■もう少しマニアックにキャラ考察・サガ編





 こちらの冒頭では冗談気味にちょろりと書いただけでしたが、実は私はかなり真剣に、サガは文字通り「聖闘士星矢」の陰の主人公じゃないかと考えています。
 彼が全身で引きずって歩いてる分厚くて重たいキャラ設定の、テーマ性と物語性と普遍性と哲学性から言って、実は聖闘士星矢の裏の主役は彼ではないかと思うのです。(正確には彼とカノン、つまり双子でひとつの主役。)

 ちなみに、サガの中に見えるそのテーマとは恐らく「人間」です。1つ目は言うまでもなく人間存在の両義性、つまり善と悪を揺れ動く人間の本性について。これはもしかしたら物語のラストにおいては、結果的にその超克にまでたどり着いていたかもしれません(「灰色」になったハーデス編のサガ)。
 そしてサガのテーマの2つ目は、そんな本性というか業のようなものに翻弄される人間存在の、喜悲劇性。

 サガの二重人格の設定がリアルじゃないのは、こうした物語のテーマ性をより鮮明にあぶり出すためでもあったでしょう(現実の多重人格は全然、あんなんじゃないらしい)。それは悪く取れば、多分原作者の知識不足の露呈とも言えるのかもしれませんが、しかし一方でこれはフィクションなんだから、現実とのズレは必ずしも欠陥になるとは限らないと思うのです。逆にとても端的な本源的なかたちで、創作上のテーマが突きつけられる結果になっているような気もする。

 そもそも語弊を恐れずに言えば、聖闘士星矢とはある意味、ひとつの壮大な(似非)叙事詩です。イリアスだとかオデュッセイアだとかのように、神話の神々が登場したり喧嘩したり手を組んだりしつつ、けれども話の中心はあくまでも人間であるような、そんな物語。しかも個性溢れる大勢の人間たちの、物語。
 そして昔から叙事詩の主役と言えば苦悩を抱えた人間のヒーローと、相場が決まっているのでありました。アキレウスしかり、オデュッセウスしかり。
 したがってやっぱりサガを見るとどうしても、ああ、主役っぽいなあと、私は思ってしまうのです。『聖闘士星矢』という長い物語の、根幹に関わる、裏主役。
 (ちなみにアイオロスは一応悲劇のヒーローではありますが、あまりにも正義すぎて苦悩する必要が全くありませんので、神話伝説の類にはなれても、残念ながら叙事詩の主役にはなれないのです) (そういう意味では実は物語の中のキャラ配置的には、サガよりもアイオロスの方が、神様ポジションに近いのかもしれません)


 では、そのサガの中に見える2つのテーマのうち、「善(白)と悪(黒)とその超克」についてはこちらで語ったので割愛するとして。
 もう一方の悲喜劇性って何かなあというと、やっぱりサガの場合は、「神様になりたかったけどなれなかった人間」にまつわる悲劇が大きいと思います。

 既にこちらでも述べたように、神様=人間じゃないものになろうとして、見事に失敗した人間の話というのが、十二宮編のサガでした。
 しかし皮肉なことに、「人間じゃないものになりたい」という強烈な欲望があるということは、たぶんその人が人間以外の何者にもなれないという事実の、単なる裏返しにすぎないのです。
 要するに、反動。
 自分が神様でないことを心の奥底ではちゃんと知っていて、しかしそれを認められない(あるいは許容できない)からこそ、すごく無理して神様になろうと頑張ってしまうわけです。それはちょうど、生まれつきのブルジョワが意外とのんびり控え目であるのに対して、成り金のプチブルの方は必死で高い絵を買ったりブランド服を買ったり巨大な家を買ったりしてブルジョワになりきろうと頑張りまくる、という例と、非常に似ている構造だと思います。
 だがしかし、実際は神様っぽく振る舞おうと頑張れば頑張るほど、自分の非・神様っぽさが強烈に見えてきてしまう、という皮肉。だって本当の神様ならば、そもそも神様になるために頑張って神様をやる必要なんかないんだからね……

