コンコン、と、控えめに執務室のドアをノックした。返事はないが、そっとドアを開けると、
上着を脱いだロイが、デスクの椅子に腰掛けていた。リザと目が合うと、そっと人差し指を
口元に当てる。――何かと思えば、ロクサーナがソファーで横になり、ロイの上着の下で
すやすやと眠っていた。
「朝早く出て、列車に揺られて……疲れたのだろう」
彼女を起こさぬよう、また廊下に出て会話をした。
リザは、極めて淡々と、ロクサーナの叔母・ミランダとの話の概要を伝えた。
「なるほど……な」
うーん、と、口を結んで、ロイは壁により掛かって腕を組んだ。
「どうなされますか? 迎えが着くまで、まだ数時間ありますが」
「…………」
ロイは、しばし無言だった。何をするもしないも、自分たちには少女を保護者に
引き渡す以外に、明確な責任はない。
「――ロクサーナは、薄々感づいていると思う」
「父親のことですか?」
「母親のこともな。……小さいが、聡い子だ。だが、本当はそれを大人に否定してほしくて、
無茶な真似をしたのだろう」
「……それで?」
「私は、彼女に問われたら嘘はつけない」
「…………」
リザは、そのことについては何もコメントはしなかった。
ロクサーナが目覚めると、ロイは彼女を連れて外に出かけた。
リザの運転で、街外れの寂しい場所まで。
日は傾き始め、一行が地に降り立った頃には、斜光が長い影を生み出していた。
「……なに、ここ」
ロイに手を引かれて歩いてきたロクサーナは、その手を、ぎゅっと握り返した。
不安がそのまま伝えられる。目前には――白い、墓標。
「お父さんのお墓だよ」
「……嘘だ」
「お父さんは人に尊敬されるような仕事をしていたが……病気にかかってしまってね。
君にうつすわけにはいかないから、会うこともできなくなってしまった。ずっと独りぼっちで
病気と闘ってきたけれど、先月、とうとう亡くなった」
「嘘だよ!」
「嘘じゃない」
「お父さんは今もお仕事してるんでしょ!? こんなところにいるわけない!」
ロクサーナはロイの手を振り払った。
「いないよ。もうこの世の何処にもいない。この石もただ、ジョシュア・オースティンという
人物がかつて存在した、という印でしかない」
少女は、ぎゅっと両手の拳を握りしめ、ロイの顔をにらみつけた。
それに対し、彼の眼差しは暖かくも冷たくもなく、ただ事実のみを見つめていた。
「力になってくれるって……言ったじゃない……こんなとこに連れてきてなんて、頼んでないよ!
お父さんが何処にいるか教えてって……」
握りしめた拳が震え、小さな花のような唇は、噛みしめられてゆがみ、大きな瞳には、
涙があふれていた。成り行きは総てロイに任せ、見守るだけと決めていたリザも、
その幼気(いたいけ)さには、思わず胸が痛んだ。
「嘘つき、やっぱりあんたじゃダメじゃない、もっとちゃんとエラい人にお願いするんだった、
ばか、ばか!」
ボロボロと大粒の涙がこぼれ落ちてくる。ロイは、微かに眉を寄せると、少女を抱き寄せた。
「嫌いだ、あんたみたいな役立たず、大嫌い……!」
胸を打つ少女の頼りない拳の総てを、ロイは受けとめた。栗色の髪を腕の中に抱き、
彼女がはばかることなく感情をはき出せるよう、包み込んで。
今日の午後、初めて出会った時の、勝ち気でおしゃまな姿が痛ましく蘇るほどに、
少女はひたすら泣き続けた。ロイはそれをいつまでも抱き、リザはただ見守った。
果たして、彼がしたことは正しかったのか。
リザはそれを問いただすことはしなかった。
おそらく彼自身にも、その答えはないのだから。
バックミラー越しに、泣き疲れて眠ってしまったロクサーナを腕に抱いたロイの姿を見つめ、
軽く溜息をつく。
イースト・シティの駅について、列車の到着を待つ30分ほどの間、会話は一切なかった。
ロクサーナはもう起きていたが、口をきくこともなく、ロイとリザの間に、黙って座っていた。
「大佐……列車が来たようです」
リザが、構内のアナウンスを聞いて言った。
「……そうか」
ロイは立ち上がると、隣のロクサーナに手をさしのべたが、彼女は独りで立ち上がった。
それに気をそがれることもなく、まだ蒸気の立ち上る、列車が入線したホームへと進み、
迎えを待った。ロイもリザもミランダとは一面識もないので、文字通り「待つ」しかできない。
「ロクサーナ!」
やがて、人の波の向こうから、少女を呼ぶ声が聞こえた。
「ああ、ロクサーナ、無事で良かった!」
少女と同じ栗色の髪の女性は、今にも泣きそうな顔で駆け寄り、彼女を抱きしめた。
取るものも取りあえず飛び出してきた、という様子がうかがい知れる、軽装だった。
ロクサーナは言葉もなく、叔母の体にぎゅっとしがみついた。
「あの……中尉さん、ですね? この度は、本当にご迷惑をおかけして……」
すぐにミランダは顔を上げ、腰の辺りにロクサーナを抱きつかせたまま、頭を下げた。
「いえ、私は何も。こちらのマスタング大佐が、ロクサーナちゃんを心配して、ミランダさんに
ご連絡申し上げるようにと指示されまして」
「……本当に、有り難うございます」
ミランダは、ロクサーナの頭を撫ぜながら、ロイにも深々と頭を下げた。
「いえ。お疲れになられたでしょう。もしよろしければ、無理をなさらずに、今夜はこちらに
泊まられては如何ですか? 宿は手配させて頂きますゆえ」
「とんでもございません、この上お世話になることなど……」
