湯呑み茶わんの中、波立たせることもできる。飲み終わってしまえば、空の茶わんにはただ、いろんな味と痕跡が残るだけ。
今朝、繰り返し何度も"微笑"を聞いた。普段は自分の曲をかけて思いをはせる習慣はないんだけど、今日は例外だ。その声を聞いていると、過去を思ったけど、未来のことは考えなかった。
言いたいことはもう全部言ってしまったみたいだね。でも実のところ、人にわかってもらおうとしてないんだ。ただ、井戸に向かって、独り言を言ってるみたいなもんなんだ。ずっと僕は自分がすべきことをしてきただけ。誰かのご機嫌を取るためにやってるわけじゃない。自分のためですらもない。ただ、僕が僕であるにすぎない。
ははは、突然霑叔の"問我"を思い出したよ。その年、映画「跳灰」が公開されていて、失業した僕のお父さんは同級生がマネジャーをやっていた黄金劇場で、座席案内員のアルバイトをしていた。その時のスクリーンの挿入歌で、「跳灰」のサントラに収録されていたのが"問我"だ。
霑叔は僕が大好きな人だ。ある年、僕の誕生日に、テレビ局の控え室で、彼が走ってきて、僕にキスをしたんだ。
その後、霑叔は自分から僕に曲を書きたいと言ってきた。何度も話をして、曲を出す時には絶対に彼にお願いしようと思っていた。彼は僕にピッタリ合わせた曲を書こうとしてくれていた。でもその時、僕のマネージメントは僕にそうして欲しくなかった。
またその後、いろいろとあって、僕も機会がなくなってしまった。それから数年後、彼はこの世を去った。僕が評価する人で、僕を評価してくれるであろう人は、いったい他にどれだけいるだろうか?
人生とは、こういうもの。
当時はよく考えもしなかったけど、あとになってから永遠に過去形になってしまったことに気が付いた。
まだ覚えている。ファンたちがラジオ局の門の前で寒さに耐えながら僕を待っていたこと。ファンたちがレコード会社のレコーディングスタジオの前で夜遅くに待っていたこと。ファンたちが大專會堂の出演者休憩室の前のガラス窓を覗き込んでいたこと。ファンたちが演唱會の時に僕に誇りに思わせてくれたこと...
いくつもの雨風を経て、人生とは、こういうもの。
僕は、それでも僕、それとも....?
そう、僕は、それでも僕
黄凱芹
2009年12月4日
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