Hekate −ヘカテ− 2
彼女を抱きかかえて寝室に向かうと、ロイはその身体を、ベッドの上に投げ出した。
「これで文句はないだろう」とでも言いたげな仕草で、リザの衣服をはぎ取っていく。
寒空の下で全裸にさせられたような心許(もと)なさに、思わず彼女が身を縮めると、
ロイが自分の衣服を脱ぐのも途中で、彼女の両手を掴んで、体を開かせた。
室内の灯(あかり)は、先ほどと大して変わらぬ薄暗さだったが、
体を見下ろされている感覚は、いつになく恥ずかしさを感じさせ、
リザは、いたたまれずに、顔を背けてしまう。
彼は、特にそれを気に留める様子もなく、彼女が背けたのと反対の頬に顔を寄せ、
無防備な耳元を、意地悪く舐(ねぶ)った。
それにまたリザは身をよじらせ、喉の奥で、声を引き裂く。
「その手を血で汚すこともなく、命の重みを受けとめることもなく……
生を奪う感触を知らずに、ただ徒(いたずら)に、死を積み重ねる。
なあ……『咎人(とがびと)』と呼ぶよりも、『卑怯者』という方が、
ずっと相応(ふさわ)しい所業だな。そうは思わないか?」
――責めるなら、身体か心、どちらかにしてください……
リザは、いっそ叫んでしまいたかった。
ロイが、彼女のことを言っているわけではないと、分かり切ってはいても。
“その手を血で汚すこともなく 命の重みを受けとめることもなく”
それは、自分も同じことだから。
引き鉄という装置で火花を発し、生まれた焔で命を奪ってきた。幾つも、幾つも。
だから分かる。彼が、何故、どんな思いで、そんな言葉を吐き出しているのか。
あなたは 自分がお嫌いなのですね
厭(いと)わしいのですね
世界を憎めば せめて楽になるのに
ご自分を呪うのですね
狂った世の不条理に、正気のまま在り続けなければならなかった苦痛が、
今も、目に見えぬ傷痕の奥深くに眠り、時折顔を出しては、彼を苛(さいな)む。
その口づけの熱さは、痛みと同じ。体中に、彼の刃(やいば)が触れる。
のたうつ体を、彼の腕が抑える。
刻まれる印は、記憶の囚(とら)われ人の烙印。
痛みと、熱と、心を凍てつかせる冷たさと。
逃れようと苦しみあがき、爪を立てては、より一層傷を深め、
そこに縛られていくばかり。
――愚かしい、自傷行為。
罰を与えているのは誰 受けているのは誰
“赦(ゆる)してください”――そう請うたところで、解放されるとは思えなかった。
そして、本当に逃れたいと思っているわけでもない。
逃れられるはずがない。自分とは分かつことのできない存在である、彼から。
もしも、彼の中にある闇すべてを、自分の中に受けとめられるなら……
彼の内を満たす冥い海を、すべて飲み干せるのなら、そうしたい。
けれどそんなことが、果たして自分にできるのか。
甘く苦い夢魔に犯される思考の中で、繰り返される問い。
結局、こうして身体を彼に開いたところで、それがどれほど用を為しているのか……と。
自分の人差し指の第二関節を強く噛んで、声を殺してしまう。
それが彼の気に入らない行為だと分かっていても、まだ我を忘れることはできなかった。
彼の唇が、リザを狂乱させようと、腹部をなだらかに滑り下りる。
まだ足りないと、彼女のすべてを暴き立て、開かせるように。
――ロイは、彼女がそれを苦手だと知っている。
だから尚更に、執拗な熱さで、ねっとりと舌を這わせ。
「ひぅ……い――いやっ」
絶対に口にしてはいけないと思いつつ、泣きそうになりながら洩らしてしまう、禁句。
だが彼は、それで躊躇することはなかった。
「何が……嫌なのかね。私に触れられることか?」
「違っ、はぁ……っ!」
ザアッと、体の芯を太い電流が走ったような感覚に、リザは達しかかる。
だが、どんなに快楽の波が激しくうねっても、彼女はそれに身を委ねることができなかった。
指や舌でそうされるのは、何か、節理に背いているようで耐え難く、
いつまで経っても、受け入れられない。
自分の身体と快楽が、折り合いがつかずに戸惑い、立ちつくすように――
深い悲しみに似た虚脱感が、彼女を覆う。
「君が唯一、嫌悪や苦痛を隠さない瞬間だから……」
