MESSAGE
        (メッセージ)

2012/7/15
   ラジオ「福音の光」説教
       「平安があるように」
    

           ヨハネの福音書20章24〜29節
                                  廣 田 守 男  
 
「シャローム」これは「平安があなたがたにあるように」との意味のある挨拶です。
 主イエス様はエルサレムで十字架の上で処刑され、墓に葬られたのですが、三日目の朝に甦られたのです。そしてその日の夕方に十人の弟子たちに復活された姿を現されたのです。その時、二度に亘って「シャローム」と呼びかけられたのです。
 当時、弟子たちはユダヤ人を恐れて戸を閉めて閉じこもっていたのです。その理由の一つには、自分たちも主イエス様と同じように訴えられて捕らえられはしないかとの恐れがあったためです。また主イエス様がゲツセマネの園で役人たちに捕らえられた時、「どんことがあってもあなたに従います」と言っていたのに、主イエス様をひとり残して逃げてしまった事に対する良心の咎めもあって、身を潜めていたのです。その弟子たちに主イエス様は「平安があなたがたにあるように」と云って、手と脇の傷跡を示して呼びかけて下さったのです。主イエス様は弟子たちを咎めだてをしないで、一人ひとりの罪を赦して受け入れて下さったのです。弟子たちはどんなに安心し、喜んだことでしょう。主イエス様は現在も恐れと不安を抱いている一人ひとりに聖書を通して語りかけて下さる御方なのです。

 ところが、弟子の一人のトマスがその場に居なかったのです。外出から帰ってきた時、他の弟子たちが「私たちは主イエス様を見た」と云って喜んで語ったのです。その様子を聞いたトマスはどんな心境だったでしょうか。当然、一人置き去りにされた悲しみと淋しさに襲われたことでしょう。孤独に苦しみ、ひがんだ思いにも陥ったことでしょう。ですから「私は、その手と釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません。」と告げたのです。このことから疑い深いトマスと云われています。然し、そう言わざるを得ないトマスの心境を察することができます。
 私自身も神学校在学中、毎年、信仰豊かな集会に楽しみに出席していたのですが、卒業する時、突然、校長先生から「留守番をせよ」と命じられ、非常に淋しく辛い思いをしたことがあります。皆さん方の中にも取り残され、落ちこぼれ、一人ぼっちになる、そのような孤独を経験をされたことがないでしょうか。その時、愚痴が出てきますし、呟き不信を抱き、否定的な発言をしてしまいがちなのです。そして自分の云った言葉に自分も傷つき、人にも不愉快な思いを与えてしまうのです。
 そのような状態が一週間も続いたことでどんなに暗く重苦しい八日間であったことでしょう。ところが、主イエス様が弟子たちの所に再度現れ、「シャローム」と語りかけ、トマスに直々に語りかけられたのです。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」主イエス様はトマスの呟き、嘆き、苦しみを理解して語りかけられたのです。トマスは「私の主、私の神」と告白し、主イエス様の弟子として生涯を全うしたのです。
 私たちの寂しさ、孤独、様々な苦しみを知って主イエス様は御言葉を通して語りかけて下さるのです。是非この主イエス様を求め信じて参りましょう。
 「信じない者にならないで、信じる者になりなさい」

 

 

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