ロイの申し出も、ミランダは感謝しつつ断った。
確かに、ロクサーナにしてみれば、もうこの街になど一刻も居たくはないかもしれない。
「ロクサーナ、ねぇ、ちゃんとお礼は言ったの?」
少女は、泣いているわけではなかったが、うんともすんとも言わず、叔母の腰に抱きついていた。
「済みません、この子ったら……」
「いえ、お気になさらずに。――小さいけれど、とても賢いお嬢さんですね」
ロイの言葉に、ミランダはハッと彼を見た。その眼と、そして今のロクサーナの行動を見て、
何らかの答えを感じ取ったのだろう。
「……本当に。色々とご面倒をおかけいたしました」
「帰りの列車は手配できましたか?」
リザが問いかけると、ミランダは笑って、
「はい……折り返し、あと30分ほどで出る汽車がありますので」
「そうですか。――では、申し訳ないが我々はここで失礼させていただきます」
「大佐……」
ロイの意外な言葉に、リザは彼の顔を見た。あと30分くらい、見送ってやりそうなものなのに。
「大佐、そして中尉、本当に有り難うございました……このお礼は必ず」
「いいえ、それ程のことではありませんよ」
ニッコリ笑うと、ロイはふと、背を向けたままの少女を見た。
「……ロクサーナ。気を付けてお帰り。叔母さんをあまり困らせてはいけないよ。
それと……ちっとも君の役に立てなくて、申し訳なかった」
彼の言葉に、ミランダは絶句した。だが、何か次の句を継がせる隙も与えずに、
彼は、「じゃ……」と二人に背を向け、歩き出し、リザもそれに倣(なら)った。
「ん?」
不意に、軍服のペチコートを引っ張られて、ロイは立ち止まった。
振り返ると、ロクサーナがうつむいたまま、蒼い布地を握りしめていた。
「……どうしたのかね」
ロイは、すっとかがんで、少女と視線の高さを合わせた。
「……お母さんも、お父さんも、私を置いて行っちゃった。私が可愛くない子だから?
良い子じゃなかったから?」
ロクサーナの呟きに、ロイはふっと笑うと、彼女の頭を撫ぜ、栗色の前髪を柔らかく梳いた。
そして、すっと髪を上げたその額に、優しい口づけを落とした。
「君は可愛いよ、ロクサーナ。こんなに可愛い君と会えなくなってしまったお父さんが、
どんなに悲しかったか、私には想像も付かない。ただ分かるのは……お父さんは、
君の悲しむ顔は見たくなかったということ。叔母さんだってそうだ。だから、笑ってほしい。
辛い時もあるだろうけれど、君の笑顔が生み出せる幸せがあることを、忘れないで」
彼の手が触れると、ロクサーナは頬を染めた。
「……また、会いに来ても良い?」
「ああ。良いよ」
「その時には、もうちょっとエラくなっててよね」
「……はは」
毒舌を吐けるほど、元気を取り戻したということで、ロイは苦笑した。
「じゃ、さようなら」
ロクサーナはロイの首筋にぎゅっと抱きつくと、また叔母の元へと駆け戻っていった。
「――中尉、今日はあえて何も言わないでくれたまえ」
カツカツと歩きながら、ロイは若干後ろを歩いているリザに言った。
「仕事サボったとか、結局無能だったとか……」
「落ち込んでいらっしゃるのですか」
意外そうな彼女の言葉に、ロイは肩をすくめた。
「かなりね。あの少女の言う通り、私は全くの役立たずだったわけだし」
ふう、と溜息。今日の午後、あの少女に出会った時には、まさかこんなことになるとは、
思いもよらなかった。誰にも予測は付かなかっただろう。
「…………」
そのまま無言で足早に歩く彼の横顔を、リザはしばらく伺いながら、一緒に歩いた。
「確かに、小さな女の子の願いくらい、たやすく叶えてあげられると思ったのは、
愚かだったと思います。思い上がりも良いところでしたね」
「……中尉。頼むよ」
いつもの小言も、今日ばかりはかなり傷つくのか、ロイが眉間にしわを寄せる。
「でも――」
だが、すぐそこに継がれた言葉に、歩みは止まった。
「……今日みたいなあなたは、嫌いじゃありません。大佐」
思わぬ言葉に、ロイは、うっと息を詰めた。
振り返る。――ニッコリ彼女が笑うと、すぐに顔を背けた。
「君は卑怯だな。普段、笑顔を出し惜しみしているくせに……こんな時に」
「人聞きの悪いことをおっしゃらないでください。別に出し惜しみしているわけではありません」
「ああ、どうせ私がいつもバカばっかりやっているからと言うんだろう?」
ふーん、だ、と子供のようにスネて、また歩き出す。
そして、しばらく、そのままで。
「……中尉」
むっつりとしていたロイが、口を開いた。
「何ですか、大佐」
駅の階段を降りる途中。ハタ、と彼が立ち止まった。
「……もう一度、笑ってくれるかな」
言い終わってから振り返ると、既にそこには、彼女の微笑みが用意されていた。
それは、ほんの何時間かの出来事。
昼下がりに始まり、宵の口には終わった、ひとときのこと。
300HITのキリリク、「東方司令部アイロイ・無能ぶりを発揮してしまった大佐を、珍しく中尉が慰める」
ということでしたが――シリアスかコメディかも決まらぬまま、小さな女の子に大佐が「下っ端!」と罵られる、
というオープニング部分のみありきで、あとは行き当たりばったりで書いてしまいましたが、果たしてこれで、
夏月さんのリクエストにお応えできたのだろうか?!(滝汗) これってアイロイ? 大佐ロリコン疑惑?!
そして、生まれて初めてのキリリクでした。夏月さん、リクエスト有り難うございました。