冥王神話 Prologue1 感想
(2006年4月27日発売・週刊少年チャ○ピオン22・23合併号掲載)



■1.そもそもの経緯

 原作者執筆の聖闘士星矢の「新作」が、某少年誌に載っているらしい。

 2006年の4月も終わりのある日、そんな驚きのウワサを聞いた私は、「いったい何が始まるというのか…」と少々の不安を抱きながらも書店に走り、うわああ本当に載っている!と衝撃を受け、生涯一度も買ったことのない雑誌を、その場で衝動買いしました。

 読みました。


うわあああなんじゃーこりゃー!


 はじめに断っておきましょう。
 ワタクシ、ぶっちゃけ、この「うわあああなんじゃーこりゃー!」の衝撃を、聖闘士星矢に対する執着にも似た強い情熱に導かれるまま、思い切り発散するためだけに、この文章を書いています。
 (ちなみに個人的嗜好を断っておくならば、断然原作派です)
 (もうひとつ断っておくならば、もちろん誹謗中傷が目的で書いているのではありません。逆です。聖闘士星矢という作品に対する古くからの熱くて濃ゆくて長い愛に溢れているからこそ、こういう熱くて濃ゆくて長い文章ができあがってしまうのです)




■2.連載以前のツッコミ

 今回のこの連載、掲載ページ数はものすごく短いです。
 ぶっちゃけ全8ページです。
 しかしそれにもかかわらず、個人的に気になるツッコミどころがありすぎて、異様な長文になってしまいました。本当に気持ち悪いオタクですみません。
 (というか「たった8ページ!?」ということ自体も、そういえば私の中では一応ツッコミ対象ではあったのですが、あまりにも他の諸々のインパクトがでかすぎたせいか、今の今まですっかり忘れていました)

 しかし実は8ページの内容自体は、一言で要約可能です。

 十数年前に完結した(と思われていた)週刊少年ジャ○プ連載の、『聖闘士星矢』ハーデス編の、最終話の、リメイクです。

 なぜ、今。とか。
 なぜ、リメイク。とか。
 何の必要があって、リメイク。とか。
 それは16年前の最終話は無かったことにしてねという意味なのか、とか。
 色々突っ込みたいことはあるのですが。

 しかし。しかしですね。それはひとまず置いといてですね。
 まず、そもそも、内容以前の段階で、すでに巨大な疑問がひとつあるのです。

 掲載誌が何故か、秋田書店の週刊少年チャ○ピオンなのです。

 げ、原作者の人と集英社との間でいったい何があったのでしょうか……。

 あと地味に気になるのは、雑誌の表紙に「オールカラー完全新作」とでかでかと銘打ってありながら、これ、袋とじなんです。雑誌のメイン企画が袋とじって、この雑誌的にはいいんだろうか。とか言いつつ、やっぱり買ってしまうんだけど。(笑)




■3.ちなみに表紙は

 星矢の顔のドアップでした。目立ちます。
 そして意外に絵がキレイでびっくりした!感動した!(超失礼)
 いやその、例の「りんかけ2」ではかなーり酷いカットもあったので、一応心配しておったのです。

 そしてあおり文句。
 「キミはまだ本当の星矢を知らない!」

 ……いや、本当の星矢て……。(超不安)
 今までの原作が偽物の星矢だったわけでもあるまいし……





■4.掲載第1ページ目

 つーわけで、以下(ようやく)内容の方に入ります。

 まず1コマ目。エリシオンの神殿をバックに、モノローグがでかでかと入ります。


「地上暦 一九九〇年 エリシオン」。


 ち、地上歴一九九〇年!?

 ギャアアアアア!
 (最初の1コマ目の破壊力に、オタクはさっそくダメージをうけた!)

 そもそもエリシオンなのになぜ地上暦を使っているのかとか、人間どもの地上世界を超越した神の国が、人間どもの作り出した不完全なグレゴリウス暦なんか使ってていいんだろうかとか、そういう話も地味に気になるのですが(笑)、いや、そんなことよりも。そんなどうでもいいことよりも。


 1990年って何。どういうこと。


 まさかこれは、1990年時点でハーデスとの聖戦があったり、1990年時点で星矢が13歳だったりした、という公式設定が出来たと解釈するべきなのでしょうか。ええっそんな。今頃になって。ということは星矢と沙織さんは現在29歳だということなのでしょうか。そしてムウ様は現在36歳だとでも言うのでしょうか。そしてサガやカノンは現在44歳だとでも言うのでしょうか。そしてその年齢はこれから毎年、着実に1歳ずつ増えていくというのでしょうか。
 まさかそんなばかな…やめてくれ!
 そこを敢えてぼかしてたからいいんじゃないかあの作品は!

