連絡が付けば
良いのですね?」
「可能であれば、君から事情を訊いてみてほしい。私はもうちょっと彼女の相手をしているよ」
「分かりました」
そう言って二人は、それぞれの場所へと戻っていった。
リザはすぐに、軍に登録されている軍医、並びに有事の際に徴集される民間の医者の
リストを調べた。そして、答えはあっけないほど簡単に記されていた。
――民間医、ジョシュア・オースティン……2年前に入院……ひとつき前に、死亡。
死因は、地方を巡回する医療使節として訪問した先で感染した伝染性の風土病。
不治の病だった。伝染病ゆえに家族との面会も叶わず、隔離病棟で闘病を続けたのだろう。
だが風土病ゆえに治療法も確立されておらず、延命が精一杯という状況で遂に、力尽きた。
「……まいったわね」
ロイも、具体的にではなくても、このようなことを薄々予測していたのではなかろうか。
記録によれば、妻はいるのだが、何故か連絡先は妹の名前になっていた。
既にここまでの情報を得て、ロイに言われた通り、自分が勝手にロクサーナの叔母に
連絡を取ってしまって良いものか、リザは少々ためらった。だが、何度もロイと少女の
対話を中断させては、要らぬ不審感を少女に抱かせるかもしれない。
いくら父親が、面会も叶わぬ難病だとはいえ、病のことも、その死すらも娘に伝えない
というのは、普通では考えられないように思われた。そこには事情があるに違いない。
リザは通信室に向かい、ロクサーナの保護者である叔母へと電話をかけた。
「――はい、どちらさまでしょう!?」
ベルが鳴ると、待ちかまえたような勢いで、相手が出た。
「ミランダ・オースティンさんですか? わたくし、東方司令部のリザ・ホークアイ中尉と申します」
「あ……中尉……? 軍の方が……何でしょうか?」
期待した相手ではなかったのか、先方の声には困惑が感じられた。
「実は、1時間ちょっと前に、こちらイースト・シティの東方司令部に、ロクサーナというお嬢さんが
見えられまして。お調べ申し上げましたところ、こちらがご連絡先かと」
「……ロクサーナ、まさか……軍に行ったんですか、あの子!!」
声の女性は、30歳くらいだろうか。あまりのことに何を言ったら良いのか分からないのか、
ずっと無言のままなので、リザは続けた。
「今、私の上司がお相手をしておりますが……お父さんを捜しに来られたと。
ジョシュア・オースティン氏を」
「あ……」
電話の向こうの声が、曇った。口元を押さえたように息が零れる。
「ロクサーナちゃんのお話を聞いていても、色々と腑に落ちない点があるようなのですが、
とにかく保護者の方に一刻も早くご連絡をと思いまして」
「すみません……すみません、ご迷惑をおかけして……」
ロクサーナがいなくなったことは、今朝気付いた。近隣に連絡は回して、彼女の行方に
ついての連絡を、今か今かと待っていたという。
「お調べになられたのであれば、当然、もうご存じなのでしょう……? 兄が……もう、
亡くなっているということは」
「ええ。何故、隠しておられるのですか?」
「それが兄の遺志だったのです。正しいとは思いませんけれど……あんまりにも
あの子が可哀相で……」
ミランダは話し始めた。戦乱の際にも訪れたことのある、医療施設のない貧困に苦しむ
辺境を巡回する使節に参加した兄。滅多に戻ってくることもない夫に愛想を尽かして、
ロクサーナを置き去りにして出て行った妻。その報を追いかけるように、彼は病に倒れた。
治療法の見つからぬ難病ゆえに、もう会うことも叶わないであろう娘は、まだ年端も行かない。
何故母は去ったのか、父は戻ってこないのか。納得のゆく説明などできるはずもない。
だからせめて、「父は軍隊の仕事で遠くへ行ってしまった。けれど、立派な仕事を、
誇りを持ってやっている」と――いつか悲しい真実を、悲しみに負けずに受けとめられる
ような日が来る、その時まで、嘘をついてくれと。それが、彼の遺志。
「兄が亡くなって、子供なりに、本能的に私の異変に気付いたのでしょう……。
イースト・シティに行ってまで、父親の行方を捜すなんて、思いませんでしたけれど」
「でも、彼女はここまで来てしまいました」
「……どうしたら良いのでしょう?」
電話口で、涙を抑えながらミランダに問いかけられても、リザに応えられるはずがなかった。
何が正しいことかなど、到底決められない。
「……とにかく、すぐに迎えに来て頂けますか? 今からなら、暗くなる前にこちらに着けるでしょうし、
最終までに、そちらに戻ることもできます」
「はい……」
「ロクサーナちゃんには……どう、説明すればよろしいですか?」
先ほどこちらに、“どうしたら良いのか”と問いかけてきたミランダが、答えられるわけはないと、
分かってはいた。だが、彼女に迎えが来るまでの数時間を、ただ沈黙だけでやり過ごせるとは
思えなかった。そして、何らかの答えを与えない限り、彼女はまた同じ事を繰り返すだろう。
「……分かりません。ごめんなさい、分からないんです……」
保護者でありながら答えを導き出せないミランダを、リザは責める気にはならなかった。
彼女自身、自分の悲しみをぶつける場所を持たず、立っているのが精一杯なのだから。