レインマン(雨男)からメインマン(親友)へ


心のバリアフリー

 すばるの学校の高等部と、上の子達の高校の硬式野球部との交流会がありました。
養護学校ではPTA広報誌や学校便り(地域との交流情報)に紹介されたので知っていましたが、高校側ではたぶん関係者以外ほとんど知られていないでしょう。
参加した高等部のお母さん達は、みな「とてもよかった!」と感動したと言います。
この気持ちを、養護学校だけのものにしておくのはもったいないと思っていたのですが。

 今年度も広報委員になった私、なんと高校でも広報委員になりました。子ども達が幼稚園の頃に一緒に役員をしていたお友達が委員長なのでお手伝いをすることに。
高校生になると、親が学校生活を知ることはほとんどありませんから、PTA広報誌に、「SCHOOL LIFE」のコーナーを少し作って紹介してるのです。
 そのコーナーに、この野球部交流会を取り上げてもらうことにしました。

 コーナーを担当する以上は取材に行かなくてはならず、休日にすばるをどうしようかと思いましたが、たまたまお父さんも休みだったため、3人で出かけました。
他の委員の方2人と。
 顧問の先生と監督にはあらかじめ断っておいたし、養護学校側にも知ってるお母さんや先生がいたので、取材もしやすかったです。

 この交流会は今年で10回目とかで、野球部員は練習のしかたなどは、先輩からも聞いてよくわかっているようでした。
 対応のしかたも素晴らしいものだったと思います。
 いろんな子がいます。
 ずっと座り込んで動かなかったり、トスバッティングを気に入って(ゲーム形式にしてたらしい)ず〜〜っとやり続けている子......
 養護学校生徒1人に部員2人がグループになって、一緒に活動していました。 
 写真を撮りながら会話についつい耳がダンボ状態(^o^)
 「昨日、何のテレビ観た?」
 「お笑い好きなの?あれ、面白いよね。」
 「何の勉強好き?嫌い?」
 ......その会話がとっても自然で。
 特別、気を遣うふうでもなく、もちろん好奇や哀れみの目で見ている子は1人もいませんでした。
 
 養護学校のお母さん達に話を聞いてみると...
 「2・3年生は経験してるから楽しみにして来るよ」
 「普通に接してくれるからとても嬉しい」
 高等部の先生は
 「紳士的でとても優しい。小中学校で野球部だった生徒もいるから、体力を持てあましているかも。いい機会です。」
 監督は
 「悪いけど、養護学校の生徒のためというよりは、自分たちのためになっています」(この交流会を通して部員が変わるか聞いてみました)
 「受け売りですが、看護という言葉は手を出すことじゃない、看(み)護(まも)ることだということを実感します。」
 「子ども同士にはかなわない。動かなくなった子がいれば、大人はいろいろ手を尽くして興味を引こうとするが、彼等はずっと同じ事をしてつきあっている」

 なるほど〜。では同じ年頃の子の話も聞いてみなくては。
 主将は...
 「大きな声を出したり、変わった行動をする子もいると思うけど、気になりませんか?」
 「いえ、まったく気になりません。自分の小さい頃、近所にしょうがいを持った友達もいましたし。」
 「2・3年生は経験してるけど1年生部員は緊張したりするのでは?」
 「最初のうちはそうかもしれないけど、とくに緊張もないです」
 「普通〜に会話してますよね。正直、こういう子ども達と話しててどうですか?」
 「普通の高校生なら、自分を作ったり、本当の気持ちを言わないことのほうが多い。
 でも、彼等は素直に気持ちを現してくれるのでつきあいやすいです。」
 
....なんて大人なんでしょう。
 感動して泣きそうでした。

 広報の仕事を離れて、養護学校に通わせている子の母として、とても気持ちよく過ごせた一日でした。

 自然体でつきあっている同年代の子ども達。
 こんな心のふれあいが、バリアフリーっていうことなのかなあ、と爽やかな気分になった梅雨の一日でした。

                                                      (2006.June)
 
    


原因?