 しかもここで非常に気になるのは、私の手元の愛蔵版では、銀河戦争の開催日のコマに「1986年9月10日」付けの新聞の絵が描かれてしまっているということです。ええとそれはつまり、銀河戦争からエリシオンの戦いまでに、いつのまにか4年もかかっていたということなのでしょうか。
 とてもそうは見えないんですけど。
 だって、十二宮編からポセイドン編まで、1ヶ月。(グラード財団の療養所のおじさん談) そしてポセイドン編の直後にハーデス編開始。(ウルフの那智さん談)

 どう考えても合計1年以内の話なような…

 まあたぶん、星矢の連載が終わったのが1990年なので、御大の考えとしては、至極シンプルに、その1990年という年号をそのまま今回のストーリーの時代設定として使っただけなんだろうと思います。

 なので、またいつもの車田漫画式サービス心だよね!(つまり、あまり気にせずニヤッと笑って無視してしまえばいい)という見方もあるだろうなとは、思うのですが。

 しかし。

 真面目な話。
 これ、個人的には、「まあサービス心だから」と終わらせるには、あまりにも致命的な、というか、重大な変更点だったと思うのです。

 作中の『モノローグに』はっきりと日付を書き込むという行為は、銀河戦争の時の新聞の絵に、シャレで当時の日付を書き込むのとは、全然レベルが違う出来事だと感じます。

 なぜならモノローグとは小説の地の文と同じで、物語のスタンス、つまり物語の根底からの世界観を示すものだからです。

 一言でいうと、今回モノローグで作品の時代をはっきりと特定してしまったという事実は、私にとってはそれが1990年だったから問題なのではなく、むしろ聖闘士星矢という作品が現実世界との間に持っていた微妙な距離感と、それによって自然と醸し出されていた絶妙の世界観を、はっきりと破壊してしまっているように見受けられるからこそ、問題なのです。

 誤解を恐れずに所見を申し述べるならば、私は聖闘士星矢はファンタジーだと思っています。
 それは別に神話とか星座とか聖衣とかロマンチック?な小道具が出てくるから、という理由では全くありません。
 我々の現実世界のリアルがばっさり削ぎ落とされている、という意味でファンタジーなのです。

 個人的に『聖闘士星矢』とは、いつの時代にどこの世界で起こっているのかが、非常にうまいことぼかされたお話だと思います。時間的にも空間的にも、あの物語の中での出来事は、現実世界のそれと完全なるイコールではありえません。
 なぜなら聖域そのものが我々の世界の現実には存在しえない場所であることはもちろん、聖闘士の修行地の描写も、修行そのものの描写も、現代の現実世界のリアリティからは、明らかにかけはなれている。一応実在の地名が付いてはいるものの、その実在の場所や時代そのものが描かれているわけではないのです。
 おまけに聖闘士の存在自体が既に、地球生命体のリアリティから完膚なきまでにかけはなれきっている。いつの時代だよ!どこの場所だよ!と突っ込みを100回くらい入れたくなってしまうような現実離れしきったところで、現実離れした敵と現実離れした戦いを戦っている。

 しかしそれは決して(決して!)、「リアルじゃないから劣っている」という意味ではありません。

 フィクションの世界には、「リアルだから面白い」という要素と同時に、「リアルでないから面白い」という要素もあるのです。そして聖闘士星矢という作品は典型的に、後者の点において優れた作品だったと思うのです。
 逆に言えば「リアルでないからつまらない」のではなく、むしろ徹底的にわれわれの世界のリアルを切り落としたからこそ、あれほどまでに独自の世界観が築き上げられ、独自の論理と価値観と人物像が構築され、独自の展開が許容され、そしてあれほどまでに盛り上がったのだと思うのです。
 そしてさらにいえば、作中で具体的な時代や場所がぼかされていたからこそ、「あれはもう何年前に終わった話だ」「星矢たちはもう今では中年のおじさんだ」というふうには永遠にならぬまま、「ひょっとしたら今この世界のどこかで…」といつまでも妄想しつづける余地があったと思うのです。

 つまり分かりやすく言えば、星矢はドラゴンボール系のお話なのです。断じてシティーハンター系のお話ではないのです。三国志演義系の面白さが売りのお話なのであって、正史三国志系のリアルさを追求するようなお話ではないのです。

 なのに!!!