震えを堪える彼女の身体から、急速に快楽の波が引き切らぬよう、
ロイは敏感な部分の周囲をするりと撫ぜ、ひくつく下腹部に、くすぐるようなキスを落としながら呟く。
「……正直、安らぐ。――酷(ひど)い男だな、私は。
平静を装う君よりも、苦しみ悶(もだ)える君の姿の方が、信じられるとは」
意味を良く理解できないままに、彼女が困惑を映した眉根を寄せると、
体を起こして、彼がそこに口づける。
そして男は、更なる彼女の苦悶に焦がれるように、その表情を見つめながら、
静かに彼女の身体を割った。
リザが、息を詰める。
挿入は一気にではなく、ゆっくりと。
だがそれは、労(いたわ)りというよりも、より彼女の声を開かせようとする意図からのようだった。
身体が、内側から圧迫される。静かな発狂を促すように、ロイは、揺らぐ波を生み出す。
――いっそ、乱暴に扱われる方が、楽になれると思った。
その激しさに、自分の意識を紛(まぎ)らわせてしまえる。
けれど、今は……。
少しずつ砂をさらう潮のように、寄せては返し、その度に僅かずつ、彼女の内から何かを奪う。
抗しがたい、その甘美な眩暈(めまい)を伴う拷問に、リザは歯を食いしばる。
まるで、子宮を直接愛撫されているかのような、身体の奥深くに入り込む、
淫靡にして、泣きたくなるほど愛おしい感触。
羞恥と陶酔が、幾つもの手を持って意識をまさぐる。
そして、自分の質量を感じろ、と言わんばかりに、彼はリザの中を満たしてゆく。
ざわざわと周囲に葉ずれの音がそよぐように、快楽の渦は静かに高められていたが、
リザはそれでも、声を出すことはできずにいた。
シーツを握りしめ、歯を食いしばり、顔を背け、堪え忍ぶようにロイに身を委ねていた彼女は……
不意に鼻をつままれて、思わず、ハッと口を開く。
眼を開けると、ロイと目が合い、彼がニコッと笑った気がした。
何かと思うと、その口に、彼の指が差し込まれた。
「――歯を食い縛ってはいけないよ。……声を出したまえ」
その宣告に、リザは目を見開いた。
感慨を待たぬように、また彼は、ゆるやかに自身をねじり込み、
同時に彼女のふくよかな胸にも舌を這わせる。
瑠璃の玉を、口の中で転がすように愛されて、額の辺りに、閃光が弾けた。
堪えようとすれば、彼の指を噛んでしまう。
けれど、かといって彼の望み通り、声を出すことも、耐えられない。
唇が震え、快楽の通ずる回路を閉ざそうとする彼女の抗(あらが)いは、
ギリギリの瀬戸際まで追いつめられていた。
彼の指に浅い歯形を残しそうな、微かな圧力。
こんな時は、本当に分からない。彼のために、どうすれば良いのか。
淫らな声を上げて、我を忘れることなのか。
それとも、彼の指を力一杯噛んで、血を流させることなのか……。
自分は、果たして彼に必要なモノとなり得ているのか?
こうすることで、何かの役に立っているのだろうか。
それは、何より恐れて続けてきたこと。
役に立たないモノなのであれば、いっそ壊して、捨ててしまってほしい。
そんな自分は、要らないのだから。
――いつも、そんな思いを、心の何処かに宿しながら、抱かれてきた。
ギュッと目を閉じたリザの眦(まなじり)から、涙の粒が零れ落ちた。
それが感情的なものなのか、生理的なものなのか。彼女にも分からなかった。
それに気付いたからかどうか。
ロイは、すっと彼女の口から指を抜くと、その背を抱き起こし、身体は繋がったまま、唇を重ねた。
不自然に呼吸を抑制して堪えていたリザは、苦しさの限界で、そこから逃れようとする。
追っては逃げるその繰り返しは、激しく求め合う姿と見まごう程。
荒い息づかいと、切ないすすり泣きにも似た声。
いつしかリザは、ロイの背に無我夢中ですがりついていた。
彼は、喘(あえ)ぐように息を求めるその喉に、幾度と無く唇を這わせ、
より深く彼女と繋がるように、ゆるやかな波を起こし続けた。
融(と)ける……
彼の焔にあてられ、リザの身体は、融点を迎えつつあった。
彼女の内(なか)で、自我を構成する境界が揺らぎ、融解して、流れ出ようとしている。
崩れた壁から、あふれ出るものを、とどめられない――