 先日、何気なくテレビを見ていたら、やっていた番組が「子どもと睡眠」でした。番組のタイトルは忘れてしまいましたが...
乳幼児期の睡眠が、どれだけ大切か、というお話でした。  最近、よく聞きますね。夜中まで起きていることが多く、また、外遊びをしないで家の中で
ゲームばかりしている子どもの問題点。低体温、肥満、キレやすい...e.t.c.。
 子どもたちが健やかに育つように、たっぷりゆっくり眠らせてあげたいですよね。きっと、どの親もそう願っていると思うんですが.....現実にはそうもいかないこともあったりして。子どもと一緒に、9時には真っ暗にして布団に入ることができるのは、いったいどのくらいいるんでしょうか?
 我が家の場合、お父さんも高校生も9時過ぎに帰って来ます。帰って来たらやっぱりご飯出したり、話聞いたりしたいし...
まあ、各家庭で事情が違うからそれはいいとして。

 気になったのは、「乳幼児期の睡眠が正しくとられないと、多動、言語障害、自閉傾向などの問題が現れる場合もある...」とのお話でした。ふ〜ん...

 脳によくない影響を及ぼすかららしいんですが...一瞬考えてしまいました。昴が自閉症になったのは、小さい頃早く寝せなかったせい?
他の家族に合わせて、小さい頃からテレビやゲームを見せていたせい?   ちゃんと眠っていれば自閉症にならなかったの?  いくら早く布団に入れても、まったく眠れなかったのに。
 たぶん違うってことはわかるんですが、「自閉症は育て方のせいではない。」と、やっとほっとしたところに、また「ほら、やっぱりきちんと育てなかったから。」と言われたような気がしたのでした。

 原因はわからないと聞いていますが、今のところどうなんでしょうね?原因がわかれば治療法もあるんでしょうが。

 以前読んだ本の中にこんな話がありました。    ず〜っと昔、その地域のお寺の住職のありがたいお話を、みんなが聞きに行っていたのです。その時、幼い子どもが騒いでどうしようもなくなって(たぶんパニック)、そのお母さんは住職に相談しました。「たびたびこんなことがあって困っている。どうしてなんでしょう?」と。ずっと前に一度読んだ本なのでうろ覚えなんですが、その住職の話を聞いて、仏様(orご先祖様)の因果でそうなんだと思った母親は、その子と一緒に川に身を投げてしまったのです。(間違っていたらごめんなさい。何の本だったかも忘れました。)
 障害なんて観念もない時代、こんな子ども達はどんな扱いを受けていたんでしょう?
 障害があることで差別や偏見の目で見られていたのは昔のことではありません。

 社会が豊かになって、ちょっと違う人達のことも考えるゆとりができたのかな、と思っています。科学が進むと、今まで原因不明だったこともわかってくるのかもしれません。でも、原因がわかったからといって、すでに障害を持ってしまった人には、あまり意味がないような気がするんです。(特効薬でもできれば別ですが)
 ありのままを受け入れて、その後をいかに生きていくか、優しく生きていくか、子どもを社会に受け入れてもらうか、それはいつの時代も変わらない親の気持ちのような気がするんです。
                                                                    (2005.February)

HAPPY

 いつものように朝、送迎バスに昴を乗せて、バイバイと手を振ると...学園時代からの同級生の男の子が、恥ずかしそうにニコッと微笑んでくれました。やった〜!なんだか、とても幸せな気分!
彼は、とてもシャイな子で、小さい頃はよく泣いたり、おびえてるような感じをうけたっけ。学校に入ってからも、廊下なんかで会っても、あまり目を合わせてくれなかったり...みんなそうなんだけど(^.^)
その子が、しっかり私の目を見て微笑んでくれたんだから、嬉しいよね〜。
 去年、宿泊学習の時だったかなあ。教室で親子で輪になって歌ってるとき、となりになった男の子が何気なく私と手をつないでくれてね!全然顔を見ないし、ほとんど無表情なんだけど、でも嬉しかったなあ〜(^^♪   「私のこと、ちゃんと覚えててくれたんだね!」

 あまり表情に出さないけど、いろんなことわかってるし、感じてるよね。
険悪な雰囲気を感じて泣いちゃったり、テレビの喧嘩シーンを見て消しちゃったり...葉っぱが光を受けて輝くのを喜んで見たり、風が髪をゆらすとニコニコして風と話してるし。心が綺麗なんだね。
 「精神遅滞」なんて、悲しい障害名だなあ。


びゅーてぃふるまいんど

 ようやく観ました。ラッセル・クロウのたれ目が見たくて。
実在の数学者っていうことしか知らずに観た映画でしたが、統合失調症だったのね〜。
統合失調症については、もちろん全く知らず、確か精神分裂症から名前が変わった時に、「自閉症も変わんないかなあ」と思った位です。映画を観て、こんな病気もあるんだ〜、と入り込んでました。
 たぶん「レインマン」が公開された時も多くの人は、そんな気持ちだったんじゃないかなあ。当時の私もそうでしたもん。
ダスティン・ホフマンやラッセル・クロウなどの、人気俳優が演じると話題になるし、理解も広まるよね!賛否両論あるけど、アカデミー賞を受賞したみたいだから、多くの人が感銘を受けたんだろうなって思ってるけど。
 それに、ロン・ハワード監督の作品って好きなんだよね。人間愛が底に流れてる気がして。まあ、彼が「アメリカン・グラフィティ」に出演した時もファンだったし.....(ミーハー!!)