 西暦なんていう、「我々の現実」をこれ以上なく呼び込みやすい小道具を、今さらになって取り入れるなんて!
 自分で自分の作品の世界観の長所を解体するつもりか!

 ぜーはー

 ……ということを、最初の1コマを見て思いました。(長!!)

 やっぱり16年のブランクの影響なのかなあ…。それとも、編集者の違いなのかなあ…かつての連載時に聖闘士星矢を担当していた編集部のノウハウ・マニュアルは、もはや違う会社のものなんだもんなあ…(がはあ!

 なお、2コマ目には神聖衣を着た星矢が「くらえ ハーデス」と言っているのですが、聖衣の影のつけ方とか色の塗り方とか、結構色々変わってました。御大は新しいアシスタントを手に入れた!と思った。まあ当然だけど。

 そしてタイトルが、ここで出てきます。
 「聖闘士星矢 NEXT DIMENSION 冥王神話 Prologue1」

 ……プロローグの、「1」なんですか。つーことは、この連載の後もプロローグがしばらく幾つか続くという意味ですか。こわいようー!こわいようー!次は一体何が破壊されるんだようー!
 そしてやはり、「NEXT DIMENSION」と名づけられていることから、完全に、新しく続編を描き始めるぞ!というつもりで連載されていることがよくわかります。こっちもこわい。この先一体どこに連れて行かれるのか、不安だ。




■5.掲載第2〜3ページ目

 2〜3ページ目は、懐かしい大ゴマ1.5ページ見開きを用いて、星矢がペガサス流星拳を打っています。背景のペガサスの絵がとても気合が入っていてキレイです。聖衣もキラキラしてます。でも肝心の星矢の顔がなんか変です。顔のサイズと比べて主線書くペンが太すぎるんじゃなかろうか…




■6.掲載4〜5ページ目

 ハーデス様が登場します。どアップの大ゴマで登場するところ、非常に車田漫画です!絵も非常に美しい!

 ただちょっと、化粧がキモイかもしれない!(ゴーン…)

 そもそもハーデスの顔が化粧してる(ように見える)という事実自体も、個人的にはかなり厳しくツッコミの対象ではあるのですが、それよりも唇の色と塗り方が非常に気に入りません。
 限りなく白い肌に、どぎついくらい真っ赤な口紅。しかもちょうど口の裂け目から上下2ミリあたりの部分だけに塗ってある。これはものすごーく何かに似ている。このお化粧はどこかで見たことがある。しばらく考えて思い至りました。

 死化粧に似ています…
 棺桶の中のご遺体のお化粧が、ちょうどこんな感じだよ…

 むう。そう考えると、もしかしたらわざとなのかもしれないですね。この色の塗り方。死の国の神様だし…?

 あ、ちなみに目の色は金色でいらっしゃいましたハーデス様。

 それから冥衣の色設定ですが、やっぱり私はこちらの原作カラーが断然好きだと改めて思いました。どうしてアニメは紫なんだろう。黒い宝石のようだ、ってムウ様だって言ってるじゃないか。
 今回の原作者本人によるカラーは、本当に黒い宝石のようでした。黒い炭がそのまま鉱石と化したような感じ。その黒が光の照り返しを受けて輝くような感じ。素敵です。

 その後は、青銅の4人が驚いて、(なんか顔の輪郭と比べて顔の構成物が思いっきり左にずれてる人が2人くらいいたのはまあ見なかったことにして、)ハーデス様が1ページまるまる使って、青銅4人をふっ飛ばします。
 しかも「さわぐな虫ケラども」の巨大文字のセリフつきです。
 ああ!「うろたえるな小僧ー!」みたいだ!と思って非常に胸がドキドキしたのは、ここだけの秘密です。




■7.掲載6ページ目

 青銅4人が地面に激突。ちゃんと亜麻色の髪になっている瞬に訳もなくトキメキを覚えました。

 ハーデスが剣を抜いて、その剣の面に壷の中の沙織さんの顔が映る。凝りに凝った画面構成。キレイです。(しかしなぜか沙織さんの髪の毛だけアニメ色なのはなぜだろう。うっかりミス…?)