 ……ってことに気づけなかったっぽいあたりが、サガは既に悲劇です。
 そして同時に、悲しいほど喜劇だ。

 さらにそれに加えて、人間の中にある非・神様っぽさっていうのは、決して悪いだけのものではなくて、人が人である限り絶対に必要なものでもある、という事実に気付けなかった点も、非常に哀れというと偉そうですが、えー、可哀相だと思います。
 しかも、どう考えても実現不可能なその「神様になりたい願望」を、望んどくだけならまだ良かったのに、実際に決行に走ってしまったというのがまたこれ悲劇。
 あまつさえ、決行しなきゃ普通に「すごく強くて立派な黄金聖闘士の英雄」で終われたはずなのに、決行しちゃったがために彼が踏み外してしまった崖の深さもまた悲惨でした。いやあ、彼の転落ぶりって凄いですよね。反逆・殺人・死体遺棄・身分詐称・殺人未遂・詐欺・横領・世界中に対する侵略戦争未遂etc!これに比べたらちょっとくらい人生つまづこうが全然大したことないじゃん!という気がする。
 しかもその転落人生が、当初の彼の理想(聖人や神様のような生き方)と、あまりにもかけ離れすぎているという……。(拷問のようだ)

 それなのに、教皇の間の沐浴所で「悪いのは全部黒サガのせい(by白サガ)」とか言っちゃっててこの人、事ここに及んでもなお、自分は良い子でいたいんだなあ。もしくは事ここに及んでもなお、「自分は良い子なんだ」という願望を、どうしても捨てきれなかったんだなあ。うわあ。
 ……そんなことまで判っちゃうもんだから、そりゃーもう痛いわ、悲劇だわ。(というか、可哀想というか、お気の毒というか)

 けれどもたぶん最後の最後になって、そういった諸々の悲喜劇性を、ぜんぶ一気に突きつけられて、気付いちゃったんじゃないかな、この人。自分の過ちに。
 ……なんだかギリシア悲劇の主人公にだって、ちょっとタイマン張れる感じですね。

 きっと十二宮編の最後で自ら死を選ぶことになったのも、その積み重なった悲劇の重みが、あまりにも重すぎたせいなのかもしれません。
 可能性としては、カノンのように恥を晒してもプライドを捨ててでも、生きて償いをする道だってあったはずなのだけれど(サガが出した死人も、カノンが起こした水害の死者より多いってことはないだろう)、きっとこの展開を経て来てしまったサガにとっては、それは不可能なことだったのだろうな。
 悪人格もアテナの盾のおかげで抜けて行ってしまったし、アテナ自身だって許すと言ってくれたのにもかかわらず、やっぱり。

 ……しかし話はズレるんですが、ずーっと前から気になってるんですが、あの悪人格、どう見ても抜けてったのは、人格と言うより、悪霊、ですよねえ。どう見ても、サガの内部の別人格じゃなくて、外部から取り憑いた何かに見えるんだけど。実はどっかの悪い神様の手先だったりして?運悪くサガが魅入られたか取り付かれたかして。サガ自身のせいじゃなかったりして……
 ……まあ、だとしても、それはそれでやっぱり、すごく王道な感じに叙事詩的で悲劇的だけど。


 いずれにせよ、神になりたい欲望が人一倍強かったっぽいサガは、実は逆に、人一倍「人間」なひとだったんじゃないかという気がします。神になりたがったことによって、逆説的に、彼の中の人間的部分というか、人間の本性みたいなものが(そしてその問題性が)、とてもとても強く現れて見える。
 そしてだからこそ彼の名前はサガ――性(さが):「持って生まれた性質や宿命」の意――だったんだろうなと、私は密かに思っています。

 そして、これを『聖闘士星矢』全体にからめて、ミもフタも無く、まとめると。

 そんなサガの個人的病に巻き込まれた人々の話が十二宮編であり、そんでもって、そんなサガの個人的病に巻き込まれた弟カノンの病に巻き込まれた人々の話が、ポセイドン編だったという訳なのです。(笑)
 ちなみにハーデス編はそれらの付録みたいなもんで、十二宮編・ポセイドン編の出来事がなければ絶対、あんなふうな展開にはならなかったはず。(しかもこのハーデス編、双子の贖罪の話が、かなりの分量で入ってた。)
 したがって、この双子(特にサガ)、物語の発端を作ったというだけではなく、「聖闘士星矢」というお話全体の、実に9割くらい方の、根幹にいます。双子いなければ何も始まらないし続かないし終わらない。(そして偶然か必然か知らないが、双子死んだら連載も終わったよ…)

 したがって、彼の名前がサガ――saga(サーガ):北欧語起源で「物語」の意――であるということは、このような『聖闘士星矢』という「物語」全体に占める彼の重要性ともまた、無関係ではないんじゃないかと思うのですが、いかがでしょうか。




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Written by T'ika/〜2007.10.31