大きくなったら...

 先日、昴が通ってる養護学校で、芸術鑑賞教室なるものがあったので、行ってきました。京都だったかの劇団の方達が、ミュージカルをみせてくれたんです。演目は「長靴を履いた猫」。わかりやすくて、とても楽しい時間でした。
 小学部から高等部の全生徒と、学校の隣にある入所(通所もある)施設の人など、体育館いっぱいの人でした。生徒が前のほうに座り、参加した保護者は空いてる席にということで、施設の人達の間で観てました。職員の方が「学校、懐かしいでしょう?」と言ってたので、ああ、みんなここの卒業生なんだなあ、と。他の人達とお喋りしたり、楽しそうに劇を観ていて、「おお、すごい!」って感じでしたねえ。
 感じ方も、とても素直(^.^)。音楽がはいると、手拍子したり、ライオンが出るとすごく怖そうだったり、大うけするし...ずっとぴょんぴょん跳ねてたり、手を動かしてる人もいましたが、もちろん誰も気にしない。「お、やってるな」  私も、ずっと純粋なんだなあ、と少し感動しながら、その観客の中に埋まってました
 幕間に10分位休憩があり、場内が明るくなりました。  20歳位の男性でしょうか?私を振り返り、じ〜っと見つめて、にこにこして、「WWW」って。何と言ったらいいかわからず、「こんにちは」と返しましたが...
 その時の私は...「怖かった」んです。shockでした、自分が。障害があると言われた子供を育てて、少しは理解してるつもりでした。「この子達って、純粋で可愛いよね〜」なんて。
 自分の子供だから、知ってる子供だから、まだ小さい子供だから...だから可愛かっただけなんだなって。
成長して、大人になった子供?も可愛いんでしょうか。他人には、知らない普通の人達には、怖いんだろうなって。
 昴もいつかは社会に出るかもしれません。出てほしいとも(半分)思ってます。その時、なるべく周りの人達に愛されるように育てていかなくちゃいけないと思いました。いつまでもそばで守ることもできないだろうし...
 今より前のお母さん達(もちろんお父さんも)は、差別や偏見がずっと厳しかっただろうから、大変な思いで子育てをしてきただろうと思います。医療や行政サービスもずいぶん進んだんだろうし。でも、時代が変わっても、親の願いは変わらないかもしれません。
   「この子より、一日だけ、長生きしたい!」


光とともに

 今、TVドラマでやってるんだよね。時々見ています。昴とのチャンネル争いに勝てた時と、ナイターで番組延長になった時。光役の男の子が頑張ってるなあって。自閉症についてみんなが理解しなくても、そういうのがあるんだな、って知ってくれるだけでもすごいよね。
 特別な思い入れがあるわけじゃないけど、友達が原作を持ってるので、借りて読んでみました。漫画だから読みやすいし、何より表情や、視覚的に訴えるところなんかは、漫画だからこそわかりやすいみたい。
 自分と重ねたり、いろんな方法が参考になったり、「やっぱり経験者が描くと面白いなあ」なんて読んでたら、突然、ボロボロ涙がこぼれました。どうしてだろう?   光君が、彼の母親が頑張ってるから?自分達のことを思い出したから?光君達に比べたら、自分がずいぶん楽してるみたいだから?
 普段は、毎日、朝から晩まで忙しくて、考えることもなく寝て起きての繰り返し。家族も多いしね。
ふっと立ち止まった時、乗り越えたはずのいろんな不安や葛藤が湧き上がってくるのかもしれません。
 どんな子供も同じだけど、寝顔は本当に可愛い!まさに天使!だからこそ、思います。「障害児」って言葉は重いなあって。だって
結びつかないんだもの。全てを受け入れて、愛しているから、哀しみも深いのかもしれません。 (2004年6月)