 しかし、実はこのページの最大のツッコミどころは、そんなところにはありません。むしろ、視線はページの右隅に釘付けです。

 なんと、チャ○ピオンの編集の人が何を血迷ったのか、ページの端っこ、柱のところにでかでかと黄色のゴシック体で、このように宣言してしまっているのです。

 「車田先生の新作「聖闘士星矢」が読めるのは、
 チャ○ピオンだけ!!」


 ああああ。これはどう考えても十数年前の連載当時にジャ○プの柱に書かれてあった文章をそっくりそのまま真似している、言うならば壮大な当てつけです。
 つまりぶっちゃけイヤミだと思います。

 ・・・コワイです。




■8.掲載7ページ目

 さて。変なモノローグで1990年の衝撃を経験したり、ハーデス様の死化粧を目撃してしまったりと、色々びっくりだった今までの展開ですが。
 このページにきて、なにやらストーリー自体の方にも、不穏な動きが生じ始めます。

 それはハーデス様の台詞から。
 「ペガサス どこまでもシブとい男よ…」と言った後、突然ハーデス様は何かを思いついたかのように、ハッとします。(どうでもいいのですが「しぶとい」を「シブとい」と書くところに私は車田色のネームを感じました)(パッと見「シブい」に読めてしまってビックリする所も含めて・笑)

 そうして問題の独白です。

 「ま…まてよ この男とはかつて神話の時代…
 いや前世で一度会ったことがある



「いや前世で一度会ったことがある」!?



 ウワアアアンもういったいこの期に及んで何事デスか!?

 お前らの物語世界に、前世なんてもん、いつからあったんじゃ!そんなん初耳や!
 ていうか頼むからやめてくれ!!!(号泣)

 どうやら今回の連載の目玉は、ここの部分のようです。
 原作の最終回で言っていたような、「何千年も前の神話の時代に会ったことがある(かもしれない)」だけでは終わらせずに、「その後、もう一回双方はっきりと生まれ変わって、過去に友人としてはっきりと会っていた」というふうに、設定を変更して来たようです。
 うう…そういう修正をなさるのか…なるほど…

 個人的には、なんだかとても不安な気持ちです。
 なぜなら「前世」という概念は、いったん持ち出してしまった以上、うまくコントロール・処理・回収するのがとても難しいと思うからです。

 一応、今の段階では「星矢に前世がある」ということしか明らかになっていないので、もしかしたら青銅とか黄金とか城戸沙織さん(一少女としての)には、前世は出てこないのかもしれません。
 しかし、「星矢に前世がある」以上、「他のみんなにも前世がある」につながっていくのはあまりにもたやすいと思います。(ていうかなんかどうせそうなっていくような気がします)

 しかし、個人的には、この漫画ではそれやっちゃあかんだろうと思うわけです。

 まあ別に前世があったとしても、ウラ設定みたいな形にして、それを物語の表面に出さずにいてくれるならいいのですが。
 こういうふうに「前世」を前面に出してくるのは、私は好きではない。

 なぜかっていうと、まず第一に。
 前世というのは、現在の個人の努力や能力や行為ではどうしようもない、変更不可能なものであります。自分がどうがんばっても手の届かないところで自分の運命を決めている力。否が応にもそういう意味合いが非常に強く出てきてしまうと思います。
 しかし聖闘士星矢っていうのは私の中では、運命や定めっぽいものにあれこれ翻弄されながらも、究極的には自分の生き様を自分で切り開く(切り開こうというスタンスを持つ)人たちのお話でしたので。
 ちょっとこの種のあまりにも決定論的な色が強すぎるモノを敢えて持ち出してくるのは…物語の構造的に、どうかと…思う…。

 第二に。
 前世があるということは、結局「この時代、この場所で、他でもないこの仲間たちと偶然にもめぐり合えた素晴らしい奇跡」ってものの意味やインパクトが、完全に薄れてしまう(あるいは無くなってしまう)ような気がする。
 なぜならすべては前世からの因縁で説明可能になってしまうから。
 (そう、前世っていう概念はジョーカーだと思うんですよ…。やろうと思えばすべての問題が「前世」という言葉で説明できてしまうんですよ…。恐ろしいんですよ…)

 えーそれから第三に。
 もし仮に、登場人物みんなに前世があり、みんなが前世で同じように聖闘士やってて聖戦やってて知り合いでした、という設定を作り出してしまったとしたならば。
 まだわかりませんけど、もしもそういう展開になってしまったとしたならば最後、これはとても狭い世界の、ごく狭いコミュニティの中だけでの、仲良しグループの中でだけの、閉じた自己完結話になってしまう可能性があると思うのですよ…。(お願いだからそれだけはやめてほしい。聖闘士星矢のスケール感が台無しになるから)

 要するに、やっぱり世界観が根底から変わるような気がするし、そもそも危ない概念なので、明白な前世話っつーのはちょっとやめてほしかったかなーという感想です。自分としては。

 ちなみに当時の星矢コミック最終巻ではこうなっています。
 「そういえば最初から気になっていたが…このペガサスどこかで見たような…」
 「ああ…そ…そうだ… この顔は忘れもしない 神話の時代に一度だけこのハーデスの肉体に傷をつけた男にそっくりではないか!!」
 「たしかあの時の聖闘士も…ペガサス!」
 「お…おのれ〜神話の時代から再び生まれ変わり 余の肉体に傷を付けに来たというのか――ッ」

 この辺の車田氏のバランス感覚はほんとに好きだったのですが、神話の時代にハーデスの体に傷をつけたペガサスが実際に星矢の前世だったかどうかは、実は分からないようになっているのです。一応、「星矢に前世があった」かもしれないと解釈する余地はありますが、でもはっきりと前世だったとは、どこにも書かれていません。あくまでもハーデスが「生まれ変わったのか」と言ってるだけで、本当に聖闘士星矢の世界の中で前世や生まれ変わりという出来事が起こっているのかどうかということは、読者が自分の好みで解釈すればいいようになっている。

 しかし今回、御大ははっきりと「生まれ変わり」のほうを選択なさったようですね。一体この先どうなるのだろう…




■9.掲載8ページ目

 さて。先ほどのハーデス様による「星矢と前世で会っていた」発言には、続きがあります。それがこれ。

 「二百四十数年前… ペガサスは余の友であった…」


 ええっ!?余の友!?


 そして画面には1ページまるまる大ゴマ使って、エリシオンで花を摘むハーデス(前世)らしき少年が1人。顔は陰になっていて全く見えない。首には「Yours Ever」のペンダント。(芸が細かい)(こういう細かさは私は好きだ)

 そして、終わる。(というか、続く。)

 というわけで。
 びっくりしたびっくりしたあーびっくりした。
 これは、ハーデスというキャラ像にも根底から関わってくる、非常に重要な爆弾発言ですね。詳細はまだ分かりませんが。
 でも私は結構この展開自体は、アリかもしれません。ハーデスを悪一辺倒で描かない、という意味において。(ああでも前世は嫌…)(複雑)

 ただ。
 ちょっと、一個だけ突っ込ませてください。
 こんな一番の爆弾発言を、袋とじの外側(買わなくても立ち読みで読める)部分に描いてしまうのはどうかと思うよ!
 袋とじの意味が全く無いよ!!(爆笑)

 そしてこのコマの下部にあおり文句が入って、終わります。
 「冥王とペガサスの因縁「前聖戦編」がついに明らかに!!
 今夏、連載開始!!!

 ええええーーー!?
 連載するんかーーー!?
 しかも週刊誌でーーー!?


大丈夫なのか御大?!
 (月2回のりんかけ2ですらボロボロだったじゃないかよう…)


 しかも、「前聖戦編」って…
 シオンでてくるんかーーー!?
 
(あああやめてー!)
 今度は何が破壊されるんだーーー!?
 (あああああやめてー!)

 だがしかし、怖いもの見たさで読んでしまうだろう自分を…自分を知っている…
 ドシャアァァ…




■10.総括

 『ああ、聖闘士星矢の新作?オールカラー袋とじ8ページの?でも内容は連載時の最終話とほとんど一緒だよ。全然変わってないよ』

 ……こんな声がちらほら聞こえてくるかもしれない(いや本当はよく知らない)、今回の連載でしたが。

 いや、違います。
 同じじゃないです。
 完全にリメイクです。
 全然別物だと私は思います。
 なんか個人的には世界観が根底から違いかけてしまっているような印象があります。
 一番最後のコマの友人宣言が無かったとしても、「当時の最終話と同じ内容だったよ」と笑っていえる度胸は私にはありません。

 とりあえずこの先一番心配なのは、世界観。同じくらい心配なのは、キャラ観。(まあ既にハーデスのキャラ観は根底的に揺るがされかけているような気もするが)(でもハーデスのこういう方向性の揺らぎは、ワタシ的には全くOKですけど)

 しかしやっぱり私にとっては、原作者が直接描かれるものこそが聖闘士星矢の一次資料であることには変わりありません。なので8月から始まるという連載も、追いかけてみるつもりでいます。特に設定とストーリー、および御大の聖闘士星矢観を分析するための研究資料として興味があります。(自分の妄想の参考にするかどうかは全く別問題だが)

 てーか今、ここまで書いたものを読み返して思いました。なんだかんだでこのオタクは結構楽しんでるんじゃないだろうか、この状況を。微妙に(いや結構)楽しそうに見えるぞ。

 そんなわけで、ひとまず、終わる。

 ……続くかも、しれない。


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Written by T'ika /2006.7.22